Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (648)
女神の図書館
きつく目を閉じた瞬間、平衡感覚がおかしくなった。体が傾いていて、妙な浮遊感に捕らわれる。直後、ぐいっと引き寄せられて「ぼんやりするな、馬鹿者」と小声の早口で叱られた。フェルディナンドの声だ。とりあえず、自分を捕まえている腕にしがみついておくことにした。
これでよし! と思った瞬間、ドシャッと落ちた。感覚的にはベッドから落ちたような感じで、大した高さではなかったようだ。でも、浮遊感のせいで完全に体勢を崩していたため、わたしは全身を打った。フェルディナンドの鎧で。
「ぎゃうっ!?」
目を開けると、フェルディナンドの鎧しか見えなかった。どうやらわたしはフェルディナンドの上へ落下したらしい。
「いったぁ……」
「呑気なことを言っていないで、早く退きなさい!」
険しい声でそう言われ、勢いよく体勢をひっくり返される。おわ? と思っている間に上下が入れ替わり、フェルディナンドは素早く動いて立ち上がった。即座にシュタープを構えている。
……自分から引き寄せたくせに、マジ理不尽!
引き寄せられて、落とされて、転がされて、頭がぐらんぐらんする。脳みそがシェイクされたような気持ち悪さを覚えながら起き上がると、わたし達は何故か始まりの庭にいた。真っ白の石畳の円い庭の真ん中には白い大きな木ではなく、エアヴェルミーンが姿を現している。眉間の皺の深さとゆらりと立ち上るような魔力から察するに、機嫌が良いようには見えない。
……エアヴェルミーン様、ものすごく不機嫌っぽい? 何があったんだろうね?
わたしがエアヴェルミーンを見ながら首を傾げていると、視界の端の方で「エアヴェルミーン様?」と驚きの声が上がった。ジェルヴァージオもいたらしい。わたし達と同じようにドシャッと落ちたようで、起き上がっているのが見える。
ぐるりと始まりの庭を見回した。シュタープを構えて臨戦態勢のフェルディナンド、エアヴェルミーンに向かって跪いたジェルヴァージオ、頭を押さえて気持ち悪さを抑えようとしているわたしの三人を不機嫌そうにエアヴェルミーンが睨んでいる。
「一刻も早くユルゲンシュミットの礎を魔力で満たさねばならぬ時に、資格を持つ其方等は一体何をしている?」
どうやらエアヴェルミーンはわたし達に文句を言うために呼びつけて、実体化したようだ。白い木のままではお話ができないせいだろう。
「クインタ、我は非常識な方法で飛び込んできたにもかかわらず、其方にメスティオノーラの英知を与えた。だが、其方は英知を補完するために再来するどころか、全く染める気配も見せぬ。ようやく再来したかと思えば別人だった。その者も片方を殺してメスティオノーラの書を完成させよ、と命じたのにすげなく断る。やっと礎を染める気のある者が現れたと安堵していたら、英知の光は途切れ、礎へ向かうことを邪魔されているではないか。何故邪魔をするのだ、クインタ? ユルゲンシュミットの崩壊が間近に迫っていることがわからぬか!?」
エアヴェルミーンの怒りの大半はフェルディナンドに向いているらしい。わたしにも怒りの波動っぽい物が向けられているが、フェルディナンドと交互になっている辺り、相変わらず魔力で区別がついていないのだと思う。
元神様から怒りを向けられているフェルディナンドは平然とした顔で「グルトリスハイト」とシュタープを変形させて、何やら調べ始めた。
「エアヴェルミーン様は崩壊が間近とおっしゃるが、ローゼマインが国境門に魔力を注いだので、崩壊するまでに二十年ほど余裕がございます。ここでユルゲンシュミットを見守ってきたエアヴェルミーン様には瞬きする程の短い時間かもしれませんが、我等にとってはこれから子が生まれて成人するより時間があるのです」
