Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (602)
アーレンスバッハの神殿
陽動をダンケルフェルガーに任せ、わたし達エーレンフェストは神殿の門を飛び越えて神殿の庭に降り立った。門の内部はしんと静まっている。何もかもが寝静まる深夜であるせいか門番の姿もないようで、いくつもの騎獣が降り立ったというのに誰何の声さえ上がらない。
「……何か変ですね」
門番がいれば捕縛したり、神殿長か神官長への取次を強要したりしなければならなかったので、灰色神官達にあまりひどいことをしたくないと思っていたわたしとしては少し安心してしまった。だが、あまりにも静かすぎる。
「アーレンスバッハの神殿では門番を置かないのかしら?」
「さすがに神殿の内部に関する情報はありません。祈念式の時は神官達が聖杯を運んできたため、我々は神殿に立ち入っていないので……」
ユストクスが「期待にお応えできずに残念です」と首を横に振る。アーレンスバッハの側近達が始終付きまとっている状態で、できるだけ多くの情報を集めていたユストクスに神殿まで出張して情報を探るような余裕はなかっただろう。
「この神殿の情報はこの神殿の者に尋ねるしかありませんね。わたくし、名捧げをした護衛騎士達を連れて神殿で用を済ませてきますから、ユストクスとハルトムートは……」
「お待ちください、ローゼマイン様。ここはエーレンフェストの神殿ではございません。中の様子を確認もせずに他領の神殿へローゼマイン様を入れることはできません」
後部座席のハルトムートが荷物の中にある木箱一つを自分の手元に引き寄せながら、ニコリと笑ってそう言った。
「ハルトムート、何を言い出すのですか? 時間がありませんし、わたくしが行かなければ……」
「他領の神殿へローゼマイン様が立ち入るためには清めが必要です。神官長であった私が行いますから、少々騎獣の中でお待ちください。口止めが簡単なので、ローゼマイン様に名を捧げたマティアスとラウレンツには私の手伝いをしてほしいと考えています。ローゼマイン様の護衛として名捧げをしていないコルネリウス、レオノーレ、アンゲリカを残します。いかがでしょう?」
ハルトムートは有無を言わせぬ笑顔で木箱を抱えてそう言った。神殿のどこに礎があるのかは養父様以外に言っていない。けれど、ハルトムートは察しているようだ。何もかもわかっていそうな笑顔に驚きながら言葉を濁して確認してみる。
「……ハルトムートはわたくしが神殿のどこへ行くつもりなのか知っているのですね?」
「フェルディナンド様のためにアーレンスバッハの礎を奪うことを決め、この神殿にやってきたのです。この神殿のどこに行けば良いのかは、ローゼマイン様が姿を消した時のことを考えれば自ずとわかります。それに、エーレンフェストの防衛でも気にかけていらっしゃいましたから」
わたしからはっきりとしたことは言っていないのに、ほとんど察しているらしい。相変わらずハルトムートの観察眼がすごい。
「ローゼマイン様、私の予想は間違っていますか?」
問答をしている時間も惜しい。ハルトムートが目的地を知っていて、中を確認しなければ立ち入らせてもらえないならば任せるしかない。わたしは自分の革袋の中から折りたたんでいた数枚の魔紙を取り出してハルトムートに渡す。
「……こちらは入室許可証です。神殿長か神官長のサインをもらい、本棚の女神を探してくださいませ。わたくし達が考えたように侵入者を防ぐ仕掛けがあるかもしれません。くれぐれも気をつけてくださいね」
「かしこまりました。……できれば仕掛けや罠の予想や解除のためにユストクスの視点や知識が欲しいのです。フェルディナンド様の側近ならば、余計なことは口にしないでしょう?」
含みのある笑顔でそう言ったハルトムートにユストクスが苦笑した。
「フェルディナンド様を助けるためならばいくらでも協力しますよ、姫様」
「エックハルト兄様はどうしましょう?」
「姫様の護衛をさせてください。今の状況で姫様の護衛騎士をこれ以上減らすことはできません。フェルディナンド様に叱られます」
木箱を抱えたハルトムートとユストクスが騎獣を降りていき、代わりにレオノーレが乗ってきた。アンゲリカ、コルネリウス兄様、エックハルト兄様の三人は騎獣の周囲を守るらしい。
