Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (60)
既得権益
次の日は、皮の取り入れと黒皮を剥いで白皮にしなければならないので、板と鍋と桶を持っていった。
火に当たりながら、時々はお湯に手を付けて温めながら、皮をナイフで剥いでいく。
「ハッキリ言って、夏以外はやりたくないね。指先がジンジンする」
「そうだな。川に入るのはきついよな」
愚痴を零しつつ、手はしっかりと動かして、トロンベの白皮を完成させていく。白皮になっても、特にカビらしい斑点は見当たらず、わたしは安堵の息を吐いた。
「……特にカビも生えてなかったみたいだね。よかった」
「フォリンはともかく、トロンベは大丈夫だって言っただろ?」
「危険植物だもんね?」
皮を剥き終わったら、森で採集をする。この時期でなければ取れない薬草もあるそうなので、ルッツに教えてもらいながら一緒に拾って歩いた。
「ねぇ、ルッツ。この赤い実は拾わないの? 毒?」
森に落ちている、大人の親指の第一関節くらいの大きさの赤い実をルッツが避けて通ることに気付いた。もしかしたら、危険な毒の実かもしれない。わたしは触らないように指差した状態で、ルッツに尋ねる。
「あぁ、タウの実は触らなくて良い。これは、中がほとんど水なんだよ。食べられないし、持って帰ったら、水がなくなってカラカラになるだけで、今は使い道がないんだ」
「今は、って?」
「夏になったら、拳くらいに大きくなっているんだ。タウは何かにぶつかったら水が弾けるから、ぶつけ合いをして遊ぶんだよ」
自然にできる水風船みたいなものだろうと見当を付けてみた。家に持って帰っても枯れるだけで、このまま放置しておかないと、大きくならないらしい。
変な実。
「街中で大人も子供もごっちゃになってぶつけ合うんだよ。ほら、星祭りの時がすごいだろ?」
もう一年以上いるはずなのに、そんな祭りは全く記憶にない。
「……ねぇ、ルッツ。星祭りなんて聞いたことないんだけど? 夏にお祭りなんてあったっけ?」
「前の星祭りの時は、死にかけてたじゃないか。誘いに行ったら、熱が全然下がらないって、おばさんが言ってて、祭りの後、オレは竹を取りに行ったんだぜ」
あぁ、あの時か。
ルッツの言葉で、いつの死にかけだったか判明した。木簡を焼かれて、身食いに呑みこまれそうになる感覚を初めてハッキリと自覚した時のことだ。
何日も意識が戻らなかったらしいし、その後もしばらく寝込んでいたので、祭りがあっても、それどころではなかった。多分、家族にとっても同じことだろう。
「トゥーリも遊びたいはずなのに、わたしのせいで行けなかったよね?」
もしかしたら、わたしはトゥーリの子供時代の楽しい思い出を奪っているのかもしれない。そう考えて項垂れると、ルッツは肩を竦めて首を振った。
「いや、マインのことはおばさんが見てたから、トゥーリは参加してたぜ。ラルフと二人で先を争うようにして、森でタウを拾ってたし」
「あ、そうなんだ。よかった」
「今年はマインも一緒に参加できると良いな」
「うん」
今年はなるべく体調に気を付けて、星祭りに参加することを約束して、採集を終えた。
約束してみたものの、水をぶつけ合うような祭りに両親が参加を許してくれるかどうかはわからない。
その次の日からは倉庫前での作業だ。
水が冷たくて、お湯に何度も手を付けながらの作業になったが、契約書サイズの簀桁で、フォリン紙を漉いていく。
数日かけて乾かしながら、その間にトロンベの白皮を使った紙も作り始めた。
「フォリン紙は乾いたね。今日はよく晴れてたから」
「トロンベは明日丸一日自然乾燥だよな?」
作業過程を確認し合いながら、できあがったフォリン紙26枚をルッツと半分に分けた。13枚手渡された紙を持って、ルッツが困ったように眉を寄せる。
