Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (614)
ビンデバルトからゲルラッハへ
「んまぁ!」
転移酔いしないように目を瞑っていたわたしは耳がキーンとするような叫び声に迎えられた。聞き覚えがあって何だか妙に懐かしい気分になったのは、わたしが貴族院にほとんどいられなかったせいだろう。目を開けるとフラウレルムがいて、他に三人の女性がこちらへ駆けつけてくるのが見える。
……懐かしい顔だけど、全然嬉しくないね。
「突然庭に魔法陣が浮かび上がったと思ったら何ですの、貴方達は!?」
「フラウレルム先生……」
「もう先生ではありませんよ、ローゼマイン様。……その、フラウレルムは教師らしからぬ振る舞いが目につき、貴族院を辞めさせられたのです」
ハンネローレがこっそりと教えてくれた。そういえば、貴族院を辞めさせられたという話を聞いたような気がする。フラウレルムが故郷に戻されていればアーレンスバッハにいるのは当たり前だ。ビンデバルトと少し関係があると聞いたこともあるけれど、まさかこんな時に会うとは思わなかった。
「エーレンフェストの者がこのようなところへ現れるなど、非常識ですわ!」
「えぇ、お姉様のおっしゃる通り非常識でしょう! これだからエーレンフェストは!」
フラウレルムと三人の女性達がわたし達を指差しながら「んまぁ! んまぁ!」と怒鳴りつける。口調や体型がよく似ていることから考えても、ここにいるのは全員フラウレルムの親族かもしれない。
ハンネローレは「ダンケルフェルガーの者もいるのですけれど、目に入らないのでしょうか?」と少し寂しそうな口調で言いながらシュタープを出し、フラウレルムを光の帯で縛り上げた。
……へっ!?
あまりにも自然に流れるような動きだったせいか、何が起こったのか全くわからなかった。同時に、ハンネローレ部隊の人達も動いていて、一瞬で目の前に立っていた四人の捕縛が完了している。銀色の衣装を着ているわけでもないので容易いことかもしれないが、呆気にとられるしかない。
ハンネローレは光の帯に捕らえられたフラウレルム達ではなく、アーレンスバッハの騎士達を見上げてそっと息を吐いた。
「アーレンスバッハの騎士達は反応が遅いです。同じ領地の貴族だとどうしてもやりにくいのかもしれませんけれど……それではローゼマイン様をお守りできません」
ほんわりとした柔らかな口調でニコリと微笑みながら「ダメですよ」と言っているハンネローレは本当にダンケルフェルガーの女性だなと思う。
「ローゼマイン様に従えない者はこれで全員でしょうか?」
そう言いながらハンネローレが視線をビンデバルトの夏の館へ向ける。アーレンスバッハの騎士達がハッとしたようにハンネローレを見た後、騎獣を出して駆け出した。
……訓練されすぎだよ、ハンネローレ様。
これがダンケルフェルガーの標準ならば、わたしは絶対にダンケルフェルガーで生活できなそうだ。カッコいいけど、真似できるとは思えない。
「ローゼマイン様ですって!? 貴女は死んでいるはずなのにどうしてここにいるのですか!? なんてしぶといのでしょう!」
光の帯で縛り上げられて転がされたフラウレルムがわたしを睨み上げながらそう言った。ハルトムートがスッと前に出てくる。口元は笑みの形になっているが、全く笑っていないことがわかる冷たい目でフラウレルムを見下ろした。
「貴族院を辞めさせられて先生ではなくなった、ただのフラウレルム。ローゼマイン様が死んでいるはずとは一体どういう意味でしょう? その類の失言が原因で辞めさせられたそうですが、未だに理解できていないようですね」
貴族院を辞めさせられたというのは、フラウレルムにとって非常に大きな汚点だったのだろう。怒りに顔を真っ赤にしてキッとハルトムートを睨む。フッとハルトムートが嘲りの笑みを浮かべた。
「聖典に塗られていた遅効性の毒であれば、ローゼマイン様が触れる前に発見されて解毒されています」
信じられないというように目を大きく見開いたフラウレルムにハルトムートは笑みを深めた。
「ローゼマイン様に遅効性の毒が盛られたことを知っているのは、毒殺を企んだ者だけでしょう。そちらの関与を詳しく調べなければなりませんね」
「んまぁ! わたくしは報告を受けただけです。それ以外は存じません」