「確認もなく他領の神殿へ入ってはならない、とハルトムートに言われました。ハルトムートが正しいことはわかっているのですけれど、ここまで来て待つのは辛いですね」
「貴族のいない神殿の清めですから、それほど長い時間はかからないでしょう。それよりもわたくしはダンケルフェルガーの動きが気になります。魔術具の音が完全に止まったように思えるのです」
普通はアーレンスバッハの騎士団の間で警戒や応戦の信号が飛び交ったり、緊急集合の鐘が鳴ったりするらしい。けれどダンケルフェルガーの魔術具以外では特に音がしないらしい。レオノーレにそう言われ、わたしは窓から身を乗り出すようにして上空の様子を窺う。
そこにオルドナンツが飛んできた。わたしは窓から身を乗り出したまま腕を差し出す。パサパサと翼を動かして腕に降り立つと、オルドナンツが嘴を開いた。
「ローゼマイン様、クラリッサです。撹乱のためにダンケルフェルガーが城の上空で魔術具を使ったにもかかわらず、騎士団が出てきません。何か想定外のことが起こっている可能性があります。どうされますか? このまま城を制圧し、フェルディナンド様がいらっしゃる魔力供給の間を探しますか?」
周囲を警戒したような小声で語られる内容にわたしはレオノーレと顔を見合わせる。
「ディートリンデ様はフェルディナンド様の魔力が枯渇するまでにグルトリスハイトを手に入れたいと言いました。騎士団を引き連れて中央へ行ったのかしら?」
「さすがに全ての騎士を連れて行くとは思えません。……ローゼマイン様、待ち伏せの可能性を考慮した上で、ダンケルフェルガーに城の様子を探ってもらいましょう。どうせ魔力供給の間へは行かなければならないのです」
レオノーレの言葉の通り、わたしは「十分に警戒しつつ、城の様子を探ってほしい」とオルドナンツに言葉を吹き込んで飛ばした。
「白の鳥だ! この奥に魔力持ちが隠れているぞ!」
「門を壊せ!」
「退け! 魔石は俺の物だ!」
門の向こうから複数人の声が響いた。わたしはレオノーレと顔を見合わせる。直後、門番だけが通るような小さな出入り口に体当たりしているような、鈍器で殴っているような音がし始めた。
「貴族ではなさそうですね」
「はい。このような大声と乱暴な物言いは騎士でもいたしません。それに、貴族ならば門をわざわざ壊さなくても、騎獣で飛び越えれば良いだけです」
レオノーレの言う通り、大きな音を立ててわざわざ門を壊す意味がない。エーレンフェストと違って完全に貴族街の中にある神殿なので、魔力認識が必要な貴族門さえないのだ。
「ローゼマイン様、わたくしが様子を見て参ります」
アンゲリカが素早い動きで飛び出していく。同時に、コルネリウス兄様とエックハルト兄様が上空を見回すようにしながらレッサーバスに背を向けて警戒態勢をとった。すぐにアンゲリカが戻ってきて報告を始める。
「門を破壊しようとする者は三人。銀の衣をまとっています」
「銀の衣ならばランツェナーヴェの者であろう。少なくともアーレンスバッハの騎士ではないな。だが、ランツェナーヴェがここで暴れるわけがわからぬ」
考え込むエックハルト兄様を放置で、アンゲリカは報告を続ける。
「銀の盾と銀の剣を持っています。敵に手持ちの武器が効くのか、シュタープでの捕縛が可能かなどを試すためにも戦っておきたいと思います。攻撃の許可をいただけますか?」
「少人数のうちに試しておくのが良かろう、主の主」
アンゲリカの腰の辺りからフェルディナンドの声が響いたことにビクッとした。シュティンルークの声だとわかっているのに、ひどく懐かしい気分になる。
「敵の戦力を知ることは大事でしょう。攻撃を許可しますが、敵は様々な毒を持っている可能性が高いので、くれぐれも注意してくださいませ」
「コルネリウスはレオノーレと共にローゼマインを守れ。行くぞ、アンゲリカ。門を開けたら即座に距離を取れ。私は門を飛び越えて敵を中に入れる」
わたしが攻撃の許可を出した途端、飛び出したのはエックハルト兄様だった。素早く騎獣を出して門を越えていく。アンゲリカはエックハルト兄様の命令に反応して門の閂に飛びつくと、即座に外した。
「おわっ!?」
「何だ!?」
一気に門が開いたせいで、門を壊すために武器を振りかぶっていた状態の男達が体勢を崩して転がり込んでくる。身にまとった銀色が月の光を反射しているのが見えた。
「早く入れ。閉められぬ」
