Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (664)
魔力枯渇計画
礎を染めた上に、教材ではなく、実際のユルゲンシュミットで境界線の引き直しまで行ったのに魔力が残っている。図書館を出る前に、手当たり次第魔術具に魔力を供給してきたけれど、それでもまだ四分の一くらい残っている。どう考えても異常事態だ。ここまでして残ると、どうすれば魔力を使い切れるのかわからない。
「フェルディナンド様、合格は嬉しいですけれど、わたくしの魔力は枯渇しませんでした。どうしたらいいのでしょうか?」
ジェルヴァージオの回収へエグランティーヌとアナスタージウス達を送り出した後、わたしは中央棟の奥にある扉から離宮へ移動し、フェルディナンドの騎獣に同乗させてもらってアーレンスバッハの採集場所へ移動中だ。騎獣用の魔石に登録されている魔力と今の神々の御力に差がありすぎて、レッサーくんは使えないのだ。騎獣を使えば少しずつでも魔力を使うことができるのに残念である。
「君の今日の活動量や体調を考慮すると、寝る前に回復薬を使いたいところだが、魔力を枯渇させねば使えそうもない。できるだけ早く魔力を使い切らねば君の体力が先に尽きる。次々と試していくしかあるまい。祝詞を唱えずに魔力供給をするだけならば問題ないのか、神事に加わること自体が危険なのか、検証が必要だ」
祝詞さえ唱えなければ問題ないのであれば、解決はかなり楽になる。その検証を行うために、わたし達はアーレンスバッハの採集場所へやってきた。離宮にいた貴族達も素材採集のために同行させている。
「ひどい状態ですね」
全く管理されていなくて放置されているせいか、貧相な素材しかなさそうなアーレンスバッハの採集場所に、わたしは目を丸くする。あまりにもエーレンフェストの採集地と違う。これでは学生達が講義で使う素材を採集するのも大変だろう。
「他の領地のほとんどは土地の癒しを行えるようになっていると思うのですけれど……」
「それは上位領地だけだろう。負け組の中小領地は癒し方を知っていても魔力が足りず、実行が難しいと思われる。アーレンスバッハの場合はディートリンデの王族や君への敵対心と怠慢の結果だ」
フンと鼻を鳴らしてフェルディナンドは側近以外のアーレンスバッハの騎士や文官達に上空で待機するように命じると、採集場所へ降り立った。
魔獣もほとんど出ないくらいに荒れた採集場所だ。ここを回復させるのは結構魔力を使うだろう。初めてエーレンフェストの採集場所を癒した時には回復薬を使ったことを思い出し、魔力の減り具合へ期待をかける。
「ローゼマイン、やるぞ」
「はい」
グレーティアとクラリッサに銀色の布を外してもらい、わたしは地面に跪いて両手を付けた。採集場所に埋め込まれている魔法陣に魔力が流れ込み、魔法陣が緑に光りながら浮かび上がる。
「神々の御力に変化は?」
「特にありません。でも、このままでは魔法陣が浮かび上がるだけで土地が癒されませんね。祝詞は必要そうです」
「祝詞は私が唱える。そのまま魔力を流していなさい」
フェルディナンドはそう言って、フリュートレーネに祈りを捧げ始めた。魔法陣が起動し、緑の光を放ちながらゆっくりと上へ、上へ上がっていく。魔力がどんどんと流れ込んで行くにつれて土地に魔力が満ち、草木が伸び始めて青い葉が茂り、蕾が顔を出して花が綻び始める。
エーレンフェストでは見慣れた光景だが、これまで癒しを行ってこなかったアーレンスバッハの貴族達にとっては奇跡のような光景に見えるらしい。
「おおおぉぉぉ! 素晴らしい! 女神の化身の御力だ!」
「ほんの一瞬でこれほど採集場所が豊かになるなど信じられぬ」
女神の化身の御力に盛り上がる貴族達の声を遠くに聞きながら、わたしは自分の中の神々の御力がじわりと膨れるのを感じていた。
「どうだ、ローゼマイン?」
「……少し反応があります。でも、光の女神の神具を使った時よりは反応が小さいですね。ここは荒れていて魔力が大量に必要だったので、癒しを行う前より増えているということはありません」
