Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (617)
ゲルラッハの戦い その3
「待ちなさ……きゃあっ!」
わたしがマティアスに制止の声をかけるのと、上から光の網が降ってくるのはほぼ同時だった。わたしの悲鳴にマティアスが振り返る。
「ローゼマイン様!?」
目を見開いたマティアスがシュタープを出してこちらへ走り始めた途端、背筋がぞくっとするような冷たい声が降ってきた。
「見覚えのある不細工な魔獣ではないか。こんなところにいるとは……」
わたしのレッサーバスがグラオザムに光の網で捕らえられるのは初めてではない。なす術もなく捕らえられて毒を飲まされ、ユレーヴェに浸かることになったあの時の光景が蘇ってくる。でも、今はどうすれば良いのか知っている。護衛騎士が助けてくれるのを信じて、騎獣から出なければ良いのだ。何があっても外へ飛び出さないように、わたしはハンドルを握る手に力を込めた。
「ローゼマイン!」
コルネリウス兄様の怒りに満ちた声が響いた直後、レッサーバスを引っ張る力がブツッと切れた。シュティンルークを構えたアンゲリカが視界を行き来するうちに光の網はずたずたに切り裂かれる。マティアスが戻ってくるより早く、わたしは自由になっていた。
「その光の網には見覚えがある。……其方か、グラオザム」
騎獣に乗ったコルネリウス兄様が厳しい表情でグラオザムを睨み上げる。
「師匠から名前だけは聞いていました。こうして戦場で敵として
見
えることができて嬉しく存じます」
シュティンルークを握ったアンゲリカが騎獣に飛び乗りながら青い瞳を挑戦的に光らせてニコリと微笑む。その笑顔に清楚な印象は欠片もなく、凄みを感じさせていた。
駆け寄ってきたマティアスが二人の迫力に気圧されたような顔でわたしに尋ねる。
「ローゼマイン様、一体何が……」
「わたくしがユレーヴェを使う元凶となった冬の社交界の始まりの襲撃事件の犯人がグラオザムだったということです」
「なっ!? あれはギーベ・ジョイソタークが犯人として……」
マティアスがはくはくと口を開け閉めする。公的にはそういうことになって事件は終了しているが、実際は違うのだ。マティアスには知らなかった父親の罪を更に知らせてしまうことになるけれど、隠してどうなるものでもない。
「ジョイソターク子爵が行ったのはシャルロッテの誘拐と襲撃で、わたくしをさらおうと光の網を放ち、毒を飲ませたのはグラオザムなのです。……でも、変ですね。わたくしが青色巫女見習いの時に初めてギーベ・ゲルラッハの館へ伺った時に聞いた声と違うように思えます」
「……グラオザムには影武者が三人はいましたから。ですが、そうですか。ローゼマイン様を害したのもグラオザムでしたか」
苦々しそうな口調でそう言ったマティアスの瞳が激情を孕んでゆらりと揺らめいた。シュタープの剣を握り、二階のバルコニーを見上げる。そこではコルネリウス兄様とアンゲリカが魔力を込めて剣を振り抜いていた。
「ここで死ね、グラオザム!」
見事な連携で同時に攻撃した二人の魔力が絡み合いながらグラオザムに突っ込んでいく。グラオザムが自分の頭を庇うようにバッと左腕を上げた。騎士ではないグラオザムの敗北を予想した次の瞬間、魔力攻撃の光がグラオザムの小手へ吸い込まれるように消えていく。
……魔力を吸収した!?
ゆっくりと手を下げたグラオザムがニヤリと唇の端を上げる。攻撃が全く効かなかったことに驚愕するコルネリウス兄様とアンゲリカを嘲笑いながら、右手を振るった。青みの強い魔力の塊が飛び出し、コルネリウス兄様とアンゲリカだけではなく、ユレーヴェを飲んで回復中の騎士達も含めた広範囲を襲う。
「風の女神 シュツェーリア……」
「ゲッティルト!」
同時にいくつもの盾がバルコニーの前に出現し、グラオザムの魔力攻撃を弾き飛ばした。白いライオンが後からやってきて、二階に立つグラオザムと向き合った。
「フェルディナンド様!」
回復中だった騎士達がホッとしたように息を吐き、自分を守る盾を出し始める。
「回復中の者はこの場から離れろ!」
いくつもの盾を展開したまま、フェルディナンドが怒鳴る。騎士達が自分の盾を構えて動き出した。魔力が固まりかけていて難しい者を他の者が支えて移動する。
「……何故生きている!?」
グラオザムが騎獣に跨り、複数の盾を維持しているフェルディナンドの姿を見て、信じられないというように頭を振った。
「まさか……あれだけ丁寧に下準備を整えたにもかかわらず、失敗したのか? 失敗しただけではなく、ゲオルギーネ様に虚偽の報告まで行ったのか? とてもゲオルギーネ様の娘とは思えぬ無能だ。許し難い」