「なぁ、マイン。どうしてここで分けるんだよ? 旦那に渡した後、お金を半分に分ければ良いだろ?」
「だって、わたし、現物が欲しいんだもん。ベンノさんに原料を買ってもらって、自分の分にするのはダメだけど、原料を自分達で準備した分なら、わたしがもらっても良いでしょ?」
ベンノに売った後で紙を買おうとすれば、手数料の3割分を取られることになる。それならば、最初から売らなければいい。
「マインは売らないってことか?」
「わたしが売るのは半分だけにする。紙を集めていって、本を作るの」
配合もきちんと決まった上に、少しずつ手慣れてきて、失敗作が少なくなってきた。それでは本を作りたいのに困る。最近は母がいろんな話をしてくれるから、書き留めるのが大変なのだ。
作業が終わったので、倉庫の鍵を返すついでに、できあがった紙を早速ベンノところに持っていくことにした。
「お、できたか」
ベンノはフォリン紙をわたしとルッツからそれぞれ受け取って、枚数を数えた。ルッツが13枚で、わたしが6枚。あからさまに違う枚数に眉をひそめる。
「マインの分が少ないな。どうした?」
「紙が欲しいので、現物をもらいました。原料を買ってもらったものならともかく、今は原料も自分で採っているからいいでしょう?」
「……そうだな。原料を自分達で取った分に関しては構わんが、一体何に使うつもりだ?」
少しばかり警戒した表情でベンノに問いかけられた。
「本を作るんです。だから、紙が欲しかったの」
「本?……そんなものを作ってどうするんだ? 売れんぞ?」
「え? 自分で読むんですけど?」
ベンノと二人で顔を見合せながら、お互いに首を傾げた。商品にならない物のために高価な紙を使うことが理解できないベンノと、利益なんてそっちのけでただ本が欲しいわたしが理解しあえるはずがない。
「まぁ、いい。この大きさの紙一枚で大銀貨1枚が販売価格。手数料が3割。お前達の取り分はいくらだ?」
ルッツはまだ割合がよくわかっていない。えーと、とルッツが慌てる横でわたしは即座に答えを出した。
「小銀貨7枚です」
「ハァ!? 小銀貨7枚!? ちょ、おま……え!? もらいすぎじゃないのか?」
ルッツはどうやら全く予想していなかったようで、金額を聞いて口をパクパクさせる。
「……ルッツ、落ち着いて。今はもらいすぎって気がするかもしれないけど、わたし達が利益をもらえるのは洗礼式までだよ? ベンノさんがこれから先ずっと紙を売って手に入れる利益に比べたら、微々たるものだから気にしなくて良いから」
「気にしなくて良いって、お前……」
落ち着かせるつもりだったのに、ルッツは信じられないとばかりに余計に目をぐるぐるさせ始めた。
「今日はルッツが13枚売ったから、大銀貨9枚と小銀貨1枚。わたしは6枚売ったから、大銀貨4枚と小銀貨2枚」
「いや、大銀貨9枚って、どう聞いても微々たるものだなんて思えねぇからな?」
「え? じゃあ、販売価格を下げる?」
怖気づいたようなルッツを見て、わたしが少しばかり首を傾げて提案すると、正面でベンノが苦い顔をして首を振って却下した。
「販売価格を下げるのはダメだ。既得権益と無用な軋轢が生じる。今は同じ値段でいい。ある程度流通するようになってから、販売価格については俺が考える。大金が怖いなら、俺が手数料を上乗せしてやろうか?」
最後はルッツに向かってベンノがニヤリと笑った。
「値段についてはわたし達に決定権なんてないですから、値段の変更についてはベンノさんにお任せしますけど、手数料の変更は認めません。ねぇ、ルッツ。お金いらないなら、わたしがもらってあげようか?」
「どっちにも渡すか! 大金すぎてちょっとビビっただけだ!」
自分のギルドカードを抱きしめるようにして、ルッツが吠えた。ギルドカードは血で本人認識をさせているので、本人以外が使うことはできない。かなり安全なお金の預け場所だ。
