Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (603)
アーレンスバッハの礎と供給の間
虹色の幕を通り抜けたところに魔法陣があった。「うひっ!?」と息を呑みながら、慌てて魔法陣がないところへ足を置く。
「……あ、危なかった」
養父様には「中にも罠を仕掛けておけば?」と言っていたくせに、図書室の中をハルトムートが調べてくれて何もなく、神殿図書室に入った貴族もいないという情報にすっかり油断していたようだ。
「これってもしかしてゲオルギーネ様の罠?」
実際に仕掛けたのは礎の場所を知っているディートリンデかその姉のどちらかだと思うけれど、提案したのはゲオルギーネではないだろうか。警戒しつつ、わたしは自分の魔力が籠った魔石を一つ投げてみる。カツンと音がした直後、魔法陣が光って青色の炎の柱が勢いよく上がった。
「ひっ!」
その勢いと肌を焼く熱気に息を呑んでわたしは壁にべったりとへばりつく。髪の一筋でもその炎に触れたら一緒に燃やされそうだ。何もかもを呑み込みそうな青い炎がゲオルギーネの執念にも見えて息苦しくなってくる。胸元をぎゅっとつかんで、わたしは自分の魔力の籠った魔石が青色の炎に呑み込まれていくのをただ見つめていた。
青い炎が小さくなって消えると魔法陣も一緒に消えて、床も部屋も見慣れた真っ白な物になる。それでもまだ何か残っていそうで怖くて、わたしは震える足を叱咤しながら端の方を慎重に歩いて礎の前に移動した。
窓がなくて真っ白な壁で四方を囲まれた部屋の中、ソフトボールほどの大きさで大神の貴色に輝く魔石が七つ浮かんでいる。魔力供給の間にあるのとよく似ている動きで天球儀のように回る貴色の魔石からはキラキラとした光の粉のような物が少しずつ零れ落ちていた。
この七つの魔石は魔力供給の間と繋がっていて、キラキラと様々な色合いに見える光の粉は魔力供給の間で供給されている魔力である。つまり、今降ってきている光の粉は今も流出しているフェルディナンドの魔力なのだ。
魔力でできた光の粉が降り注ぐ先に視線を向けていけば、白い床の一部が切り取られて大きな球体の一部が見えているような部分に落ちているのがわかる。見えている部分だけでも、わたしが両手を広げたよりも大きい。これが領地の礎だ。淡い緑に光っていることから、この礎を染めた今のアウブ・アーレンスバッハは水の属性が強いことがわかった。
「実物って、こんなに大きいんだ」
わたしは礎を覗き込む。大きな球状の礎の中には淡い緑に光る液体が揺らめいているが、半分にも満たないように思える。フェルディナンドが半日以上魔力を流している割には礎を満たす魔力が少ない。
……もしかして魔力の流出量をギリギリまで抑えることができたのかな?
大勢で行う儀式と違って一人で閉じ込められているから、他人の魔力の流れにつられて魔力が流出することはない。ディートリンデが魔法陣を作動させたから流出量を決めたのはディートリンデだと思って心配していたけれど、フェルディナンドはあの状態でできる限り抗っていたのだろう。
……魔力枯渇を狙って殺すつもりだったら、もっと勢いよく流させるもん。
でも、いくら流出量が予想より少なかったとしても、今この時もフェルディナンドが魔力を流していることに変わりはない。静かに降り注ぐ光の粉を見つめながら、わたしは礎の上に空の魔石を置いた。少しでも礎を染めやすくするために魔力を吸い取るのだ。礎の中の魔力を減らしすぎると、白の建物や結界に大きな影響が出るので注意が必要だけれど、減らした方が染めやすい。
「……これくらいかな?」
わたしの予想よりも礎を満たす魔力が少なかったので、手持ちの魔石で対処できた。薄い緑に染まった魔石を袋に入れると、わたしは回復薬を片手にシュタープを出した。
領主候補生の講義でしていたようにシュタープで礎に触れて魔力を流し込んで染めていくのだ。自分の体の奥に圧縮して片付けていた魔力を引き出しながら、できるだけ一気に魔力を叩き込む。
……行けぇ!
