Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (627)
わたしの望み
恋を成就させると言われても困る。まず、わたしは恋をしていない。それに、できるだけ早く王命でアーレンスバッハへ向かうことになってしまったフェルディナンドをエーレンフェストへ戻したいと思っているのだ。
……ついでを言うなら、トゥーリに変な誤解されるのは嫌ぁっ!
「あの、ハンネローレ様。周囲の貴族達と同じようにわたくしの言葉はあまり信用されていないようですけれど、わたくし、本当にフェルディナンド様に懸想しているわけではないのですよ」
わたしの言葉にハンネローレが目を瞬きながらゆっくりと首を傾げた。
「宴では、王族や神々を敵に回してもフェルディナンド様をお救いする、とローゼマイン様は宣言されていらっしゃったと伺いましたけれど……」
……ぎゃあっ! トゥーリの目が爛々としてるっ! 待って! 間違ってないけど、それだけ聞いたら誤解するから!
声を上げないように口元を押さえたトゥーリがぷるぷると小刻みに震えている。まずい。この誤解だけは解かなければ、下町の家族の中でどんな情報が行き交うのか考えただけでも怖くなる。わたし達の話など聞こえていませんというような態度で仮縫いを続けているコリンナの目も好奇心で輝いているのだ。ベンノ達にも筒抜けになることは間違いない。
「確かにわたくしはそう言いました。自分の言葉を否定するつもりはございません。フェルディナンド様はわたくしにとって家族同然にとても大事な方です。でも、家族に対する感情と恋愛感情は別でしょう?」
わたしだってフェルディナンドが他の人達に比べると特別に大事だという自覚くらいはある。下町の家族や神殿の側仕え達、ルッツ達グーテンベルクと同じくらいは大事だ。けれど、やはり恋情ではないと思うのだ。
……神様が舞い踊ったことなんてないし……
「ハンネローレ様も家族や家族同然に大事な方が他領で毒を受けて倒れるような状況になれば、わたくしと同じように何を敵に回しても助けに行かれるのではございませんか? それと同じだと思ってくださいませ」
「……あの、わたくしの家族が自力で何とかできないような事態に陥った時は、わたくしが何をしても意味がない状況でしょう。わたくしが何か行動を起こして好転するような想像は……とてもできません」
オロオロしているうちに自力で危機を脱出するか、必要以上の敵討ちに燃え上がる周囲を抑えて回る役目になりそうだとハンネローレが少し遠い目で呟いた。
……ダメだ。今回の戦いで見せたハンネローレ様の行動力で助力にならないって、ダンケルフェルガーの基準や常識がわからなくて、共感が難しい。
「ダンケルフェルガーの事情は違うようですが、わたくしは自分の家族を守るためならば手段を選ぶつもりはございませんし、今までそうして生きてきました。ですから、家族同然に大事な存在が危機となれば駆けつけます。でも、それは恋ではないのです」
トゥーリの顔に納得の色が浮かんだ。けれど、その納得が恋をしていないという説明に対するものなのか、家族のためならば暴走するというものに対してなのか判別できない。
「では、ローゼマイン様にとってフェルディナンド様はどのような方なのですか? 結婚相手としては考えられないということでしょうか?」
ハンネローレの言葉にわたしはフェルディナンドを結婚相手として考えてみる。恋愛感情はなくても、ヴィルフリートやジギスヴァルト王子が結婚相手の候補に挙がるのだ。同じようにフェルディナンドを恋愛感情抜きの候補として考えることもできるだろう。
……ん? フェルディナンド様ってマジ優良物件じゃない?
