Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (649)
ツェントレース
いきなりぶっ飛んだことを言ってくるフェルディナンドを見つめていると、フェルディナンドが「まだ戻っていないか」と忌々しそうに舌打ちした。
「戻っていないとはどういう意味ですか、フェルディナンド様?」
「ローゼマイン、君にとって大事な者の名を挙げよ。私に脅された時、君は誰を思い浮かべた? 君の体を得た女神が何をしたのか思い出せるか? 君は体を貸す前に何をしていた? これから何をせねばならぬかわかるか?」
「え? えーと……」
突然何を言い出すのかと反論する間も与えられず、矢継ぎ早に問われて頭が混乱する。混乱はしているまま、何とか思い出そうとしてみたけれど、記憶にうっすらと靄がかかっているように思い出せない。すぐに頭に思い浮かぶのは、先程までいた図書館で読んだ本の内容ばかりだ。
「わかりません。……でも、先程まで読んでいた本の内容は明確に覚えているのですよ。神々に関するお話で、わたくし……」
「そちらは覚えていなくても良い。むしろ、早く忘れよ」
フェルディナンドが嫌そうに顔をしかめて、わたしの発言を止める。
「え? せっかく読んだ本の内容を忘れろなんてひどいですよ」
「君に体を貸してもらいやすいように、女神が少し精神的に干渉したそうだ。少しではなく、かなり深く影響を受けているようだが……」
ちょっと体を貸すだけの気分だったけれど、精神干渉を受けているとは思わなかった。自分に何が起こっているのか考えると、ちょっと怖い。わたしは差し出された魔力の回復薬を飲みながら「……わたくし、どのような干渉を受けたのでしょう?」と問いかける。
「さて? 答えてもらえなかったからわからぬ。君は余計な干渉などしなくても本や図書館を目の前にちらつかされたら簡単に貸しそうだが、二度とこのようなことはせぬように。……君は他の魔力の影響を受けすぎる」
フェルディナンドは声には出さず、口の形だけで「身食いだから」と言った。そこに何とも言えない苦悩の表情が見える。わたしは手を伸ばすと、フェルディナンドの眉間の皺をぐりぐりした。
「ご心配をおかけいたしました。でも、大丈夫ですよ、フェルディナンド様。死ぬまでにあんな図書館を作ってみたいという野望ができましたから、わたくし、そう簡単にはるか高みへ行くことはございません」
「……余計に心配になったが?」
嫌そうな顔をしているくせに、薄い金色の瞳からは少し怒りや腹立ちが消えている。相変わらず感情が読みにくい人だ。多少機嫌が直ったことに安堵していると、少し離れたところからフェルディナンドとは別人の呆れたような声が響いてきた。
「そろそろ良いか?」
「え? どなたかいらっしゃるのですか?」
視界の中には近距離にあるフェルディナンドしか映っていなかったので、まさか他に誰かいるとは思わなかった。わたしが目を瞬いていると、フェルディナンドがわたしから離れて立ち上がる。
「ここは始まりの庭で、エアヴェルミーン様とジェルヴァージオがいる」
「あ、あ! あぁ~! 思い出しました! 戦いの途中だったではありませんか! フェルディナンド様、何をのんびりとしていらっしゃるのですか!?」
わたしは急いで立ち上がってフェルディナンドを後ろに庇う。エアヴェルミーンに対して戦闘態勢を取ろうとした瞬間、わたしは後ろからフェルディナンドに小突かれた。
「落ち着きなさい。戦闘は終わっている。メスティオノーラによってこの場における命の奪い合いは禁じられた」
「え?」
よくよく見てみれば、エアヴェルミーンもジェルヴァージオもこちらを向いているだけで、戦いの雰囲気が全くなくなっている。
「……こんなに簡単に戦いを収められるなんて、女神様ってすごいですね。神にいの……」
「祈るな、馬鹿者! また同じ目に遭いたいのか!?」
上げかけた手をガッと押さえられたわたしが目を瞬かせると、エアヴェルミーンが苦笑した。
「マイン、其方は身食いで他の魔力を受け入れやすい。神々との交信を行うこの場で祈ると、神々が面白がって降臨してくる可能性が高い。我にとっては懐かしい者達なのでいくらでも降臨させてもらって構わぬが、其方への負担は非常に大きい。気を付けた方が良かろう」
エアヴェルミーンの口調がずいぶんと落ち着いている気がする。もしかしたら女神セラピーの効果だろうか。あんなに大きな素敵図書館の持ち主で、あっという間に戦いを収束させて、エアヴェルミーンをなだめてしまっているのだ。
……女神様、マジすごいね! メスティオノーラに感謝を!
