Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (659)
閑話 ハンネローレ視点 継承の儀式 前編
「神殿や神事への忌避感を改革するために幼い子供達の参加が許可されたと伺いましたけれど、予想したほどの人数はいらっしゃいませんね」
領主一族が座る観覧席から講堂の中を見回しました。今日は新しいツェントにグルトリスハイトの授与が行われるのです。わたくしは女神の化身となったローゼマイン様から直接ご招待をいただきました。王族とのお話し合いの中で、お願いしてくださったそうです。わたくし、間が悪いので絶対に無理だろうと諦めていました。時の女神 ドレッファングーアのお導きでしょう。
……わたくしの間の悪さが少しずつ改善しているようです。ドレッファングーアに祈りを捧げましょう。
側仕えのコルドゥラが作ってくれたお守りを握って祈りを捧げていると、お兄様がダンケルフェルガーの領主一族の席に並んで座っている第二夫人の娘を見下ろし、フンと鼻を鳴らしました。
「子供の姿は少なくて当然だ。本来ならば領主会議に子供を出席させるようなものではないか。貴族院にさえ入学していない洗礼式直後の子供を、王族も集うような場へ連れて来られるアウブなど早々いまい。ダンケルフェルガーでも彼等を連れてくるかどうか散々話し合ったくらいだぞ」
ダンケルフェルガーでも第二夫人の娘は参加がすんなりと決まりましたが、他の方々に失礼がないように息子の方は参加を見送ることになりました。
ちなみに、お兄様は「私は次期アウブだからこそ、交流を持つためにも次期ツェントがグルトリスハイトを継承する場には同席しなければならない」と言い張り、叔父様に留守をお願いしてこの場に来ています。
エグランティーヌ様とローゼマイン様の奉納舞があると両親から聞かされた時から、目の色を変えて主張し始めたので、本当の目的は誰に目にも明らかです。筆記具を講堂へ持ち込まないというお約束をお母様がさせ、今朝は何度も持ち物の確認をされていました。
……成人している次期アウブがこのような状態ですもの。この場に連れて来られる子供達は少ないでしょうね。
「だが、提案者であるエーレンフェストはしっかり連れてきているな。この場で神殿長の衣装を着ているなど、ずいぶんと目立つではないか」
神殿長の儀式服を着て座っている幼い領主候補生メルヒオール様の姿が見えました。わたくしはエーレンフェストの祝勝会へお招きを受けたので面識があります。
「ローゼマイン様の後任として神殿長に就任されたそうですよ」
「これから神事や神殿の重要性を押し出していく時に神殿長か。つまり、あの者がエーレンフェストの次期アウブになるのではないか? 婚約者を奪われ、弟に次期アウブの座を奪われかけているというのにヴィルフリートは呑気そうに笑っている場合ではなかろう」
お兄様がエーレンフェストの領主一族が座る場を見ながら毒づきます。
「婚約者を奪われたとおっしゃいますけれど、エーレンフェスト内で冬の社交界で春になったらローゼマイン様が王族の養女となり、次期ツェントに嫁ぐというお話が周知されて婚約解消状態だったそうですから……」
「それが不甲斐ないと言っているのだ。私が嫁盗りディッターの時に言った通りの結果になったではないか」
その点に関してはお兄様のおっしゃる通りです。いくらヴィルフリート様と婚約していてもエーレンフェストではローゼマインを守り切れませんでしたし、今となっては王族が嫁盗りディッターに横槍を入れた理由がローゼマイン様を得るためだったと言われても仕方ないと思います。
「お兄様の言い分に間違いはございませんけれど、ローゼマイン様はダンケルフェルガーの第一夫人におさまる器ではございませんよ。ローゼマイン様はどなたかの手綱になるのではなく、御自身に手綱が必要な方です。残念ながらお兄様ではローゼマイン様を上手く導いていくことはできないと思います」
「それがフェルディナンドか?」
「えぇ。わたくしはエーレンフェストでそれを強く実感いたしましたから、フェルディナンド様がローゼマイン様の婚約者となられたことにとても安堵いたしました」
先日、両親から話を聞いてわたくしも驚いたのですけれど、わたくし達が何もしなくてもローゼマイン様とフェルディナンド様はすでに婚約状態だそうです。政略結婚でも良いので、フェルディナンド様とローゼマイン様を何とか結婚させなければ、と意気込んでいたわたくしは肩透かしを食らった気分です。
何でも、フェルディナンド様はトラオクヴァール様から「執務経験のない次期アウブ・アーレンスバッハに婿入りして支えること。それから、星結びと同時にレティーツィア様を養女とし、次期アウブとするために教育すること」と王命を下されていたそうです。
