Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (653)
顔色の悪い王族 その2
残念ながらわたしの交渉結果は大して喜ばれなかったようだ。「本一冊……」と呆れたような小さな声が王族以外からも複数上がった。明らかに役に立たないと思われている。
……普段から本を読まないから、王族は古語のお勉強が進まなかったんだよ! ふんぬぅ!
「あの、ローゼマイン様。わたくし、質問があるのですけれどよろしいでしょうか?」
エグランティーヌがぴたりと頬に手を当てながら、わたしとフェルディナンドを見つめる。
「わたくしは以前にお二人とお話をした時、奉納舞の検証を大々的に行ってツェント候補が各地の領主候補生から次々と出た場合は騒乱の種になるというご意見をいただいたと記憶しています。……けれど、今のお二人は次代のツェントを王族以外から選ぶとおっしゃいました。騒乱の種になることについてはどのようにお考えなのでしょうか? 教えていただいてもよろしいかしら?」
騒乱が起こることを何よりも忌避したいエグランティーヌらしい質問だ。これは想定されていた質問事項の中にあったので、わたしはフェルディナンドとの打ち合わせ通りの答えを返す。
「王族のどなたかがツェントになれるならば、それが一番良いとわたくしは今でも思っています。余計な騒乱の種など必要ありませんから。グルトリスハイトへ至る手段がわかって一年近く経ちますが、王族はグルトリスハイトを得ることができたのでしょうか?」
わたしがそこで言葉を止めると、フェルディナンドに軽く睨まれた。
……でも、「一番グルトリスハイトに近かったのは、生まれながらの全属性であるエグランティーヌ様でしたよね?」なんて嫌味ったらしいこと言いにくいよ。間違ってはないんだけどね。
「いえ、それは……。ですが、ローゼマイン様が養子縁組をすることで王族にグルトリスハイトがもたらされることは決まっていましたから……」
「エグランティーヌ様、それは王族がグルトリスハイトを得るのではございません。当時の私は嘘偽りなく、王族がグルトリスハイトを得るべきだと考えておりましたが、まさかここまで王族にツェントとなるための資質や努力や矜持が全く足りないとは考えていませんでした」
「フェルディナンド!?」
わたしの暴走は遠い目で見ていた養父様がハッとしたように目を見開き、フェルディナンドを制止しようとした。けれど、フェルディナンドは笑顔で受け流す。
わたしが言うように準備されている答えもかなり好戦的だなと思っていたが、フェルディナンドはもっと挑発的だった。今まで王族に表面上の礼儀をきっちりと弁えていたフェルディナンドが、これほど直接的に王族を無能扱いするとは思わなくて、わたしは目を瞬く。
「エグランティーヌ様、あの時、私は騒乱を起こさずに王族がグルトリスハイトを手に入れられるように、とグルトリスハイトへ至る手掛かりをお伝えしました。そして、決してトラオクヴァール様に反意などないことを示すために王命の婚約を受け入れていました。ですが……」
フェルディナンドはそこで言葉を切って、笑みを深める。
「手掛かりを得た王族は自分でグルトリスハイトを得るのではなく、ローゼマインに取らせようとしました。アーレンスバッハへ向かう私の代わりにエーレンフェストを守ると約束したローゼマインが、王の養女となってグルトリスハイトを得ることになり、まるで悪夢のような最悪の婚姻を強いられると聞かされたのです。その時の私の心情がわかりますか、トラオクヴァール様? エーレンフェストを守るために離れたというのに、王族によってエーレンフェストを引っ掻き回された私がどのように思ったのか、少しは想像してみていただきたいと存じます」
質問をしたエグランティーヌではなく、フェルディナンドは真っ直ぐにトラオクヴァールへ視線を向けていた。トラオクヴァールが唇を引き結んで項垂れている。
「いくら何でも失礼が過ぎますよ、フェルディナンド様」
「マグダレーナ、第三夫人で社交の場にはあまり出ぬ其方が知らぬだけで、私は彼にそれだけのことを強いたのだ」