手にしていた回復薬を飲みながらどんどん魔力を注ぎ込む。これだけの大きな魔石を染めるのは簡単なことではない。普通は体に負担がないように時間をかけてゆっくりと前のアウブの魔力から自分の魔力に染め変えていく。けれど、今回は負担がどうとは言っていられない。
回復する端から魔力が減っていくのがわかるけれど、魔力を流し込むのは止めない。薄い緑の礎がだんだんと自分の魔力である薄い黄色に変化していくのが目に見えてわかる。
……早く染まって!
わたしは魔力だけ回復する薬を飲みながら礎を染めていった。
緑の色合いがなくなり、わたしの色に染まる。完全に染め変わると、礎が一度わたしの色で眩く光を放った。
「……お、終わった」
久し振りにめちゃくちゃ大量の魔力を使ったせいか、軽い目眩を感じる。一度礎に寄りかかって呼吸を整えると、わたしは立ち上がって礎の間から出た。
呼吸を整えたところで顔色はどうしようもなかったようで、神殿図書室で待機していたハルトムートが「ローゼマイン様、大丈夫ですか?」とひどく心配そうに尋ねてきた。
「少し休憩をした方がローゼマイン様のお体のためには良いのですが、礎を染め終わるのをハンネローレ様がお待ちです」
「わたくしは大丈夫です。城へ急ぎましょう。……でも、騎獣までの間、少しだけ手を貸してください」
「少しと言わず、いくらでもお貸しいたします」
わたしはハルトムートの手を借りながら図書室を出ると、ユストクスに声をかけてアーレンスバッハの神殿長を解放してもらう。
「状況に変化はありましたか?」
わたしがレッサーバスに乗り込んで尋ねると、礎を染めている間、外と情報のやり取りをしていたユストクスがダンケルフェルガー側の状況を教えてくれた。城の中のランツェナーヴェをどんどん捕らえていき、今は貴族街をうろついているランツェナーヴェの者を探索中らしい。
「ランツェナーヴェが暴れている背景にはディートリンデ様、アルステーデ様、ゲオルギーネ様の指示があるようです」
「どういうことですか?」
「城へ入ったダンケルフェルガーによると、被害が非常に偏っているそうです」
本館は無傷なのに、領主候補生の北の離れやフェルディナンドの部屋がある西の離れが徹底的に襲われていて、すでに人影はなく、魔術具の類が根こそぎ略奪されている。貴族街の家の中にも被害に遭っている家と素通りされている家があるらしい。
「フェルディナンド様やレティーツィア様と関係の深い者が標的になっているようですね。本人以外には開けない隠し部屋に隠れていてくださるのであれば、少しは安心ですけれど……」
「敷地の入り口に印が付いている家は襲われていないようです。こちらから情報を流したことが功を奏したようで、ダンケルフェルガーには被害らしい被害はないようです。むしろ、本物のディッターをするためにやって来たのに、空も飛べない相手では不足すぎると不満が出ています」
……あまりにもダンケルフェルガーらしくて安心するというか、脱力するというか……。
「城の中や貴族街にいたランツェナーヴェの者達の一部はランツェナーヴェの館へ逃げ込み、一部は船に逃げ込もうとしていると報告を受けています」
ランツェナーヴェの者の一部はアーレンスバッハ側から貸し出された馬車で移動しているが、船で来ているため、個人の馬を持っているわけでもない。また、騎獣に乗れるわけでもないため、移動速度は遅いらしい。
「隠れられると探すのが少々厄介だそうです」
「……レティーツィア様やその側近の方々はご無事かしら?」
「ランツェナーヴェの者はオルドナンツの動きやロートの光で隠れている貴族の居場所を見つけています。私のオルドナンツによって相手を危険に晒す可能性を考慮して、まだオルドナンツを送っていません」
ユストクスの言葉にわたしは少し目を伏せる。レティーツィアが無事ならば良いけれど、彼女が供給の間から出てからディートリンデが入ってくるまでの時間を考えると、鉢合わせになっている可能性は高い。
……オルドナンツが飛べなかったら嫌だな。
「ダンケルフェルガーが城からランツェナーヴェの者を追い出したのであれば、フェルディナンド様に付けられていた側近達から連絡を取ってみてください」
「かしこまりました」