どうやらディートリンデはフェルディナンドが死んだと報告をしたらしい。その後は隠密行動を始めたため、銀色の衣装をまといオルドナンツが届かないようにしていたのだろう。わたしがフェルディナンドを救ったことは知らなかったようだ。
「……だが、もう過ぎたことだ。私がなすべきことに変わりはない」
ゲオルギーネがエーレンフェストの礎を奪うための時間を稼ぎ、ゲオルギーネが礎を奪いやすくなるように土地の魔力を奪い、ゲオルギーネがエーレンフェストを支配しやすくなるように戦力を削ぎ、邪魔な貴族を一人でも減らしておく。それが自分のなすべきことだとグラオザムが笑った。そこに潜む狂気に息が詰まりそうになる。どんな説得も受け付けないとわかる灰色の目が怖い。
「フェルディナンド様、貴方はゲオルギーネ様の邪魔になる。ここで消しておかねばなりません」
「文官の其方に私が消せるのか? もう毒は効かぬぞ」
そう言ったフェルディナンドを守るようにエックハルト兄様が武器を構える。
「文官には文官の戦い方がございます」
グラオザムが「オルドナンツ避けのこれはもういらぬ」と言いながらマントの留め具を外し、何かを握った。直後、グラオザムを中心に青の炎がぶわっと渦巻く。
「何だ!?」
「一体何が!?」
その場にいた全員が青の炎に目を奪われた瞬間、「やぁっ!」という高い声と共に数カ所から一斉にグラオザムに向かって攻撃が仕掛けられた。ハンネローレ部隊だ。魔力が打ち出され、複数の矢が青い炎に包まれたグラオザムに襲いかかる。ほんの少しの隙も見逃さないハンネローレ達の素早い攻撃だったが、またしてもグラオザムの左の小手に防がれた。
ハンネローレ達の攻撃を受けて青い炎が更に勢いを増す。けれど、その中心に立つグラオザムは愉しげに笑うだけで、全く熱そうでも苦しそうでもない。炎に包まれたまま右手を振れば、青の炎が生き物のようにハンネローレへ襲いかかった。
「ゲッティルト!」
ハンネローレは咄嗟に盾を出した。フェルディナンドの盾も同時に動き、グラオザムの攻撃を防ぐことはできた。けれど、ハンネローレの表情は蒼白だ。盾を握って目を見開くハンネローレを見ながらグラオザムが嘲笑の笑みを浮かべる。
「あぁ、これだけの魔力があれば十分に動けそうだ。感謝するぞ、ダンケルフェルガーの娘」
フェルディナンドはグラオザムの青い炎を睨みながら次々とオルドナンツを飛ばしていく。前線のハイスヒッツェへ、ビンデバルトへ捕虜を置きに行って戻ってきたシュトラールへ、それから、わたしのところにもオルドナンツが飛んできた。
「ローゼマイン、館の中に入れるのは君とマティアスだけだ。私はここでしばらくアレを引き付ける。隠し通路などを使われると厄介だ。二人で館の中へ急いでアレの背後に回れ。義手が魔力を吸収している。攻撃には黒の武器を使うように。たとえマティアスが死んでも君は決して騎獣から出るな」
小声で早口の命令が届き、わたしはマティアスと顔を見合わせる。まさかフェルディナンドから潜入を命じられるとは思わなかった。それだけ切羽詰まっているということだろう。
「急ぎましょう、マティアス。あの部屋への道はわかりますね?」
「はい。ギーベの執務室です」
「ローゼマイン様、お待ちくださいませ。あまりにも危険です」
フェルディナンドのオルドナンツを一緒に聞いていたレオノーレがわたしを止める。けれど、護衛騎士達を連れられず、他の誰にも任せられないことだ。
「レオノーレ、ギーベの任命はアウブの管轄です。任命もなく勝手に鍵を奪った者を捕らえるのは領主一族の責務ですから、わたくしは行きますよ」
「ですが……」
反対しかけて口を開いたレオノーレが悔しそうに口を閉ざしてグッと拳を握った。
「護衛騎士でありながら領主一族に頼ることしかできない我が身を情けなく思います。……どうかご武運を」
「わたくし達が到着するまで、グラオザムをバルコニーに引き付けておいてくださいませ」
「必ず」
ギーベの館に入ったわたしは、騎獣でマティアスの後ろをついて走る。生まれ育った館だからだろう。マティアスは迷いなく走る。ところどころに人が倒れているのが見えた。グラオザムと会ってしまった下働きの者だろうか。
マティアスは走りながらシュタープを剣に変え、更に騎士団で教えられるやり方で黒の武器へと変化させる。わたしもシュタープを出して水鉄砲に変化させると闇の祝福を祈った。
「高く亭亭たる大空を司る、最高神たる闇の神よ 世界を作りし、万物の父よ 我の祈りを聞き届け 聖なる力を与え給え 魔から力を奪い取る御身の祝福を 我が武器に 御身に捧ぐは全ての魔力 輪から外れし魔を払う 御身が御加護を賜らん この地にある命に一時の安らぎを与え給え」
わたしが黒くなった水鉄砲を手にすると、マティアスが口を開いた。
「ローゼマイン様はできるだけ攻撃せずに騎獣で扉を塞ぐことを最優先にしてください」
「マティアス?」
