Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (609)
ランツェナーヴェの船 中編
船の一部に大きな穴が開き、白っぽい煙が噴き出した。様子を見に行きたいけれど、下手に近付くと騎獣や鎧さえ貫く銀色の針のような物が飛び出してくるかもしれない。フェルディナンドは先を行く銀色の船と境界門の距離を確認すると、ダンケルフェルガーの騎士達から報告されていた銀色の針が届かないくらいの高さと距離で騎獣を一度停止させる。
「ローゼマイン、視力強化で様子を見て報告を頼む」
わたしは少しだけフェルディナンドを振り返り、「はい」と返事をした。ここで「どうして自分で視力を強化しないのですか?」なんて尋ねたところで意味がない。必要なのにしない時はできないに決まっている。何が起こっているのかを正確に報告するのが同乗させられたわたしの役目なのだろう。わたしは視力を強化して、煙の向こうを見定めようと目を凝らした。
「大きく空いた穴から銀色の衣装を着ている男性らしき人影が出てきました」
「ランツェナーヴェか? ダンケルフェルガーか?」
周囲を見回しながら出てきた男がつるりとした船の上部に上がる。何をするのかと身を乗り出して見つめていると、男は銀色の衣装を脱ぎ捨ててシュタープで魔力を打ち出す。
「シュタープ! ダンケルフェルガーの騎士に間違いありません」
わたしの報告と同時にハイスヒッツェの明るい声が響く。
「船内制圧完了の合図です、フェルディナンド様!」
何かあった時の救援要求はロートで、ただ魔力が打ち出されただけならば作戦完了の合図という取り決めがあったようだ。爆発を起こしたのは内部に潜入していたダンケルフェルガーの騎士達だったらしい。
よくやった、と周囲のダンケルフェルガーの騎士達から声が上がる中、オルドナンツが飛んできた。
「船内制圧完了! 人質の救出を開始します。人質達は騎獣用の魔石も取り上げられていて、救出に少々時間がかかりそうです」
飛んできたオルドナンツの言葉を聞いたフェルディナンドは「よし」と言って手綱を強く握った。ライオンがバサリと一度大きく翼を動かす。
「第六班、人質の救出及び奪われた魔石の回収に向かえ。第七班、第八班は先行の船を、第九班、第十班が後行の船を攻撃する」
「はっ!」
騎獣の方が船より速い。速度を上げて追いかければ船に追いついてしまう。完全に追いついてしまわないように境界門へ追い立てるように距離を調節しながら海の上を駆けていく。空が明るくなり、海の色も明るさを増してきた。
「ローゼマイン、船の色が変わり始めたら先行の船にアウブの守護をかけてほしいのだが、魔力は大丈夫か?」
「あと二回なら何とか……。それ以上はちょっと無理そうです」
わたしは正直に申告した。ここで嘘を吐いたり、自分の魔力量を甘く見積もったりするのはご法度である。その後の作戦の成否に大きく関わるからだ。
「国境門の移動の時、それから、礎を染めた時に回復薬を立て続けに飲みました。これ以上飲むと、多分気持ちが悪くなって活動できなくなると思います。次に飲むのは寝る前ですね」
「自分で薬の量を把握できているならば良い。……だが、二回なら何とか、か」
フェルディナンドの考え込むような響きに、何だか不安が胸に広がっていく。
「何か懸念があるのですか?」
「あの船は魔力を弾く銀色から魔力を吸収する黒に変わる。秋の終わりにランツェナーヴェへ戻る船を見ていた境界門上の騎士から聞いただけなので定かではないが、国境門の魔力を吸い取ることで全体に魔力を流して転移可能な状態にしているように見えたらしい。つまり、ただの黒ではなく、黒い魔石の魔力吸収の力を持っていると考えられる。……先程の港で行った守護より魔力が必要になるのではないかと思ったのだ」
アウブになったことがないフェルディナンドは大量の魔力を使う魔術であることを知っていても、わたしにどれだけ負担なのかわからない。シュタープにどれだけの魔力を込めるかによって威力も変わるので、消費魔力も個人差が大きい。