ツンとそっぽ向いたフラウレルムを指差しながらハルトムートがコルネリウス兄様を振り返った。
「コルネリウス、今はじっくり尋問するだけの時間がない。誰から報告を受けたのか口を割るまで決して死ねないようにしておけ」
「わかっている」
硬い表情になったコルネリウス兄様がシュタープをフラウレルムに突きつけた。
「ほほほほほ……。ローゼマインの側近かしら? いじらしいこと」
フラウレルムの隣に転がっている女性が憐れみを込めた目でコルネリウス兄様やハルトムートを見上げた。少し髪の色が違うだけで、とてもフラウレルムによく似た女性だ。
「ローゼマインの本当の姿も知らないまま、騙された状態で健気に仕えさせられているとは、なんて可哀想なのでしょう。この女は貴族であるわたくしの夫を騙して陥れた平民の青色巫女見習いなのですよ! 平民! 平民なのです!」
わたしはビクリとして思わず胸元を押さえた。勝ち誇ったようにわたしを見ながら高らかに笑う女性はどうやら神殿へやって来たガマガエルの奥さんのようだ。そんなわたしを庇うようにハルトムートがスッと出てくる。
「おや、昔はエーレンフェストでもその嘘に騙されてローゼマイン様に危害を加え、処刑された愚かな騎士がいましたが、未だにそのような嘘に騙されている愚か者がいたのですか? 驚きですね」
「ハルトムート……」
わたしが平民だと知っているはずのハルトムートがニコリと笑ってわたしの手を取った。
「大丈夫ですよ、ローゼマイン様。神殿で隠されるように育てられていたあの頃ならばまだしも、今のローゼマイン様を平民だと本気で思う者は相当頭がいかれているか、心を病んで狂ってしまったかどちらかです。おそらく夫が重大な罪を犯したことから目を背けたかったのでしょう」
「んまぁ! 失礼なっ!」
「わたくしは本当のことしか言っていませんよっ!」
叫んでいるフラウレルム達には目もくれず、わたしを安心させるようにハルトムートが「大丈夫ですよ」ともう一度言ってニコリと笑い、周囲を見回した。
「貴女がおっしゃる通り、ローゼマイン様が平民だったとしましょう。仮にそうだった場合、貴族院の最優秀は元平民が三年連続で獲得したことになります。ローゼマイン様と共に講義を受けてきたハンネローレ様はどう思われますか?」
同学年のハンネローレがわたしとフラウレルムを見比べて、ゆっくりと首を横に振った。
「フェシュピールを弾いて祝福を行い、一度魔石を握れば金粉を作り出すローゼマイン様が平民だなんて、どう考えても無理があるでしょう」
「ハンネローレ様のおっしゃる通りです。平民にディッターができるわけがありません」
妙な理由で勝手に納得しているダンケルフェルガーの騎士達は、平民にもディッターができればディッター人口が増えるのに、と悔しがり始めた。何をどうしたらそんな思考回路になるのかよくわからないけれど、ダンケルフェルガーでは平民でも貴族でもディッターさえできれば問題なさそうだ。
「騙されてはなりません! わたくしの夫もエーレンフェストに騙されて大変な目に遭ったのです」
ガマガエルの奥様が叫んでいるところへ、夏の館の探索に行っていたアーレンスバッハの騎士達が女性や子供を十人ほど縛り上げて戻ってきた。
「ローゼマイン様、館の中にいた貴族はこれで全員です。館の下働きは縛って中に置いてまいりました。……何かございましたか?」
アーレンスバッハの騎士達がフラウレルム達と向き合っているわたし達を見て、警戒したように問いかけると、レオノーレがクスと笑いながら前に出た。
「ローゼマイン様が元平民だとその女性が主張するのです。仮にそうだった場合、アーレンスバッハはその元平民にたった一夜で礎を奪われたことになるのですけれどね。実に恥ずかしくて情けないことだと思いません?」
「んまぁ! んまぁ! 何という嘘ばかり! エーレンフェストは本当に嘘と
騙
りの集まりですね!」
わたしがアーレンスバッハの礎を奪ったことは知らされていないのだろうか。知らされていなくても、人を移動させられる転移陣を扱っていることで少しは疑問に思わないのだろうか。フラウレルム達は叫び続ける。ダンケルフェルガーの騎士達が何とも言えない面倒くさそうな目をフラウレルム達に向けて「そろそろ黙れ。見苦しい」と言う。
レオノーレは更に挑発するようにクスクスと笑った。
