Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (618)
ゲルラッハの戦い その4
応接用の机は粉砕されて消し炭になり、椅子は投げられて真っ二つになった。ギーベの執務室であるこの部屋はすでにめちゃくちゃだ。バルコニー側の窓にはグラオザムを追いかけて入ろうとしたラウレンツの姿が見えるが、透明の壁に阻まれている。
助けが入って来られない状況でマティアスは一人、グラオザムと向き合っていた。黒の義手で殴られれば魔力を奪われ、青の炎の右手で殴られれば火傷をする。飛んでくる青い炎にも気を付けなければならないマティアスは、黒の剣でグラオザムの右手を封じて必死に応戦しているけれど、一方的に攻め込まれていた。
「フッ、この魔術具はボニファティウス様との戦いを想定して作り上げた物だ。其方程度の騎士が敵うと思うな」
エーレンフェストの領地が荒らされた時、貴族街や城を守るのが騎士団長で、余裕のある騎士を連れて遊撃に出るのがおじい様だとゲオルギーネやグラオザムは考えたらしい。
「ボニファティウス様の思考や行動力、攻撃力は侮りがたい。いつぞやの冬にその平民を手に入れるのを邪魔された故に……」
養父様やお父様と違って計算外の動きで計画を潰す可能性が高いため、おじい様を貴族街から離れた土地で押さえ込んでおくことは、ゲオルギーネが礎を得るためには何よりも重要だったらしい。
……対おじい様用の魔術具だったのか。
一体何の魔術具を使っているのか知らないけれど、今のグラオザムはめちゃくちゃ強い。それは認めよう。だが、そう簡単に勝てると思ってもらっては困る。騎士は自力で体を鍛え、文官は高度な魔術具を作って戦いに臨むと言ったグラオザムの言葉に間違いはないけれど、グラオザムの目にはわたしの存在が戦力として入っていない。
……では、ここで質問です。わたしは今までどうやって戦いに臨んできたでしょうか?
奥の手として隠し持っている闇の神の祝福を施した水鉄砲にちらりと視線を向ける。わたしは自分で敵を倒したことなどほとんどない。水鉄砲も命中率が低いし、絶対に当たるくらいまで広範囲に攻撃できるように魔力を込めたらマティアスが間違いなく巻き添えになる。攻撃は基本的に周囲の人にお任せするのがわたしの戦闘である。
……誰でも使おうと思えば使えるけど、今の時点ではわたししか使わない技があるんだよ。
わたしは指輪に魔力を込めていく。敵が手段を選ばずに魔術具を使ってくるならば、こちらも祝福の大盤振る舞いだ。わたしははるか昔に自重をどこかに置いてきた女である。ここで遠慮なんてする気はない。
「風の女神 シュツェーリアが眷属 疾風の女神 シュタイフェリーゼと忍耐の女神 ドゥルトゼッツェンの御加護がマティアスにありますように」
ふわりと黄色の光がマティアスに降り注ぐ。グラオザムの素早い蹴りが完全に入るのをマティアスは避けた。祝福に慣れればもっと楽に動けるようになるはずだ。
「フン、少しくらい速さが増したところでどうということはない」
グラオザムの言葉にわたしはムッとする。祝福も与えすぎると制御が難しくなるのだ。少しでなければ思ったように動けない呪い状態になってしまうのは貴族院で経験済みである。それに、わたしが祝福を与えられるのは速さだけではない。少しずつたくさんの祝福を与えれば良いのだ。
……わたしの本気、見せてあげるよ。
「炎の神 ライデンシャフトが眷属 武勇の神アングリーフと狩猟の神 シュラーゲツィールの御加護がマティアスにありますように」
ふわりと青の光がマティアスに降り注ぐ。これで攻撃の時の力強さと命中率が上がるはずだ。少し見ていると、黒い剣を振るうマティアスの動きが格段に良くなった。グラオザムがマティアスの攻撃を避ける姿からもそれがわかる。けれど、今まで受けた攻撃で怪我をしているせいか、いつもに比べてマティアスの動きに勢いがない。癒しが必要だ。
「水の女神 フリュートレーネが眷属 癒しの女神 ルングシュメールと雷の女神 フェアドレンナと幸運の女神 グライフェシャーンの御加護がマティアスにありますように」
ふわりと緑の光がマティアスに降り注ぐ。ルングシュメールに怪我が癒され、エーヴィリーベさえ押し退けるようなフェアドレンナの勢いが加わるはずだ。ついでに、好機はしっかりつかみ取ると良い。わたしの願った通り、マティアスの動きに勢いが出てきた。魔力を奪おうと伸ばされた黒の義手を剣で受け止め、マティアスがニッと笑う。これまでずっと優勢を保っていたグラオザムが頬を引きつらせた。
「何だ、これは? ふざけるな……」
「ローゼマイン様はふざけてなどいません。文官が魔術具を使って戦力を補うように、ローゼマイン様は神々の御加護を騎士に与えます。これが長年神殿で神事を行い、神々に愛されている私の主の戦い方です」
「ずいぶんと頭がおかしくなったようだな、マティアス」
グラオザムの攻撃も入るけれど、マティアスの攻撃も少しずつ入るようになってきた。祝福の重ね掛けで何とか互角に近いくらいには持ち込めたのではないだろうか。マティアスの顔が少し笑っている気がする。
「闇の神が眷属 退魔の神 フェアドレーオスと光の女神が眷属 浄化の女神 ウンハイルシュナイデの御加護の御加護がマティアスにありますように」
マティアスが悪縁や不幸を自分の手で断ち切り、自分の望む道を進むことができるように祈ると、黒と金の光が部屋を舞う。最高神である夫婦神の眷属はまとめてお祈りが簡単にできるからありがたい。
……命の神の眷属は下手に重ねたら別の神の御加護が消えることもあるから、ひとまずこれでいいんじゃない?
