Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (630)
西門の兵士と根回し
「お待ちしておりました、ローゼマイン様、メルヒオール様。こちらに並んでいるのが西門の戦いにおける功労者です」
ダームエルとマティアスが迎えてくれる。わたしはフェルディナンドに騎獣から降ろしてもらいながら兵士達の様子を見回した。全員が膝をついて、顔を伏せているけれど、怪我をしている者もいる。重傷者はいないとダームエルから聞いていたけれど、包帯の巻かれた様子からは決して軽傷とはいえないのではないだろうか。
「ローゼマイン姉上、怪我をしている者がいます」
側近と同乗してきたメルヒオールも騎獣から降りて、わたしと並んで小声で囁いた。騎士達には騎士団に所属する者や医者から癒しが与えられるけれど、平民の兵士達には何もなかったのだろう。
「大丈夫ですよ、メルヒオール。わたくしが癒しを与えますから」
「姉上はまだ複数の兵士達に癒しを与えられるくらいの魔力が残っているのですか?」
一緒に神殿で祈りを捧げたメルヒオールが目を瞬いた。貴族院へ入学しておらず、魔力圧縮もしてないメルヒオールは死者への弔いで結構魔力を使ったのだろう。わたしはニコリと微笑んで、自分の視線より下にあるメルヒオールの頭を撫でる。
「神々の御加護が増えれば増えるほど、必要な魔力が減るのです。メルヒオールもこれからは神殿長になります。領地と民のためにお祈りをし、たくさんの神々から御加護を得られるように努力すれば良いですよ」
「……ローゼマイン姉上のようになれるように頑張ります」
「メルヒオールならばわたくしよりもずっと良い神殿長になれます。とても優秀ですもの」
クスッと笑いながらわたしはメルヒオールの頭から手を離し、兵士達を見回した。
「わたくしの側近であるダームエルから貴方達の活躍を聞きました。この街を守るために、よく勇敢に戦ってくれましたね。敵が率いてきたヴォルヘニールが街に入り込んでいれば、平民達には多大な被害が出たでしょう」
わたしが声をかけると、跪いて顔を伏せていた兵士達が顔を上げた。わたしの姿を見て、口をパクパクとして目を見開く。西門にはクラリッサを引き取りに来た一年前に今と同じ神殿長の衣装で来たことがある。そのため、神事で遠目に見る平民達とは違って、外見の変化がよくわかったのだろう。父さんはまるで眩しい物でも見るように、わたしを見て目を細めていた。嬉しそうな、誇らしそうな、寂しげな複雑な表情だ。
兵士達の驚愕を見て見ぬふりで、わたしは言葉をつづけた。
「貴方達のおかげでこの街が守られたと言っても過言ではありませんが、そのために負傷した者もいるようですね。これからも兵士としてこの街を守れるように、わたくしから癒しを与えたいと思います。……シュトレイトコルベン」
目を閉じてシュタープをフリュートレーネの杖に変化させ、わたしは祈りを捧げる。
「水の女神 フリュートレーネの眷属たる癒しの女神 ルングシュメールよ 我の祈りを聞き届け 聖なる力を与え給え ゲドゥルリーヒを守るために戦い、負傷した者を 癒す力を我が手に 御身に捧ぐは聖なる調べ 至上の波紋を投げかけて 清らかなる御加護を賜わらん」
目を閉じていても緑の祝福の光が溢れたことがわかる。兵士達だけではなく、側近達からも「これほどの癒しを!?」と驚きの声が上がった。
「ローゼマイン、もうよい。そこまでにしなさい」
少し焦りを含んだフェルディナンドの声に止められて、わたしは魔力を注ぎ込むのを止める。「リューケン」と唱えてシュタープを消してから、ゆっくりと目を開けた。苦しそうな表情で跪いていた兵士達が包帯を解いて自分の怪我していた部分を見て、「治ってる!」と驚きと歓喜の声を上げている。
痛そうな怪我をしている者がいなくなったことに胸を撫で下ろしていると、兵士のうちの一人が前に進み出てきた。右手の拳で左胸を二回叩く。
「平民の兵士に対する過分のご配慮、ありがとうございました。。彼等を束ねる士長としてお礼申し上げます」
「……あら? 士長はギュンターではありませんでしたか?」
見たことがあるけれど、名前を知らない兵士から士長として礼を言われたわたしは目を瞬きながら士長と名乗った人物と父さんを見比べた。
「ギュンターは、ローゼマイン様の専属の家族として、共に移動するために辞職が決まっています。すでに引継ぎが行われました」
確かにいきなり士長がいなくなるのは困るだろう。わたしが移動に際して準備するようにお願いして一年が経とうとしている。神殿で引継ぎが行われているのだから、兵士達の間で引継ぎを行うのは当たり前だ。