「貴族の誰も、王族でさえ手にしていないグルトリスハイトをローゼマイン様は神々より授けられました。ローゼマイン様を平民だと言い張る貴女方の頭がおかしいことは誰の目にも明らかだと思うのですけれど……アーレンスバッハの貴族にとってはあり得ることなのでしょうか?」
「アーレンスバッハでもあり得ません。アーレンスバッハの貴族として、このような狂人と一括りにしないでいただきたいと存じます」
アーレンスバッハの騎士達が思い切り蔑む目でフラウレルム達を見下ろす。
「私はこの目でローゼマイン様が国境門を閉じ、アーレンスバッハの境界門を閉ざす姿を見ました。アーレンスバッハのためにもそろそろその恥ずかしい虚言を取りやめてください」
「貴族院を辞めさせられ、このような田舎に閉じ籠っていては情報に疎く、鬱々と恨みを募らせていてもおかしくはないが、誰の賛同も得られぬであろう」
同じ領地の貴族から狂人扱いされたガマガエルの奥様がわなわなと体を震わせてわたしを睨んだ。
「皆に本当のことをおっしゃい、ローゼマイン!」
「本当のこととおっしゃられても……親族が捕らえられたり、貴族院を辞めさせられたりしてお辛い気持ちはわかりますけれど、もう少し現実を見ましょう。人を運ぶ転移陣はアウブでなければ設置や起動ができないのですよ? 今はわたくしがアウブ・アーレンスバッハなのです」
「そのような非常識なことはあり得ません。その娘は平民なのです! わたくしの夫はエーレンフェストに陥れられたのです! 皆様、騙されてはなりませんよ!」
わたしが本当のことを言うと、ガマガエルの奥様は目を吊り上げた。直後、コルネリウス兄様が奥様の頭を思い切り踏みつけた。
「これ以上、私の妹を侮辱することは許さない」
「コルネリウス兄様」
「心配しなくても大丈夫だよ、ローゼマイン。彼女達は死ねないようにしてあるから」
……そういう心配はしてませんっ!
心の中で叫んだ時に上空から声が降ってきた。
「何をしている、コルネリウス?」
「エックハルト兄様!」
エックハルト兄様を先頭にダンケルフェルガーの騎士達を引き連れたフェルディナンドが降りてくる。
「遅いですよ、フェルディナンド様」
「エーレンフェストから戻ってくる者を発見したので捕らえていたのだ。体調はどうだ?」
「置いて行かれるほどよく眠ったので、わたくしは万全です。フェルディナンド様こそお休みする時間はあったのですか?」
わたしはダンケルフェルガーの騎士達をちらりと見ながら問い返す。フェルディナンドは「全くなかったわけではない」と言いながらわたしの手を取り、「この状態では診察できぬな」と呟いて一度手を離した。
それから、手甲の部分だけを外して手首、額、首筋に触れる。直後にフラウレルムが目を大きく見開いた。
「んまぁ! んまぁ! 破廉恥なっ! このような人前で何をしていらっしゃるのです!?」
「ただの健康診断だが、うるさすぎては脈が測れぬ。黙らせろ、エックハルト」
「はっ!」
エックハルト兄様が「黙れ」と猿轡を噛ませる。わたしはフェルディナンドがいつも通りに確認していく様子と周囲の視線を見比べながら首を傾げた。
「……フェルディナンド様、これは破廉恥なのですか?」
「ただの健康診断がそう見えるのであれば、破廉恥なのはその者の頭だ。君が気にする必要はない。今は特に問題なさそうだな。……ところで、君は本気でエーレンフェストへ行くつもりか? 見たくない物をたくさん見ることになるぞ」
フェルディナンドの確認に、わたしは一瞬怯む。戦いの現場に出るのは好きではないけれど、行かないわけにはいかないだろう。
「行きますよ」
「そうか。……そこに転がっている無様なものは何だ?」
「エーレンフェストへ侵攻したギーベ達を出迎える役目を受けていた貴族達です。館の探索はすでに完了しています」
館の探索をしていたアーレンスバッハの騎士からの報告にフェルディナンドはコルネリウス兄様に踏まれたガマガエルの奥様を無表情で見下ろした。
「コルネリウス、頭は記憶を読むために必要だ。以後、黙らせるために蹴ったり踏んだりするのは腹にするように。癒す魔力の無駄遣いになる」
「はっ!」
「それから、これらはエーレンフェストで黒の武器を使い、土地の魔力を奪ってきたギーベ達だ」
フェルディナンドはダンケルフェルガーの騎士達が光の帯で縛り上げて騎獣からぶら下げている男達を示しながらそう言った。
「黒の武器ですか!?」
「エーレンフェストの土地の魔力を奪うって……」
