Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (651)
魔王の暗躍 付け足し
「お疲れは取れましたか、姫様? そろそろ五の鐘が鳴る頃です。もう少しお休みしていても構わないと思われますが……」
リヒャルダの言葉に少し考える。まだ寝ていたいような気もするけれど、気分的には非常にすっきりしていた。下手に二度寝をするより、起きてしまった方が良いだろう。
「起きます。……フェルディナンド様は戻っていらっしゃるのですか?」
「昼食はこちらで摂られて、アウブと色々な打ち合わせをしたり、方々へオルドナンツを送ったりしていらっしゃいました。今はアーレンスバッハの騎士達と離宮の方で休息を取っているはずです。姫様がアーレンスバッハのことを気にかける必要がないように、とのことでした」
わたしはアウブとして礎を染めておきながら、まだ貴族院の寮を使うためのブローチが作れていないので、アーレンスバッハの騎士達は寮に出入りできないのだ。ランツェナーヴェの館と繋がる離宮があってよかったけれど、良い思い出があるとは思えない離宮でフェルディナンドは本当に休めるのだろうか。そちらが不安だ。
「先にお茶の準備をいたしましょう。姫様は昼食を摂っていらっしゃらないので、軽食を準備させますね」
「お願いします。お茶の準備は一階に一室を準備してもらっても良いかしら? 皆から報告を聞きたいのです」
「アウブにお伺いして、許可を得てまいります。」
リヒャルダがそう言ったので、わたしは何度か目を瞬かせた。後方支援をするならば、それに長けた養母様の方が采配を振るっていると思っていたのだ。
「養父様もこちらにいらっしゃるのですか?」
「今の姫様を衆目に晒すと大騒ぎになるので、明後日の昼食に王族をお茶会室へお招きしてお話し合いをすることになっています。昼食中にフェルディナンド様からのご指示があり、アウブ夫妻は準備に大忙しですよ」
少し現状について話をした後、リヒャルダは天幕の向こうへ声をかけた。
「オティーリエ、男性の側近達に連絡を。ブリュンヒルデ、ベルティルデ。姫様のお召し替えを頼みましたよ。クラリッサ、フェルディナンド様の側近に姫様の起床をお知らせしてください」
天幕の向こうで側近達が動き出したことが物音でわかった。
ブリュンヒルデとベルティルデの姉妹が着替えを手伝ってくれる。見たことがない衣装だ、と見下ろしていると、ブリュンヒルデが困ったように微笑んだ。
「エーレンフェストで仮縫い中の衣装の完成をものすごく急かしているのです。こちらはギルベルタ商会の衣装ではなく、フロレンツィア様の専属が整えた衣装でございます。仮縫いの時点で完成品に使う生地を使っていたため、完成を早めることができたようです。明日にはギルベルタ商会の衣装も一着届くと思われます」
髪型を整えてくれる。その手が少し震えているようにも感じられて、わたしは鏡越しにブリュンヒルデを見つめる。視線を感じ取ったブリュンヒルデが少し視線を逸らして、言葉を探すように頬に手を当てた。
「……これが女神の御力なのだと思いますけれど、ローゼマイン様を直視するためには強い意思が必要なのです。近付けば近付くほど恐れ多いという感覚が強くなり、思わず手が震えてしまいます。少し離れると、ローゼマイン様御自身がほんのりと光をまとっていらっしゃるようにも見受けられますよ」
「お姉様……あ、いえ、ブリュンヒルデのおっしゃる通り、ローゼマイン様はとても神々しくていらっしゃいます。わたくし、こうして間近にお仕えできる機会があって、本当に嬉しいです」
……ねぇ、ベルティルデは目をキラキラさせて崇めるようにわたしを見てるけど、女神の御力で神々しくて恐れ多いって……もう人間じゃなくない?
