Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (601)
出陣
ハンネローレのような未成年の女性領主候補生をアーレンスバッハへ向かわせて本当に良いのだろうか。わたしは頬を引きつらせながら、並んでいるアウブ夫妻に視線を向ける。第一夫人でさえ当たり前のような顔をしていて、今更止められるような雰囲気ではない。ハンネローレ本人が言ったように、ダンケルフェルガーでは推奨されることなのかもしれないが、エーレンフェストではあり得ない。
領地の慣習の差が大きすぎるよ、と思ったところでハッとした。他領へ攻め込むと先頭に立っているわたしが未成年の女性領主候補生だ。ダンケルフェルガーに「あり得ない」とは言えない。全部自分に返ってくる。
……のおおおぉぉぉ! もしかして、わたしが一番あり得ない存在かも!?
「ローゼマイン様、少しよろしいですか?」
レオノーレに声をかけられて、わたしはピッと姿勢を正す。
「ローゼマイン様がアウブにご挨拶をされるのでしたら、その間にダンケルフェルガーの騎士達と打ち合わせをしたいと存じます。アーレンスバッハの国境門へ到着してからでは遅すぎるでしょうから」
ダンケルフェルガーの反応から考えても、転移したら国境門は光るようだ。なるべく戦闘を避けて神殿まで一気に駆け抜けたいので、アーレンスバッハの国境門に着いてから悠長に打ち合わせるような余裕はない。情報の擦り合わせや合図などの打ち合わせは今のうちにしておいた方が良いだろう。
「お願いします」
「ローゼマイン様の護衛はアンゲリカと文官達に任せます。皆、行きましょう」
わたしが手渡しておいた地図を手に、レオノーレはダンケルフェルガーの騎士のところへ向かう。文官達に護衛を任せるとは何事か、と普通は思うかもしれないが、ここにいる文官はフェルディナンドから戦力に数えられるユストクスとダンケルフェルガー出身の武よりの文官クラリッサとハルトムートである。レオノーレの合理的な判断は間違ってはいないと思う。
……ダンケルフェルガーの実質的な指揮官はハイスヒッツェさんか。
ハンネローレと並んで立っていた騎士はハイスヒッツェのようだ。見覚えのある青いマントをまとっていて、「一体どこでこのような詳細な地図を手に入れたのか」と呟きながら真剣な面持ちで地図を覗き込んでいる。
「ローゼマイン様、わたくしも指揮官としてあちらの打ち合わせに参加いたしますね」
ハンネローレがニコリと微笑んで騎士達の方へ移動したので、わたしはアウブ夫妻とレスティラウトに向き直った。そして、上位領地への協力依頼に対する礼を述べ、王族と連絡が取れたことを伝える。
「わたくしの言葉が真実であることは、こちらの王家の紋章を見ていただければ信じていただけると存じます。ジギスヴァルト王子からいただきました」
わたしはアウブ夫妻に見えるようにジギスヴァルトからもらったネックレスを服から引っ張り出した。
「アウブのお話だけでは半信半疑でしたが、それだけの品質の紋章を贈られるのでしたら間違いないようですね」
アウブ・ダンケルフェルガーを見ながら第一夫人はゆっくりと息を吐き出した後、にっこりと笑みを浮かべてわたしを見つめる。
「ダンケルフェルガーはツェントの御意向に従いましょう」
「ありがとう存じます」
「ならば、私もエーレンフェストの要請に従い、本物の……」
アウブ・ダンケルフェルガーが突然身を乗り出したけれど、第一夫人は凄みのある笑みを浮かべてアウブ・ダンケルフェルガーを見つめることで彼の言葉を遮った。
「ダンケルフェルガーではツェントからの要請があれば、アウブが騎士を率いることになっています。中央騎士団との関係や王族とのやり取りはまだレスティラウトに任せられませんから」
本物のディッターに参加するのだ、と言って第一夫人に叱られたことが容易に想像できるアウブ・ダンケルフェルガーの姿に乾いた笑みが浮かんでしまう。
「わたくし、レスティラウト様ではなく、ハンネローレ様がアーレンスバッハへ向かうことに驚きました」
「ローゼマイン様もご存知の通り、私は次期アウブです。アウブが中央へ行くならば、私が礎を守らねばなりません。こちらはハンネローレには任せられない私の役目なのです」
わたしは本物のディッターに参加したいとごねたらしいアウブ・ダンケルフェルガーをちらりと見ながら、レスティラウトを褒めた。
