Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (633)
要請
「君は先に出ていなさい」
「体調の良くなさそうなフェルディナンド様が先に出ましょう。夕食まで少しでも休める時間を確保した方が良いですよ」
「何でもないのだ。私のことは良いから出なさい」
億劫そうに言いながら、フェルディナンドが軽く手を振った。どう見ても不調そうなのに、「何でもない」と頑なに先程から繰り返すフェルディナンドにちょっと苛立ちを感じる。けれど、フェルディナンドが不調を他人に見せたがらないのは今に始まったことではない。
「不調でないのでしたら、今度はフェルディナンド様からわたくしのメスティオノーラの書に内容を写しましょう」
「何を言っているのだ、君は? 断る」
ものすごく馬鹿者を見るような目で言われて、わたしはムッとした。
「何を言っている、はこちらの台詞ですよ。フェルディナンド様のメスティオノーラの書はコピペで内容が増えたのに、わたくしの分は増やしてもらえないなんてひどいではありませんか」
わたしも読みたいのに、自分だけ読む部分の増えたメスティオノーラの書を持つなんてずるいと思う。わたしの主張にフェルディナンドは嫌そうに顔をしかめた。
「君の新しい魔術は妙な発音と原理をしているので、覚えるのに時間がかかりそうだ。却下する」
「フェルディナンド様なら大丈夫です。水鉄砲だってすぐに覚えたではありませんか」
おじい様達は苦労していたが、フェルディナンドだけは結構簡単に覚えたはずだ。絶対に大丈夫だと思うのだけれど、フェルディナンドは断固拒否の構えになった。
「フェルディナンド様がコピーシテペッタンを覚えられないのでしたら、わたくしがフェルディナンド様からコピペしますからメスティオノーラの書を貸してくださいませ」
「君が自分でできるのか?」
「してみなければわかりませんけれど……」
わたしは開いたままになっているフェルディナンドの聖典に触れて、始点を定めて終点まで指を動かして範囲指定をした。その途端、一瞬息を呑んだフェルディナンドがわたしの手を払いのけると、即座にメスティオノーラの書を閉じて消してしまう。
「あ! できそうだったのに、どうして消すのですか!?」
「君にはまだ早い。せめて、成人後にしなさい」
「え? 成人後って二年はありますよね? 遠いですよ。先程は……」
さっきは試してみてもよさそうなことを言いながら、突然態度を変えたフェルディナンドにわたしは目を見張った。けれど、フェルディナンドはわたしを睨んで、首を横に振る。
「こちらにはこちらの事情がある。今は絶対に駄目だ」
「どういう事情ですか? わたくしが納得できる事情なのですか?」
事情を説明しようとせずに「駄目」の一点張りである。わたしがフェルディナンドの顔を覗き込んで説明を要求すると、「少し離れろ」と額を押された。
「だいたい、今は時間がないと言ったであろう。君の聖典の内容を増やすより、魔術具としての聖典を作り上げる方が先ではないか。私が調合用の魔石を取り出す前にここを出た方が君のためだ」
「……フェルディナンド様、ジェルヴァージオという方は脅威なのですか?」
しきりにフェルディナンドの口から「時間がない」という言葉が出たり、すぐにでも魔術具としてのグルトリスハイトを作らなければと焦りを見せたりするようになったのは、レティーツィアの口からジェルヴァージオという名前が出てからのような気がする。
「ランツェナーヴェの王になるために育てられた方ということは、ジェルヴァージオはフェルディナンド様のお兄様ですか?」
その瞬間、フェルディナンドから一切の表情が消えた。怒っていた表情も、焦っているような感情も何も見えない。ただ、わたしの様子を探るように薄い金色の目が数秒間向けられた。その後、自分の手を見つめながら言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。
「私自身にはジェルヴァージオと顔を合わせた記憶さえない。だが、知っている」
メスティオノーラの書による知識なのだろう。フェルディナンドはすでに消したメスティオノーラの書を見るように、じっと自分の手を見ている。
「当時、三人いたアダルジーザの女達から生まれた息子達の中で、全属性で最も魔力が高いことからランツェナーヴェの王として選ばれた者がジェルヴァージオだ」