ところが、ディートリンデ様が王命に反して御自分で礎を染めず、姉であり、上級貴族となったアルステーデに染めさせたため、次期アウブは既婚女性になってしまいました。フェルディナンド様が婿入りできる相手ではありません。そのまま領主会議を経て承認が済めば、フェルディナンド様に下された王命は自動的に取り消されたでしょう。
けれど、アルステーデがアウブとして正式に就任するより先にローゼマイン様がアーレンスバッハの礎を染めました。ローゼマイン様は執務経験のない未婚女性のアウブです。再び王命が効力を発します。
「ヴィルフリート様とローゼマイン様の婚約はほぼ解消状態でしたし、王の承認でしたから、王命の方が優先されるのは当然ですもの。道理でフェルディナンド様が婚約者のような態度でローゼマイン様に接し、アーレンスバッハの騎士達を率いていたわけです」
「だが、トラオクヴァール王の王命を忠実に実行するとなれば、ローゼマインは星結びと同時に養女を取ることになるし、その養女を次期アウブにしなければならなくなる。王命の片方は受け入れるが、もう片方は受け入れないなど都合の良い真似は周囲が許さぬぞ」
お兄様はそう言いながら青と黄色の×印が入った藤色のマントをまとう集団を指差しました。アーレンスバッハの領主一族の席に座っているのはレティーツィア様だけです。貴族院へ入学していないレティーツィア様がこちらにいらっしゃっているということは、まだ領主一族として扱われているようです。
「フェルディナンド様はレティーツィア様に関しても王命を貫くおつもりなのでしょうか?」
「さて、どうするつもりか……。古い王命を排しなければ養女が新しい領地の騒乱の種になるが、古い王命を排すればフェルディナンドは婚約者ではいられなくなる。今は王命に従っているように見せかけておくのが一番無難だとは思うが……」
女神の化身として新しいツェントに大きな影響力を持つローゼマイン様の夫に収まりたい者は大勢いるし、ローゼマイン様とフェルディナンド様の星結びによって新政権でエーレンフェストの影響が非常に強くなることを懸念する領地は多い、とお兄様が不安事項を並べていきます。
「心配は心配ですけれど、お兄様が考える程度のことをフェルディナンド様が考えていらっしゃらないはずがございません。あの方は本当にあらゆる想定を行い、対策を講じるのですよ。わたくし、間近で拝見して身震いしましたもの」
アーレンスバッハとエーレンフェストで行われた本物のディッターに参加した時のことを述べようとすると、お兄様が「それは方々から何度も聞いた」とわたくしの言葉を止めました。
「ハンネローレの言う通りです、レスティラウト。おそらくフェルディナンド様の筋書きでしょうが、エグランティーヌ様はグルトリスハイトを得るためにローゼマイン様に名捧げを行うことになっています。エグランティーヌ様から新しい王命を得ることは容易ですし、ローゼマイン様がお困りになることはありません」
お母様の言葉にお兄様が嫌そうに顔をしかめました。
「グルトリスハイトを盾にして、新たなツェントに名捧げを強要したのか。……ダンケルフェルガーで魔王を呼ばれる男はやることが相変わらず悪辣でえげつない」
そんな話をしているうちに、カラーン、カラーンと澄んだ鐘の音が鳴り響きます。儀式の開始を知らせる三の鐘です。大きく扉が光れると、観覧席が一気に静かになります。
貴族院の成人式や卒業式と同じように祭壇と舞台が整えられた講堂へ、今日は楽器を持った楽師達がしずしずと入場してきました。卒業式の時は卒業生が音楽と歌を奉納しますが、今日は楽師達が演奏するようです。よく目を凝らしてみれば、お茶会の時に同行していたローゼマイン様の専属楽師の姿も見えます。
その次に入場してきたのは、青色神官達の集団でした。同じような青色の衣装をまとう者達を先頭で率いているのは見慣れた顔をしています。
「先頭はハルトムートですね」
「あぁ、クラリッサの婚約者だな。エーレンフェストの神官長なのに貴族院の儀式で見慣れた顔になっているのが妙な気分だ」
中央神殿の者達よりよほど接する回数が多かったせいでしょうか。わたくしの中では貴族院で神事を行う時にはハルトムートが取り仕切っている姿しか思い浮かばないのです。青い神官服をまとったハルトムートは祭壇の前に立ちました。青色神官達が定められた場所に立ち止まります。ハルトムートはゆっくりと講堂内を見回し、声量を増幅する魔術具を手にしました。
「メスティオノーラの化身に選ばれしツェント候補、エグランティーヌ様のご入場です」