「グラオザムはおそらくローゼマイン様がどのような武器を使うのか、どのような神具を扱うのか、全てを把握しているわけではございません。いざという時のために、できるだけ奥の手を隠しておいてください」
グラオザムはこの手で倒すから、とマティアスが強い決意を秘めた目で階段の上を見上げた。何かに気付いたように目を細める。
「……階段に罠が仕掛けてあります。解除するので少々……」
「別に階段を使わなくても騎獣で飛び越せば良いではありませんか。時間が惜しいでしょう? 乗りなさい、マティアス」
わたしはレッサーバスを二人乗りに広げると、助手席を開けて席をポンポンと軽く叩いた。マティアスは階段とレッサーバスを何度か見比べ、小さく笑いながら乗り込んだ。
「……どうかしましたか、マティアス?」
「いいえ。何でもありません。侵入者の察知と時間稼ぎを兼ねて、必ず通る階段にグラオザムはいくつもの罠を仕掛けていたはずです。まさかこのように全てを飛び越えられるとは考えていなかっただろうと思うと……」
この館の階段は羽を広げた騎獣を使えるほどの広さがない。レッサーバスだからできたことだ。乗り込み型騎獣を屋内で乗り回す者がいなければ、このような回避方法はとても想定できないだろう、とマティアスはおかしそうに言った。
「私の主はいつも想定外です。貴族院の寮で派閥の壁を壊した時も、粛清の連座回避を洗礼前の子供達まで行った時も、私は驚かされてきました。故郷の蹂躙を命じるゲオルギーネ様ではなく、手の届く範囲をできる限り拾い上げようとするローゼマイン様を主として選ぶことができて良かったと思います」
マティアスを乗せて階段を使うことなく飛び上がり、そのまま二階にある目的の部屋の前へ降り立つ。レッサーバスから降りたマティアスはスッと表情を引き締める。
「行きます」
マティアスはギーベの執務室の扉に手をかけると、一度深呼吸して大きく扉を開けて中に飛び込んだ。わたしも中に飛び込むと、レッサーくんの尻尾で乱暴に扉を閉めて、すぐさまバスのように大きくして、出入り口を完全に塞いだ。
「ここに入れる者がいたのか」
わたし達が入った音で気付いたらしいグラオザムが振り返る。まるで青い炎の鎧をまとっているようだ。グラオザムは一度青い炎に包まれている右手を振って、外に攻撃すると、部屋の中へ入ってきた。
部屋の中には男が一人倒れている。ギーベ・ゲルラッハだった人だろう。まだゆるゆると赤い血が広がっているような気がした。
「癒しを……」
「もう助かりません。魔石化が始まっています」
マティアスはわたしに背を向けてそう言いながら、じっとグラオザムを見つめる。黒い剣はその手にあり、ゆっくりと構えられていく。青い炎の鎧をまとうグラオザムが黒く光る義手を上げたまま歩いて来る。
「あのような平民の小娘に膝をつくなど、いくら命乞いのためとはいえ情けないとは思わぬのか、マティアス?」
扉を塞ぐレッサーバスとわたしを見て、不快そうにグラオザムが鼻を鳴らした。マティアスは動揺の欠片もなく冷ややかに言い返す。
「他領の侵略者に膝をつき、己が領地の領主候補生を害し、故郷と味方を蹂躙する者の方がよほど情けないと思います」
今までは息子に反論されたことがなかったのだろうか。グラオザムがぴくりとこめかみを動かした。
「ゲオルギーネ様はエーレンフェストの領主候補生だ。他領の侵略者ではない。訂正しろ、マティアス」
「アーレンスバッハの領主一族でした。ローゼマイン様がアーレンスバッハの礎を押さえた今、もう領主一族ですらありません」
グラオザムはわたしを見ながら冷ややかな笑みを浮かべた。
「誰がアウブ・アーレンスバッハであろうと、もはや私には関係がない。ゲオルギーネ様はエーレンフェストのアウブとなるのだからな」
「破壊と破滅しかもたらさぬ彼女をアウブにはさせません!」
黒い剣を構えて激昂するマティアスを無表情で見つめながら、グラオザムがゆっくりと青い炎に包まれた右手を上げる。
「私はすでにアーレンスバッハの貴族として登録を受けている。つまり、其方は私の息子でも何でもない」
マティアスがほんの一瞬唇をぎゅっと結んだ。
「さっさと死ね。其方にゲオルギーネ様の邪魔はさせぬ!」
グラオザムが右手を振って青い炎で攻撃する。それをマティアスが黒い剣で切り裂いた。直後、グラオザムが素早く動き、マティアスを蹴り飛ばす。
「ぐふっ……」
まるで身体強化をした騎士のような動きだった。アンゲリカのような素早い動きはとても文官の動きではない。マティアスが剣を構え直して、警戒するように一歩後ろに下がる。
「……フン。大きなことを言ってもこの程度か。騎士は己の体を鍛える。文官は高度な魔術具を作る。私が作り上げた魔術具と、其方の体……どちらが強いか?」
グラオザムは自信ありそうにそう言いながら、青い炎の右腕と黒い義手を胸の前で交差させた。