「それって、つまり、フェルディナンド様よりも魔力が高いのですか?」
そんな存在がいるのだろうか。わたしが首を傾げていると、フェルディナンドはゆっくりと頷いた。
「洗礼式前の計測では他よりも頭一つ抜きん出ていたらしい。……ちなみに、私は彼がランツェナーヴェの王として送り出された後で生まれている。最初から魔石にするために、母親は私を生んだようで、魔力を上げる相手ではなく、自分の属性の偏りを埋められる相手を探したらしい。私はアダルジーザの実の中では最も魔力が低いけれど、属性値が平均している全属性で最も魔石に適した子供だったそうだ」
絶望の淵を覗くような顔で淡々とフェルディナンドが語った過去に背筋が震えた。何の表情も浮かばない横顔に、わたしの方が泣きたくなる。そんな知識は欲しくなかっただろう。フェルディナンドがメスティオノーラの書を手に入れたのはおそらく貴族院時代だ。今の自分と同じくらいの年の子供が知るには残酷すぎる。
腰が浮いて、思わず手が伸びた。長椅子の座面に膝立ちするように伸び上がり、わたしはフェルディナンドを抱きしめた。
「フェルディナンド様は魔石にされるために生まれてきたのではありませんからね。エーレンフェストの領主候補生になるために生まれてきたんです。だから、神様のお導きがあったのですよ」
「ローゼマイン、放しなさい」
焦りを含んだ声と共に背中を叩かれたけれど、わたしは「ダメです」と拒否して、更に力いっぱい抱きしめる。
「魔石ではなくて、生きていてくれないとダメなのに絶対わかっていないでしょう? 先代のアウブはフェルディナンド様が必要だと思って引き取ったし、養父様やわたくしは現在進行形でフェルディナンド様が必要なのですよ。わかったと言うまで放しません」
「わかった。わかったから放しなさい。いくら何でも君は感情的に動きすぎだ。自覚が薄いようだが、すでに年頃の見た目に成長しているのだから、少しは女性らしい慎みを持ちなさい」
これでも一応慎みが少しは育ってきたので、フェルディナンドに「ぎゅーしてほしい」とお願いするのは止めているのだが、わたしの慎みはまだ足りなかったようだ。慰めるつもりだったのに、何故か叱られている。
「とにかく、君はもうここを出なさい。私は魔術具の続きを作る。君は魔石を扱えない今の症状を側近に伝えて、なるべく魔石を視界に入れないように生活するための話し合いをしなさい。領主会議に向けた魔石のブローチの調合に関する話でも良い。他の貴族に知らせることではないので、アーレンスバッハの貴族を除いたところで話し合うように」
さっさと出ていけ、とフェルディナンドに追い払われた。用が済んだらお払い箱である。ちょっとひどい扱いだと思うけれど、いつものことだ。
……フェルディナンド様が元気になったみたいだから別にいいけど。
「ローゼマイン」
隠し部屋から出た途端、コルネリウス兄様が駆け寄ってきた。わたしに異常がないか、確認している。
「あれほど強硬に側近を排して何をしていたのだ?」
「コルネリウス兄様、それほど心配しなくてもフェルディナンド様は別に何もしませんよ。体調を心配して健康診断をしてくれたくらいです」
「何もしなくても駄目だ。夫婦でもないのに二人だけで隠し部屋に入るなど、絶対に駄目だ」
コルネリウス兄様が懇々といかに破廉恥なことなのか説明する。婚前交渉があったと思われても仕方がないくらいに駄目なことだそうだ。でも、フェルディナンドがメスティオノーラの書を持っていることを公開するとは思えないし、二人分のメスティオノーラの書を広げていたのである。とても他の人は入れられない。それに、診断の段階でわたしの前世に関する話も出たし、口が重いながらもアダルジーザの話も少ししてくれた。他の人がいれば、絶対に教えてくれなかっただろう。
「フェルディナンド様にとっては側近を排するのが必要だったのです」
「ローゼマイン、君はもっと自分を大事に……」
「中で何をしていたのか、フェルディナンド様が今何を調合しているのかを教えることはできません。けれど、こうして用が済んだ途端に隠し部屋から出されるのです。コルネリウス兄様が心配するようなことはありませんよ」
むしろ、わたしがしてしまった。慎みがないと叱られたので、今はちょっとだけ後悔している。