「それで、女神様とどのようなお話をしたのですか?」
「それぞれの望みと現状についての情報を共有した結果、平和的な方法でツェントを競うことになった」
フェルディナンドの言葉に、ジェルヴァージオが「いくら何でも簡略化しすぎだ、フェルディナンド」と顔をしかめる。ジェルヴァージオの言う通りだ。全くわからない。
「講堂がどうなっているのかを考えれば、悠長に話をしている時間などあるまい。結果だけ伝えれば十分ではないか」
時間がないのもわかるし、フェルディナンドが効率重視なのは今に始まったことではないけれど、もう少し説明してほしいところだ。
「せめて、それぞれの望みが何なのか、どのような情報を共有したのかくらいは教えてくださいませ。わたくし、一人だけ戦闘気分が抜けていないのですけれど」
「先程までは記憶から抜けていたくせに何を言うか」
そんなふうに睨まれても、思い出してしまったのだから仕方がないと思う。脳内が一人だけまだ戦闘状態なのだ。顔を合わせた時からお互いに敵視し合っていて「魔石になれ」とか「死ね」とか言いながらお互いに攻撃していたジェルヴァージオとフェルディナンドは雰囲気が硬いものの普通に会話していて、「クインタを殺せ」とか「ジェルヴァージオの邪魔をするな」とぐちぐち口出ししていたエアヴェルミーンはぼけーっと話を聞いているだけなんて脳が受け付けない。
「ちょっと本を読んでいる間に周囲が変わりすぎているせいで、ものすごく落ち着かなくて気持ちが悪いのです」
「神の視点について話を聞いた。ユルゲンシュミットはエーヴィリーベに迫害された者を受け入れる場所。ランツェナーヴェの者が救いを求めてユルゲンシュミットへ入ってくるならば、受け入れることは神々の視点では当然のことだそうだ」
フェルディナンドの説明によると、外の世界で苦しんでいる魔力持ちを受け入れるためにユルゲンシュミットが作られ、外の者を受け入れることがエアヴェルミーンの役目らしい。だから、魔力持ちのランツェナーヴェの者がユルゲンシュミットで住むことを望むならば受け入れる。拒否は考えてもいないそうだ。
「神々はランツェナーヴェの者達によってアーレンスバッハの貴族達が何十人も殺されたことに関しては何も思わないのですか?」
わたしがエアヴェルミーンを睨むと、エアヴェルミーンは何ということもない顔でゆっくりと頷いた。
「人の理とやらに我の言葉など無意味ではないか。命を奪うな、と言ったところで昔から何百、何千の者が内部で殺し合っている。ついさっきも何百人と死んだのだから、数十人が加わったくらいは騒ぐほどでもあるまい。外から数十人が入ってくることを考えれば、全く問題ないではないか」
エアヴェルミーンから見れば、王族による内輪揉めの政変で何百人の貴族が死んでいるのもついさっきのことで、今更アーレンスバッハの貴族が数十人亡くなったところで誤差の範囲だそうだ。外から補充することになったのだから、大した問題ではないらしい。
「わたくし達にとっては数の問題ではないのですけれど……」
「人は勝手に増えるし、勝手に殺し合う。そういう存在だ。短い期間にくるくると変わる人の理など考えるだけ無駄だ」
確かにユルゲンシュミットどころか、エーレンフェスト内の人々だって分かり合えているとは言えないし、人間間の身分や常識の差も大きい。神の常識と人間の常識が噛み合うなどと考えない方が良さそうだ。
「何より、人の理について我に語る者はもう長い間ここを訪れておらぬ」
大昔はメスティオノーラの書を手に入れるために何人ものツェント候補が始まりの庭を訪れていた。魔力が多く満ちていた頃はエアヴェルミーンも自由に人の形を取り、人と交わり、会話する時間があったそうだ。
けれど、ある頃からエアヴェルミーンは顕現できる魔力を得られなくなってきたそうだ。メスティオノーラの書を手に入れる者が減り、中央神殿が聖地から移動して神事が行われなくなったからだろう。それに、魔術具のグルトリスハイトを継承するようになってからは祈りを行うこともなくなってきた。始まりの庭へ入れる者さえ減ってきたに違いない。わたしが知った歴史からも簡単に想像できる。