わたしは自分の仕事に満足したけれど、かなり優勢から突如として対等くらいまで相手が強くなったグラオザムは、マティアスを攻撃しながら怒りに顔を歪めた。黒の義手を振り下ろしてマティアスを突き飛ばす。ダンという鈍い音がして、マティアスがコフッと苦し気に息を吐いた。
「マティアスのようなただの騎士を、今の私と戦えるほどに強化するとは想定外だ。領主の養女になれる程の魔力を搾り取る予定だったが、変更せねばなるまい。……其方は確実に殺す」
グラオザムが右手を大きく振って、広範囲に青い炎を振り撒いた。マティアスが炎の前に飛び出しながら黒の剣で切り裂いて魔力を吸収する。切り裂けなかった炎がレッサーバスに飛んできた。
目の前の窓に真っ青な炎が勢いよく当たって、レッサーバスを維持するための魔力がハンドルを通じて吸い出されていく。思わず息を呑んだ。騎獣に乗っていて、これだけ魔力を奪われたことはないと思う。
……マジで強いよ!
グラオザムを通じておじい様の人外的な強さを思い知った気分だ。
マティアスはわたしとグラオザムの間で剣を構え直した。
「貴方は平民と呼びますが、私の主はローゼマイン様以外にあり得ません」
黒の剣でグラオザムの右手に切りつけながら、マティアスは挑発するように笑う。
「貴方はゲオルギーネ様から祝福を受けたことがありますか?」
「黙れ」
黒の義手を振って剣を弾き、右手を振って青い炎を打ち出すグラオザムの攻撃を避けて、マティアスが更に言い募る。
「ゲオルギーネ様に自分や他人から搾取した魔力を捧げるだけではなく、ゲオルギーネ様の魔力を自分のために使ってもらったことは? 命を、誇りを、故郷を救い、守ってもらったことは?」
「黙れ!」
思い当たることが全くなかったのか、怒りに任せてマティアスを弾き飛ばしたグラオザムがわたしを見た。憤怒で灰色の目がギラギラとしている。青い炎に取り囲まれているのにグラオザムの顔が真っ赤になっているのがわかった。
「そこから出てくるがいい、平民め! 燃やし尽くしてやろう! 私の力を思い知らせてやる!」
「そのようなことはさせません」
マティアスの剣が当たって、ガチン! と硬い石を叩くような音が響く。グラオザムがまとっている青い炎が薄れ、炎の下に青の魔石が見えた。まるで魔力を奪われすぎて炎を出せなくなってきたような感じだ。それだけではなく、グラオザムの動きが鈍くなってきたような気もする。
マティアスの攻撃が連続で青い炎の部分に当たるようになってきた。同時に、黒の剣によって魔力が吸収され、青い炎はどんどんと薄れていく。炎の下にあった青い魔石と素肌が露出し始めた。
「これまでか……」
グラオザムが呟くと、魔石に吸い込まれるように炎が消える。
「……な!?」
炎が消えたことで、魔石の鎧をまとっているのではなく、体の半分以上が魔石になっているのがわかった。肉体に魔石がめり込んでいるような、魔石の上に肉体を被っているような不気味な姿で、もはや人ではない存在に見える。マティアスもさすがに顔色を変えた。
「何を間抜けな顔を……。これだけの魔術具、十分に動かそうと思えばどれだけの魔力が必要か考えなくてもわかるであろう」
「何故ここまで……」
「其方に語ることなどない」
マティアスの視線を避けるように一瞬視線を外したグラオザムが、次の瞬間、自分に残る全ての魔力をスピードに注ぎ込んだような動きでマティアスをつかんで、バルコニー目がけて放り投げた。窓ガラスが割れる派手な音と共にマティアスが外へ放り出される。ラウレンツが助けに行ったのが見えた。
自分の行動がどのような結果になったのか確認しようともせずに、グラオザムは床に倒れたままのギーベの死体に駆け寄り、黒の義手で心臓の辺りを貫いた。そこを抉るように義手を動かし、再び炎をまとう。ギーベの姿も形も青い炎に包まれ、なくなった。
「平民の小娘……」