「ギルドに預けておけば、自分で現金を見ることなんてないんだから、怖くないよ?」
「くそぉ、変なところで図太いマインが羨ましい」
「図太いって、ひどーい!」
麗乃時代に貯金していたし、こちらの世界ですでに小金貨をもらったり、それがほとんどなくなるような魔術具に払ったりしていたので、大きな数字の金額が移動することに慣れていただけだ。決して図太いわけではない。
わたしは、むぅっとむくれたまま、大笑いするベンノとカードを合わせて精算する。大銅貨5枚分を家族に渡すことにして、現金でもらった。ルッツも同じように家族に渡す分と、貯金分を分けて精算を終えた。
それから、数日後、倉庫の鍵を借りに行っていたルッツが手紙と大きな包みを持って帰ってきた。正確には手紙ではなく、板に書かれた招待状だ。そして、包みの中身は上から被って着るポンチョにフードが付いているような上着だった。
「何だ、これ?」
色違いのポンチョを持って、ルッツが眉を寄せた。わたしは招待状に目を通す。待ち合わせ場所とその理由が簡潔に箇条書きされていた。
「服を買いに行くから4の鐘に中央広場で待ち合わせたいって」
「はぁ? 服?」
「……わたし達が作った紙のことで、文句を言いに来ている人達がいるんだって。対処方法について話し合いたいけど、相手がわたし達の存在に気付かないよう立ち回りたいみたい。わたし達の恰好はあの店じゃ浮くから、これを着て来いって」
「え? 何だよ、それ!? 何か危ないことでもあるのか?」
二人とも上から被って着るポンチョのような物を着てみる。とても温かいし、服がほとんど隠れる。ひとまず、ボロ服が隠れれば良いようだ。
フードを被れば、髪も顔も隠れがちになるので、出かける時はフードを被ることにする。わたしの簪はとても目立つらしいので。
「危ないかどうかはわからないけど、マルクさんに会うんだったら、ついでにトロンベ紙も売れるように、早目に取り入れちゃおうか? あ、でも、気付かれたくないって事は持ち歩かない方がいいのかな?」
トロンベ紙の出来具合を確認するわたしに、ルッツがくわっと怒った。
「マイン、なんでそんなに呑気なんだよ!?」
「え? でも、新しいことを始めたら既得権益とぶつかるのは予想の範囲内だったもん。思ったより反応が速いとは思うけど……」
「既得権益?」
ルッツが眉を寄せて、あまり馴染みがない言葉を舌の上で繰り返す。
「すでに利益を得る権利を持っている団体のこと。ベンノさんが言ってたでしょ? 値段を下げると既得権益とぶつかるって。今回は多分、羊皮紙を作ってる人達だと思う」
「羊皮紙を作ってる人が何だよ? オレ達の紙は木から作るから関係ないだろ?」
作り方から考えれば、全く関係がなさそうだが、用途や客層は完全に同じものだ。今までは自分達の利益を脅かす存在が全くなかったはずなので、相手は見知らぬ紙の存在にパニックに陥っていると思う。
「えーとね、自分達しか紙を作れなかったから、どんなに高くても、みんな契約書の時は羊皮紙を買うしかなかったでしょ? でも、別の紙が出てきたら、そっちに今までのお客さんを取られるよね?」
「まぁ、そうだな」
納得したようにルッツが頷く。用途が同じ品物が出れば、当然そちらに目を向ける客がいるのは当たり前だ。
「そうしたら、今までと同じ売り上げにはならないでしょ? それが嫌なんだよ。それにね、たくさん売られるようになったら、物の値段って下がっていくものなの」
「そうなのか?」
わたしは石板に一つの図を書く。X軸とY軸の二本の直線と、二本の曲線で表した簡潔な需要と供給のラインを引いて、関係性を説明する。
「これね、『需要』と『供給』の関係を示してるの。こっちが『需要曲線』で、こっちが『供給曲線』ね。『需要』はある商品を欲しいって思っている人で、『供給』はある商品だと思ってね」
「あぁ」