「それよりも、フェルディナンド様にしていただいた健康診断の結果とこれからのことについて重要なお話をしなければなりません。側近を全員集めてくださいませ」
コルネリウス兄様が隠し部屋の扉とわたしを見比べた後、駆けだしていく。その背中を見ていると、エックハルト兄様に「フェルディナンド様は出てこないのか?」と尋ねられた。
「わたくしは用が済んだので、出るように言われましたけれど、中で調合を続けるようです。ただ、体調はあまり良くないように思えました。ご自分のお薬も調合なさるおつもりかもしれません」
「そうか、わかった」
エックハルト兄様に今のフェルディナンドの状況を話した後、わたしはその場にいる自分の側近に声をかけて、リーゼレータ達が整えてくれている客間へ向かって歩き始める。その途端、コルネリウス兄様が慌てた様子で戻ってきた。
「ハルトムートからオルドナンツが届いた。文官がアウブを呼んでいるらしい。エーレンフェストから緊急の知らせが入ったようだ」
「エックハルト兄様、フェルディナンド様に伝えてください。わたくしは先に向かいます」
歩くのが遅いわたしが執務室に到着する前にはフェルディナンドも合流できているはずだ。なるべく早歩きでわたしはアウブの執務室へ移動する。予想通り、フェルディナンドは執務室へ到着する前に合流した。
アウブの執務室に到着すると、文官がアウブ間で使用する緊急通信の魔術具が光っていることを教えてくれた。フェルディナンドが少し先に立って、「これだ」とわたしを手招きした。わたしが知っている水鏡のような魔術具と形や大きさは似ているけれど、まるで蓋が閉まっているように鏡のような部分は見えない。
「ローゼマイン、少し目を閉じていなさい。誘導するので、そこに魔力を籠めるように」
「はい」
フェルディナンドに言われるままに目を閉じると、手を握られて何かに触らせられた。魔力を籠めると、目を開けても良いと言われる。目の前には自分が知っている水鏡があり、養父様の姿が見えた。
「遅いぞ、ローゼマイン。執務室から出て、どこに行っていた?」
結構待たされたらしい養父様の文句から始まったけれど、それは緊急を要する用件だったからだ。
「貴族院にいるヒルシュールから返事が来た。文官棟の付近に見慣れない者達がいたそうだ」
研究が佳境だったヒルシュールは、養父様の命令を後回しにするつもりだったらしい。けれど、アーレンスバッハの寮に帰れなくなっていて、文官棟で寝泊まりするようになったライムントが文官棟付近で見慣れない者達がうろついているのを発見したそうだ。どこの領地のマントも身につけていない見慣れない者が貴族院に出入りしていることがおかしい。もしかしたら、アウブ・エーレンフェストが言っていたのは本当だったのかもしれない、とヒルシュールは急いであちらこちらへオルドナンツを飛ばし始めたそうだ。
「養父様、あまり信用がないのですね」
「ヒルシュールが研究しか目に入っていないのは今に始まったことではない」
「ライムントを残しておいてよかったな」
フェルディナンドは何度か頷いているけれど、突然寮に帰れなくなったライムントにきちんと報連相をしたのだろうか。何もしていない気がする。
「ヒルシュールは貴族院にいる教師達、それから、王族や中央騎士団に連絡を取ってくれたそうだ。すぐに中央騎士団を派遣してくれたようで、黒いマントが貴族院の敷地内で見られるようになったらしい。
「そうですか……。よかった」
中央の守りを固めていた王族が貴族院へ向けて中央騎士団を出してくれたのならばもう安心である。ダンケルフェルガーの有志達はあっという間にランツェナーヴェの兵士達を押さえてくれたのだ。養父様から銀の布や即死毒についても情報は流してある。それほど時間をかけずに制圧されるだろう。わたしがホッと安堵の息を吐くと、養父様が厳しい顔つきになって首を横に振った。
「……あまり良くないからこそ緊急連絡用の魔術具を使ったのだ、ローゼマイン」
「え?」
「貴族院の図書館司書。……其方が特別気にかけていたソランジュからの返事がないらしい。たまたま返事ができない状況だったのか、何かあったのか、わからない。ヒルシュールも様子を見に行こうとしたそうだが、ダンケルフェルガーの寮監であるルーフェンから出歩くな、という警告のオルドナンツがあったそうだ」
すぅっと目の前が暗くなってきた。