「それに、あちらがよほどの馬鹿でない限り、二隻の船が同時に色を変えることはあり得ない。先行する船が境界門と国境門を通れることを確認するまで、後行の船は様子を見るはずだ。魔力が通るようになった瞬間、集中攻撃を受ける様子を見たというのに色を変えるような真似はしないはずだ」
色を変えることができなければ国境門を通ることはできず、変えた途端に一斉に攻撃される。港に戻ることもできない船と睨み合いになるだろう、とフェルディナンドは言った。
「君の魔力も心許ない中、時間をかけずに人質を無事に救出するためにどうすればよいか……」
人質の救出を考えないのであればダンケルフェルガーの騎士達が言っていたように、巨大な岩でも落とせばよい。けれど、それはできないし、エーレンフェストの事情やフェルディナンドの体調を考えると、あまり時間をかけてはいられない。
「ローゼマイン、人質になるべく危害を加えず、なるべく魔力を使わず、船を破壊するのに有効な方法が君の知識の中にないか? メスティオノーラの書だけではなく、異界の知識も含めて考えてほしい。魔力が通じる状態にできればそちらでも構わぬ」
他の人には聞こえないようにフェルディナンドが小さな声で囁く。人に聞かれたら困るのはとても理解できるけれど、耳元が非常にくすぐったいので止めてほしい。盗聴防止の魔術具はこういう時に使うべきではないだろうか。
「何かあるか?」
「……確かに魔力がない世界でしたけれど、代わりに科学が発達していたのです。事前準備もなく、できることがあるかどうかはよく考えてみなければわかりません」
「考えてみてくれ。アウブの守護が必要な時には声をかける」
……銀色の船って何でできてるんだろう? あの銀色はどうみても布には見えない。金属っぽいよね? ってことは、銀色は塗料?
塗料を剥がすか、金属を脆くして衝撃が通じやすいようにするかしか咄嗟には思い浮かばない。
……熱を加えたら塗料がどろっと溶けないかな? でも、どうやって熱を加えたらいい? それに、中の人質が蒸し焼きになっちゃう可能性もあるよね? うーん……。
わたしが考え込む間にフェルディナンドは境界門の騎士達にオルドナンツを飛ばす。
「アウブの守護がかかったら、船に全力で攻撃せよ。ランツェナーヴェへ逃げられるわけにはいかぬ。決して手心を加えるな。人質の救出は船を大破させてからだ」
「ローゼマイン、アウブの守護を頼む。第七班、第八班、境界門は攻撃準備!」
境界門の間近へ移動した船の色が変わり始めた。パタパタとタイルがひっくり返るような感じで、次々と色が銀色から黒へと変わっていく。この変わっていく瞬間を狙うのが一番魔力を消費することなくアウブの守護をかけることができるらしい。わたしは即座にシュタープを出して魔力を注いでいく。
「フォルコヴェーゼン!」
わたしはブンとシュタープを振り、アウブの守護を船に向かって打ち出した。先程と違って範囲が狭い。黄色の大きな鳥が辺りを飛び回るのではなく、一直線に船に向かって飛び込んでいく。
「行け!」
フェルディナンドの号令に合わせてアーレンスバッハの騎士達が境界門の門柱の屋上から騎獣に乗って飛び出してくる。彼等の手にも、船に向かって突っ込み始めたダンケルフェルガーの騎士達の手にも複雑な色合いで光を放つシュタープの剣がある。ランツェナーヴェを叩き潰すという目的のために注ぎ込んだ魔力で眩い光を放っている。
フェルディナンドがシュタープを振って、魔力を船に向かって打ち出した。まるでロートのような小さな光だ。それを合図にして騎士達が一斉に大音声を上げて剣を振り抜き、魔力を放つ。皆の魔力が捩じれ合いながら虹色の光となり、黒に変わっていた船へ突っ込んでいく。
太陽よりも眩しい魔力の光が船に到達した瞬間、耳が痺れるような轟音と共に船が爆発した。海が大きく揺れて船を一度完全に呑み込み、白い水柱が立ち上がる。水柱からいくつもの船の破片が飛び出し、飛び散った。
「人質の無事を確認! 救出作業にかかります!」
「アウブの守護があるうちに救出せよ。急げ!」