トラオクヴァールの制止にマグダレーナは「差し出口だったようです。申し訳ございません」と口を閉ざす。
「トラオクヴァール様、フェルディナンドに何を強いたのか、教えていただけますでしょうか? 私は彼の兄として、アウブ・エーレンフェストとして、知る権利があると存じます」
フェルディナンドの婿入りに関しては蚊帳の外に追いやられていた養父様が、トラオクヴァールを見据える。トラオクヴァールはフェルディナンドに視線をやり、ゆっくりと首を横に振った。
「無理を強いた彼からの条件が決して口外しないことだったので、私から反故にする気はない。これ以上、フェルディナンドや女神の化身の怒りを買うような真似はせぬよ」
トラオクヴァールの判断にフェルディナンドは少し安堵したように一つ頷いた。
「エグランティーヌ様、質問の答えですが、グルトリスハイトを得る方法を知ったにもかかわらず、未だに手にしていない王族を代々のツェントに据えて再び国が崩壊する危機を迎えるよりは、騒乱があったとしても魔力で満たされた国が存続する方が望ましいと考えています」
「そうですか……」
「……ですが、これまで通りに王族がツェントとしてユルゲンシュミットに君臨しているように見せかけたければ、全く方法がないわけではございません。任命されたツェントの子から最も多くメスティオノーラの書を得られる者を代々排出すれば良いのです」
自分達の努力でツェントを続ければ良いという突き放したフェルディナンドの言葉にエグランティーヌは何か考えるようにおっとりと首を傾げる。
「王族がユルゲンシュミットの在り方を歪めてきた歴史と誰もがメスティオノーラの書を得られるように取得方法を公開するつもりではありますが、ぜひ、これからも歴代ツェントを輩出できるように努力していただきたいと存じます」
「ユルゲンシュミットの在り方を歪めてきた歴史……?」
わたしはフェルディナンドに促されて、ツェントの資格を得るための方法が歴代のツェントによって少しずつ変わっていった話をした。中央の王宮図書館にある資料は、王族が中央へ移った後の分しかないため、これまで学んだ歴史とはずいぶんと違ったらしい。
衝撃を振り払うように首を横に振ったジギスヴァルトがわたしを見る。
「女神の化身よ。王族というこれまでの枠組みを壊すために神々が新しいツェントを欲していることは理解しました。私が新たなツェントとなり、なるべく御心に沿うように昔のやり方を取り入れることにしたいと思います」
ジギスヴァルトの宣言にフェルディナンドが軽く眉を上げた。アナスタージウスが不安そうにジギスヴァルトを見る。
「兄上、それは……」
「次期ツェントとして周知されている私がひとまずツェントに就任するのが最も相応しいと思っている。アナスタージウスは同意してくれるであろう?」
抗議するように声を上げたアナスタージウスへ向けられたジギスヴァルトの穏やかな笑顔に、アナスタージウスはかけるべき言葉を見失ったような顔でそっと視線を下げた。それを了承と受け取ったのか、ジギスヴァルトは笑みを深めてわたしに視線を向ける。
「昔のやり方を取り入れますが、今回の外患誘致の罪はアーレンスバッハにございます。王族が全ての罪を背負うことには納得できません」
「兄上!」
アナスタージウスが制しようとしたけれど、ジギスヴァルトは続けた。
「危険には陥りましたが、ダンケルフェルガー、エーレンフェストによってユルゲンシュミットは守られました。王族より先に罰する必要があるのは、アーレンスバッハの者達ではありませんか?」
穏やかに微笑むジギスヴァルトの視線はフェルディナンドに向けられていた。フェルディナンドがディートリンデを押さえて、ランツェナーヴェの者達の侵入を防ぐことができていればこのようなことにはならなかったという思惑が透けている。他者に命じることに慣れていて、王族である自分の言葉を覆されることなど髪の毛一筋も考えていないことがよくわかった。そういう立場で、そういう育ち方をしたのだろう。
……何だか全然理解できてないみたいなんだけど、ツェントに立候補した王族だから女神の化身ってことになってるわたしにこの態度でいいのかな?