「そうか。ならば、荒れた土地の多いアーレンスバッハに君の魔力を注ぐことはできそうだな」
フェルディナンドが少しだけ表情を緩めた。多分、他の人にはわからないくらいに少しだけ。わたしの魔力を枯渇させる手段が全くないわけではないとわかってホッとしたのだと思う。
「アーレンスバッハの土地を満たす時に祝詞を口にして祈念式を行うのではなく、シュタープで聖杯を出して魔力を垂れ流していくのはどうでしょう?」
「試してみる価値はあるが、先程の儀式で光の女神の神具を使った時はどうであった?」
フェルディナンドの指摘で光の女神の神具を使った時を思い返す。エグランティーヌが誓って神具が光った瞬間、神々の御力が増えた。あまり良くはなさそうだ。
「その表情ではあまり期待しない方が良さそうだな」
「神殿にある神具に魔力を流していくのはどうでしょう? 昔のツェントが作った神具ならばそう簡単に壊れないと思います。ゲドゥルリーヒの聖杯に魔力を流しながらアーレンスバッハの上空を騎獣で駆けてダパダパ降らせていくとか……」
わたしの思い付きを吟味するようにフェルディナンドが顎に手を当てて視線を落とす。
「ふむ。脳裏に思い浮かぶ絵面は良くないが、それができれば祈念式が楽に終わりそうだ。調合で魔力を使うのも有効かもしれぬ。ちょうど新しい素材が手に入ったところだからな」
「魔石や魔術具は金粉化の可能性が高いですけれどね」
返却しようとしただけでジギスヴァルトの許可証が金粉になってしまったことを思い出し、わたしは少し肩を竦める。魔石はまだしも、魔術具に触るのは怖い。下手に触ると壊してしまう。
「魔石が金粉になるのは、君の図書館都市計画に使用するのだから全く困らぬ。金粉作りはこれからここで採集された素材で行うことになっている。エントヴィッケルンはできるだけ早く行う必要があるからな」
できるだけ早くランツェナーヴェの者達に荒らされた街を整えたり、これからエグランティーヌ達が使うことになっている離宮と繋がるランツェナーヴェの館を取り壊したりしなければならないそうだ。
「エントヴィッケルンが最高神のお名前を使う神事でなかったら、今すぐに図書館都市を造りますよ、わたくしは。……使いたい時に自分のためには使えないのに、枯渇はさせなければ命の危機だなんて」
わたしが唇を尖らせて文句を言うと、フェルディナンドがなだめるように軽くわたしの頭を叩く。
「文句を言ったところで何も変わらぬ。解決方法がないわけではないのだから、一つ一つ試してみるより他あるまい」
「……そうですね。今回はフェルディナンド様が一緒なので心強いです」
わたしがへらりと笑って見せると、フェルディナンドは眉間に皺を刻んで視線を上に向けた。
「其方等、騒いでいないで直ちに採集を行え!」
上空で神の奇跡だと騒いでいる貴族達に向かってフェルディナンドから叱責が飛ぶ。
「これから其方等が採集する素材は、ランツェナーヴェの者達に荒らされたアーレンスバッハでエントヴィッケルンを行うための金粉に利用する。自分達の屋敷になることを念頭におき、できるだけ属性値の高い物を採集するように」
表情を引き締めて採集を始めた貴族達に向かって、儀式の後片付けを中央貴族に押し付けて同行していた神官長服のハルトムートが祭壇にいる時と同じような調子で口を開く。
「あまりにも荒れていた今回はローゼマイン様の御力をお借りしました。ですが、エントヴィッケルン用の素材採集が終われば、学生達や領主会議に出席する貴族達が自分達の魔力で満たすことになります。貴族院で神事の復活が見直され、貴族が神々の御加護を得るために他の領地はすでにお祈りを始めていることはご存知ですか?」
アーレンスバッハは貴族院で行われた神事に参加したことがありませんが、とハルトムートが微笑めば、ダンケルフェルガーの青のマントをまとうクラリッサが「ダンケルフェルガーではもう神事が盛んに行われています」と何度も頷いた。
……ダンケルフェルガーでしてるのって、神事っていうよりはディッターじゃない?