その声と共にアナスタージウス王子にエスコートされたエグランティーヌ様が優雅な微笑みを浮かべて入ってきます。入場の瞬間にどこからともなく祝福の光が降り注いできました。
「まぁ!」
「卒業式の時と同じ、神からの祝福ではないか!」
お二人の衣装が卒業式の時と同じだったせいもあるでしょう。エグランティーヌ様にキラキラとした祝福の光が降り注ぐ様子は、卒業式とそっくり同じに見えました。当時の神殿長の「神からの祝福だ」という言葉が耳元に蘇ります。あの頃から神々は新しいツェントの候補としてエグランティーヌ様をお選びだったのだとすんなりと思える光景でした。
柔らかに金髪を結い上げたエグランティーヌ様が祝福の光を浴びるようにして祭壇へ向かって優雅に足を進めます。新しいツェントというお役目に就くからでしょうか、以前より柔らかな雰囲気が減って、凛とした横顔を見せるようになっていらっしゃいました。アナスタージウス王子の厳しい表情からもツェントの重みが伝わってくるようです。お兄様の指先がテーブルの上で動いています。きっと絵に残したい美しさなのでしょう。
「メスティオノーラの化身でいらっしゃるローゼマイン様のご入場です」
エグランティーヌ様が奉納舞の舞台の前で足を止めると、ハルトムートがそう言いながら扉を示しました。わたくしは必死で目を凝らします。お父様やお母様から伺っていた女神の御力を得たローゼマイン様がどのようになっているのか、とても楽しみだったのです。
フェルディナンド様のエスコートでローゼマイン様が入ってきました。エグランティーヌ様は祝福の光を浴びていましたが、ローゼマイン様は御自身が淡く光を帯びています。離れていても女神の御力が緩やかに放たれているのを感じました。観覧席にいても感じられる程の御力です。人が持つ魔力とは違い、畏怖せざるを得ないような波動があります。
……よくフェルディナンド様はローゼマイン様のエスコートができるものです。
姿形がローゼマイン様でも、あまりお傍に寄りすぎるとわたくしは跪かずにはいられないでしょう。両親もそうだったと聞いています。やはりフェルディナンド様も普通ではありません。
よくよく見てみると、ローゼマイン様が光を帯びているのは、女神の御力のせいだけではありませんでした。身につけている魔石の飾りが全て光っているのです。
歩みに合わせて夜空の色合いの髪がさらりと揺れる度に、いくつもの虹色魔石がシャラリシャラリと細い音を響かせ、星のような輝きを作り出しています。白い衣装の内側にいくつの飾りがあるのかわかりませんが、長い袖の中に様々な色合いの光があり、腕の形がほんのりと透けています。宝飾品だけでもエグランティーヌ様とローゼマイン様のどちらの格が高いのか一目でわかりました。
闇の神の祝福をいただいた夜空の髪も、光の女神の祝福を受けた月のような金色の瞳も伝承に残るメスティオノーラと同じ色合いです。育成の神 アーンヴァックスの御力によって年相応のお姿に成長された今のローゼマイン様は本当に女神の化身と呼ばれても何の違和感もございません。
……わたくしが戦いの後、ローゼマイン様とお別れしてから十日くらいしか経っていないのですよ。
たった十日くらいでここまで変化があるとは思いませんでした。同性の友人で、接する時間が多く、成長したお姿を間近で拝見したことがあるわたくしが思わず見惚れてしまう程の変化です。見慣れていない方々は唖然とするしかないでしょう。
わたくしはお兄様の様子をちらりと見ました。お兄様は大きく目を見開き、わずかに唇を開いて完全に固まっています。よほど衝撃が大きかったようで、描くように指先が動くこともありません。しっかりと脳裏に刻み込まなければならないというように、瞬きもせずにローゼマイン様に見入っています。
「先日、ローゼマイン様に英知の女神 メスティオノーラが降臨されました。女神の御力を感じ取れない者はいないでしょう」
ハルトムートから音量を増幅する魔術具を受け取ったエグランティーヌ様が講堂にいる貴族達に語りかけました。神々の言葉が伝えられ、ランツェナーヴェの者達との戦いについても少し触れられます。
「詳しいお話は領主会議で行います。今日はグルトリスハイトを失ったわたくし達に再びグルトリスハイトを授けてくださるそうです」
エグランティーヌ様から魔術具を受け取ったフェルディナンド様がローゼマイン様をエスコートしながら奉納舞の舞台へ上がっていきます。ローゼマイン様が舞台に上がっただけで、奉納舞の舞台には魔法陣がくっきりと浮かび上がりました。ディートリンデ様がほんのりと浮かび上がらせた魔法陣と全く同じ物です。