「とてもご立派だと存じます、レスティラウト様。でも、レスティラウト様にそのような話し方をされると、わたくし、何だか落ち着かないのですけれど……」
「だが、グルトリスハイトをお持ちのローゼマイン様に以前のような気安い態度は許されません」
公的な場ということを踏まえても慇懃が過ぎる。目が合った途端に逸らして、視線さえ合わせてくれないのはどうかと思う。
「いつものようにお話ししてくださいませ。距離を取られたようで少し寂しいです」
「……フン、其方がそこまで言うならば仕方がない」
いつもの尊大な姿に少しだけホッとする。レスティラウトはちらちらとわたしを見ながら、「今回の勝算はあるのであろうな?」と小声で問いかけてきた。
「別に其方を心配しているわけではない。ハンネローレのことだ。ハンネローレにとっては恥を雪ぐ絶好の機会だからな。今回は其方が率いるのだ。ハンネローレも自ら勝負を投げ出すような無様な真似はすまいが……その……」
ダンケルフェルガーではディッターに参加しておきながら勝負を投げ出すのは、どうやら非常に恥ずかしいことのようで、レスティラウトの赤い目にはハンネローレを心配する色が浮かんでいる。
「礎を奪うだけならば、難しくはないのですよ。今回最も難しいのはフェルディナンド様を救出することなのです」
「必ずやフェルディナンド様を救出いたしましょう、ローゼマイン様。私も全力を出します」
「ハイスヒッツェさん……」
打ち合わせが終わったのか、こちらへやって来たハイスヒッツェが強張った顔で自分の胸を叩いた。
「前回私はフェルディナンド様をお救いするつもりで間違えてしまいました。今回はローゼマイン様が導いてくださるのです。間違わずにお役に立てるでしょう」
首を横に振るハイスヒッツェの顔には後悔の色が濃い。フェルディナンドをアーレンスバッハへ向かわせる後押しをしたことを悔やんでいたことがありありとわかる。良かれと思って行ったことが裏目に出たのだ。本当にやりきれない思いをしていただろう。
「フェルディナンド様をお救いし、私はこのマントを返します。私がディッターでフェルディナンド様から真実の勝利を得た時に取り戻す物ですから」
自分がまとっているマントをつかんで、ハイスヒッツェは重大な決意をした顔で夜空を見上げる。
ハイスヒッツェにとっては重大な決意でとてもシリアスな気分に浸っているのはよくわかるけれど、わたしはマントを突き返されるフェルディナンドを思い浮かべると、ハイスヒッツェとの温度差にしょっぱい気分になってしまう。
……フェルディナンド様、絶対に迷惑顔をするんだろうな。実際、返されても困るし。
救出された途端、マントを押し付けられてディッターを申し込まれるフェルディナンドのことを考えれば生温い笑みが浮かんでしまう。でも、どんな迷惑顔でも何もかもを諦めた顔よりはずっと良い。
……フェルディナンド様は嫌々というのが一目でわかる迷惑顔でディッターをしてればいいよ! わたしを巻き込まずにね!
「ハイスヒッツェさんのお心遣いを嬉しく思います。絶対に救出しましょう」
「はい、シュタイフェリーゼより速く!」
歯切れの良い返事をしたハイスヒッツェがハンネローレを振り返る。
「ハンネローレ様、儀式を!」
「はい! ローゼマイン様、中心はお任せいたします」
「あの、わたくし、舞えませんよ!?」
いきなり役割を振られて、わたしは目を剥いた。けれど、ハンネローレは自分の定位置に向かいながら微笑んで流す。
「舞う必要はございません。初めての時と同じで結構です。中心で士気を上げるのにローゼマイン様以上に相応しい方はいらっしゃいませんもの」
「おおおぉぉぉ! ハンネローレ様のおっしゃる通りだ!」
「ローゼマイン様の祝福をこの身で受けられるぞ!」
「ダンケルフェルガーの古い儀式を正しく蘇らせたエーレンフェストの聖女!」
確かに今回のディッターの扇動者はわたしだ。国境門を使って彼等の熱気をさらに上げたのもわたしだ。「儀式より早く行こうよ」と言いたいけれど、ダンケルフェルガーではディッターの前に儀式を行うのが当たり前で、祝福は得ておいた方が戦いでは有利だ。ここでわたしが尻込みして無駄な時間を使ったり、士気を下げたりするわけにはいかない。
……逃げようがないのはわかるけれど、このノリ、何かおかしくない?
