Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (647)
祭壇上の戦い
……ランツェナーヴェから持ち込まれた危険物なんて全部洗い流しちゃえ!
銀色の筒の中身が即死毒でなかったとしても全て洗い流してしまえば問題ないはずだ。わたしがそう考えながら広域魔術の補助魔法陣に「ヴァッシェン」を唱えて魔力を叩きつけたので、当然のことながら大量の水が天井付近から一斉に滝のような勢いで降り注ぎ始める。
「何だ、この水は!?」
中央騎士団の驚愕の声の中に、「うわっ!? 渦巻いている!? 何故!?」というわたしの護衛騎士達の声が混ざった。講堂中を洗い流すような水量を想定して作成されていた補助魔法陣なので、当たり前だが魔力によって呼ばれた水は講堂を満たしていく。そこまではわたしの予定通りだった。講堂が水で満たされてから消えるまでの間、鼻でもつまんで待っていればよいと思っていた。
しかし、全部洗い流すというところでわたしが洗濯機を想像してしまったせいだろうか、講堂内にいる者は敵味方関係なく全てを巻き込んで水が高速で渦巻き始めた。「どういうことだ、ローゼ……がぼがぼっ!」とアナスタージウスの叫ぶ声が水に呑み込まれて消える頃には、わたしも立っていることができずに体が浮いた状態で上下左右の感覚もないまま水の流れに押し流されていた。
……ひぎゃあああぁぁぁっ! 失敗した! 誰か助けてぇ!
完全に溺れる前に鼻をつまめた自分を褒めてあげたい。術者であるわたしも護衛騎士達もラオブルートもアナスタージウスも渦巻の中で洗濯物のようにグルグル回っている。完全に想定外だ。
……目が回るっ! 息が! 息が! うひぃっ!
声にならない声で叫んでいたら、不意にポイッと空中に放り出された。自分を取り巻いていた水がなくなり、開いていた口から空気が入ってくる。呼吸が楽になって視界が急にクリアになった。水から飛び出したところなのに、もう濡れているところはなく、自分の髪がさらりと揺れているのが目に映った。
……え? 天井?
自分の髪と一緒に視界に映っていたのは天井だ。手を伸ばせば触れられそうなくらい近くに天井がある。水流によって自分がずいぶんと高い位置まで上げられていたことを知った瞬間、わたしの体は重力に捕らわれた。問答無用で天井との距離が開き始め、一気に血の気が引いていく。
……落ちるっ!
「わ、わわっ!」
重力に捕らわれて落下しているというのに、周囲の動きがやたらゆっくりとしているように感じる。わたしは何かをつかもうと必死に腕を伸ばすが、何も手に触れる物はない。
そんな中、下の方から「ぐわっ」という誰かの苦痛を帯びた声と「ローゼマイン!」と焦りを帯びたフェルディナンドの声が聞こえ、わたしの手首にあったお守りが二つ反応した。誰かに攻撃されたのかと考えるより先にお守りから反撃の光が飛んでいき、シュルリと光の帯が自分に巻きつく。これも攻撃? と思った時にはグンと力強く引っ張られて、重力とはまた違った力に翻弄されて落ちる角度が変わった。
「きゃああああぁぁぁっ!」
悲鳴を上げているうちに、わたしは祭壇の上にいるフェルディナンドの腕の中に飛び込んでいたらしい。「うるさいので黙りなさい」と言われ、無事を問われるより先に「この馬鹿者、一体何をしているのだ?」と叱られ始めたので間違いない。
「え、えーと、フェルディナンド様に銀入りの筒が向けられたのでヴァッシェンをしたら、自分でも想定外の水流に巻き込まれ、放り出されて落下していたわけですけれど、改めて尋ねられると答えるのが難しいですね」
「それだけ答えられれば十分だが、君は私が同じ手を二度も食らうと思っていたのか?」
顔を押さえて呻いているジェルヴァージオをくいっと顎で示しながらフェルディナンドが不機嫌そうに顔を歪めた。別に信用していないわけではない。心配でついついヴァッシェンしてしまっただけだ。そんなに不機嫌な顔をしないでほしいものである。助かった安心感と、お説教に対する緊張感で心臓が忙しい。
「そ、それにしても、何故わたくしだけこちらに飛ばされたのでしょう? まだ皆は回っているのに……」
怒りとお説教を避けるために視線を逸らした先には巨大洗濯機と化した講堂でグルグルと回っている人達の姿がある。どうやらわたしのヴァッシェンは祭壇に届いていなかったらしい。ラオブルートが阻まれた透明の壁があり、その向こうだけで水が暴れている。
……わたしの渾身のヴァッシェン、意味がなかったよ。
ヴァッシェンに意味がなく、フェルディナンドは自力で容易に危機を脱していた。わたしは自分の術に巻き込まれて祭壇の上に落下して、フェルディナンドのお説教である。しょんぼりへにょんだ。
「君がここに上がれる有資格者だから、回っている最中にあの壁に弾かれなかっただけであろう。私はむしろヴァッシェンが未だに消えていない方が気になる。君は何を落とすべき汚れと考えたのだ?」