ハルトムートの大袈裟な褒め言葉ならば聞き流せば良いだけだけれど、これまで普通だった側近達に崇めるような目で見つめられるのは、中身が全く変わっていないだけに結構居た堪れない気分だ。
「このような状態のローゼマイン様を見たら、ヴィルマはきっと絵に残そうとするでしょうし、孤児院の皆は祈りを捧げると思います」
少し離れたところにいたフィリーネが眩しそうな顔でわたしを見ながらクスクスと笑う。
「普通は魔力量が大きく離れると感じられなくなりますけれど、女神の御力はどなたにも感じられるようですね。エーレンフェストから一緒に移動してきた者は皆、ローゼマイン様のお部屋の方を気にしていらっしゃいました。フェルディナンド様のご指示でお布団の上から銀色の布をかけた後は、あまり気にならなくなりましたけれど……」
自覚は全くなかったが、周囲はなかなか大変なことになっているらしい。この女神の御力という物は消せるのだろうか。日常生活が非常に不便極まりないことになりそうだ。
「ローゼマイン様のお休み中は、他の護衛騎士達も休憩していたので、わたくしとダームエルが護衛をしていたのですよ。二度と体験することがないようなすごい戦いだったそうですね。講堂の中で溺れそうだったとラウレンツが言っていました。全く想像できなくて、わたくしも一緒に体験したかったです」
わたしが眠っている間にユーディットとダームエルも寮に到着していたらしい。巨大洗濯機のようになっていた講堂での戦いに参加してみたかったとは、ユーディットはなかなかすごい。
「講堂での戦いではユーディットの投擲が欲しいと思っていました。ユーディットが未成年で残念でしたよ」
ユーディットならばラオブルートに届いたのに、と思った時の話をすると、ユーディットが誇らしそうに笑った。
そんな会話をしながら着替えを終えたわたしは、やはり面倒な女神の御力を遮るための銀色の布をヴェールのように被って、お茶を飲むための部屋へ移動する。わたしを横抱きにして歩くのは、身体強化が得意なアンゲリカだ。
……この銀色の布って遮光性が強くて、唯一見える足元も暗くて危険なんだよ!
できることならばレッサーくんで移動したかったが、「仮に騎獣を使う許可がアウブから出たとしても、布を被って前が見えない状態でどうやって動かすのですか?」とレオノーレから冷静なツッコミを受けて諦めた。
……小さい子供じゃないのに抱き上げられて運ばれるなんて!
布の中で一人「のおおおぉぉぉ!」と恥ずかしさに打ち震えているうちに、お茶という名の報告会を行う部屋へ運び込まれる。
「よく眠れたようだな?」
フェルディナンドの声がして、わたしは布を取った。エックハルト兄様とユストクスが少し驚いたように目を見張り、「なるほど、これは確かに……」と頷いている。部屋に並んでいる側近達の中にはダームエルの姿もある。
「よく眠れたことには感謝していますけれど、フェルディナンド様は休めたのですか?」
「少々薬を使ったが、しっかり休んだ」
少々薬を使ったというところに引っかかって、わたしはフェルディナンドを軽く睨む。
「もしかして、あの悪夢を見て飛び起きる薬ですか?」
「場所が悪くてどうせ夢見が悪いならば、薬を使った方がよく休めて効率的だ」
……つまり、あんまり休んでないってことじゃない?
わたしがむぅっと唇を尖らせている間に、側仕え達がお茶の支度をしていく。わたしとフェルディナンドの前に軽食が並んでいるところを見れば、フェルディナンドも昼食を摂っていないようだ。
「アーレンスバッハの騎士達が離宮を使って交代で休息を取っていることは伺いました。捕らえられていた者達はどうなったのでしょう?」
「まだ離宮に捕らえたままだ。中央騎士団が全く使い物にならぬ。罪状に関しても、王族との話し合いで決めることになった。できるだけ命を奪わぬように、という女神の意見をどうするのか話し合わねばならぬ」
……できるだけ丸投げしたいってことですね。
「アウブ夫妻が王族の招待準備で忙しいため、アーレンスバッハの騎士達への支援はシャルロッテが采配を振るってくれている。後程改めてお礼が必要だろう」
先日のゲオルギーネとの戦いの中、戦闘に出た養母様の代わりにシャルロッテは後方支援の責任者として活躍していたらしい。その腕を今回も振るっているそうだ。頼もしい。
「彼女は第一夫人向きだな。誰かを支えることに秀でているように感じた」