「欲しい人が多くて、売ってる商品が少ない場合は、商品の値段は上がるの」
二本の曲線の先頭を示して言うと、ルッツは「品薄の時は何でも高くなるもんな」と理解を示した。
「それで、売ってる商品が増えたら、欲しいと思っている人はどんどん手に入れていくから、欲しいと思っている人が減ってくるでしょ? だから、値段が下がっていく」
説明しながら、わたしは二つの曲線が交差する場所まで指を滑らす。
「欲しいと思う人より商品が多くなると、今度はいくら商品を準備しても売れなくなるでしょ? そうすると値段はどんどん下がるよね?」
どんどん指を動かしていくと、需要曲線と供給曲線の上下関係は完全に逆転している。
「わかる? わたし達が紙を作れば作っただけ、こんな風に紙の値段は下がっていくの。羊皮紙を作っている人は羊皮紙の値段は下げられたくないし、今までの利益はきっちり確保しておきたいから、新しい紙に文句をつけに来るんだよ」
「なぁ、それってまずくないか?」
不安そうなルッツにわたしは笑って首を振った。
「ベンノさんがわたし達の存在を隠そうとするってことは、その人達の相手はベンノさんに任せておけばいいってことだよ。ルッツが心配しなくても大丈夫。詳しい話は聞いてみないとわからないけどね」
招待状で指定された待ち合わせの時間までにトロンベ紙が24枚できたけれど、相手の出方を見るためにも倉庫に置いておくことにした。
「一応ルッツもフードを被って、髪の色や顔立ちがわからないようにしていてね」
ベンノが服を送ってくるほど警戒しているということは、危険な事に巻き込まれる可能性もないわけではない。
少しばかり緊張しながら中央広場で待っていると、4の鐘が鳴った後でマルクがやって来た。
「お待たせしました。お約束通り、見習いに必要な服を買いに行きましょう」
「はい、よろしくお願いします」
わたしは見習いにならないから服は必要ないけれど、ベンノさんの店に出入りするのに、目立たないような服を買った方がいいかもしれない。
それは無駄遣いになるのかどうか考えながら歩いていると、体調が良くないと勘違いしたマルクにひょいっと抱き上げられてしまった。
「自分で歩けますけど!?」
「いえ、何やら唸っていたので、不安になってしまっただけです。わたしの安心のためにこうさせてください」
「ちょっと考え事をしていただけです。健康上は何の問題もありませんから!」
笑顔を崩さずに、マルクは少しだけ歩くスピードを上げる。わたしの意見を聞き入れる気は全くないようだ。
「どうぞ、存分に考え事をなさってください」
「ルッツ~!」
「その方が速いから、そのままいろよ」
ルッツに助けを求めても却下されたので、わたしは抵抗を諦めた。
むぅ、四面楚歌って感じ!
三人で洋服を扱う店に入ると、店主がにこやかに出迎えてくれた。店員も客も上品できちんとした服を着ている。わたしとルッツだけで来たら、門前払いされそうな店だ。
「あら、マルクさん。いらっしゃい。見習いさん?」
「えぇ、そうです。服の注文を二人分、お願いします」
見習いの服はここであつらえているのか、マルクの簡潔な注文に店主は微笑んで頷いた。
「え? 二人分って、わたしも?」
ルッツはともかく、わたしは見習いになるわけではない。しかし、マルクは笑みを崩さずに頷いた。
「その恰好で店に出入りすると、どうしても目立ちますから。申し訳ないですが、作っていただきます。マインは見習いにならなくても、店に出入りするのですから、一つ持っておくと便利ですよ」
「……それもそうですね」
見習いにはならないけれど、新しい商品を開発したり、利益のことや在宅仕事のことでベンノに相談に行く機会は今と変わらないはずだ。それなのに、ルッツは見習いの綺麗な服で、わたしはボロというのも悲しい。今のわたしには出せるお金があるのだから、服を作っておいた方が良いかもしれない。