「その、恋愛感情はございませんけれど、政略結婚として考えるならば、フェルディナンド様が一番理想的なお相手かもしれません。本をたくさん持っていて、わたくしに図書館をくださいましたし、気心が知れていて家族同然で気安い間柄ですし、ずっと主治医のような立場でしたから体調やお薬の管理もしてくれていました。有能で頼りがいがあって、不安な時や心細い時は姿を見たり、お話をしたりするだけでも安心できますから……」
「あの、ローゼマイン様。それは……フェルディナンド様に懸想しているというのではございませんか?」
ハンネローレがものすごく不可解そうな表情でわたしを見た。わたしの側近達もハンネローレと同じような顔をしている。貴族から考えると、もしかして家族愛は懸想になるのだろうか。
「フェルディナンド様が側にいることで安心したり、叱られそうでビクビクしたりしますが、恋人同士のような甘い雰囲気になったり、胸が高鳴ったりすることがないので違います」
「そ、そうなのですか……」
ハンネローレはまだ納得してくれない。まるでわたしが勘違いしていると言わんばかりの表情をしている。なかなか頑固な恋愛フィルターを持っているようだ。
「それに、わたくしは自分の父親のようにやりたいことに向かって突進するのを助けてくれて、身分差も何も関係なく全てからわたくしを守って大事にしてくれる方が理想の殿方ですもの。最も大事なものはお父様とのお約束で、何より守りたいものはエーレンフェストで、そのためならば王命を粛々と受け入れてアーレンスバッハへ行くフェルディナンド様は、わたくしの理想とは違います。わたくしの理想は高いのです」
父親が理想で、理想が高いのだと宣言したところでトゥーリが呆れたような、そして、残念なものを見る顔になった。ついでに視線が「マインはまだまだ子供だね」って感じになった気がする。でも、今のところ父さんが一番理想だから仕方がない。嘘は吐いていない。
「もちろん理想の殿方は関係なく、フェルディナンド様のことは大事ですよ。それに、わたくしも家族と交わした約束を大事にしています。だからこそ、わたくしはできるだけ早くフェルディナンド様をアーレンスバッハからエーレンフェストへ戻して差し上げたいです」
わたしが自分の望みを述べると、ハンネローレは「でも、フェルディナンド様のお気持ちはどうなのでしょう?」と未練がましい口調で言った。
「アーレンスバッハでも騎獣に同乗していましたし、ローゼマイン様をとても、とても大事にしていらっしゃいましたよ」
ハンネローレの目にはフェルディナンドもまたわたしに懸想しているように見えているらしい。ビックリするような恋愛フィルターの持ち主である。
……フェルディナンド様がわたしに懸想? ないね。ない、ない。
「フェルディナンド様こそ恋愛感情などないと思いますよ。アーレンスバッハでの同乗は戦いの場という特殊なところでアウブになったばかりのわたくしを支えながら指揮を執るために必要だっただけです。一番合理的な行動を取っただけだと思います」
正確には国境門を閉める際、フェルディナンド自身がメスティオノーラの書の保持者であることを隠すためにわたしの存在が必要だっただけだ。あの時の行動に保護者的な行動はあっても、恋愛感情なんてこれっぽっちも感じなかった。
……魔法陣を描く時も机扱いだったしね!
「何より、フェルディナンド様からはわたくしのように面倒事を次々と引き起こすような者と添い遂げたくはないとすでに婚約の打診をお断りされています」
「え!?」
声を上げたのはハンネローレだけだったが、側近達も驚いたような顔でわたしを見た。トゥーリも目を丸くしている。そんなに驚くことではないと思う。フェルディナンドとの結婚は、わたしにはたくさんの利があるけれどフェルディナンドにとっては特に利がなくて厄介事が増えるだけだ。
「ヴィルフリート兄様との婚約話が上がる前に、アウブから内々にお話があったのですよ。結婚話が上がる度に嫌な思いをしているフェルディナンド様に、すでにお断りされているわたくしが不本意な婚約など押し付ける気にはなれません。できるならば、フェルディナンド様にはご自分の望んだ方と添い遂げてほしいと思っています」
これ以上ダンケルフェルガーによる結婚関係の余計な後押しはいらないよ、と釘を刺すとハンネローレがガックリと肩を落とした。
「そ、そうだったのですか。申し訳ございませんでした。事情を知らぬわたくしが浅慮なことを申し上げてしまって……。まさかアウブによる婚約打診がすでにあったとは思いませんでした」
とりあえず、わたしとフェルディナンドの恋が成立しないことはわかってもらえたようだ。夢を壊したようで悪いけれど、誤解は早めに解いておかなければならない。ついでに、我に返ったハンネローレが「結局、ローゼマイン様の想い人はどなた?」と言い出す前に意識を別に向けておかなければならない。
……話を合わせるための口から出まかせでした、とは言いにくいからね!