「そうなのですか? 意外と余裕があるのですね。フェルディナンド様のメスティオノーラの書にはそんなことも載っているのですか?」
見せてくださいませ、とわたしがいそいそと立ち上がって寄っていくと、目の前でバン! と勢いよくメスティオノーラの書を閉められた。
「見せてくれてもいいではありませんか! フェルディナンド様のケチ!」
「一つ確認するが、君は今の状況が見えているのか?」
わたしは、立ったまま怒りを継続させているエアヴェルミーンと跪いてかしこまっているジェルヴァージオを見比べる。悠長に読書をしていられる状況でないことは、さすがにわかった。
「見えていますよ。でも、いついかなる時も読書をできる機会を逃したくありません!」
「なるほど。よくわかった。邪魔だ。下がれ」
ベチッと額を叩かれて、下がるように顎で示された。
「ジェルヴァージオのせいで、我々はすでに何十人と失っています。ユルゲンシュミットを中から崩壊させるランツェナーヴェの者をツェントとして戴くことはできません」
「そのような人の理は知らぬ。ユルゲンシュミットはエーヴィリーベに追われた者を匿う場所。我が贖罪の地。ユルゲンシュミットの崩壊は絶対に回避せねばならぬ。我はすでに十分すぎるほど待った。新たなツェントの誕生は邪魔させぬ。礎を染める気のない其方は疾く消えよ」
ゆっくりとエアヴェルミーンが腕を上げる。指先がこちらに向けられた。
ひゅっと息を呑んだフェルディナンドがわたしの前に立ち、「ゲッティルト!」と叫んだ瞬間、まるでフェルディナンドの全力攻撃のような魔力の塊が飛んでくる。
「きゃっ!?」
硬質な音と共にフェルディナンドの盾が弾け、腕に付けていたお守りが三つ、一度に弾けた。これまで敵対した者とは大違いの魔力量だ。一気に血の気が引いた。
「行け、テルツァ。ユルゲンシュミットの礎を満たしてくるのだ」
エアヴェルミーンの指示を受けたジェルヴァージオが静かに立ち上がる。「テルツァ」というのは「クインタ」と同じような幼名に違いない。
「リューケン 水鉄砲」
フェルディナンドが立ち上がって背を向けたジェルヴァージオを即座に撃った。祭壇上の戦いでお守りを失っていたジェルヴァージオが太腿を撃ち抜かれ、押し殺したような呻き声を上げて倒れる。
「邪魔をするなと言ったはずだ、クインタ」
「人の理を知らぬとおっしゃった方の言い分など存じません。私は新しいツェントを立て、王族を廃し、祈りを復活させ、次世代では自力で聖典を得られる者からツェントを選択するのです。余計な邪魔をしないでいただきたい」
ジェルヴァージオの方を向いていたエアヴェルミーンが指を動かす。わたしはフェルディナンドの前に飛び出すと、ありったけの魔力で「フィンスウンハン」を唱え、フェルディナンドと自分を守れるように闇のマントを大きく広げた。
エアヴェルミーンの魔力攻撃を吸い取り、ずわっと大量の魔力が一気に自分の中へ流れ込んでくる。講堂で巨大洗濯機のようになっていたヴァッシェンに使った大量の魔力さえあっという間に回復していく。
……ヤバい! 溢れる!?
急いで魔力圧縮を始めたけれど、流れ込んできた魔力が大量すぎて圧縮が間に合わない。身体中を熱が満たし、膨れ上がってくる熱の渦に捕らわれるような苦しさに「んぅっ!」と思わず呻いた。身食いの熱に食われていくような感覚は懐かしいけれど、二度と経験したくなかった辛さだ。
……熱い。苦しい。誰か……。
「溜め込もうとするな! 放出しろ、ローゼマイン!」
……助けて、神様っ!
