Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (631)
アーレンスバッハへ
たった今わたしはアウブになることを決心した。そして、わたしがアウブになることで一番影響があるだろう養父様へ最初に決意表明をしたのだ。養父様にわたしの思いを理解してもらうために話し合わなければならないと腹を括ったはずなのに、何故「もう知っている」なのだろうか。解せぬ。
「もう知っているって……養父様はわたくしがアーレンスバッハへ行っても良いのですか? エーレンフェストに……」
「当然ではありませんか、ローゼマイン様。アウブ・エーレンフェストからも許可はいただいています」
……あ。
ハンネローレやハイスヒッツェの笑顔と少し遠い目になっている養父様達の姿で瞬時に察した。大領地の圧力と共に領主一族はすでに説得済みなのだと。上位領地に対してずっと低姿勢な外交をしてきたエーレンフェストでは、ダンケルフェルガーの説得に勝てなかったに違いない。
「アーレンスバッハの礎を奪う許可を出しておきながら、アウブになることは許さないというのは理不尽極まりない。それに、グルトリスハイトを得たツェント候補はグルトリスハイトを持たない今の王族よりも上位だと心得よ。……だそうだ」
それはダンケルフェルガーだけで通じる理論ではないのだろうか。本当に大丈夫なのだろうかと少し心配にはなる。けれど、ハンネローレが後ろ盾になると言ってくれているのだ。少なくともダンケルフェルガーでは統一されている意見なのだろう。
「ユルゲンシュミットにグルトリスハイトがもたらされるならば、其方の行く先が中央であってもアーレンスバッハであってもエーレンフェストから出ていくことに変わりはない。荷物や人材の移動もほぼ同じだと聞いている」
「はい。神殿の整備を行うために灰色神官や灰色巫女を数人移動させますが、青色と違って魔力的な変化は特にありませんし、後進の教育も行う予定です」
ハルトムートが生き生きとした表情で「多少の増減はあっても、すでに準備していた荷物や人員を動かすだけの話です」と語り始めると、養父様は疲れた顔で頭を振って「もうわかった」と呟いた。
「アウブ・エーレンフェストにご理解いただけて嬉しいですね」
やり切った笑顔のハンネローレと自分の側近達を見ていると、心の底から養父様に謝らなければならない気になる。
「養父様、お疲れのところ、大変申し訳ございませんでした。わたくし、神殿へ向かう時にはこのようなことになるとは思わず……」
「いや、謝る必要はない。フェルディナンドがエーレンフェストの不利にはならぬように王族との交渉を行うと決意して、其方等二人がまとまってアーレンスバッハに向かうならば私に否はない。ゲオルギーネを退けた今、私に心労をもたらすのは王族と其方等くらいだからな。次から次へと状況が変わって振り回される現状に言いたいことは山程あるが、それは領主会議が終わり、全てに決着がついてからで構わぬ」
パタパタと手を振って文句を言いながら養父様はわたしの隣に並ぶフェルディナンドをじとっとした目で見た。
「エーレンフェストに固執せず、アーレンスバッハにおける自分の幸せを最優先にしろ、と私に望んだのは其方ではないか。私は其方の望み通りに生きることに決めただけだ」
フェルディナンドはしれっとした顔でそう言った後に「兄上」と言ってニッと笑う。ひくっと頬を引きつらせた養父様が腹立たしさと嬉しさの混じったような表情で「其方はこんな時ばかり……」とフェルディナンドを軽く睨んだ。
二人のやり取りはまるで人払いをして話をしている時のような雰囲気で、ハンネローレ達に見せるためではないのかと思う程に気安さを感じさせるものだ。
「好きにするが良い」
「養父様、フェルディナンド様のゲドゥルリーヒは……」
「それももう知っている。研究所を三つも四つも建てることになったのであろう?」
フェルディナンドが楽しそうで何よりだ、と投げやりに言っているけれど、養父様は勘違いしている。本当はエーレンフェストに研究所が欲しかったのに却下されたから、仕方なくアーレンスバッハに研究所を得ようとしたのだ。
「養父様、フェルディナンド様のゲドゥルリーヒはエーレンフェストですから、こちらに研究所を作っていつでも戻れるようにしてあげた方が……」
「エーレンフェストに研究所を作るような余裕はない。フェルディナンドと約束しならば、其方が責任を持って建てろ。こちらは其方が完全に破壊したゲルラッハの夏の館の再建が先だ。フェルディナンドがギーベの館の礎もいじりまくったから最初から作り直せ、と言っていたぞ」
じろりと睨まれて、わたしは頭を抱えた。
「あ、ああぁぁぁ! 大変申しわけございません! 後で金粉を作って届けます」
「今の君が安請け合いするのではない」
「あ……」
ダンケルフェルガーの視線を気にしつつ、魔石にも触れぬだろう、という言葉を隠したフェルディナンドを見上げる。いくら魔力があっても魔石が怖ければ何もできない。今の自分がいかに役に立たないのか、思い知らされた気分でわたしは肩を落とした。