ハンネローレから役を振られ、見学客からの歓声と周囲の期待の視線に抗えず、わたしは境界門の屋上の中心に立った。
……うぅ、祝福しすぎに注意だね。
ダンケルフェルガーの騎士とわたしの側近達がざっと輪になるのを見ながら、わたしは一つ深呼吸をして「戦いに臨む我らに力を!」とシュタープを掲げる。
「ランツェ!」
わたしのシュタープがライデンシャフトの槍に変化する。それを合図に騎士達もシュタープを槍に変化させた。ダンケルフェルガーの騎士の中にライデンシャフトの槍を握っている者が数人いるのは見間違いではないようだ。
「我は世界を創り給いし神々に祈りと感謝を捧げる者なり」
槍が一斉にドンと大地に打ち付けられた。見学客から「おおおおお!!」と声が上がり、空気が振動する。嫌でも緊張感と興奮が高まってきて、心臓が勝手に鼓動を速めていく。
「勝利を我が手に収めるために力を得よ。何者にも負けぬアングリーフの強い力を。勝利を我が手に収めるために速さを得よ。何者よりも速いシュタイフェリーゼの速さを」
わたしは祝詞を口にするだけだが、周囲の騎士達は歌いながら槍を素早く動かし始める。切れの良い動きでぐるんと回転させたかと思うと柄を地面に打ち付け、槍を持ちかえて金属的な音が拍子を響かせた。その度に周囲から声が上がり、体感温度が同時に上がっていく。周囲との一体感と全身が熱くなるような熱気を感じながら、わたしは槍を掲げた。
「戦え!」
見学客まで声が揃う。槍を高く掲げると、夜空を切り裂くように色とりどりの祝福が降り注ぎ、見物客達から一際大きな雄叫びが響いた。
アウブ・ダンケルフェルガーが前に進み出て、バッと手を挙げる。
「行け、我がダンケルフェルガーの精鋭達よ! 奪え、アーレンスバッハの礎を! シュタイフェリーゼより速く!」
「応! シュタイフェリーゼより速く!」
ハンネローレとその護衛騎士、それから、自分の側近達を乗せてわたしは騎獣で国境門へ飛び込む。残りの騎士達には階段を駆け上がってもらうことにした。ダンケルフェルガーの騎士達は体力が有り余ってそうなので問題ないだろう。
「ローゼマイン様、皆が集まってくるまでの間に魔力の回復薬を飲んで、できるだけレッサーバスを小さくして転移陣のない部分に移動させてくださいませ。せっかくですから、攪乱に使えそうな魔術具をダンケルフェルガーへ配りましょう」
「レオノーレ?」
レオノーレの指示に目を瞬くと、マティアスが転移陣を指差した。
「この転移陣は鎧をまとった百人の騎士が入れる大きさではございません。魔力的にご負担かと存じますが、二回に分けて転移させる必要がございます」
攪乱の人数は多い方が良いので、同行させる騎士を減らすのではなく、二回に分けて転移させた方が良いとマティアスは言った。
「一回目に移動するのは階段から外に出る者です。転移した後、階段で待機してもらいます。二回目に移動する者はできる限りローゼマイン様の騎獣に乗せます」
二回目に転移した騎士はアーレンスバッハの境界門の上空でレッサーバスから飛び出して、自分の騎獣に乗っていくのだそうだ。これで境界門の騎士達の視線を釘付けにし、国境門の階段から出ていく騎士達の安全を少しでも確保するらしい。
「……フェルディナンド様が騎士を置くべきだと言い、それを受け入れた騎士団長が罷免されたのだ。今は境界門に騎士がいないと思うぞ」
エックハルト兄様はそう言ったけれど、境界門に監視の騎士がいないなんてあり得ないだろう。ランツェナーヴェの船が出入りできるようになっているし、城内で変事もあったのだ。騎士の配置も変わっているかもしれない。いかなる時も油断大敵なのだ。わたしはレオノーレとマティアスの提案に乗ることにした。
「警戒するのは悪いことではありません。気を付けなければならないのは、アーレンスバッハの国境門が海の上にあるということです。階段から外に出る者は気を付けなければ海に落ちます」