前後の儀式の研究のためにディッターをしなければならない、とディッターの回数が以前より増え、それで御加護が増えたために大人達もディッターの回数が増えたことをハンネローレから聞いた気がする。いつのことだったか覚えていないけれど。
「アーレンスバッハでも早く貴族が神事を行うようにしなければ、ローゼマイン様がいらっしゃる領地だというのに最も御加護を得られないという結果になってしまいます。罪人となったディートリンデがこれまで拒否していたため、アーレンスバッハは神事やお祈りに関して他領に比べて出遅れていることを忘れないようにしてください」
「混沌の女神に魅入られた土地を清めるために女神の化身をアウブに戴くことになったというのに、領地の貴族が神事を厭うようではそれほど遠くない未来に女神も愛想が尽きるかもしれませんもの」
アーレンスバッハの貴族達を洗脳していたハルトムートとクラリッサの言葉に貴族達が顔色を変えて採集を始めた。
「シュトラール、こちらの統率は頼む。エーレンフェストの側近達は一度寮へ戻るぞ。リーゼレータ達が準備を整えているはずだ」
「はっ!」
エーレンフェストの寮へ戻ると、養父様達が駆け寄ってきた。神々の御力が増したことは観覧席にいた者達にもわかったのに、儀式が終わっても先に退場したわたし達が一向に戻ってこないことを心配してくれていたらしい。
「知らせが合った通り、話ができるように部屋の準備は整っている。フェルディナンドが儀式中にこそこそと動き回っていたようだが、ローゼマインは大丈夫なのか?」
「それについても説明する」
話の中心はわたしのことだと匂わせて、フェルディナンドは案内を促した。養父様、養母様、フェルディナンド、わたし以外は部屋から出され、範囲指定の魔術具を作動させる。
「……込み入った事情は全て省くが、ローゼマインは再びメスティオノーラを降臨させた上に、他の神々からの御力も賜った。全てはユルゲンシュミットの礎を満たすためだ」
「満たせたのか?」
「あぁ。だが、まだローゼマインの体の中には神々の御力が残っている。人の身には過ぎた力で早急に一度魔力を枯渇させ、人の魔力で上書きする必要があるそうだ」
さすがに勢いに任せた神々の失敗とは言わずに、フェルディナンドが言葉を濁す。そう簡単には気付かなそうなフェルディナンドの物言いの違いに目敏く気付いたのは養父様だった。
「……つまり、神々の命令で冬の到来を早めると言いたいのか?」
「しつこいぞ、ジルヴェスター。ローゼマインは特殊な身の上だから、冬の到来を早めなくても色は移るし、美しく染め上げることも難しくない。故に、そのようなことはせぬ。基本的に薬で行うし、以前と同じように記憶を見る魔術具を使うだけだ。本題はそれではない」
フェルディナンドが嫌な顔をして養父様を睨んだ。刺々しい雰囲気になった二人を見ながら、わたしは首を傾げた。
「冬の到来を早めるというのはどういう意味ですか? 最近よく聞くのですが、わたくし、よくわからなくて……。あ、冬を呼ぶ魔法陣を使うのと違うことはわかっています」
その瞬間、空気が凍った。養父様も養母様も笑顔のままで固まっている。思い切り爆弾を落とした後の空気である。やっちゃった、ということが肌でわかった。
「申し訳ありません。もしかして聞いてはいけないことでしたか? でも、わたくしには関係がないことではありませんよね? どなたに質問すれば良いのか教えてくださいませ」
「……リヒャルダ辺りに頼むのが一番かもしれぬが、今回の質問は後で其方が大変なことになるぞ」
養父様がフェルディナンドをちらりと見れば、フェルディナンドが面倒くさそうに溜息を吐いた。
「ローゼマインにはわたくしから説明します。さすがに殿方では難しいでしょう。秋の訪れを待たずに冬の到来を早めるという言葉の意味を知るためには、秋に籠められた意味を知らなければなりません」
わたしは神様表現で用いられる秋の意味について養母様に問われて、それに対して答えていく。
「実りと収穫ですよね? シュツェーリアの神具から防御や守り、芸術関係の眷属が多いことから芸事そのものを指したり、時間や速さ、情報を示したりすることもあります。他には……別れでしょうか?」
恋物語でやたらと多い表現を思い出して、わたしは述べていく。
「最近の恋物語で失恋や別れを意味することが多いユーゲライゼですけれど、わたくしが知っている聖典の知識ではユーゲライゼは失恋よりも巣立ちの時に出てくる方が多いのです。成人した男性の領主候補生が城から出る時、女性の領主候補生が婚姻によって領地を出る時に昔はユーゲライゼに御加護を祈っていました」
そういう知識があるから恋物語で余計に混乱するんだけど、と思っているとフェルディナンドは「そこまで詳しく知っているのに何故繋がらぬ?」とこめかみを押さえた。
「今回はそちらの解釈でいいのです、ローゼマイン。秋には収穫の他に成熟や成人という意味があります。冬がどのような季節なのか、こちらは大神の行動を基に考えてくださいませ。聖典の通りの解釈で大丈夫です」
養母様がニコリと微笑んでそう言った。
「えーと、聖典通りに解釈すると、つまり、成人を待たずに……うひゃあああぁぁぁ!」
繋がった瞬間、わたしはとんでもない羞恥に襲われた。周囲が気まずくなるはずだ。同時に、わたしは自分の言葉を思い出す。「魔力を使った後にフェルディナンド様に染めてもらえばいいだけ」とエグランティーヌに向かって口にした。どう考えても明け透けすぎる誘い言葉ではないか。
……いやあああぁぁぁ! 誰か、時間を戻して! お願いだから!