「それはそうと、ハンネローレ様。恋の成就がなければ、わたくしの望みにはご協力いただけないのでしょうか?」
「どういうことでしょう?」
ハンネローレがきょとんとした顔でわたしを見た。
「わたくし、エーレンフェストの領主候補生としてアウブの命じるまま王族に嫁ぐ以外に選択肢はないと思っていました。けれど、ハンネローレ様の中ではアウブも、ツェントも選択肢として存在するのですよね?」
「当然ではございませんか。本物のディッターによって勝ち得た礎をどうするのか決めるのはローゼマイン様です。同じように礎を奪われない限り、他の誰かがどうにかできる物ではございません」
王は基本的に承認するだけで、取り上げることはできないとハンネローレは言った。本気で王がアウブとして認定しないつもりならば、誰かを指名して中央騎士団を率いて礎を奪わせたり、ツェントとして礎を移動させて無理やり取り上げたりするしかないそうだ。
グルトリスハイトを持たず、ランツェナーヴェやディートリンデが向かったことに対して中央騎士団がいるから大丈夫だと周囲に思われない王がわたしから礎を取り上げることなどできないとハンネローレは考えているらしい。
「わたくしが一番納得できないのは、ローゼマイン様が婚姻によって王族にグルトリスハイトをもたらすということです。王族ではなく、ユルゲンシュミットにグルトリスハイトをもたらすことが大事ではありませんか。ローゼマイン様がツェントになり、ご自分に相応しい王配を選ぶべきだと思います。少なくとも求愛の魔術具が簡単に金粉化するようでは、ツェントを支える王配には相応しくありません」
女性のアウブが領主候補生を夫として迎えなければ妊娠出産の期間に困るように、女性がツェントになった時も夫にはツェント候補が望ましいのだそうだ。求愛の魔術具が金粉化するくらいに魔力の釣り合いが取れない相手は論外らしい。
「少なくとも子が望めないと思います。ローゼマイン様はそのような将来をお望みではないでしょう?」
「そうですね」
全く実感はわかないし、想像もできないけれど、わたしだっていずれは子供が欲しいなと思うのだ。麗乃時代のお母さん、マイン時代の母さん、貴族の母であるお母様、三人の愛情深い母親からかけられた愛情を返すように子供を育てたいと思う。
「王族に嫁ぐことがお望みでないのでしたら、ローゼマイン様はどのような将来をお望みなのですか?」
じっと話を聞いていた側近達の中でレオノーレが真面目な顔でそう質問した。
「フェルディナンド様を救うために王族と取引し、アウブから与えられた王族の求愛の魔術具を受け入れ、アウブ・アーレンスバッハになることは現実的ではないとローゼマイン様は王族に嫁ぐ道を選択されていました。わたくし達はそれに合わせて最適な行動をしてきましたが、ローゼマイン様の進む道が変われば今までと同じ行動が取れません。主が迷っていれば側近は勝手に動けないのです。教えてくださいませ、ローゼマイン様」
レオノーレの言葉にリーゼレータも頷く。
「ローゼマイン様、わたくし、アウブとツェントのどちらを選んだとしても協力いたしますよ。恋愛が関係なくても、です」
ハンネローレの後押しにわたしはニコリと微笑んだ。
「わたくしが一番なりたいのは司書です! わたくし、そのために文官コースを取っているのですから」
「……え?」
予想外というようにポカーンとしている皆にわたしは自分の望みを力説する。叶うか叶わないかは別にして、自分の望みを口にする。それが今のわたしに求められていることだからだ。
「図書館で働く司書になって、利用者が欲しい本を探してあげたり、古い資料の補修をして蘇らせたり、魔術具を研究して他領の図書館と図書館を繋いで本を色々なところから掻き集めてみたり……。そういうことがしたいと思っています。貴族院の図書館に住んでいるソランジュ先生がわたくしの理想の将来です」
「ソランジュ先生ですか……」
選択肢以外の答えだったせいか、混乱する頭を押さえるようにレオノーレが呟く。
「本当は図書館に籠って一日中読書をして過ごせれば最高だと思っています。家族や仲の良い人達とおいしいご飯を食べて、好きな本を読んで、余所の図書館で読んだことがない本を探してうろうろするような生活がしたいです。自分の立場に付随する最低限の義務をこなし、皆が好きなように本を読める図書館を作り、本の管理をし、本を増やすために識字率を上げ、本を書ける者を増やし、平民も貴族も関係なく読書を楽しめるようにしたいのです」
トゥーリが「いくら何でも変わらなすぎだよ」と言いたげに、じとっとした目を向けてくる。でも、その通りだ。わたしの望みはあの頃から変わっていない。選ばなければ国が滅ぶとか、命じられれば従わなければならない立場だとか、ややこしくて面倒な義務がいっぱい積み重なって身動きできなくなっているけれど、全部取り払った望みは一つだ。