高く上げた両手から魔力が飛び出し、わたしは始まりの庭で光の柱を立てた。祈りになったのかどうかわからない。けれど、まるでわたしの魔力に反応したように、天井部分に円く空いた穴から光が降り注いできた。
光だけしか存在しないような視界の中に、自分と似た容貌の女性が微笑んでいた。夜空のような色合いの髪、月のような金色の瞳、おそろしく整った顔は成長した後、鏡で見た自分の姿に似ている。
「アーンヴァックスがご満悦だったけれど、本当によく似ていること。身食いならば魔力の馴染みも良いでしょうから、少しの間、体を貸してくださいませ」
声は澄んでいて柔らかい響きをしている。言葉自体が全く違うのか、何と言っているのか聞き取れないけれど、わたしに通じる言葉に直って頭の中に直接響いてくる感じで、同時通訳を聞いているような気分だ。
「ん? 体を借りる……?」
「あら、助けを求めたのは貴女でしょう? エアヴェルミーンを止めてきます。あのままではあの方も危険ですもの」
彼女が「困ったこと」と言いながら頬に手を当てて首を傾げた。どこのどなたか知らないけれど、エアヴェルミーンを止めてくれるならば、それに越したことはない。さすが元神様。魔力量が段違いなのだ。とても太刀打ちできない。
「……でも、体を貸すって……」
いくら何でも怖い。本当に返ってくるのか、その間わたしはどうしたらいいのか、不安要素が多すぎる。
「わたくしはいつまでも下にいられるわけではありませんし、貴女には快適な場所で待ってもらいます」
少し腕を動かした瞬間、ここは図書館になった。
床から天井まで本、本、本。あっちを向いても本棚、こっちを向いても本棚。それも、すかすかの本棚ではなく、全てに本がきちんと収められている。貴族院の図書館はもちろん、麗乃時代の図書館でも見たことがないほどの本の数に圧倒されて、わたしは言葉を失って周囲を見回す。本を読むために必要な座り心地の良さそうな椅子や書き物に適した机もあって、いくらでも読書ができそうだ。
「すごい……」
まるでわたしがメスティオノーラの書を手に入れるために金色シュミルに出会った場所で思い浮かべたような図書館だ。そう思った瞬間、あの図書館は入ってきた者の思想を判断するための幻だったことを思い出した。
「……ここも壁に絵が描かれたような図書館ではないのですか?」
「いいえ。ここはわたくしの英知が詰まった図書館です。どの本も読めますよ。わたくしが貴女の体を借りている間、ここで待っていてくださいな」
彼女がそう言って手を振ると、金色のシュミルが一冊の本を持ってきた。ここに座って読め、というようにわたしから近い椅子の前で本を抱えて待機している。
「いやっふぅ! 体くらい、いくらでもお貸しします! 英知の女神 メスティオノーラに祈りを!」
わたしはビシッと祈りを捧げると、金色シュミルのところへ駆け寄った。
一人掛けのソファのような椅子は、まふっとした座り心地でマットレスを入れたわたしの椅子より更に座り心地が良い。布の手触りは柔らかく、ほんのりと温かみを感じる。
わたしが座ったのを確認して金色シュミルが本を手渡してくれる。もしかしたらユルゲンシュミットでは図書館でシュミルが働くと決まっているのだろうか。
そんなことを思いながら、わたしは本を開く。かなり古い時代の言葉で書かれた本で、神様に関する話が載っているようだ。
……聖典やダンケルフェルガーから借りた本にも似たような話があったなぁ。
わたしは楽しくなりながら文字を追っていく。最初の話は、海の女神 フェアフューレメーアの物語だった。
二人の男神から求婚を受けたけれど、フェアフューレメーアはどちらの求婚にも応じなかった。けれど、どちらも火の神の眷属だったせいだろうか、熱くなりすぎて引いてくれない。
周囲の神々も巻き込んで大騒ぎになった結果、フェアフューレメーアが失恋した時には二人の内の勝者と結婚することになってしまった。まずは勝者を決めておかなければならない、と二人の男神は様々な神々を巻き込んで戦いを始めた。
失恋をしたら、という条件を付けたので好きな相手ができるまで放置しておけば良いとのんびり構えていたフェアフューレメーアは、他の女神達から予想外に大きな戦いになったことを知らされる。
戦いの場に急いで駆けつけたフェアフューレメーアは、神としての力を振るい、皆の熱を鎮めた。それ以来、火の眷属が争い始めたらフェアフューレメーアが呼ばれるようになった、というお話だった。
……これってダンケルフェルガーの儀式の基になったお話じゃない?