王族の考え方や基準がよくわからない。この場でジギスヴァルトを咎めた方が良いのかどうか。わたしがちらりとフェルディナンドに視線を送ると、フェルディナンドはキラキラ作り笑い顔になっていた。
「かしこまりました。アーレンスバッハの罪人はいつでも引き渡しできる状態になっています。ジギスヴァルト王子のお望み通り、すぐに中央へ引き渡しましょう」
……うわぁ、応戦する気満々じゃない? ジギスヴァルト王子、ご愁傷さまです。
先に罰したいならさっさとやれ。受け入れ態勢が整ってないのは中央ではないか、という副音声が聞こえた気がした。こんな状態のフェルディナンドに立ち向かっていくなんて怖いこと、わたしは本以外のことでしたくない。けれど、ジギスヴァルトはどうやらなかなか勇気のある若者だったらしい。
キラキラ笑顔のフェルディナンドを不機嫌とは悟れなくても、副音声は正確に聞き取れたようで、ジギスヴァルトは一瞬言葉に詰まってニコリと微笑んだ。
「実行犯の話だけではなく、次期アウブを支えるための婚約者としてアーレンスバッハにいた貴方について話をしているのです。御自分の罪を自覚していますか?」
その言葉にカチンときた。王族の義務を果たしていないジギスヴァルトから、王命の義務に従って心身を削るようにして慣れない土地で執務をしていたフェルディナンドへの言い分を聞き流すことはできない。
「わたくし、ジギスヴァルト王子のお言葉がよく理解できないのですけれど、フェルディナンド様が義務を怠っているとおっしゃりたいのでしょうか?」
フェルディナンドではなく、わたしが口を開いたことにジギスヴァルトが目を見開き、アナスタージウスが「兄上」と頭を抱える。抑えたければ、もっとしっかり早く抑えるべきだったと思う。
「王命による義務があったからこそ、フェルディナンド様は毒を受けたというのに碌に治癒する余裕もないまま戦場に立ったのではありませんか。アーレンスバッハの騎士とダンケルフェルガーの有志を率いて戦ったにもかかわらず、まだ義務が足りない、とおっしゃるのですか?」
「うむ。ローゼマイン様のおっしゃる通り、フェルディナンド様はアーレンスバッハにいるランツェナーヴェの兵士達を掃討し、エーレンフェストへ侵攻したアーレンスバッハの貴族達を追い、中央でメスティオノーラの書を得ようとするランツェナーヴェの者達を捕らえました。夫ではなく未だに婚約者という立場を考えると、領分を越えるほど真摯に義務を遂行していたことは、共に戦ったダンケルフェルガーが保証いたします」
本当に休息を取る余裕などほとんどないままの強行軍だったことをアウブ・ダンケルフェルガーが認める。ジギスヴァルトは「そうですか」と微笑んでいるが、その目は全く納得しているようには見えなかった。
「ジギスヴァルト王子、わたくしもお伺いしたいのですけれど、フェルディナンド様が王命による義務を遂行している間、ダンケルフェルガーやエーレンフェストから危機が知らされた王族は一体何をしていたのですか?」
遂行しなければならない義務を抱えているのは、わたしやフェルディナンドだけではないはずだ。王族が罪を負うことに納得できないと言うが、王族は一体何をしていたのか。わたしが睨むと、ジギスヴァルトが気圧されたように息を呑んだ。
「騎士団長の裏切りや中央でのトルークの蔓延にも気付かず、騎士団長の思惑に乗ってランツェナーヴェの者達へシュタープを取らせるという愚を犯し、礎を守ることを放棄し、騎士団の裏切りに右往左往する以外に何をしていたのか教えてくださいませ。わたくし、講堂での戦いでジギスヴァルト王子のお姿は拝見していませんけれど、どちらで何をしていらっしゃったのかしら?」