「話し相手はどうでも良いが、今は礎に魔力を供給するツェントが不在で、国境門の魔力も薄れ、ユルゲンシュミット自体が崩壊の危機に陥っている。数十人の死など鼻で笑う規模の被害が出よう。我はツェントが一刻も早く誕生することが望みだ。それ以上は特に望んでおらぬ」
誰でもいいからさっさと礎を染めてユルゲンシュミットを存続させろ、というのがエアヴェルミーンの望みで、礎を染められない今のツェントはツェントとして認識されていないようだ。
「そういうわけで、ひとまずユルゲンシュミットの崩壊を食い止めるため、至急礎を染めることになった」
「はい? 一体どなたがツェントを競うのですか?」
「ここにいる三人以外にもツェント候補がいるのか?」
いるならばここへ連れてくるが良い、とエアヴェルミーンが期待に満ちた声で言う。ここにいる候補者は難ありばかりなので、新しい候補者は大歓迎だそうだ。
「自称で良ければディートリンデ様がいらっしゃいますし、王族の方々にもここへ入れる者は……」
「エアヴェルミーン様の感覚では、メスティオノーラの書を手に入れた者がツェント候補だ。グルトリスハイトでは意味がないらしい」
……あぅ、ツェント候補の基準が大昔だった。それじゃあ王族の誰も候補になれないよ。
「エアヴェルミーン様が求めていらっしゃるのはユルゲンシュミットを魔力で満たすことだ。そのため、三人の候補がそれぞれ未だ魔力の満ちていない国境門を満たし、この始まりの庭に戻ってくる速さを競うことになった」
「勝者を礎の場所へ案内してくださるそうだ」
フェルディナンドとジェルヴァージオがどちらも自信ありそうな顔をしている。非常に不思議な気分だ。フェルディナンドはツェントを望んでいなかったのではないだろうか。
「フェルディナンド様はツェントになってもよろしいのですか?」
「私が礎を満たせば、エアヴェルミーン様は人の理に口を出さぬそうだ。今の王族を排しようとも、入ってきたランツェナーヴェの者達を処罰しようとも、そこは人の理に合わせて勝手にすれば良いとおっしゃった」
フェルディナンドの計画の、次代では自力でメスティオノーラの書を手に入れるように改革しようとしている部分は評価してくれているらしい。時間がかかりすぎる上に不確実なところがネックだが、フェルディナンドが礎を染めるのであれば、魔術具として作ったグルトリスハイトを手渡して新しいツェントを任命するのも、祈りなどを復活させるのも自由だそうだ。
「省略しすぎだ、クインタ。メスティオノーラは全ての命を粗末にするな、と言ったではないか。そこは考慮するように」
エアヴェルミーンは淡々とした口調で補足する。処罰をするのは構わないが、安易な処刑は禁止だそうだ。連座やら何やら理由を付けては無罪の人までどんどんと処刑するのが当然のユルゲンシュミットで「命を粗末にするな」という言葉が聞けるとは思わなかった。
「そんなに大事な言葉、録音しておけば……」
「録音したところで女神の降臨を実際に見ていない者には君の声だ。わざわざ録音する必要があるか?」
「……そうですね」
確かに慈悲を振り撒きたいわたしの我儘と思われれば今までと同じだ。録音しても意味がないだろう。残念だ。
「貴方はどうしてツェントになりたいのですか?」
「私がツェントになれば、あの離宮を取り壊すことも可能だ。私のような子を産むために娘達をこちらへ送る必要もなく、魔力ある者が貴族として尊重される生活を送らせることが可能になる」
それに加えて、雪崩れ込んできたダンケルフェルガーの者達に捕らえられているだろう中央騎士団の者達を救うことも、アウブが不在になっている領地に新たなアウブを任命してランツェナーヴェの者達を住まわせることができるとジェルヴァージオが言った。
「何故ユルゲンシュミットに住もうとするのですか? ランツェナーヴェの者達に必要なのはシュタープと魔石でしょう?」
「そうとも言えぬ」