……それは大変だ。
そうこうしている間に階段を駆け上がって来た騎士達が転移陣の上に並び始める。転移陣がいっぱいになったところで、騎士達にこれからの行動を説明して一度目の転移を行った。そして、残りの騎士達をレッサーバスにできるだけ乗せて転移させる。国境門に魔力が満ちたせいか、転移に必要な魔力がぐっと減っていた。
ダンケルフェルガーへ移動した時と違って、アーレンスバッハの国境門に移動しても何の音もしない。待ち構えられているような緊張感を覚えながら、皆に注意を伝え、わたしは国境門の屋根を開き、レッサーバスで一気に飛び出した。
境界門の上空でダンケルフェルガーの騎士達がレッサーバスから飛び出して次々と騎獣に乗っていく。国境門から騎獣に乗って飛び出す騎士が武器を構えて警戒しながら辺りを見回す。
「……どうして誰もいないのでしょう? これだけの人数が境界門を越えて、アウブが気付かないはずがないのですけれど」
暗い海の中、遠目にも目立つだろう虹色に光る国境門。その光を受けて白く浮かび上がっている境界門。警戒して緊張していたのが悲しくなるくらいに誰もいない。騎士団が駆けつけてくる気配もない。暗い中、門に打ち付ける波の音だけが空しく響いている。
「暗闇に紛れてやって来る準備をしているのでしょうか?」
「逆に不安になりますね」
「私は誰もいないと言ったはずだ。目的は戦闘ではないのだから、ちょうど良いではないか。この機会に一気に進むぞ。ハンネローレ様、手筈通りに城の周辺で攪乱をお願いします」
エックハルト兄様が指示を出し、ハンネローレとハイスヒッツェは上空に散開して警戒しているダンケルフェルガーの騎士達に合図を出した。
「クラリッサはハンネローレ様と行動を共にしてください。貴女の広域魔術の補助魔術は攪乱の方が役立つでしょうから」
「かしこまりました。ご武運を!」
クラリッサがハンネローレの団体に交じるのを確認し、わたしはレッサーバスのハンドルをぎゅっと握る。
「案内をお願いします、エックハルト兄様。わたくし、地図はわかりませんから!」
夜空と同じ色合いの海の上を駆け抜ける。高台の上にある城へ向かって飛んでいくダンケルフェルガーと途中で分かれて、わたし達は神殿へ向かわなければならない。エーレンフェストと違って、アーレンスバッハの神殿は貴族街の真ん中にある。
海の上を駆けていると、港が見えてきた。
見慣れた形の船の中に、変わった形の大きな銀色の物体がいくつか並んでいる。
「変な物がありますね。あれは何ですか、ユストクス?」
「ランツェナーヴェの船です、姫様」
「まるで細長い『潜水艦』みたいですね」
何となくそう返事をした後、銀色という色にひやりと首筋が冷えた。
「もしかしたらあの船も魔力が効かないのではありませんか?」
「国境門から出てくる時は黒で、海の上で色を銀に変えていました。その可能性はあります」
ユストクスの声が強張ったものになった。
「……魔力を通さない銀色の物は布だけではないのですね。すぐにハンネローレ様達にオルドナンツで注意を送ってください。ユストクス、ハルトムート。どうしたらエーレンフェストや中央へ注意ができますか?」
「今の時点では手紙を飛ばす以外に境界線を越える連絡方法がございませんが、さすがにそのような紙やインクは持っていません。城に着いてからになります」
「ローゼマイン様の文官の嗜みとして私は持っています。すぐに書きましょう」
ハルトムートが「いつでもどこでもお手紙セット」を出して手紙を書くと、エーレンフェストと中央に向かって飛ばす。オルドナンツが使えない神殿や下町向けに思い付きで手紙を飛ばすわたしに対する備えが役に立つこともあったらしい。
「姫様、あれがアーレンスバッハの神殿です」
ユストクスがそう言った時、城の上空で派手な爆発音がした。ダンケルフェルガー達の攪乱が始まったようだ。
「急ぎましょう、姫様」