アウブの守護の光をまとう者達が海上に散っている。何が起こったのかわからない顔をしている人質の女の子達を、ダンケルフェルガーの騎士達がシュタープの光の帯で一本釣りにして境界門の上に運び始めた。アーレンスバッハの騎士はシュタープを光の網状にして海上に浮かんでいる物を一気に引き上げていく。目をぱちくりしている令嬢、海に浮かんだ魔術具など一切合切である。
「きゃあっ!」
網の中から悲鳴が響いた。突然海に加えられた衝撃の大きさにぷかっと浮いてきたお魚と一緒に網で救い上げられた令嬢が取り乱しているのが見える。少々可哀想だが、急いで救出しなければならないので我慢してほしい。
爆発に巻き込まれたとはいえ、銀色の服を着ているために魔力攻撃を食らわなかったランツェナーヴェの兵士達は、比較的生存者が多いようだ。バタバタと海面上でもがいている姿がたくさんある。シュタープの網にすがりつこうと腕を上げた状態で海上にぽつんと取り残されたランツェナーヴェの兵士の姿も見えた。
「フェルディナンド様、ランツェナーヴェの兵士はどうするのですか? 捕らえて証拠や証言……」
「証言が必要ならば、すでに二隻分の兵士がいる。その辺りの者は別に要らぬ」
そう言いながらフェルディナンドは後行していた船に騎獣を向ける。
先行の船の様子を見ていた後行の船は、爆発の衝撃とそれに伴ってできた大きな波に呑み込まれそうになっていたようだ。未だに大きく波打っている海に翻弄されているのが見えた。けれど、フェルディナンドの予想通り、その色は銀のままで魔力攻撃は効かない。
「ん?」
潜水艦のようにつるりとした銀色の上甲板の一部が開いて、下から何かが持ち上がってきた。やはり銀色をしている。四角い箱に小さな穴がたくさん空いているように見えた。
「何だ、あれは?」
「例の銀色の針が出てくる武器です!」
フェルディナンドの疑問に答えたのはハイスヒッツェだった。あの部分を遠方から魔力で攻撃しても、やはり効かないらしい。いくつも準備した魔術具も船には効果がなかったそうだ。布への対策は練っていたけれど、銀色の船があると思わなかったので仕方がないかもしれないけれど、正直なところ悔しい。
「撃ってきたぞ!?」
「もう少し距離を取れ!」
上空のあちらこちらに向けて攻撃を始めた銀色の船に、様子を見ていた騎士達が警戒の声を上げる。騎獣も鎧も貫く攻撃だ。迂闊には近付けない。
「先行の船が受けた攻撃を見たせいかもしれぬな」
目の前で仲間の船が粉砕される様子を見せられた上に、色を変えなければ国境門をくぐることができず、ランツェナーヴェへ戻れないことは明白だ。港に戻ったところで捕らえられるのは目に見えている。兵士達が恐慌状態になってもおかしくはない、とフェルディナンドが言った。
中の人質が心配だ。少しでも早く助けてあげたい。そのためにはあの銀色を剥ぎ取らなくてはならない。くるくるとタイルのような物がひっくり返っていたのだから、境目にナイフのような物を突き立てて力づくで色をひっくり返すとか、塗料をこそげ落とすとか、何か方法があるはずだ。
「せめて、あの攻撃口を塞ぐことができれば良いのですけれど……」
「魔力攻撃が効かぬらしいが、何か方法があるのか?」
「銀の衣装を着ていても白の建物を通り抜けたり、床を突き抜けたりするわけではないのでしたら、エントヴィッケルンであの部分に蓋をするだけならできないかな、と思ったのですけれど、どうでしょう?」
アウブとしてできることを考えた時に白い石なら作れるんじゃない? と思いついたが、フェルディナンドは「君は本当に思いもよらぬ突飛な考えを……」と呆れた声で言って首を横に振った。
「え? ダメですか?」
「駄目ではなく、無理だ。君は蓋をしたいと簡単に言うが、あの部分の大きさを誰が測るのだ? どのようにして設計図を描くつもりだ? エントヴィッケルンを行うための魔紙もインクもなければ、金粉もない。君にも余分な魔力があるわけではないのであろう?」
……確かに普通はそうなんだけど。
「大きささえ測ることができれば何とかなると思うのですよ。魔紙はクラリッサがたくさん作ってくれたのを持っていますし、インクはスティロで何とかなりますよね? 幸い、金粉も少しならありますし!」