「あら、フェルディナンド様がそのように褒めるなんて珍しいですね。お礼と一緒にシャルロッテに伝えておきましょう」
「あぁ。できるだけ大々的に行うと良い。エーレンフェストの宣伝になる」
シャルロッテの話が一段落したところで、範囲指定の盗聴防止の魔術具が作動した。わたしはブリュンヒルデが淹れてくれたお茶を飲みながらフェルディナンドを見る。
「フェルディナンド様。わたくし、悠長に眠っていてよかったのでしょうか? 始まりの庭へ行かなければならないでしょう?」
「問題あるまい。待っている相手は十年の期間が開いていても気にならない時間感覚の持ち主だ。新しいツェントを連れていく、もしくは、新しいツェントの選出が終わったことを報告に行った方が喜ばれるであろう」
確かにエアヴェルミーンは十年以上前の政変と今回の騒動がほぼ繋がっているような時間感覚の持ち主なので、一日二日待たせたところで大した違いはなさそうだ。
「でも、ジェルヴァージオはどうなったのですか? 戻ったところを捕らえたのでしょうか?」
「いや、いずれ君に回収してもらう予定だ」
「……回収、ですか?」
何だか嫌な響きである。
「ジェルヴァージオに何をしたのですか?」
「まず、自分の転移陣が完成すると同時にジェルヴァージオの手を打ち抜いて、集中を切らせ、描きかけの魔法陣を消滅させて時間を稼いだ」
「エアヴェルミーン様の前で、ですか!?」
命を大事に、と言われた場所であまりにも乱暴な時間稼ぎをしていたことに目玉が飛び出るかと思った。わたしのいた国境門に現れた時にはすでに妨害行為をした後だったとは思わなかったのだ。
「命を奪うなと言われたところであるし、時間稼ぎのための攻撃だったので、一応手の傷が回復する程度の薬は渡してやったが?」
……そんな得意そうに言うことじゃないと思うよ!?
「まず、とおっしゃいましたよね? つまり、まだあるのですよね? 中央神殿へ向かったと聞きましたけれど……」
貴族院でフェルディナンドがしていたことは側近達の話を繋ぎ合わせれば何となくわかるけれど、中央神殿のことは全くわからない。
「聖典とその鍵、それから、ランツェナーヴェの王とジェルヴァージオのメダルを回収してきた。あまりにもイマヌエルがうるさいので黙らせたが、命は無事だ。死ねないようにしてある」
……ちょっと待って。何かすごく物騒な響きだったよ、今の。
わたしは思わず自分が身につけているお守りの一つを服の上から押さえた。ここに刻まれた魔法陣を使ったのだろうか。
「回収した聖典と鍵は、君に名を捧げた側近であり、神官長職にあったハルトムートが管理している。適任であろう?」
わたしがちらりとハルトムートに視線を向けると、壁際に並んでいるハルトムートはキリッとした顔でこちらを見ていた。寝る前に聞いた講堂での奇行は空耳だったのだろうかと思うような真面目な顔だ。
「えーと、メダルは……?」
「メダルは領主候補生の領分ではないか。ジェルヴァージオのメダルは破棄したが、ランツェナーヴェ王の分は私が管理している。こちらの処遇については王族と話し合うつもりだ」
「え? あの、待ってくださいませ。先程破棄と聞こえたのですが……」
ついさっき「命は奪わぬ」と言っていたのはどの口なのか。そう思ってフェルディナンドを見ると、フェルディナンドはしれっとした顔で「嘘は吐いておらぬ」と言った。
「ギレッセンマイアーの国境門にいた時に廃棄したので、命を奪うことにはならぬ。シュタープを失っただけだ。そのためにわざわざ時間稼ぎをしたり、転移陣を見張らせたりしていたのだ」
「あ……」
突然シュタープを奪われたジェルヴァージオは、当然メスティオノーラの書も手にできなくなる。国境門への魔力供給はできず、転移陣も使えなくなって国境門から出られなくなっているはずだ。「回収」という言葉の意味がやっとわかった。
……わたし、絶対にフェルディナンド様の敵に回りたくないよ。怖すぎる。
フェルディナンドが「王族との話し合いをする前に主犯格を捕らえておいた方が有効ではあるが、反撃する力が残っていないくらいに弱っている方が望ましい」と言いながら優雅にお茶を飲んでいる姿を見て、そう思う。
「……でも、フェルディナンド様。ジェルヴァージオ相手にそこまで悪辣な手を使う必要があったのですか? それほど警戒しなくても、ジェルヴァージオはあまり悪い人には見えませんでしたよ。アーレンスバッハの貴族達を襲ったのはディートリンデ様の許可を得た他の方だったようですし、話し合えば分かり合えたと……」