ユストクスはランツェナーヴェの排除の知らせと無事を問うオルドナンツを次々と飛ばしていく。
「ユストクスです。私は今アウブの執務室へ向かっています。エーレンフェストとダンケルフェルガーにより、ランツェナーヴェの者は城から追い出しました。北と西の離れが壊滅状態だと聞いていますが、無事ですか?」
飛び立たないオルドナンツが三人分いた。
城に到着すると、わたしはユストクスとハルトムートを下ろして、レッサーバスを一人乗りのサイズにして城内を移動する。ハンネローレとアウブの執務室前で待ち合わせているのだ。下働きの者が移動する階段や扉を多用するユストクスの案内によってアウブの執務室へは最短距離で着いた。
執務室前の廊下にはユストクスのオルドナンツによって出てきたらしいアーレンスバッハの貴族達が何人もいて、ハンネローレが囲まれているのが見える。
「ハンネローレ様、協力ありがとう存じます。ダンケルフェルガーのおかげで礎を奪うことができました。後はフェルディナンド様の救出だけです」
「……ローゼマイン様」
ハンネローレがホッとしたような顔で淡いピンクとも紫ともつかない髪を揺らして振り返った。
「何度も申し上げているように、ダンケルフェルガーはエーレンフェストの要請に従い、本物のディッターに参加しただけなのです。詳しくはエーレンフェストにお尋ねくださいませ」
……ハンネローレ様、多分それじゃアーレンスバッハの貴族にはさっぱりだよ。
少し慌てているようにも見えるハンネローレの姿にクスと小さく笑い、アーレンスバッハの貴族の相手は後回しだと伝える。
「話し合いはフェルディナンド様の救出が終わってからにいたしましょう。ハンネローレ様、フェルディナンド様を救出するまでの間、こちらに邪魔が入らないように守っていてくださいませ。フェルディナンド様をお救いしなければ、こちらの勝利は決まりません」
「かしこまりました。必ず勝利を」
わたしはアウブの執務室をユストクスに開けてもらう。中に入ろうとしたら、アーレンスバッハの貴族の一人がハッとしたようにわたしの騎獣を追いかけてきた。
「ローゼマイン様、アーレンスバッハの礎を奪ったというのは本当ですか!?」
「えぇ。それ以外にフェルディナンド様をお救いする方法が思い浮かばなかったものですから。礎を染めた今、わたくしがアウブ・アーレンスバッハです。この救出は王族の許可も得ています」
わたしはジギスヴァルト王子にもらったネックレスを見せながらニコリと微笑む。わかったら邪魔しないで、という無言の主張のつもりだったのだが、王族の紋章を見た男は「おぉ! 王族の許可が……」と歓喜の声を上げた。
「ならば、今すぐに境界門を閉じに行ってください! まだランツェナーヴェの船が出ていません。今ならば逃がさずに奴等を捕らえることができますし、捕らえられた娘達を救うことが……」
元々領主候補生の側近の上級貴族なのだろうか。男は何の躊躇いもなくアウブの執務室へ入ってきた。そのまま、境界門を閉める重要性を言い募る。わたしも境界門を閉める重要性はわかっている。けれど、フェルディナンドと境界門の重要性を比べたらフェルディナンドに軍配が上がるに決まっているではないか。やっと礎を染め終えてアウブの執務室に到着した今は、城から境界門までの往復時間さえ惜しい。
「ランツェナーヴェの船に貴方やアーレンスバッハの騎士団が攻撃を仕掛けるのは構いません。許可します。ダンケルフェルガーにランツェナーヴェとの戦いの注意点を尋ねて、自分達の身内を助けに行ってくださいませ」
「貴女がアウブではありませんか!? 王族からランツェナーヴェを排除するように依頼されて、こちらにいらっしゃったのでしょう?」
悲鳴のような声で懇願しながら娘がランツェナーヴェに連れ去られたということを訴え、すぐに境界門をしめて騎士団を率いて娘達を救ってほしいと懇願してくる。
「王族に依頼されたわけではありません。フェルディナンド様をお救いする許可をいただいたのです。フェルディナンド様をお救いする間さえ待てないとおっしゃるのでしたら、自分の身内を救うために貴方が礎を染めてくださいませ」
わたしはアウブの執務室へエーレンフェストのマントをつけた面々が揃っているのを見て、ただ一人だけアーレンスバッハのマントを付けている男を睨む。