「アーレンスバッハからエーレンフェストへの賠償という形で援助や融通をきかせるつもりだ。君とエーレンフェストの関係性が切れるわけではないから慌てて補償をする必要はなかろう」
急ぐ必要はない、とフェルディナンドが軽くわたしの肩を叩いた。
「それに、君は私をエーレンフェストへ帰すことに固執しているようだが、私がいなくてもジルヴェスターはアウブとしてやっている。たまの里帰りが許されれば私は構わぬ」
「たまの里帰りを許さぬほど私は狭量ではないぞ。其方の館は私が管理しておく」
養父様とフェルディナンドの間ではいつの間にかフェルディナンドがアーレンスバッハに住むことで決定している。
「フェルディナンド様、本当にアーレンスバッハで過ごすことになっても良いのですか? 自己犠牲とか我慢していませんか?」
「しつこいぞ。私の選択の結果だ」
「フェルディナンドが珍しく自分の幸せを最優先にした結果だそうだ。其方が余計な口出しをすることではない。研究所を三つも四つもねだられているのであろう? 十分な対価だ。フェルディナンドの好きにさせてやればよかろう」
養父様の言葉にわたしはぐっと拳を握った。自己犠牲ではなく、フェルディナンドが自分の幸せを追求した結果、アーレンスバッハを選ぶのならば良いのだ。
「わかりました。わたくし、アウブ・アーレンスバッハとしてフェルディナンド様が研究に没頭できるような環境を準備します。絶対にフェルディナンド様を幸せにしますから安心してくださいませ、養父様」
わたしが決意表明したら、ぶはっと養父様が吹き出し、護衛騎士として付いているお父様も笑いそうなのを誤魔化すように何度も咳払いした。ハンネローレ達が「惜しい」とでも言いたそうな顔でこちらを見る中、フェルディナンドがわたしの肩をガシッとつかんだ。
「ローゼマイン、君のやる気はわかった。もういいから黙りなさい」
「フェルディナンド様、ちょっと耳が赤……」
「黙りなさい」
「はい」
わたしが黙らせられた時、転移陣の準備ができて境界門と連絡がついたとリヒャルダが呼びに来た。入室してきた側仕え達の中にオティーリエやグレーティアの姿もある。交代で出発準備をしていたレオノーレ達の姿も見えた。
「文官達に皆の荷物を送らせ始めました。受け取りのためにも境界門へ移動してくださいませ」
「わかった」
養父様はリヒャルダに頷くと、「転移陣へ向かうぞ」とバルコニーへ出て騎獣を出した。騎士の訓練場にある転移陣へ移動するらしい。すでに打ち合わせが終わっているのか、ダンケルフェルガーの皆も戸惑うことなく動いている。多分この中で一番わかっていないのがわたしだ。
「フェルディナンド様、説明が足りないと思います。何をどうするのか、わたくしだけわかっていないのではありませんか?」
「騎獣の上でする。早く来なさい」
騎獣に乗せられて、バルコニーを飛び出す。他の人には聞こえない程度の小さな声でフェルディナンドが簡潔に教えてくれた。わたしが魔石に触れられないことをあまり広げないように、レッサーバスを使わずに荷物を送る方法を考えてくれたらしい。
「徴税した物を送る転移陣を使って、君達の荷物を境界門へ一旦送り、境界門からアーレンスバッハの城へ転移させることになった。境界門にはすでにオルドナンツが送られている。アーレンスバッハ側にも連絡はできているはずだ」
「どうして嫁入りや婿入りの時は使わないのですか? とても便利ですのに」
フェルディナンドの大量の荷物をレッサーバスで運んだわたしが疑問を口にすると、わたしとフェルディナンドの立場の違いを教えられた。
「他領から何が送られてくるのかわからないのは警備上困るので、普通は直接城へ荷物を送ることをアウブが許可しない。だが、今はアウブである君の荷物を君が自分の城に送るだけだ。警戒すべきことがない。……後は転移陣を動かすために魔力が必要になるからな。そう簡単に許可が出せぬ。今回の魔力は君持ちだ」
馬車を使う方が時間はかかるけれどコストは低いらしい。今回はすぐに必要な物だけを送るので、転移陣の方が良いそうだ。明日着る服が必要なのに、馬車で荷物を送るのでは間に合わない。
「今回は一時的に滞在するだけだ。あちらの工房で聖典を作成し、アーレンスバッハの者達が領主会議へ参加できるように準備する。本格的な移動やアウブとして采配を振るうのは領主会議で承認されてからになる」
グルトリスハイトを作って、王族との交渉を行うのが最優先だそうだ。
騎士の訓練場には大きな転移陣があり、わたし達はそれでエーレンフェストとアーレンスバッハとの境界門へ転移した。魔石は怖いけれど、魔法陣に触れて魔力を流すことは別に怖くなかったことにわたしは胸を撫で下ろす。
境界門にはアーレンスバッハとエーレンフェストの騎士達が揃っていて、荷物をエーレンフェストの転移陣からアーレンスバッハの転移陣へ移動させている。リーゼレータやグレーティアが中心になって、荷札の確認をしている。