ジェルヴァージオによると、ランツェナーヴェでは魔力持ちを押さえつけるような物が色々と開発されていて、王族は権力を失いつつあり、魔力というエネルギーを生み出す道具のような扱いをされているらしい。
「シュタープを得てランツェナーヴェに戻り、強大な力を行使する権力者として君臨したい者と、ランツェナーヴェから脱出してユルゲンシュミットの貴族として永住したい者の二つにランツェナーヴェの王族は割れている」
ランツェナーヴェに戻りたい者を率いているのがレオンツィオで、ユルゲンシュミットの貴族として安住の地を探す者を率いるのがジェルヴァージオだそうだ。意見に差があるけれど、どちらにとってもツェント不在のユルゲンシュミットは恰好の獲物だったそうだ。
「アーレンスバッハの貴族達を殺害したのはレオンツィオ達だが、ディートリンデ様がアーレンスバッハ内の自分の政敵ならば構わないと許可を出したと聞いている。ユルゲンシュミットにはずいぶんと怖いことを平気で行う為政者がいると思ったものだ」
実際に会ってみれば愚かな我儘娘であったが、とジェルヴァージオが嘆息した。
「ユルゲンシュミットにおける安住の地を確かなものにするため、ランツェナーヴェの者達の処罰を取り消すため、私を受け入れてくれた中央騎士団の者達に報いるための地位が必要だ。私はツェントになる」
「それぞれに参加理由があるのはわかりましたけれど、わたくし、アウブですからツェントの礎は染められませんよ?」
わたしがツェントレースに参加する意味がない。
「ならば、其方はアウブとして参加すれば良かろう。国境門に魔力を供給するのは、元々アウブの仕事ではないか」
「……エアヴェルミーン様、それって各領地のアウブがメスティオノーラの書を手にしていた最も初期のお話ではありませんか。まぁ、国境門に魔力を満たす必要があるのならば協力するくらいは構いませんけれど……」
神話に近い時代で基準が止まっているエアヴェルミーンによって、わたしの参加は義務付けられた。
「ツェントになることは不可能ではない。別の者にアウブの礎を染めさせれば良い。身食いである其方の魔力は染め変えやすい故、次の者はさほど苦労すまい」
エアヴェルミーンはそう言いながら、きちんとわたしの方を向いている。
「エアヴェルミーン様、今はフェルディナンド様の魔力と混同していないのですか?」
「今の其方はメスティオノーラの力に満ちているからな」
……どうやらわたし、染め変えられたらしい。
自分の腕を見下ろしてみたけれど、自分では魔力が見えないのでどうなっているのかわからない。
「言動で台無しではあるが、其方からは神々しい女神の残滓が強く感じられる。しばらく黙っていてほしいものだ」
ジェルヴァージオが慕わしそうな視線を向けてくる。わたしを見ているのに、わたしではない者を見る目だ。
「時間が惜しい。始めるぞ。其方等が向かう先は神々が決める」
ピッとエアヴェルミーンが指を立てて細く魔力を放つ。赤、金、緑の三色の光が降り注いできた。わたしの頭上に赤、フェルディナンドの頭上に緑、ジェルヴァージオの頭上に金の光が降り注ぐ。わたしが向かう国境門はクラッセンブルク、フェルディナンドがハウフレッツェ、ジェルヴァージオがギレッセンマイアーに決まった。
「では、行け。其方自身の手で転移陣を構築し、国境門へ向かうのだ」
「グルトリスハイト!」
転移陣を構築するために三人が一斉にメスティオノーラの書を手にした。すぐさま空中に転移陣を描き始めた二人を横目で見つつ、わたしは転移陣の検索から始めなければならない。ちょっと悔しい思いをしながら土の国境門へ向かう転移陣を検索する。
一歩で遅れたように見えるかもしれない。けれど、わたしには奥の手がある。革袋から魔紙を取り出し、わたしはニッと笑った。
「コピーシテペッタン!」
一瞬で転移陣が完成した。苦い顔で「魔紙の無駄遣いだ」と言いながら手を動かし続けるフェルディナンド以外は、「何だ、それは?」と驚きの声を上げている。
ふふんと笑いながら、わたしはメスティオノーラの書を消して、シュタープを転移陣にかざした。
「ケーシュルッセル クラッセンブルク」