「貴方に今のアウブの執務室へ入る資格はありません。……アンゲリカ」
「はっ!」
アンゲリカがすぐさま動いて男を執務室から追い出した。扉が閉ざされ、エーレンフェストから一緒にやって来たメンバーだけになったのを確認して、わたしは騎獣から降りる。
「ユストクス、どこに入り口があるのかわかりますか?」
「先程シュトラールに尋ねました。この裏だそうです」
ユストクスが壁にぴたりとつけて置かれている書箱を退けて、その奥を示した。わたしは少し体を屈めると、そこにある小さな扉の魔石に手を触れて魔力を流し込んでいく。小さな扉はぐぐっと大きくなり、人が通れる大きさになった。
「……登録の魔石がありません」
「登録の魔石はローゼマイン様がお作りになる物ですから……」
「そういう意味ではなく、フェルディナンド様の登録の魔石が外されています」
たとえ動けるようになっても供給の間から出てこられないようになっている。妙なところで周到なディートリンデに怒りが湧いてきた。
「このままではフェルディナンド様が出られないではありませんか」
身体強化でフェルディナンドを供給の間から引っ張り出して、ユストクスに薬の投与をお願いするつもりだったが、これではフェルディナンドを出すことができない。登録の魔石を準備して、フェルディナンドに魔力の登録をしてもらわなければならないのだ。意識のない状態であれば、魔石に魔力を流し込むことができないだろう。
「こうなったら中で姫様に投薬していただくしかありません。こちらは順番通りに並べてあります。意識がない場合はこちらを使って薬を口の中に流し込んでください」
ユストクスが早口で投薬順を説明し始める。投薬の注意点を聞いたわたしは、大きくなった扉を開けてユストクスの薬箱を受け取ろうと手を差し出した。
「お待ちくださいませ、ローゼマイン様」
「何ですか、ハルトムート? わたくし、ユストクスに説明された投薬順も覚えましたよ?」
「片手を入れた状態でシュタープを出し、供給の間の中をヴァッシェンで洗浄できませんか?」
「そのようなこと、したことがないのでわかりませんけれど……」
わたしは突然ハルトムートが何を言い出したのかわからずに困惑しながら、片手だけを突っ込んでシュタープを出してみる。
「できそうですけれど、何故こんなことをするのですか?」
今日はたくさん使ったのでもう魔力を使いたくないな、と思いつつ尋ねると、ハルトムートは「供給の間に残っている毒がローゼマイン様に全く影響を及ぼさないとは言えません」と言った。
「ローゼマイン様は他人の致死量よりずっと少ない投薬で二年間眠った実績をお持ちです。同じことになるのは絶対に避けなければなりません」
体内に魔力の塊があったせいで妙な反応を起こしたわけだが、二年間ユレーヴェ漬けになった実績のあるわたしは決して毒に耐性があるとは言えない。
「なるほど。フェルディナンド様は生い立ちのせいで様々な毒に耐性がございます。今回も即死の毒が完全に効かず、解毒薬を飲む余裕があったのはそのせいかもしれません。姫様に同じことを期待することはできませんね」
「確かに毒が残っていたら、フェルディナンド様をお救いする前にわたくしが倒れそうです」
胸を張って言うことではないが、この場にいる誰も否定はしなかった。
「助けに行くつもりで入った瞬間、ローゼマイン様が倒れては大変です。ここに入れるのは礎を染めたローゼマイン様だけで、他の誰も入れません。先に洗浄をお願いします」
「このような状態でヴァッシェンを行って、中のフェルディナンド様は大丈夫でしょうか?」
わたしはユストクスとエックハルト兄様に尋ねてみる。
「毒の粉をかけられたのであれば、フェルディナンド様が毒塗れでしょうから洗浄しなければ触れられません。フェルディナンド様ごとヴァッシェンをお願いします」
意外と大雑把で乱暴なユストクスの指示に顔を引きつらせつつ、わたしは片腕を突っ込んでヴァッシェンで供給の間とフェルディナンドを洗浄した。
「では、フェルディナンド様をよろしくお願いします」
わたしはユストクスが準備した解毒セットを抱えて供給の間に入る。
ディートリンデが出ていった時と同じ状態でフェルディナンドが倒れているのが見えた。