騎獣から飛び降りたエックハルト兄様が恐らく身体強化をしたうえで、男達を背後から力いっぱい蹴り飛ばしていく。アンゲリカが一番遠くに飛ばされて目を回している男をシュタープで捕縛しようとしたけれど、やはり魔力での捕縛はできないようだ。
「は、ははは……。いくら暗い中で奇襲したところでそっちの武器は効かねぇよ」
思い切り蹴りを食らったせいでゲホゲホと咳き込んでいた男が、シュタープで捕縛のできなかったアンゲリカを嘲笑いながら立ち上がり、銀の剣を構えた。アンゲリカは自分が持ってきていた剣を素早く引き抜くと、何の躊躇いもなく捕縛し損ねた男に突き刺し、素早く引き抜く。
「効くようですが?」
アンゲリカを嘲笑していた男が信じられないというように目と口を大きく開いて、一瞬で切られた男を見つめる。切られた男の方も何が起こったのかわからないというような顔で、自分の傷口に手を当てた。ジワリと染み出した赤い血がどんどんと勢いを増して流れ始める。白い石畳を赤い色が流れていくのが暗い中でもわかる。
……血、血が……。血がいっぱい。
視界に広がる赤が怖くて気持ち悪い。何の躊躇いもなく敵を切れなければ護衛騎士が務まらないことを知っていても、わたしは目の前で行われる荒事が苦手で喉の奥が引きつる。
「アンゲリカ、武器より身体強化を使え。せっかくの変わった武器と防具だ。回収したい」
エックハルト兄様から一番手近に転がっていた男はもう戦力にならない状態のようだ。首元をつかまれて引きずられているのに何の反応もない。エックハルト兄様は「コルネリウス、武装解除しろ」と言いながら、手にしていた男を力任せに投げ飛ばした。
「はっ!」
「ひゃうっ!」
コルネリウス兄様が捕縛用の縄を握って駆け出したけれど、わたしは人が物のように投げ飛ばされることに思わず悲鳴を上げてしまう。動揺しているのはわたしだけだ。護衛騎士は女性でも当然の顔をしている。全く動揺の欠片もない様子から、訓練を受けている騎士との違いを嫌でも思い知った。
「くっ!」
血を流しながら男がナイフのような銀の武器をアンゲリカに投げつける。アンゲリカが手の甲で払い落とすと、物理攻撃に反応したらしいアンゲリカのお守りが攻撃を反射した。ナイフを投げた男は避けることもできずにその場に倒れた。
「なっ!? 何だ、今のは……。こんなの、聞いてないぞ」
攻撃が反射することは知らなかったのか、一人だけ残った男が青ざめた顔で自分の味方を探して辺りを見回すが、残っているのは一人だけだ。
「身体強化で武器を回収させていただきます」
アンゲリカはフッと微笑みながら残像が残るようなスピードで男に飛びかかると、回し蹴りの連続技を綺麗に決めた。
「銀の布に銀の武器と報告を聞いた時はもっと長引くかと思いましたが、簡単に終わって安心しました。相手が少人数で奇襲攻撃が決まったからですけれど、こちらが準備した武器やお守りが効くことを確認できたのは非常に大きいですね。わたくしはまだアンゲリカほど上手くは身体強化を使いこなせないので、武器が使えることがわかって安心しました」
「そ、そうですね」
血を流して倒れている男を極力視界に入れないようにしていると、エックハルト兄様がアンゲリカにボコボコにされた最後の男をずるずるとこちらへ引っ張ってくるのが見えた。
「……あの、レオノーレ。エックハルト兄様はこのような身体強化に任せた戦い方をする騎士でしたか?」
「ボニファティウス様に最も近い戦い方をする方ですよ。訓練で何度か見ているので、わたくしに驚きはありませんけれど、ローゼマイン様は初めてですか?」
レオノーレは何ということもないという顔でそう言った。
「シュタープの剣以外の戦い方を見るのは初めてです。エックハルト兄様もアンゲリカも肉弾戦に慣れすぎていて驚きました」
……おじい様の教育の成果、すごいね。
男達を縛り上げ、エックハルト兄様、コルネリウス兄様、アンゲリカの三人で武装解除をしながら、エックハルト兄様はアンゲリカに注意する。
「この銀の布には魔力が効かないのだ。ヴァッシェンで落とせぬのに血で汚れたら後々使いにくいではないか。大人数が相手で余裕がないならばまだしも、こういう少人数の時は後のことも考えて攻撃方法を選択せよ」
「はい。わかったような気がします」
……絶対にわかってない! 後のことを考えるなんて難しいこと、アンゲリカに求めちゃダメだよ!