ダンケルフェルガーだけではなく、神様達にも呼ばれているなんてフェアフューレメーアはとても大変そうだ。争いが起こる度に呼ばれるフェアフューレメーアに同情しつつ、わたしは次のお話を読む。次は、ユーゲライゼの切ない恋物語だった。
「終わりました。次の本をお願いします」
わたしは楽しく三冊目の本を読み終え、金色シュミルに次の本をお願いする。ドレッファングーアの目を盗んで運命の糸を盗み出して悪戯するリーベスクヒルフェと、あまりにも悪戯されることに腹を立てて報復するドレッファングーアのお話だった。リーベスクヒルフェの髪の毛を運命の糸に混ぜ込み、リーベスクヒルフェはそれに気付かず、自分と人間の男の縁を結んでしまうのだ。
「次はどんなお話だろう? うふふん、ふふん……」
浮かれた気分で金色シュミルが戻ってくるのを待っていたら、「ローゼマイン」と脳へ直接呼びかけるようなフェルディナンドの声が聞こえてきた。機嫌が地の底を這っているような低い声で、浮かれた気分が一瞬で消し飛んだ。
「うひゃっ!? な、何事ですか!?」
わたしは耳元を押さえながら周囲を見回したけれど、どこにもフェルディナンドの姿は見当たらない。周囲を本棚に囲まれた素敵空間が広がっているだけだ。
「やっと聞こえたか……。さっさと戻れ、ローゼマイン。さもなくば、君の大事な物が順番に消えることになるぞ」
怒りをたっぷりと含んだ声は本気のものだ。今すぐに戻らなければ、魔王の怒りの八つ当たりで大変なことになる。
「ぎゃーっ! 体を返してくださいませ! フェルディナンド様が怒ってますっ!」
「……わたくしはずっと呼びかけていたのですけれど」
呆れたような、疲れたような感情が籠った彼女の声が聞こえた直後、わたしの視界から図書館は消えた。代わりに、映ったのはフェルディナンドの顔だった。滅茶苦茶近い。切羽詰まったような心配そうな眼差しが至近距離にある。
先程響いてきたマジ怒りの声とは全く違う表情に驚いて、わたしが目を瞬いてはくはくと口を開け閉めした途端、フェルディナンドの薄い金色の瞳に映っていた心配の色が掻き消えて、腹立ちと怒りの混ざったものになった。同時に、わたしの手に握らされていた何かが消える。
「……ローゼマインだな?」
「はひ」
「きちんと返事をしなさい」
言っておくが、間抜けな発声になったのはわたしが悪いわけではない。フェルディナンドに頬をつねられたので、きちんと返事ができなかっただけだ。
「へんりをしれほひかっらられをはなひれくらはいまへ」
「何を言っているのか全くわからぬ」
……今日のフェルディナンド様、マジ理不尽!
「学習能力がないにも程があるぞ、ローゼマイン」
「ふへ?」
怒りに任せたお説教は聞くから、頬の手を離してほしい。わたしは頬の手を軽く叩く。フェルディナンドは一度グッと力を入れた後、手を離してくれた。けれど、顔の距離は全く離れない。怒りのお説教から少しでも距離を取りたいのに、それは許されないようだ。
「君は神殿図書室に突撃して前神殿長に目を付けられ、貴族院の図書館で魔力を暴走させて王族と関わることになり、面倒事に巻き込まれた。君が図書館に意識を奪われる度に厄介事が起こっているわけだ」
わたしの周囲で起こった厄介事は、図書館に関わらないこともいっぱいあった。図書館のせいにしないでほしい。けれど、反論したらお説教が何倍にもなることは経験上よく知っている。わたしはとりあえず頷いて聞き流すことにした。
「それにもかかわらず、自分の体を代償にメスティオノーラの図書館へ突進するなど何を考えているのだ、この馬鹿者」
「あそこ、メスティオノーラの図書館だったのですか。すごかったですよ。あっちもこっちも本、本、本の楽園でした。もう死んでもいいってくらいたくさんあって……。あそこならば研究関係の本もたくさんあると思います。フェルディナンド様も一度行ってみれば素晴らしさがわかりますよ。今度はぜひ一緒に行きましょうね」
怒りの解消を願ってわたしがメスティオノーラの図書館へお誘いすると、フェルディナンドはひくりと一瞬頬を引きつらせた。
「ほぅ、はるか高みへ一緒に行こうとはずいぶんと斬新な誘いだな。久し振りの臨死体験では足りなかったか?」
……はるか高み!?