エグランティーヌが何とも複雑な顔をしていた意味を知って泣きたくなった。恥ずかしくて堪らない。この場で穴を掘って埋まれるものならば埋まりたい。椅子から滑り落ちるようにしてしゃがみこんで床をとりあえず叩いてみるけれど、厚みのあるカーペットに覆われた床は掘れそうもなかった。
「ようやく意味が繋がったかと思えば、何をしている?」
「最悪ですよ。だ、だって、養父様。秋を待たずに冬の到来って、魔力を染めるって、その……あの……」
しゃがみこんだまま、養父様を見上げ、何と言っていいのかわからずに口をパクパクさせると、養父様と同じように見下ろしてきたフェルディナンドが「そのような行為はせぬ。だから、落ち着きなさい」と全てを悟ったような顔で言う。
以前「貴方の色に染めてください」がかなり直接的なお誘いだって教えてもらったのに、どうして魔力を染め変えるという話が出た時に閨事と繋がらなかったのか。自分がフェルディナンドに染められた経験が薬と魔術具を使ったものだったからだ。
「全部フェルディナンド様のせいだと思います!」
「君の特殊な生い立ちのせいであろう。私のせいではない。ついでに、察しが悪いのは君のせいだ」
「ローゼマインの特殊な生い立ち、ですか?」
フロレンツィアが目を瞬き、わたし達を見回す。フェルディナンドとジルヴェスターが視線を交わし合い、首を横に振った。
「詳しくは話せませんが、ローゼマインは普通の貴族とは体質が全く違います。そのため、ジルヴェスターの養女になるより以前から私の魔力の影響下にあったようです。今、私が染め直したところで、名捧げをしていた者達も以前の魔力に戻ったとしか思わないでしょう」
魔力量ならばまだしも魔力の色は外から見てわかるような物ではない。主の魔力をうっすらとまとう名捧げをした者に感じ取れるくらいだ。
「グルトリスハイトをエグランティーヌ様に授与したことで、神々の御力が消えたように周知するので、他の者のことは気にしなくて良い」
「気にしなくて良いとおっしゃられても、それでは女神の御力をまとってから名捧げをしたエグランティーヌ様の誤解は解けないではありませんか! 養父様達も同じように誤解したのですよ? お薬を使うだけなのに……その、魔力を染めると言っても、決して……ほ、星結びが必要になるようなことをするのではなくて……。うぅ、誤解なのに……」
別に破廉恥なことなんてしないのに、と涙目で頭を抱えていると、フェルディナンドが至極冷静な顔で注意してくる。
「あまり感情を揺らすな、ローゼマイン。魔力だけではなく、神々の御力まで不安定になる」
「落ち着いていられませんよ。だって、わたくし……」
自分がそんな話題の中心になることなんてこれまで全くなかったのだ。恋愛関係はからっきしで、婚約者から「婚約者としての其方といるのは苦痛」だと言われるような女である。そんな話が出るとは思わないではないか。恥ずかしさで死にそうだ。
「誤解が解けても恥ずかしいものは恥ずかしいであろうが、そのような女心をフェルディナンドが理解してくれるはずもない。そのくらいはローゼマインもいい加減に悟れ」
「もう悟っています」
わたしが養父様を睨むと、フェルディナンドが嫌な顔をした。
「……ならば、そろそろみっともない体勢は止めなさい。今の君は魔力を枯渇させるまで回復薬を使うこともできないのだ。できるだけ体力を消耗させないように気を付けなければならぬ」
席に着くように促されて、わたしはゆっくりと立ち上がって席に座り直す。
「本題だが、ローゼマインの魔力を枯渇させなければならぬ。しかし、これがなかなかの難問だ」
神々の御力がなかなか減らない上に、魔力が回復すれば神々の御力が反発しあって死にかけることをフェルディナンドが伝えると養父様と養母様がそろって目を見開いた。
「アーレンスバッハでは早急にエントヴィッケルンを行う必要があるため、ローゼマインの状態を利用して金粉を作成する予定だ。ゲルラッハの戦いによってローゼマインが破壊したギーベの館の再建に必要な金粉も作成して返そうと思う。必要な金粉の分の素材は今日中にローゼマインの部屋まで運んでくれ」