「貴族院で何か起こっている可能性は高い。それを知らせようと思ったのだ。エーレンフェストから出せるのは情報だけで、不足すぎて人も物資も動かせぬ」
「教えてくださってありがとう存じます、養父様。寮監のいないわたくし達には貴族院からの情報が入りませんから」
わたしは養父様にお礼を言って、水鏡のような魔術具での通信を終えると、フェルディナンドを振り返った。
「フェルディナンド様、わたくし、貴族院の図書館へ行きます」
「それは許可できない。君はアーレンスバッハで留守番だ。今の君は連れていけぬ」
騎獣にも乗れぬのにどうするつもりだ、と暗に問われて言葉に詰まった。けれど、ソランジュ、シュバルツ、ヴァイスが気になって仕方がない。
「せめて、シュバルツとヴァイスを戦闘状態にすることができればソランジュ先生はご無事だと思えるのですけれど……」
シュバルツとヴァイスを戦闘モードにするためにはボタンのようになっている魔石に魔力を注がなければならない。
「強いらしいですよ、シュバルツ達は。神殿の戦いでもシュミル達が大活躍だったそうです」
シュバルツ達の研究をして、シュミルズの基本設計をしたフェルディナンドを見上げてそう言うと、フェルディナンドはフンと鼻を鳴らした。
「大昔の姫君がツェント候補生を屠るための機能を付けた魔術具だぞ。その辺りの有象無象に勝てるわけがなかろう」
「シュバルツ達は強いですもの。ソランジュ先生は無事ですよね?」
たとえ気休めでも肯定してほしかったが、フェルディナンドは一度目を伏せると、私に現実を突きつけた。
「図書館の魔術具を戦闘状態にするためには主の命令と魔力が必要だったはずだ。協力者にできるかどうか、断言はできぬ。だが、いくら気になっても君が行くのは駄目だ。今の状態で行ったところで何ができる?」
フェルディナンドが冷たくそう言って首を横に振った時、再び緊急用の魔術具が光り始めた。
「……ダンケルフェルガー? 通信を行う。ローゼマイン、目を閉じろ」
フェルディナンドがわたしの手を取り、魔石に触れさせる。水鏡へと表面が変わり、アウブ・ダンケルフェルガーの姿が映し出された。
「アウブ・アーレンスバッハ。息災なご様子で何よりです。ハンネローレより報告を受けました。素晴らしい戦いぶりだった、と。アーレンスバッハへ貸し出した有志達が誰一人と欠けることなく戻ってきたことには正直なところ驚いています」
アウブ・ダンケルフェルガーが今までに聞いたことがないくらいに丁寧な態度で、正直なところ驚いて目を瞬くしかできなかった。
「こうして緊急の連絡をしたのは他でもありません。今の貴族院の状況をご存知でしょうか?」
「アーレンスバッハには寮監がいないのですが、先程アウブ・エーレンフェストから連絡をいただきました。見知らぬ者、おそらくランツェナーヴェの者を文官棟の付近で見かけたこと、王族や中央騎士団へ連絡済みであること、それから、図書館司書のソランジュ先生と連絡が取れないことを聞いています。早くソランジュ先生と連絡が取れると良いのですが……中央騎士団が向かったのですから、すぐに制圧されますよね?」
わたしがそう言うと、アウブ・ダンケルフェルガーは厳しい表情になった。
「いいえ。ダンケルフェルガーの寮監であるルーフェンの知らせによると、黒いマントをまとう中央騎士団が貴族院へ現れたものの、見知らぬ者達に従っているように見えたということでした」
「え?」
「見知らぬ者達の中にはディートリンデがいたにもかかわらず、捕らえる様子を見せなかったようです」
王族がそれを許しているのか、中央騎士団が裏切ったのか、よくわからない状況になっているため、ルーフェンはアウブ・ダンケルフェルガーに情報を流し、指示を仰いだそうだ。
「ダンケルフェルガーからはツェントと連絡が取れませんでした」
「あの、それは……」
「グルトリスハイトを得た正当なる次期ツェント候補であるローゼマイン様に要請します。貴族院をお守りください。貴族院に余所者を入れてはなりません。あそこはユルゲンシュミットの要です」
アウブ・ダンケルフェルガーの言葉にわたしはコクリと息を呑んだ。
「それは、ツェントへ……」
「ダンケルフェルガーが次期ツェント候補であるローゼマイン様の手足となります。貴族院を守れ、と号令をお出しください。ダンケルフェルガーはツェントの剣、必ず守り切ってみせましょう」