「ローゼマイン、この後は転移陣を何度も使うことになる。回復薬が必要ならば今のうちに使いなさい」
アーレンスバッハの城へ荷物を送り、ユストクスやリーゼレータ達側仕えとハルトムート達文官を城へ送る。フェルディナンドと護衛騎士を連れて境界門へ戻り、待たせておいたハンネローレ達ダンケルフェルガーとビンデバルトへ移動。そして、ビンデバルトからダンケルフェルガーとアーレンスバッハの境界門へダンケルフェルガーの有志達を送ることになるそうだ。
「百人の騎士を送るのに何往復必要になるかわからぬ」
「わたくし達は騎獣で移動しても良いと申し上げたのですけれど……」
ハンネローレが気遣うようにそう言ったけれど、フェルディナンドは首を横に振った。アーレンスバッハの街より南西の方角にダンケルフェルガーがある。ビンデバルトまでの移動に一日かかっているのに、これ以上の日数はかけられないそうだ。
「ローゼマイン、あちらに転移陣を敷き、皆を送れるように準備せよ」
フェルディナンドに言われるまま、わたしは転移陣の準備をする。わたしが準備できる頃にはアーレンスバッハの城にいるゼルギウスやビンデバルトの館にいるシュトラールとも連絡が取れたようだ。
「ネンリュッセル アーレンスバッハ」
ユストクス、リーゼレータ、グレーティア、ハルトムート、クラリッサ、ローデリヒが乗っていることを確認し、フェルディナンドと転移陣に魔力を流して転移した。彼等には城で荷物の片付けや部屋を整えてもらうことになる。皆を降ろして、出迎えに来てくれていたレティーツィアに任せるとすぐに境界門へ戻った。
「アウブ・エーレンフェスト。王族と話し合う日時が決まれば連絡します」
「言っても無駄だとは思うが、あまり無茶はしてくれるな」
……その約束はちょっと難しいかもね。
養父様の言葉にわたしは少し視線を逸らす。グルトリスハイトを作って王族と交渉するのは、世間一般では無茶に入ると思うのだ。多分。
「其方等、何を企んでいる?」
「アウブ・エーレンフェストは今回の戦いにおける損害の計算を早急にお願いします。領主会議での重要な議題になりますから」
フェルディナンドは養父様の疑問には答えずに笑顔で流しつつ、ハンネローレ達を急かして転移陣を動かす。やっぱり無茶なことをするという自覚はフェルディナンドにもあるようだ。「説明しろ」という養父様の声を無視して、フェルディナンドが「早く」とわたしを急かせる。
「ネンリュッセル ビンデバルト」
養父様の追求から逃げるようにしてビンデバルトに到着すると、シュトラールを始め、ダンケルフェルガーの騎士達が勢揃いしていた。
「アウブ・アーレンスバッハ、フェルディナンド様。おかえりなさいませ。お待ちしていました」
シュトラールの挨拶には非常に実感が籠っている。話を聞いてみれば、ビンデバルトの夏の館に準備されていたお酒や食料の類はダンケルフェルガーの騎士達によって食い尽くされ、飲みつくされたようだ。そして、今日は朝からいくつかの班に分かれてディッター大会だったらしい。付き合わされたアーレンスバッハの騎士達は疲れが隠せないような顔をしているが、ダンケルフェルガーの騎士達は元気そのものだ。基礎体力に大きな違いがありそうである。
「これからダンケルフェルガーの境界門へ転移させていく」
「はっ!」
転移陣に乗れるのは最大でも三十人くらいである。わたしは自分の護衛騎士と一緒にダンケルフェルガーの騎士達を転移陣で境界門へ送り始めた。その間にフェルディナンドはビンデバルトの現状や旧ベルケシュトックについての話を騎士達から聞くそうだ。ビンデバルトの館は一旦封鎖し、領主会議の後、改めてギーベを任命することになるらしい。
「お待たせいたしました、ハンネローレ様」
「転移で送ってくださるのですもの。ほとんど待っていないようなものです」
ハンネローレは残っている騎士達に転移陣へ乗るように呼びかける。三往復もしていると、転移酔いで気持ちが悪くなってきた。少し休憩したいけれど、あと一往復だ。わたしは頭を押さえてゆっくりと息を吐いた。
「転移酔いか?」
「はい、そうだと思います」
「ならば、最後は共に行こう。シュトラール、ビンデバルトの館に見張りの騎士を五名残し、城へ帰還せよ」
「はっ!」
シュトラールに指示を出すと、フェルディナンドはエックハルト兄様と一緒に転移陣へ乗った。魔力を流すのを手伝ってくれて、ダンケルフェルガーの境界門へ到着する。先に到着していた騎士達が綺麗に整列して待っていた。
「ハンネローレ様やダンケルフェルガーの騎士達には大変お世話になりました。どのようなお礼をすれば良いでしょう?」
「髪飾りもいただきますし、これ以上は……」
慎ましく辞退しかけたハンネローレが「あ」と小さな声を上げた。
「わたくし、まだ未成年ですけれど、特別に領主会議にお招きいただきたいです。ローゼマイン様がメスティオノーラの化身としてツェントにグルトリスハイトをもたらすところを、ぜひこの目で見てみたいと存じます」
……は? メスティオノーラの化身って何ですか? 何だかすごく大袈裟なことになってませんか?