わたしより先に店の奥へと引っ張っていかれたルッツは下着姿になるまで服を剥かれて全身を測られ始めていた。
わたしも別の部屋へと引っ張られ、服を剥かれていく。あっちもこっちも測られただけで、すごく疲れる。
「前金は小銀貨一枚になります」
「はい」
見習いが着ているような服を上から下、靴まで注文して、ギルドカードで小銀貨一枚の前金を払った。ベンノの言っていた通り、最終的に払う値段は小銀貨10枚弱。それで見習い服が揃うらしい。
服の注文を終えた後、マルクによってわたし達はベンノのところへ連れていかれた。ちょっとだけ難しい顔をしたベンノが紙を睨んでいたが、わたし達を見て表情を和らげる。
「おぅ、来たか。面倒なことになったみたいだから、やり過ぎかとも思っているが、警戒している。お前達もなるべく警戒だけは怠らないでくれ。利権が絡むと何をするかわからんヤツはどこにでもいるんだ」
ベンノにとっても過剰警戒らしいが、利権が係わるだけに油断はするな、と言った。わたし達は洗礼前の子供だから、見習いの服を着ていれば、店の周りをうろついていても目を付けられることはないと思う、と付け加える。
「板に書かれてた既得権益って、やっぱり羊皮紙関係の人ですか?」
「そうだ。羊皮紙協会から商業ギルドに文句が入ったらしい」
「商業ギルドに?」
羊皮紙協会と商業ギルドの関係性がよくわからなくて首を傾げると、ベンノは既得権益を守ったり、新しい事業との軋轢を解消したり、仲立ちするのも商業ギルドの仕事だ、と簡単に説明してくれた。
「昨日の夕方に羊皮紙協会に加入せず、金も払わずに自分達以外で紙を作っているヤツがいる、って商業ギルドに文句が入ったらしい。勝手な事をする無法者を取り締まれって要請が入ったと連絡があったんだ」
「はぁ、それで?」
ベンノがおとなしくやられているはずがない。適当な落とし所を見つけているはずだ。大した心配もせずにわたしが続きを促すと、ベンノは勝ち誇る肉食獣のように唇の端を上げた。
「きっちり反論はしておいた。これは動物の皮で作った紙じゃねぇから、羊皮紙協会には一切関係ない。引っ込んでろってな」
あまりにも好戦的なベンノの態度にさぁっと血の気が引いていく。
落とし所を見つけるどころか、既得権益に正面から喧嘩を売っていませんか?
「え? えーと、落とし所を探り合うとか、しなかったんですか?」
「馬鹿。最初から下手に出たら、舐められるだろ? 実際、向こうの作り方を盗んだわけでもなければ、技術料を払ういわれもない。動物の皮から作る紙と植物で作る紙が同じようにできているわけがないし、上下関係があるわけでもない。ヤツらは、ただ、紙に関する全ての権利を独占して、できれば、こっちの利益も吸い取りたいだけだ」
ここにはここの、ベンノにはベンノのやり方があるので、文句を言っても仕方がないとは思っているが、もう少し穏便にはできないのだろうか。
「うーん、羊皮紙は動物の皮が原料だから、どうしてもいきなりの増産はできないと思うんです。商業ギルドが間に入ってくれるなら、正式な契約書の紙は羊皮紙に限る、という取り決めをして、今までの販路と利益をある程度確保させてあげればどうですか?」
「お前は、相変わらず甘いな」
ベンノはフンと鼻を鳴らした。
販路と利益を確保してあげて、羊皮紙が正式な紙だと認定されれば、大人しくしてくれると思うのだけれど、ダメだろうか。
「無駄な争いは嫌いなんです。それに、わたし、できれば、紙の流通量を増やして、色んなことに紙を使えるようになってほしいんですよ。契約書じゃなくて、本とかメモ帳とかお絵かき帳とか折り紙とか……子供でも気楽に使えるようなものにしたいんです」
「それは、予想以上に壮大な夢だな」
ベンノが呆れたように目を見開いて呟いた。