アーレンスバッハの採集場所で採れる素材だけでは大して魔力は減らないので、エーレンフェストにも協力するように、とフェルディナンドが言う。
「あぁ、エントヴィッケルンを行う時には移住するグーテンベルク達の住まいも作ることになる。グレッシェルで行ったエントヴィッケルンの時の設計図の写しを見せてほしい」
プランタン商会やギルベルタ商会は自分達の店を設計していたはずだ、とフェルディナンドが言った。移転予定がなかった工房はアーレンスバッハの物を参考にするらしい。
「ついでに、グーテンベルクへ移住命令を出してくれないか? 領主会議の後、一部の者には移住し、ローゼマインの専属として動いてほしいと思っている。一部の者は中央へ移動する準備をしていたはずなので問題なかろう」
決して平民達への無茶振りではないことをフェルディナンドが強調した。わたしが移った時に一緒に移動しなければ、新しい土地で専属として動くのは難しくなるので、それで問題はない。
「……移住命令を出すのは別に構わぬが、自分と共に移動させる下町の商人達に其方が直接会わなくて良いのか?」
そう言いながら養父様がわたしを見た。ベンノ達グーテンベルクの顔がいくつも思い浮かぶ。懐かしいし、会える機会があるならば会いたいと思う。でも、今のわたしには下町の記憶がぽっかりとないのだ。わたしはフェルディナンドに視線を向ける。
「わたくし、女神の降臨によって一部の記憶を失っているのです。……その会合には髪飾り職人も同席しますか?」
「おそらく。だからこそ、今は止めておいた方が良かろう。顔を合わせた結果、記憶が繋がっても繋がらなくても君は間違いなく取り乱すと予測できる。神々の御力が暴れた場合は自分だけではなく、周囲にも危険だ。せめて、神々の御力を消し、側近を排して会える場を整えなければならないと思う」
フェルディナンドの懸念がどうにも実感できなくて首を傾げる。記憶にない者との面会がどのようなものになるのか、わたしにはさっぱり予想できないせいだ。首を傾げるわたしを見たフェルディナンドが少し目を伏せた。
「ジルヴェスター、今夜はこの寮で金粉を作らせるが、それでも魔力が減らなければ明日にはアーレンスバッハへ戻る。これだけ魔力を減らすことができた今のうちに神々の御力を消し去ることができなければ、回復した魔力とそれに伴って増加する神々の御力に耐えられず、ローゼマインははるか高みに向かうことになるであろう。名を捧げた者全員を伴として……」
新しいツェントがはるか高みに向かうことを示唆されてジルヴェスターがきつく目を閉じた。
「ユルゲンシュミットの命運を握っているも同然ではないか。おまけに記憶まで失っただと?……ローゼマインにはどこまで重荷が付きまとうのだ」
「大丈夫ですよ、養父様。よく意識しなければ記憶がないことが認識できないので、あまり不便はないのですよ」
わたしが養父様を慰めようとしてそう言えば、フェルディナンドは緩く首を横に振った。
「不便がなくとも不安がないわけがなかろう。さっさと魔力を枯渇させるぞ。今のままでは記憶を取り戻すこともできぬ」
フェルディナンドがそう言いながらわたしを抱き上げて部屋の出入り口を目指して歩き出す。
「できる限りの協力はする。ローゼマインは頼んだぞ、フェルディナンド」
養父様がオルドナンツを飛ばして話し合いの終了を知らせれば、扉が開いて側近達が入ってこようとする。
「フェルディナンド様、自分の部屋に戻るだけですから歩けます。下ろしてくださいませ」
秋の訪れを待たずに冬の到来を早めるとか、魔力で染めてほしいと言っていた意味を今更ながら理解したところなのに、こうして抱き上げるのは勘弁してほしい。
「君に歩かせたら魔力より先に体力が尽きるではないか。今夜中に魔力が減らなければ、君は回復薬を使えぬ状態でアーレンスバッハを満たす旅に出ることになることになるのだぞ。事の重大さを理解しているのか? 今はおとなしくしていなさい」
……おとなしくするから離れてほしいって言ってるのに! フェルディナンド様のバカバカ! 鈍感!