光の帯を消してわたしを降ろし、シュタープを再び水鉄砲に変形させながらフェルディナンドが数秒間で消えていないヴァッシェンの渦をちらりと見た。
「ランツェナーヴェから持ち込まれた危険物です。銀色の筒の中身が即死毒じゃなかったら危ないな、と……」
「なるほど。トルークが危険物に入っていれば洗い流すのに時間がかかるかもしれぬ」
フェルディナンドが回復薬を手にしたジェルヴァージオに向かって水鉄砲を撃ちながら現状について思案する間に、講堂で渦巻いていた水が一瞬で消え去った。わたしと同じように水に流されて浮かんでいた騎士達がガシャドシャと音を響かせながら落下し始める。
「危ないっ!」
「騎士は鎧をまとっているのだ。落ちたところで死にはせぬ」
「わたくしの側近には文官もいるのですけれど!」
「身を乗り出すな。今度は祭壇から転がり落ちるぞ」
フェルディナンドから冷静に指摘されたわたしは足元を確認すると、急いでハルトムートとクラリッサの姿を探した。ディッターなどでわたしが広域魔術のヴァッシェンを使うことを知っている者達は比較的冷静に行動できているようで、さっさと騎獣を出しているコルネリウス兄様とレオノーレが見える。アンゲリカが空中に広がる騎獣の羽を足場にして、身軽に飛び降りていた。
「メスティオノーラの化身たるローゼマイン様には祭壇の上が非常にお似合いですね」
「なんと神々しい! 最高神の……」
……あ、全く問題なしでハルトムート達は元気そう。
それほど高い位置に上がっていなかったのか、ハルトムート達はわたし達のいる祭壇を指差しながら何やら騒いでいる。詳細は聞きたくないので、聞き流した方が良さそうだ。
……無事で何よりだけど、もうちょっと静かに。
わたしがエーレンフェストの色のマントを探しながらホッと胸を撫で下ろした時、「何をするのか、事前に報告くらいはせぬか!」とアナスタージウスが怒鳴ったのが聞こえた。変な方向から聞こえたので視線を巡らせれば、観客席に打ち上げられているアナスタージウスらしき人影が見える。どうやらヴァッシェンに巻き込まれても無事だったようだ。
……ラオブルートはどこ?
祭壇を守るように陣取っていたラオブルートの姿は、もう同じ場所にない。どこへ流されてしまったのか、黒いマントが多くてわかりにくいと思いながら視力を強化したまま講堂内を見回していると、講堂の扉が乱暴に大きく開かれた。
……今度は何!?
思わず扉を注視すると、大量の青色マントがどわっと雪崩れ込むように入ってきた。見間違えようがない。ダンケルフェルガーの騎士達だ。
「ローゼマイン様とフェルディナンド様に加勢せよ!」
「おおおぉぉぉっ!」
当たり前のように先頭に立っているのはアウブ・ダンケルフェルガーで、その隣には黒と青のマントを重ねてつけている女性騎士らしき姿もある。兜を付けているので、顔立ちはわかりにくいが、鎧の胸元の形から女性であることは一目瞭然だ。
「ツェントを守る騎士団長でありながら、トラオクヴァール様に毒を盛ったラオブルート、其方だけは許しません。夫が動けぬ今、妻であるわたくしが其方を討ちます」
彼女はわたしには見分けられなかったラオブルートの位置を即座に特定し、武器を向けた。中央所属の黒いマントもまとっているけれど、口上と武器を構えてアウブ・ダンケルフェルガーと並んでいる姿は、戦場におけるハンネローレを彷彿とさせる。
「……あれはもしかしてマグダレーナ様でしょうか?」
「トラオクヴァール様を夫と呼び、アウブ・ダンケルフェルガーの隣で当然のように武器を構えられる妻が他にいるか?」
……ツェントの妻になっても、やることは変わらないんだ……。ダンケルフェルガーってマジでダンケルフェルガー。
「アウブ・ダンケルフェルガー、ラオブルートを始め、中央騎士団における裏切者の捕獲を任せます!」
フェルディナンドはゲッティルトの盾を出して防衛しているジェルヴァージオに攻撃を続けながら、祭壇の上から指示を出した。ダンケルフェルガーの参戦で一気に戦力が増えたのだ。下の戦いはダンケルフェルガーやアーレンスバッハの騎士達に任せた方が良いだろう。
「引き受けた!……だが、陣形が滅茶苦茶で敵味方の区別がつかぬ! ひとまず中央騎士団の黒いマントは片端から捕らえていけ! 意見を聞いたり、顔で判別したりするのは後回しだ!」
ダンケルフェルガーの協力に心強さを感じた直後、非常に不安になった。相変わらず大雑把で大胆だ。しかし、アウブ・ダンケルフェルガーの指示で、ダンケルフェルガーの青いマントがヴァッシェンに巻き込まれて敵味方が散らばる講堂内を敏捷に動き始める。
「……フェルディナンド様、アナスタージウス王子達もダンケルフェルガーの騎士達に捕らえられそうですけれど、本当に問題ありませんか?」
「ラオブルートをその一派を捕らえるのが最優先だ。マグダレーナ様がダンケルフェルガーと共に行動している以上、アナスタージウス王子のことは気にしなくてもよろしい」
……本当にいいのかな?