わたしの側近達が顕著な反応を示すのをフェルディナンドが少し手を挙げて抑える。
「ゲオルギーネが言っていた祈念式とは自分達の魔力で満たすのではなく、どうやらエーレンフェストの魔力を奪うことだったようだ。今、旧ベルケシュトックの貴族達が二手に分かれ、数に任せて土地の魔力を奪っているらしい」
エーレンフェストからアーレンスバッハへ戻ってくる者達の姿を見つけたフェルディナンドとダンケルフェルガーの騎士達は、彼等を一気に捕らえて尋問したらしい。騎士ではない者が何人もいたことで尋問はかなり簡単だったようだ。
「先に攻められたのは南西にあるグリーベルとイルクナーで、エーレンフェストがそちらへ戦力を割いた結果、南東にあるゲルラッハは現在苦戦を強いられているようだ」
その情報を得たフェルディナンドはザイツェンの境界門ではなく、わたしとビンデバルトで合流してゲルラッハへ行くことに決めたらしい。
「君が来なければ、そろそろゲルラッハへ着いていたはずだがな」
勝手に境界門付近をうろうろされる方が困ると言われて、境界門へ先回りしようと言ってマティアスに怒られたわたしは押し黙った。
「ゲルラッハ側への襲撃は左に義手をつけたゲオルギーネの腹心が先導していて、どうやら土地勘がある者のようだ」
「父上……。あ、いえ、グラオザムが敵ということですね」
父親をわざわざ名前で言い換えたマティアスが唇を引き結んでゲルラッハの方向へ厳しい視線を向けた。
「マティアス……」
「私は迷いません、ローゼマイン様。ご安心ください」
「そんな気負った顔で言われても安心できるわけがないだろう」
バシッとラウレンツがマティアスの背中を叩いた。かなり強い力だったのか、マティアスがたたらを踏んでラウレンツを睨む。
「ラウレンツ!」
「別に自分だけで決着をつける必要はない。行こうぜ」
「ラウレンツの言う通りですよ、マティアス。お父様と相対するのは辛いでしょうから、他の者に任せて……」
わたしがそう言うと、マティアスは少し考えて首を横に振った。
「ローゼマイン様のお心遣いはありがたいのですが、グラオザム達の行動によって罪人にされた貴族がエーレンフェストにはたくさんいます。親を失った者もいます。私がここで逃げることはできません」
マティアスの言葉にフェルディナンドは「そうか」と頷いた。
「ならば、犯罪者をまとめてアーレンスバッハの城へ送り、早急にエーレンフェストへ向かうぞ」
ダンケルフェルガーの騎士達が普通の縄で縛り直した男達を転移陣の上へ無造作に積み重ねる。アーレンスバッハの騎士達も同じようにビンデバルトの夏の館にいた女性や子供を乗せていく。フェルディナンドが城に残っている騎士達に牢へ放り込んでおくように指示を出し、わたしを振り返った。
「ローゼマイン」
「はい」
わたしは一つ頷いて転移陣を動かす。
「ネンリュッセル アーレンスバッハ」
犯罪者を城へまとめて飛ばした後、ビンデバルトからゲルラッハへ騎獣で移動する。普通に境界を越えると、わたし達の侵入を感知した養父様がアーレンスバッハからの攻撃が増えたと勘違いするかもしれない。エーレンフェストの援軍としてやって来たよという内容のオルドナンツを後で送る必要がありそうだ。
ビンデバルトの夏の館は魔力に満ちていて春らしい光景だったので何も思わなかったけれど、上空から見れば荒れて緑の少ないビンデバルトの土地がよく見える。魔力が全く足りていない。
「フェルディナンド様、ここ、魔力が必要ですよ」
「祈念式は全て終わった後だ」
「それはわかっていますけれど……」
この有様では貴族ではなく、平民に餓死者がたくさん出ているのではないだろうか。
「それに、しばらく魔力が足りなかったビンデバルトよりも、奪われている最中のゲルラッハを心配した方が良い」
フェルディナンドの言った通り、ゲルラッハの土地は緑が豊かだけれど、境界を越えた途端あちらこちらに円く赤茶けた土地が露出しているのが見えた。まるでトロンベが暴れた後のようだ。土地を満たす魔力に偏りができているのが一目でわかる。
「……あそこが陽動の戦場だ」
指差された先に藤色のマントとエーレンフェストのマントが固まっている。騎士同士が戦っているのだろう。魔力の光が飛び交う様子が見えた。
「そして、あれやそれがギーベ達であろう」
派手に戦っている者達とは別の場所に藤色のマントの集団がいくつかある。目の前で赤茶けた土地が増えた。