ギラギラと不気味に光る灰色の目がわたしの方を向いた。怖い、と思った。死者から魔石や魔力を奪う行為とその執着心や狂信ぶりが気持ち悪い。
「ここで其方は殺しておかねばならぬ」
レッサーバスごと切り裂こうとするように黒の義手が襲いかかってくる。守ってくれる騎士は誰もいない。わたしが武器の扱いに失敗しても巻き込まれる者は誰もいない。わたしはずっと握っていた水鉄砲を即座に窓から出して、思い切り引き金を引いた。銃口から飛び出た魔力が矢となり、分裂し、間近に迫っていたグラオザムに突き刺さる。
「ぐあっ!」
顔面に最も多くの矢を受けたグラオザムが顔を押さえた。倒れながら、黒の義手がレッサーくんの顔をガリガリと削っていく。騎獣から魔力を奪うことも可能だったようで、グラオザムがまとう青い炎が勢いづいて燃え盛った。
「きゃあっ!」
「……ハハ、ハハハ! これは良い。その魔力を寄越せ!」
グラオザムがばね仕掛けの人形のように飛び起きて、レッサーくんに向かって黒の義手を振り上げる。わたしの矢を受けたところが魔石化しているグラオザムの顔に、思わず体が竦んだ。絶対に安全だと思っていた騎獣が削られ、相手の糧となることに背筋が震える。わたしはハンドルを握って無我夢中でレッサーくんに魔力を叩き込んだ。
「来ないで!」
「全ての魔力を奪ってやろう!」
どれだけ削られても自分が安全圏にいられるように、わたしは全力でレッサーくんを巨大化させてグラオザムを威嚇する。巨大化して後ろ足で立ち上がったレッサーくんによって窓際へ押しやられながらも、グラオザムはレッサーくんのお腹に黒の義手を突き立てた。
「な……金粉に……!?」
グラオザムが動揺する声を出すのと、「やれ!」というフェルディナンドの号令が響くのはほぼ同時だった。
「やああぁぁぁっ!」
わたしの護衛騎士達が一斉に入ってくる。護衛騎士達はそれぞれの黒の武器をグラオザムに突き立てる。一部レッサーくんに刺さっているが、それには何も言うまい。魔力を奪うための黒の義手が金粉化してしまったグラオザムは、砕けた魔石のように呆気なく散った。
「……さて、他の者が入れるように私がギーベの礎の書き換えをしている間に、何がどうしてこうなった?」
フェルディナンドのひんやりとした声に、ビクッとなった瞬間、シュルシュルとレッサーくんが縮んでいく。グラオザムを威嚇するために巨大化したレッサーくんのせいで、ギーベの館には大きな穴が開いてしまった。
わたしはギーベの執務室から見えるようになってしまった少し日が傾き始めた青空と仁王立ちして説明を求めるフェルディナンドを見比べながら必死に言い訳をする。
「グラオザムの黒い義手がレッサーくんをガリガリって削っていったのです。ほら、ここ! 顔の部分に大きく傷があるでしょう? それで、グラオザムの炎がぶわっと大きくなって……ぜ、絶対に安全なようにできるだけ大きく……と思ったら、その、ですね……」
こんなことをするつもりはなかったのだ、と訴えるわたしの目に映るのは白の壁だ。当たり前だけれど、ギーベの夏の館はアウブがエントヴィッケルンで建てる白の建物である。ハッセの町民は小神殿を攻撃して、反逆罪に問われた。これは明らかにまずいのではないだろうか。
「あの、フェルディナンド様。白の建物を破壊してしまったのですけれど、わたくし、反逆罪になりますか?」
「むしろ、アーレンスバッハからの宣戦布告になるのではないか?」
今の君はアウブ・アーレンスバッハだ、とあっさり言われて血の気が引いた。
「のおおぉぉぉっ! そんなつもりはなかったのですっ! フェルディナンド様、養父様には一緒に謝ってくださいませ。金粉を差し出して、修理代を払えば許していただけないでしょうか?」
「さて、私は知らぬ」
「こういう時こそ助けてくださいませ!」
面白がるようにクッと小さく笑った後、フェルディナンドが手を差し出した。
「ひとまず叱られに行かねばなるまい。オルドナンツによると、あちらもどうやら終わったようだ」