最初の接し方が違えば、ジェルヴァージオとは分かり合えたかもしれない。わたしの感想にフェルディナンドは「もしや危機管理に関する記憶も消えたか?」と心配そうな顔になった。
「あの者が望んだのはランツェナーヴェの者を救うこと、今のツェントに反した中央騎士団の者達に報いることだ。今、ユルゲンシュミットにいる貴族達やランツェナーヴェの者を攻撃した我々に関しては何も口にしていない。ユルゲンシュミットのツェントを目指してはいても、思考の根本からランツェナーヴェの王だったではないか」
腹の中で何を考えているのか知れたものではない、とフェルディナンドは言った。女神が降臨した場で諍いを興すようなことをせずに表面だけ仲良くするくらい、貴族ならば当然のことだそうだ。フェルディナンドとジェルヴァージオがずいぶんと仲良くなったと思ったけれど、別にそういうわけではなかったらしい。
「あの離宮で生き延び、ランツェナーヴェの王になるための教育を受けながら、ランツェナーヴェへ向かうことを厭ってユルゲンシュミットのツェントを目指していた男だぞ? とても真っ当な性根の持ち主だとは思えぬ。君には想像もできぬ生い立ちだ。理解できないままで構わないが、あまり簡単に心を許すものではない。この愚か者」
「申し訳ありませんでした」
余計なことを言ったせいでお説教を食らう羽目になった。反省しなければならない。
「ジェルヴァージオ以外のランツェナーヴェの者達の扱いはどうなるのですか?」
「明後日の話し合い次第だ」
気が急いている時に、明後日というのはとても遠くに感じられる。じりじりとした気分で、わたしはフェルディナンドに尋ねた。
「王族とのお話し合いは日数に余裕があるようですけれど、急ぎではないのですか?」
「もっとも急ぐべきだったのは、ランツェナーヴェの者達の捕獲とツェントになる資格を持つジェルヴァージオの排除だ。それさえ終われば、国境門が光る様子に気付いて集合中のアウブ達や新しいツェントの選出で騒いでいる王族など待たせておけばよい」
エーレンフェストやダンケルフェルガーから緊急だと連絡を入れたのに、「三日後」というような返事をしてきた者達に対して、こちらが疲労困憊のまま付き合う必要はないとフェルディナンドは言い切った。アナスタージウスやマグダレーナがこちらに協力していたので、一応意見を聞き入れて大急ぎで場を整えるということで明後日のお昼になったそうだ。
「それに、明後日以降でなければ君の衣装が仕上がらないと聞いている。さすがに必要であろう?」
「衣装は大事ですよね。何だか今は見た目が大変なことになっているようですし……」
フェルディナンドの態度が変わらなすぎたせいで全く自覚ができなかったと文句を言うと、「中身が変わった間は態度も変えていたぞ」と睨まれた。
……そうか。フェルディナンド様でも女神様の前だったら態度を変えるのか。無礼者街道一直線かと思ってたよ。新発見。まぁ、発見したところで、わたしに対する態度が変わるわけじゃないんだけど。
「王族とのお話し合いまで、わたくしはどのように過ごせば良いのですか?」
「奉納舞の稽古をするように言っておいたはずだが?」
「……何のために、ですか? 歩く程度ならば慣れてきましたけれど、舞うとなれば話は別です。今のわたくしでは奉納舞をまともに舞えると思えません」
やりたくないと遠回しに訴えたら、「だから、稽古するのだ」と反論された。
「新しいツェントを連れて始まりの庭へ戻るためには御加護の再取得より、奉納舞の方が良い。他の者にはそう簡単に真似できぬからな。女神の化身と言っても過言ではないその見た目で、どこぞの誰かのように派手に転倒するわけにはいくまい?」
「わたくし、始まりの庭へ戻るために奉納舞を行うなんて初めて聞きましたよ!?」
そんな大役のために奉納舞をするなんて聞いていない。
「そうか? だが、新しいツェントを始まりの庭へ連れていくため、それから、真のツェント候補が舞えばどのようになるのか無駄吠えの多い外野に知らせるためにそういう流れになっている」
「流れになっているではなく、フェルディナンド様がそういう流れにしたのでしょう!」
ふんぬぅ! とわたしが元凶を見れば、フェルディナンドがとても不機嫌な時のキラキラ笑顔になった。
「何か問題があるか?」
「……ないです。奉納舞のお稽古に励みます」
「よろしい」
……よろしくないよ! わろし!