「今は忘れられてしまった古い魔法陣ですが、これはツェント候補を選別するための魔法陣です。奉納舞によって自分一人の力で神々の元へ向かう道を開くことができない者はツェント候補として失格になります。これから先、メスティオノーラより英知を授かる可能性のある子供達にはよく見て、神事の大切さや神々に祈るということを感じていただきたいと存じます」
そうおっしゃってフェルディナンド様がローゼマイン様の手を離し、奉納舞の舞台を下りていきます。そして、楽師達に交じってフェシュピールを手に取りました。
「フェルディナンド様が演奏されるのでしょうか?」
「あの場にいるのだ。演奏することは間違いないであろう」
ピィン、ボロン、といくつかの音を確認したフェルディナンド様と共に楽師達が音を合わせます。音の調整が終わると、フェシュピールを構え直しました。
音合わせが済んだことは舞台の上に残されたローゼマイン様にもわかったのでしょう。ローゼマイン様は円状の舞台に跪いて祝詞を口にしました。
「我は世界を創り給いし神々に祈りと感謝を捧げる者なり」
音楽が鳴り響き、音を増幅する魔術具を近くに置いているフェルディナンド様の歌声が講堂内に響き始めます。同時に静かに俯いていたローゼマイン様が顔を上げ、体重を感じさせない軽い柔らかな動きで立ち上がります。ふわりと体が動き始め、高く亭々たる大空に向かってしなやかな両腕が伸ばされました。手の甲から手首にかけて何かまとっているようで、小さな虹色魔石が輝いて軌跡を描き出します。
「神に祈りを」
それは誰も見たことがない、女神の舞の始まりでした。
しんと静まった講堂内に響くのは、楽師たちが奏でる音楽とフェルディナンド様の歌声だけ。皆の視線がただ真っ直ぐにローゼマイン様に向かっています。
……光の柱が……。
ローゼマイン様が舞い始めると、舞台の上の魔法陣が光り始め、それぞれの大神の記号から貴色の柱がゆっくりと伸び始めました。ゆるりと上がる腕の動きに合わせるように、くるりと翻る裾の動きに合わせるように、七色の光の柱が少しずつ高さを増していきます。
「祭壇の神像が動いているぞ」
お父様の呟きにわたくしは祭壇の神像をよく見つめました。お父様の言う通り、神々の像が勝手に動き始め、最上部への道を開いていきます。
……これが神々の元へ向かう道でしょうか?
貴族院で神事を行うと光の柱ができることは周知の事実ですが、このように祭壇の神像が動くのを見たのは初めてです。
「今までの貴族院の神事では起こりませんでした」
「御加護を得る儀式でも道が開かれたそうだ。おそらくツェント候補一人の魔力で満たすことが必要なのであろう」
小声でお父様と話をしているうちに、光の柱が伸びなくなりました。舞台が女神の御力で満たされたのでしょうか。上に伸びなくなった代わりに、今度は淡い光がゆっくりと下へ流れ落ちていきます。その光はキラキラとした波となり、奉納式の時のように赤い布が敷かれた祭壇を駆け上がり始めました。光の動きに赤い布が波打つようにも見え、今度は祭壇の神像が持つ神具が次々と光を放っていきます。
全ての神具が光った後、ローゼマイン様が跪いて動かなくなりました。それが奉納舞が終わりだと気付くのに少しかかってしまったくらいに、わたくしは夢心地で奉納舞を見つめていました。
「神に感謝を」
ローゼマイン様の声が響いた途端、全ての神具が一斉に強い光を放ち、奉納舞の舞台にいたローゼマイン様の姿が消えました。
「ローゼマイン様の姿が消えたぞ!」
「何事だ!?」
観覧席から口々に驚きの声が上がる中、神々の像はまた動き、道を閉ざしていきます。舞台の上に立っていた光の柱が消え、魔法陣も消えました。全てが終わったことを示すように全てが元に戻ってしまいました。ローゼマイン様のお姿が消えたこと以外には奉納舞の前後で全く何も変わらないように見えます。
フェシュピールを置いたフェルディナンド様が立ち上がり、祭壇を見つめました。
「ローゼマインは神々の招きを受け、始まりの庭へ行ったようです。エグランティーヌ様、どうぞ。あちらで神々がお待ちです」
ローゼマイン様の後で舞わなければならないなんて、何という仕打ちでしょうか。わたくしは青ざめた顔で奉納舞の舞台に上がるエグランティーヌ様の横顔を見つめます。
「ローゼマイン様と比べられて舞うなんて、ツェント候補としての務めとはいえエグランティーヌ様は大変ですね」
思わず漏れた呟きにお兄様がフンと鼻を鳴らしました。
「他人事ではないぞ、ハンネローレ。其方、卒業式ではローゼマインと並んで舞うではないか」
「あ……」
……わたくし、どうやら間が悪いのは全く直っていないようです。