「正直なところ、ギュンターがこの街を離れるのは多大な損失です。ですが、今回の功労からもローゼマイン様の専属を必ず守る心強い護衛となることは証明されたと思われます」
職を辞めて家族と共に別の土地へ向かう父さんを心配していることがよくわかった。わたしは笑顔で頷く。
「ギュンターが共に来てくれることを、わたくしはとても心強く思っています。……この西門を守り、領民を守るために戦ってくださった功労者に領主である養父様より褒賞を預かっています。メルヒオール」
わたしはメルヒオールを呼んで、兵士達に新しい神殿長を紹介する。ハッセの小神殿でも顔を合わせた者が数人はいると思うけれど、少しでも多くの者と顔を繋いでおいた方が良い。
「わたくしの後は、弟のメルヒオールが神殿長になります」
「ローゼマイン姉上と同じように、領民から頼られる神殿長になりたいと思っています。よろしくお願いします」
メルヒオールは兵士達にそう言うと、側近に合図を送り、褒賞を配り始めた。わたしは褒賞を受けた兵士達にどのような戦いだったのか尋ねる。ハッセで何度か顔を見た兵士もいて、口調にはできるだけ気を付けているようだけれど、少しばかり気安い態度でダームエルの活躍を教えてくれた。
「三の鐘の頃からあちらこちらの門を回って警戒を呼び掛け、船が着く辺りで働く者達にも注意を呼び掛けていました。ダームエル様がいらっしゃらなければ、被害は甚大だったと思われます」
「ダームエル様は少しでも多くの騎士を西門へ配置させるように働きかけてくれました。次々とでかい犬を倒していく姿は、避難しつつ様子を窺っていた兵士見習いの憧れの的になっています。今回の戦いでは騎士様が我々と同じ武器を使用していたことで、見習い達の稽古にも身が入るようになりそうです」
戦いの現場にいた兵士達よりも少し下がったところから見ていた見習い達の方が興奮度合いはすごかったらしい。次々とオルドナンツで指示を出しながら戦力を整え、兵士達の前に立って、兵士達を守るようにして戦うダームエル達には子供達からの尊敬の熱い眼差しが注がれているようだ。わたしがちらりとダームエルを見ると、恥ずかしいのか居た堪れないような顔で固まっている。
……ダームエル、こういう時は堂々としていればいいんだよ。
褒賞をもらって、こちらへやってきた父さんを見た兵士達が、今度はわたしの渡したお守りで父さんがいかに無茶をしたのか口々に言い始める。
「兵士側の一番の功労者はギュンターですが、部下を守り、犬型の魔獣を殴り飛ばそうとした時は肝が冷えました。食われる! と思ったものです」
「家族分のお守りを使い切るまで戦うなんてギュンターくらいでしょう」
無謀にも程があると兵士達に口を揃えて言われた父さんは全く後悔していないというようにニッと笑った。
「ローゼマイン様、強力なお守りをいただき、ありがとうございました。そして、せっかくいただいたお守りを使ってしまい、大変申し訳ございません。ですが、自分にとって大事な物を守るために手段を選べる余裕はありませんでした」
「それでは仕方がありませんね。お守りよりも人命の方が大事ですもの」
……やっぱりわたし、父さんの娘なんだなって痛いほど思うよ。
自分でもそう思わずにはいられないのだから、わたし達の関係を知るダームエルやフェルディナンドは余計にそう思うだろう。二人とも何とも言えない顔をしている。
「……ローゼマイン様、メルヒオール様。不躾な質問になりますが、また近いうちに同じような戦いが起こる可能性はあるのでしょうか? 次はどれだけの備えが必要になりますか?」
厳しい表情をした新しい士長からの質問に兵士達も表情を引き締める。フェルディナンドが一歩前に進み出て、「案ずるな」と声を上げた。フェルディナンドが前に出た瞬間に空気が切り替わった。わたしと話をしていた兵士達はざっと音を立てて整列し、ビシッと背筋を伸ばす。
「アウブ・エーレンフェストより褒賞が出たことで、戦いが終わったことは知れよう。それに、今回の敵であるアーレンスバッハが攻めてくることは二度とあり得ぬ」
フェルディナンドはそう言いながら、わたしの手をつかんで軽く引っ張った。わたしが少しよろけそうになるのを支えながら、フェルディナンドは兵士達にわたしの存在を見せつけるように前へ出す。
「今回の戦いにおいて、エーレンフェストの領主候補生であるローゼマインがアーレンスバッハの礎を奪い、事実上、アウブ・アーレンスバッハとなった。ツェントの承認を得れば、危険だった隣の領地の領主はローゼマインだ。これから先のアーレンスバッハがエーレンフェストに攻め入ることはあり得ぬ」