「私は、自分の離宮で王族として中央貴族達に指示を……」
息苦しそうに言葉を吐き出すジギスヴァルトを、わたしはニコリと微笑んで制する。自分の離宮に引き籠っている時点で、全くユルゲンシュミットの守りになっていない。
「それは自分達の身柄ではなく、国や礎を守るという王族の義務の遂行に必要な指示でしたか? ユルゲンシュミットの礎がある貴族院ではなく、自分達が住む中央を守っている時点で王族として失格だと、さすがにもう気付いていらっしゃると思うのですけれど、その自覚はおありですか?」
「ローゼマイン、そろそろ止めなさい。女神の化身からの糾弾に他の王族が顔色を失っている」
フェルディナンドが軽くわたしの袖を引く。見回してみれば、確かに顔色の悪い人ばかりだ。
「そのようですね。でも、政変後の処刑の時には王族の無茶な連座や頓珍漢な糾弾に顔色どころか、命を失った者がたくさんいるというのに、命の保証だけはされている王族が自分達の失態を突きつけられて顔色を失うくらい何でもないでしょう?」
わたしがコテリと首を傾げると、フェルディナンドが立ち上がってわたしの腕をつかむ。その顔色は悪く、焦りが誰の目にも見えるほどになっていた。
……あれ? フェルディナンド様が変だよ?
「ローゼマイン、目の色が変わっている自覚はあるか? 無意識に漏れ出す女神の御力が増えて軽い威圧状態になっているのだが、わかっているのか?」
ジギスヴァルトに怒りを感じたけれど、軽い威圧状態になっている自覚は全くなかった。目を瞬くわたしに向かって、ゆっくりと手を挙げたのはトラオクヴァールだった。呼吸を整えている姿を見れば、わたしの無意識の威圧を受けていることがわかる。
「どうか私の発言をお許しください、ローゼマイン様」
丁寧に発言の許可を求める彼の姿にジギスヴァルトがフェアドレンナの雷を受けたような顔になる。皆の注目がトラオクヴァールに集まった。
「許します」
「断罪されるべき立場を弁えぬ愚かな息子で申し訳ございません。けれど、ローゼマイン様が愚息の言葉にお心を揺らす必要はないのです。星結びを終えるまでフェルディナンドはディートリンデの連座にならないと確定しています。どうかご安心ください」
トラオクヴァールの言葉に、わたしは胸を撫で下ろす。何だか記憶から薄れていたけれど、確かにそういう約束があった。誰が何を言ってもフェルディナンドに影響はない。ホッとわたしが息を吐いた瞬間、周囲の皆も安堵するように息を吐いた。
フェルディナンドが真剣な眼差しでわたしの顔を覗き込み、「目の色は戻ったようだな」と呟く。わたしの目の色は戻ったようだけれど、フェルディナンドの顔にある焦りは完全に払拭されていない。
「ローゼマイン、女神の御力は自分の魔力より制御が難しいように見える。君が感情的に反応すると同時に女神の御力が膨れ上がっているようだ。このまま女神の御力が増えれば、君が君ではなくなる可能性がある。頼むから、できるだけ感情を抑えなさい。」
君が君でなくなるという言葉に背筋がぞっとした。それは、すでに失ってしまった記憶の他にも大事な記憶の消える可能性があるということだろうか。もっと恐ろしいことが起こるということだろうか。そんなふうにフェルディナンドが指摘するということは、わたしはすでにわたしではなくなっているのかもしれない。
……何それ、怖い!
わたしの中で恐怖が膨れ上がるのは、ほんの一瞬だった。
「ローゼマイン!」