聖女伝説が更に変化している。ほわほわとした笑顔でハンネローレが楽しそうに話す内容が何とも不吉というか、ハルトムートの気配を感じずにはいられない。
「あの、ハンネローレ様……」
「今回のディッターの補償について領主会議ではダンケルフェルガーと話をすることになるでしょう。その際、ハンネローレ様に同席いただけるように、こちらからもアウブ・ダンケルフェルガーにお願いし、手配いたしましょう」
「恐れ入ります、フェルディナンド様。楽しみにしていますね、ローゼマイン様」
……何を? 何を楽しみにされてるの?
わたしが目を瞬いていると、ハンネローレはダンケルフェルガーの騎士達に向き直った。
「ユルゲンシュミットにグルトリスハイトをもたらすメスティオノーラの化身に敬礼!」
ハンネローレの高い声に合わせて、ダンケルフェルガーの騎士達が一斉に右の拳を二回、左胸に打ち付けた。
「では、また領主会議でお会いしましょう」
……ちょ、ちょっと待って。
止める間もなく、整然と騎獣が飛び立っていく。呆然としているうちにダンケルフェルガーの騎士達の姿は見えなくなった。
「あの、フェルディナンド様。どういうことでしょう? わたくし、アウブ・アーレンスバッハになるのですよね? メスティオノーラの化身は無関係ですよね? どうして決定事項のようにハンネローレ様がおっしゃるのでしょう?」
「王族よりも上位にあらねば、君が危険に晒される確率が上がるとハルトムートが主張していた。城に戻って尋ねればよかろう」
フェルディナンドがそう言いながらわたしに向かって手を差し伸べる。
「転移酔いがひどいならば騎獣で戻っても構わぬ。ここからならば、アーレンスバッハの街はそれほど遠くない」
「今は転移酔いよりもっとひどいものに酔った気分です。すぐに城へ戻ってハルトムートを問い詰めます!」
「おかえりなさいませ、ローゼマイン様、フェルディナンド様」
転移陣で城へ戻ると、レティーツィアが出迎えてくれた。
「ディートリンデ様からお手紙が届きました。アーレンスバッハへ戻ろうとしても戻れなかったことにご立腹なご様子です」
少し青ざめたレティーツィアが差し出した手紙には「礎を奪われて新しいアウブが立ったとはどういうことですの!? わたくしはもうじき次期ツェントになります。こちらにはレオンツィオ様もジェルヴァージオ様もいらっしゃるのです。わたくしがツェントになったら覚えてらっしゃい!」と記されている。
今回の騒動の元凶として捕らえに行かなければならないのだが、何だか力が抜ける。どこまでどんなふうに考えて事を起こしているのか、全く理解できない。
「フェルディナンド様はこちらに記されているジェルヴァージオ様をご存知ですか? わたくし、何度かランツェナーヴェの館にお邪魔したことがございますけれど、そのような方はいらっしゃらなかったと思うのです。一体どなたを連れていらっしゃるのでしょう?」
レティーツィアが不安そうな顔になってフェルディナンドを見上げてそう言った。わたしもフェルディナンドに視線を向ける。負の感情を全て覆い隠すような綺麗な作り笑いでフェルディナンドが口を開いた。
「……名前だけならば聞いたことはある。ランツェナーヴェの王として育てられた男のはずだ」