わたしは鎖部分がやや金粉化している王族の紋章を取り出して見せる。ここから金粉を取れば、何とかなるのではないだろうか。作りたいのは大きな建物ではなく、攻撃を防ぐための蓋なのだから。
「この金粉で足りますか、フェルディナンド様?」
「いくら作成する物が小さくても、それだけではさすがに足りぬ。鎖のここからここまでを金粉にすれば足りるとは思うが、王族から与えられた物を金粉にするのは不敬が過ぎる。金粉にするならば別の魔石を渡すので、そちらにしなさい」
不敬は不敬だろうけれど、フェルディナンドの持っている魔石では金粉にならない。彼は魔力容量が大きい魔石しか持っていないのだ。これから金粉にしようと思ったら魔力がたくさん必要になる。
「この鎖はほとんど魔力が飽和状態なので、金粉にするのに魔力があまり必要ないのですよ。お返しする時に何かしら補償することで許していただけないでしょうか? 王族も人命より金粉になりかけの鎖の方が大事とは言わないでしょうし……」
「王族に反逆した領地の貴族だからな。王族が君ほど人命を優先してくれるか否かはわからぬ。どのような回答が王族から返されるかわからぬ以上、余計な隙を作るべきではない。それに、君が一人であの上空へ行ってエントヴィッケルンを行うのは、君を守る立場から考えると反対だ。護衛騎士の誰も賛成はせぬであろう」
自分の立場の不安定さを自覚しなさい、と言われてわたしは押し黙る。エントヴィッケルンがダメならば他の手段を考えなければならない。
「……凍らせるのはどうでしょう? 氷で塞いでしまえば針が飛び出すこともないのではありませんか?」
「案としては良いと思うが、どうするつもりだ?」
「うっ……。エーヴィリーベの剣を使えればよいのですけれど、冬でなければ使えないなんて役に立たない神具ですよね」
もう春だ。ここアーレンスバッハはエーレンフェストの初夏のような気候で、どう考えても冬ではない。祈念式を終えていないので、フリュートレーネの御加護がまだ薄いと言えなくはないけれど、エーヴィリーベの剣を使う条件には当てはまらないだろう。
「……何を悩んでいるのかよくわからぬが、この場を冬に変えれば良いだけではないか?」
「はい?」
「ハルデンツェルにあった春を呼ぶ魔法陣を書き換えれば、冬を呼ぶこともできるであろう?」
「え? 当たり前の顔で言わないでください! 無理です。普通はできませんから」
あんな大きな魔法陣を自分が都合の良いように書き換えるなんて芸当ができる人は滅多にいないし、書き換えようなんて思わない。少なくともわたしは魔法陣の改良に関してはセンスがないと言われているせいもあって、冬を呼ぶ魔法陣に書き換えるなんて思いつきもしなかった。
「ただ、範囲を船の部分に限るにしても魔力がかなり必要だ。君に魔力がないならば魔力が籠った魔石が必要になるが、持っているのか?」
「礎から抜いた魔力が籠った魔石ならば持っていますよ」
「何故持っている?」
重たいのに置いてくるのを忘れたとも言うが、言わなければわかるまい。
「魔紙もあると言ったな?」
「あります。バッチリです」
わたしは革袋の中から折り畳まれて小さくなっている数枚の魔紙を取り出す。フェルディナンドは何だかとても疲れ切った声で「君の非常識さには恐れ入る」と呟いた。
「それで、この場を冬にできたとして、君と私以外にエーヴィリーベの剣を使える者はいるのか?」
境界門や国境門を閉めることを考えるとわたしとフェルディナンドの魔力は使わない方が良いらしい。わたしは自分の周囲にいる護衛騎士達を見回した。伊達に神殿へ出入りしているわけではない。
「誰が一番早く神具を作れるようになるのか競争していたせいもあって、わたくしの護衛騎士達は使えるようになっています。ダームエルも形は作れるようになっているのですよ」
すごいでしょ? と胸を張ると、フェルディナンドはぐるりと護衛騎士達を見回して溜息を吐いた。
「君の周りは非常識が多すぎる」
……冬を呼べちゃうフェルディナンド様が非常識の筆頭じゃないですか?