「わたくし、できるのであれば図書館をたくさん建設し、その図書館の司書として図書館に住みたいです」
貴族側が完全に想定外というか、「本気で図書館都市を狙っていたのか」と信じられない顔になっているけれど、わたしの望みを聞きたがったのは皆である。
「……図書館の建設ということはアウブですか?」
混乱した頭から自分の理解が及ぶ範囲の答えを得ようとしているレオノーレを見ながら、わたしは頬に手を当てた。
「わたくしはアウブでもツェントでもどちらでも良いのです。わたくしの計画が図書館都市になるのか、図書館国家になるのかという些細な違いしかありませんから……」
「全く些細ではありません」
「平民達にも読書の楽しみを、と考えればアウブでしょうし、図書館『ネットワーク』の簡単な設置はツェントなのですよ。いっそ国中に権力を及ぼすツェントになれば全ての図書館に国境門と同じ転移陣を敷いて、気軽に行き来できるようになるかもしれませんね」
最も簡単にできる図書館ネットワークの設置方法なのだが、領地を跨ぐ転移陣はツェントでなければ設置できないのだ。大は小を兼ねるというし、どうせならばツェントになって図書館国家計画の方が良いかもしれない。
「……そう考えると、ジギスヴァルト王子と結婚するのも悪い手段ではない気がしてきました。王族の立場を得た上で好き放題するのも良いかもしれません。大領地との兼ね合いを考えると、第三夫人にしたいというようなことをおっしゃったことがありましたから、第三夫人ならば執務や社交に関して一番責任がありませんもの。図書館計画が一番進みそうです」
どの立場になってもやろうと思えばできることに気付いたところでわたしは何だか少し元気になってきた。メスティオノーラの書を持っているのはわたしなのだ。誰と結婚しても図書館計画は実行できるのではないだろうか。わたしはフェルディナンドと話をする時のように、頭に思い浮かぶままユルゲンシュミットを図書館国家にするための計画を述べていてハッとした。
「そういえば、フェルディナンド様にわたくしの望みを述べたところ、反逆の罪を犯して潰されてもおかしくないアーレンスバッハならばわたくしの望み通りの図書館都市に作り替えても良いけれど、ツェントになってユルゲンシュミット全体に影響を及ぼすのはダメだと言われたのです。でも、できるだけ広範囲に図書館計画を広げるためにはツェントの方が良いと思いませんか、レオノーレ?」
側近としても主がアウブになるよりはツェントの方が仕え甲斐がありますよね? とわたしは自分の側近達の中で一番貴族らしい感覚を持っているレオノーレに尋ねてみる。レオノーレは周囲の皆を一度見回して、ニコリと微笑んだ。
「わたくし、フェルディナンド様のお言葉は正しいと思います」
「どういうことですか、レオノーレ? ツェントよりアウブの方が良いということですか?」
意味がわからない。首を傾げていると、レオノーレと視線を交わし、一度コクリと頷いたハンネローレがわたしの手をそっと握った。
「ローゼマイン様、わたくし、ローゼマイン様はフェルディナンド様と結婚されるのが一番良いと、今確信を持ちました」
「え? ハンネローレ様、肝心のフェルディナンド様がそれをお望みにはなりませんと先程申し上げ……」
……あれ? さっき納得してくれたよね? なんで突然意見が正反対になってるの?
しかも、何故かハンネローレの目が先程と違って恋愛の熱に浮かされたようなキラキラとしたものではなく、真剣そのものになっている。
「ヴィルフリート様との婚約前と今ではお気持ちが変わっていることも考えられます。それに、恋情がなくてもローゼマイン様にとっては大事な方なのでしょう? フェルディナンド様のことはローゼマイン様が幸せにして差し上げれば良いのですよ」
「わたくしから見れば、同じように恋情がなくてもフェルディナンド様はローゼマイン様を大事にしていらっしゃいます。勝算はあります」
……え? レオノーレまでどうしたの? 勝算って何?
「ローゼマイン様にとってフェルディナンド様は恋情はなく、理想の殿方ではなくても、政略結婚の相手としては理想的なのですよね?」
真面目な顔のレオノーレに問われてわたしはコクリと頷く。自分で言ったのだ。それは間違いない。ハンネローレがニコリと微笑んだ。
「でしたら、どうすればフェルディナンド様が政略結婚してくださる気になるのか、一緒に考えましょう。家族同然でしたら、夫婦同然でも良いと思うのです。ね?」
……だから、ね? じゃなくて! 家族同然と夫婦同然は全然違うと思います!