「え? 壮大ですか? 大量に作れるようになれば、実現すると思いますけど。だから、フォリン紙は思い切って羊皮紙よりも安い値段にして、契約書以外のことに使うようにすればいいんじゃないかと思うんです。例えば、そこの報告書。紙にすればかなり運びやすいし、保存もしやすいですよ。板よりも書きやすいし……」
「なるほど、紙によって用途を分けるか……。一応提案してみよう」
今度は甘いとは言われず、ベンノは何かを企むように目を細めた。何かが心の琴線と脳内の利益計算に触れたらしい。
「紙によって用途を分けるなら、トロンベ紙は高級路線でしょうか? 正直、羊皮紙より質が良いと思うんです」
「そうだな。トロンベは羊皮紙よりも値段設定はかなり高くするつもりだ」
「え? かなり?」
ベンノの言葉を聞き咎めてわたしが目を見開くと、ベンノは逆に軽く目をすがめて、わたしとルッツを交互に見る。
「……お前ら、もしかして気付いてないのか?」
「え? 何に、ですか?」
「ルッツ、トロンベの特徴は?」
いきなりの質問にルッツはビクッと身体を跳ねさせた後、トロンベの特徴を思いつく限り並べ始めた。
「へ? 特徴? 辺り一面の土の栄養を一気に吸いあげて、ものすごい勢いで成長していく木で、燃えにくい」
「あ、もしかして!……トロンベで作った紙って燃えにくいんですか?」
そういえば、父もトロンベで作った家具は燃えにくくて火事でも残っていることがあると言っていた。若くて柔らかい木は家具にはならないと言っていたが、紙にはなっている。
「あぁ、そうだ。普通の紙に比べて、圧倒的に燃えにくい。さすがに全く燃えないわけではないが、国家機密や国レベルの公的文書に使うのが望ましい紙だ。燃えにくい紙なんて高価に決まってる」
それは確かに特殊な紙だし、高価になって当たり前だ。
日本でも全ての紙が同じ値段なわけではなかった。手がかかっていたり、希少だったり、特殊だったりすると、一枚が驚くように高価な紙もあった。
「納得しました。……で、トロンベの紙はいくらですか?」
「契約書サイズで大銀貨5枚にする」
「うわぁ……」
あまりに強気な値段設定にわたしは頭痛さえしたし、ルッツは声も出せないくらい驚いていたけれど、ベンノは「燃えにくい上に滅多に採れない希少価値のある紙なら、こんなものだ」と当たり前の顔で言いきった。
「それから、羊皮紙協会との話し合いが終わるまで、しばらくは店に顔を出すな。お前達を隠したいのには理由があるんだ。紙の作り方が漏れて妙な流通をすると、下手したら死人が出る」
「え?」
いきなり物騒な話になって目を瞬いていると、ベンノはわたしがすっかり忘れていた契約魔術の話を出してきた。
「契約魔術で紙を作る相手はマインが決めて、ルッツを通して売ることになっているはずだ。契約の存在を知らないヤツが勝手に作って勝手に売ったら、何が起こるかわからない」
「えぇぇ!? 契約魔術ってそんなに危険なものなんですか!? 何も知らない人も範囲に入っちゃうんですか?」
想像もしていなかった事態にわたしは頭を抱える。自分達の職の安定を求めた契約魔術が、まさかこんな危険な方向に作用するとは思わなかった。
「貴族相手に権利を確約するものだぞ? 契約を知らないヤツでも違反した時点で何かの罰が下る。だから、ルッツやマインの存在は隠しておいて、ウチが作って売るという契約魔術があるというふうに商業ギルドには宣言しておいて、羊皮紙協会を牽制しておくんだ」
もしかしたら、職の安定ではなく、自分達への危険を呼びこむ契約魔術だったのかもしれない。植物の紙を作る相手を決められる権利を持っているわたしも、売る権利を持っているルッツも、実はかなり危険な立場にあるのではないだろうか。
「権利を持っているのがお前達だということは隠しておきたい。倉庫の鍵は預けておくから、しばらく店に出入りするな。話し合いが解決したら、オットーを通じて連絡する」
頼もしいベンノの言葉に、わたしとルッツは一も二もなく頷いた。