「おぉ!」
兵士達は喜びと興奮の声を上げて「それは素晴らしい」と歓喜しているけれど、メルヒオールやその側近達は声こそ上げていないが、目を見開いていたり、わたしとフェルディナンドを見比べたりしている。わたしは頭が真っ白になった。
「フェルディナンド様」
「我々はこれからアーレンスバッハを治めるために向かわねばならぬ。エーレンフェストの兵士達よ。この街の守りは其方等に任せる。我々が憂いなく出立できるように、この街の平穏を守ってほしい」
「はっ!」
騎士達を鼓舞することに慣れたフェルディナンドの言葉に、兵士達が右の拳で胸を叩いて応じる。
「ギュンター、其方にはまだ落ち着かぬアーレンスバッハへ専属達と共に移ってもらうことになるだろう。ローゼマインの専属を必ず守ってくれ」
フェルディナンドはそう言いながら、自分の腕にあったお守りを外して父さんに渡した。父さんはわたしとフェルディナンドと手渡されたお守りを見つめて複雑な表情になった後、「必ず」と請け負ってくれる。
「……下町の様子を見回り、神殿へ戻るぞ」
フェルディナンドはそう言って、西門へ来た時と同じようにわたしを騎獣に乗せる。真っ直ぐ神殿に戻るのかと思えば、下町をぐるりと回り始めた。西門から南門、南門から東門、東門から北門の上空を経由して神殿へ戻るそうだ。
わたし達が騎獣で回るのを見つけて窓から顔を覗かせる者がいる。道行く者達が空を見上げて指差している。わたしは南門に近付くにつれて懐かしくなってくる景色を見下ろしながら、西門での発言について文句を言った。
「フェルディナンド様は何を考えてあのような発言をしたのですか?」
「私は嘘など吐いていない。君も望んだはずだ」
「嘘は全く言っていませんし、わたくしも図書館都市ができればいいと思っていますが、本当に承認されるかどうかはわかりません。領主一族がアウブからの褒賞を与えるような場で公言することではないでしょう?」
希望や期待と現実は違うのだ。それくらいはわたしだってわかっているのに、フェルディナンドにわからないはずがない。
「わたくしにツェントは向かないと、皆が言うくらいですもの。王族にメスティオノーラの書かグルトリスハイトをもたらす者は絶対に必要ではありませんか。わたくしがアウブになっちゃったらユルゲンシュミットが崩壊するでしょう? 諸々の問題を片付ける目途も立たないうちから、あまり期待させないでくださいませ」
ずっと低空飛行でいるよりも、上げたり落とされたりする方が辛いのだ。わたしが振り返ってフェルディナンドを睨むと、フェルディナンドは「いつからそこまで悲観的になったのだ」と呟きながら東門の方へ騎獣を向け始める。
「悲観的ではなくて、現実的なのです」
「ならば、もっとしっかりと現実を見なさい。グルトリスハイトを得たツェントを立てるために、君と王族の婚姻や、君が王族となる必要が本当にあるか?」
「……グルトリスハイトがなければ、ツェントが立たないのです。どうしようもないですよ」
グルトリスハイトを手に入れるためには王族の登録が必須のはずだ。わたしが唇を尖らせると、フェルディナンドが苦笑した。
「欲しい物がなければどうすれば良いと思う? 君は常にそうしてきたはずではなかったか?」
「……ないなら作れば良いんじゃない?」
わたしが口にしては呆れられているようなことをフェルディナンドが言い出すとは思えなくて、疑問符を頭に浮かべながらわたしは答える。
「そういうことだ。必要な素材をこちらの工房から持ち出し、アーレンスバッハで作成する。……それほど時間はかかるまい」
途中まではできている、とフェルディナンドが呟くうちに、東門を経由した。戦いがあった翌日だというのに、街には活気が戻っているようだ。
「フェルディナンド様、それは歴史を振り返ってもダメでしょう?」
王族の衰退やグルトリスハイトが失われた大きな原因は、魔術具のグルトリスハイトを継承するようになったからである。そんな物を与えたら、また同じことの繰り返しだ。
「一代限りで消滅する物を作る。急場を凌ぐだけで、基本的に自力で取れる者の中からツェントを選ぶ方式に戻すべきだと思っている」
王族をなくすためのツェントを立てる、とフェルディナンドが面倒くさそうに言ったところで北門を経由して神殿に戻ってきた。
「君はもう少し私を信用しなさい」
「信用していますよ」
わたしがそう言うと、フェルディナンドは首を横に振って「早く着替えてきなさい」と出迎えに並んでいるフラン達に向けて背中を押した。