わたしの心の声が聞こえたのか、フェルディナンドは呆れたような溜息を吐いた。
「アナスタージウス王子の動向よりも君は一刻も早くジェルヴァージオを捕らえ、図書館都市計画の立案について考えられるようにするべきではないか?」
「そうですね!」
元々保険として呼ばれていたアナスタージウス王子達よりも、フェルディナンドの言う通り、図書館都市計画の方が大事だ。わたしはアウブ・アーレンスバッハになってしまったので義務としてランツェナーヴェの者を捕らえる戦いに参加しているが、本音を言えばこんな戦いなんてぺぺいっと放り出して図書館都市計画を進めたい。
……わたし、巨大図書館に薬草園を併設していた古代のアレキサンドリアみたいに、グーテンベルク達の印刷による本作りとフェルディナンド様の研究所とわたしの図書館を内包する図書館都市を設計するんだ。
海もあるアーレンスバッハはピッタリだ。しかし、そのためにはランツェナーヴェの者達を率いていたジェルヴァージオを捕らえるなり倒すなりして、この戦いを早く終わらせなければならない。
「魔力量が均衡しているため、魔力による縛めはジェルヴァージオに効かぬ可能性が高い。私が魔力を溜める間、君に防御を任せる」
「はいっ! 守りを司る風の女神 シュツェーリアよ」
わたしが軽く目を閉じて祝詞を口にし始めた途端、ジェルヴァージオが「其方……マインだな?」と言った。「マイン」と呼ばれたことに驚いて目を開けた瞬間、「ただの妨害だ。祝詞に集中しろ」とジェルヴァージオに牽制の攻撃を続けているフェルディナンドから叱責が飛んでくる。
「側に仕える眷属たる十二の女神よ」
「マイン、何故其方がクインタと殺し合わずに協力し合っているのだ?」
ジェルヴァージオがゲッティルトを構えてフェルディナンドの攻撃を防ぎながら、訝しそうにそう言った。エアヴェルミーンから何か言われているのだろう。「殺し合え」というような物騒なことを言う者が他に思い当たらない。
……エアヴェルミーン様にはその場でお断りしたんだけど、聞いてなかったかな? 聞こえてなかったかな?
わたしは祝詞を続けながら余所事を考えて、なるべくジェルヴァージオの「マイン」という呼びかけが耳に入らないようにする。
どのくらい前からエアヴェルミーンが始まりの庭にいるのか知らないけれど、耳が遠くなっていてもおかしくない。元神様とはいえ、寄る年波には勝てないのだろう、きっと。もしかしたら、ユルゲンシュミットの魔力がなくなっていることで、エアヴェルミーンのそういう部分にも支障が出ているのかもしれない。
「……害意持つものを近付けぬ 風の盾を 我が手に」
キンと響く硬質な音を立ててシュツェーリアの盾が完成した。その途端、フェルディナンドがずっと牽制として使っていた水鉄砲から剣に武器を変えて魔力を溜め始める。特に打ち合わせがなくても当たり前のように役割分担ができるようになっていることに、何とも言えない安心感があった。
「クインタは其方が守らねばならぬ存在ではない。其方はむしろクインタを殺し、全てを手に入れなければならぬはずだ。そう命じられたのではないか、マイン?」
「これ以上余計なことを言わずに今すぐ死ね」
静かにそう言いながらフェルディナンドが剣を振り下ろした。虹色の魔力の塊が剣から飛び出し、ゲッティルトで盾を構えたジェルヴァージオと一緒に神像が祭壇から吹き飛ばされる。
「きゃっ!?」
飛ばされて空中に浮いた神像……正確には神像が身につけている神具が一斉に光った。神具から光の柱が立ち、交差する。あまりにも眩い光にわたしは思わずぎゅっと強く目を閉じた。