捕虜から銀製品を剥ぎ取っていると、マティアスとラウレンツが戻ってきた。ハルトムートがわたしを連れて来るように言ったそうだ。わたしは首から下げている神殿の鍵を服の上から一度押さえて存在を確認し、レッサーバスから出る。
「ローゼマイン様、わたくしも護衛として同行します」
「ごめんなさい、レオノーレ。この先に名を受けていない者を連れていくことはできません」
「ダメです。ローゼマイン様の護衛騎士が少なすぎます。せめて、もう一人お連れください」
コルネリウス兄様の言葉にエックハルト兄様が武装解除の手を止めて立ち上がった。
「ユストクスが許可されているならば私が行こう。其方等はローゼマインの騎獣を守りつつ、捕虜の処理と銀の武器や防具の検証を行い、銀の武器や防具についてわかったことはダンケルフェルガーと共有せよ」
「はっ!」
エックハルト兄様がコルネリウス兄様とレオノーレとアンゲリカに指示を出し、わたしを促して歩き始める。神殿に入ってすぐのところにシュタープの光の帯でぐるぐる巻きにされて猿轡を噛まされている灰色神官の姿があった。
「ハルトムートとユストクスは目的地に待機中で、図書室内を念入りに調べています」
「神殿長の身柄も確保済みで、出入りできることは確認しました」
歩きながらマティアスとラウレンツの報告を聞く。すでに準備は整っているらしい。窓から差し込む月明かりが廊下を照らし出している。アーレンスバッハはエーレンフェストよりもかなり温かいせいか、窓が大きくて廊下が明るい。レッサーバスに乗っている間は特に何も思わなかったが、降りると騎獣服が暑くて仕方がない。
「姫様、こちらです。このように許可証もいただきました」
ユストクスにシュタープを突きつけられたアーレンスバッハの神殿長が、喉元を引きつらせながらわたしを見た。助けてほしい、と懇願されているのがわかる。
「ありがとう存じます、アーレンスバッハの神殿長。おとなしくしていてくださったら用件が済めば必ず解放いたしますから、しばらく我慢してくださいませ」
わたしはユストクスの手から許可証を受け取って、図書室へ入った。床は綺麗だけれど、埃っぽい匂いがする。エーレンフェストの神殿図書室に比べて、蔵書が多い。うっかり心惹かれてしまいそうだ。
「ローゼマイン様、こちらには特に罠は何もなさそうです。アーレンスバッハの神殿長の言葉が正しければ、神殿を訪れる貴族は多くても図書室を貴族が訪れたことはないようです」
「神殿を訪れる貴族が多いのですか。このままではエーレンフェストの貴族は御加護の数ですぐに他領から引き離されますね」
最初に発見したのはエーレンフェストなのに、と肩を落とすとハルトムートが困った顔で「貴族が神殿を訪れる目的に大きな違いがございます」と言った。
……花捧げ目的か。
それ以上は深く聞かないし、ハルトムートも言わない。ニコリと微笑みながらある本棚の前に案内してくれる。
「ローゼマイン様、こちらの本棚にメスティオノーラがいらっしゃいます。お探しの女神はこちらで間違いございませんか?」
「ありがとう存じます、ハルトムート」
わたしはメスティオノーラの本棚の前に立つと、聖典の鍵を服から引っ張り出した。本棚に刻まれているメスティオノーラの神具である聖典に指を触れる。カチリと音がして聖典が開き、そこに鍵穴が現れた。
鍵穴に聖典の鍵を差し込んだ。魔力の線が走り、本棚が左右に動き始める。その奥に虹色の油膜がかかったような空間が見え始めた。魔力供給の間へ向かう時と同じだ。
「ローゼマイン様、回復薬や空の魔石などの予備はこちらにございます。私はここに控えているので、必要になればお声をかけてください」
木箱を軽く叩きながらそう言ったハルトムートに頷いて、わたしは中に入った。