「下町はいかがでしたか、ローゼマイン様? 色々な物が破壊されたり、たくさんの死傷者が出たりしていませんか?」
神殿から出ていないモニカとニコラは下町の様子がわからないそうだ。「今日の夜にはギルから報告があるでしょうけれど……」と言いながら神殿長の衣装を脱がせてくれる。戦いの翌日でも、ほとんどそれを感じさせなかった下町の様子を伝えると、二人も安堵したように微笑んだ。
「ローゼマイン様はアーレンスバッハでも神殿長をされるのですか?」
「え?」
予想外のところから爆弾発言が来て、わたしは目を丸くした。ニコラの口からどうしてそんな言葉が出るのかわからない。目を瞬いているわたしに、モニカが教えてくれる。
「皆様が西門へ行っている間にハルトムート様からお話がありました。領主会議が終わった後、ローゼマイン様がアーレンスバッハの領主になるので、そちらの神殿にも側仕えを連れて行きたい、とフランやザームが誘われていましたよ」
モニカとニコラはフィリーネが成人するまでここで仕え、その後、希望すれば一緒に移動できると言われたそうだ。
「神殿長の衣装も荷物の中に入れるように、と言われたのですけれど、その通りにしてもよろしいでしょうか?」
「え、えぇ。大丈夫です」
わたしは護衛騎士として部屋にいるアンゲリカやユーディットに視線を向けた。
「二人は知っていたのですか?」
「……昼食前にローゼマイン様とフェルディナンド様がお話をされている時に、ハルトムートからある程度は話を聞いています。今、城ではユストクス様やリーゼレータがダンケルフェルガーと共にお話を広げているはずです」
これだけ大規模な根回しがあちらこちらで一斉に始まったということは間違いなくフェルディナンドが絡んでいるに違いない。フェルディナンドはもちろん、ハルトムートの本気が見える。どうやらわたしが一番現実を見ていなかったらしい。
……フェルディナンド様とハルトムートが組んだ時点でヤバいじゃない。西門へハルトムートがついて来なかった時点で、何か暗躍してるって気付け、わたし!
「フランやザームは……?」
「正面玄関前のホールでフェルディナンド様にお茶をお出ししていると思います。着替えを終えたらローゼマイン様をお連れするように言われていますから……」
着替えを終えたわたしはモニカとニコラを伴って神殿長室を出た。正面玄関にはわたしの着替えを待っているフェルディナンドやハルトムート達男性側近の姿が見える。メルヒオールとその側近達の姿もあり、何らかの説明があったのか、すでに納得顔になっていた。
フランやザームもいて、わたしの姿を見て少し不安そうな顔になる。
「ローゼマイン様、先程フェルディナンド様やハルトムート様から、ローゼマイン様がアウブ・アーレンスバッハになられると伺いました。その際はアーレンスバッハの神殿をここと同じように整えるために移動できないか、と……」
ザームが穏やかな口調でそう言う。フランは少しばかり懐疑的な強張った表情で口を開いた。
「……私も望めば共に行けるのでしょうか? ローゼマイン様やフェルディナンド様と」
「あの、フラン。まだ完全に決まったわけではないのですよ。ツェントの承認が必要ですから」
わたしはすでに決定事項のように話をしている周囲を軽く睨みながらフランに言う。けれど、フランが「そうですか」と肩を少し落としたのを見て、わたしは思わずフランの手を取ってしまった。
「か、確定はしていないのですけれど、もしも決まった場合はフランも一緒に来てくれますか? わたくしが向かう神殿にはフランにいてほしいですから」
「ローゼマイン様のお招きを後任の教育をしながら心待ちにしています」
そう言ったフランやザームの顔は、アーレンスバッハに行ったフェルディナンドからの招きを待つラザファムの表情に酷似していた。何がなんでも絶対に迎えに来なければならないという気分にさせられ、わたしは騎獣を出して手招きしているフェルディナンドを睨む。
「フェルディナンド様」
わたしを同乗させて騎獣で駆けながら、フェルディナンドがフンと鼻を鳴らした。
「自分で希望しておきながら往生際が悪い君も、少しは覚悟を決める気になったのではないか?」
「……魔石を扱えないわたくしが本当にアウブになれるとお思いですか?」
「君が腹を括ればどうにでもなる」
だから、望め、とフェルディナンドが言う。不安でも迷うな、と言われて、わたしは目の前に広がる空をじっと見つめる。
帰り着いた城には、笑顔のハンネローレ達と何とも複雑な顔をした養父様達がいた。
「養父様、わたくし、アウブ・アーレンスバッハになります」
「もう知っている」