Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (666)
魔力散布祈念式 前編
うきうきとした気分で尋ねたらフェルディナンドにものすごく冷たい目で見られた。何でも一応相談した方が良いかと思ったのだが、確かに今すぐ必要なことではない。
「緊急時こそ楽しいことを考えれば前向きな気分になれると思ったのですけれど、フェルディナンド様をわずらわせるような話題ではありませんでしたね。神様にでも尋ねて、わたくしの独断で決めましょう」
……ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な。か・み・さ・ま・の・い・う・と・お・り。
右がアレキサンドリア、左がベネツィアと脳内で想定して指を動かしていると、フェルディナンドにガシッと手をつかまれた。
「待ちなさい。今は神々に祈るのではない。君は一体何を考えているのだ? 前向きになるのは悪くないが、君の名付けには注意が必要だ。耳慣れない響きがある。その名前を選択肢に挙げた由来や思い入れを聞いた上で判断すべきではないか?」
フェルディナンドの言葉にわたしの側近達が何度か頷いた。
「そうですね。領地の名前はとても大事ですから、皆の意見を尋ねてじっくりと吟味した方がよろしいでしょう」
「領地の名前はローゼマイン様だけではなく、代々アウブが使うことになりますから」
図書館の魔術具に「ケンサク」と「オパック」の名前候補を挙げたら却下されて、いつの間にか「アドレット」になっていた時と同じような雰囲気がしている。
……ん? もしかして、またそれとなく却下されちゃう?
図書館の魔術具の名前ならば、また作れば自分の付けたい名前を付けられるので構わないが、図書館都市の名前を付けられるのは一度だけだ。この命名権を譲る気はない。
「アレキサンドリアというのは……」
「緊急時だと言ったであろう。夜には話をする時間が取れるので、夜にしなさい。君の図書館都市計画についても話をしたいと思っていたところだ。設計図がなければエントヴィッケルンもできぬからな。新しい領地の名前を決めるのはその時でよかろう。それよりも、なるべく荒地から癒していきたいので転移陣を描きなさい」
フェルディナンドにパタパタと手を振って流されてしまったが、夜に話ができるならば構わない。わたしは「グルトリスハイト」と唱えてメスティオノーラの書を出し、コピペで転移陣を出す。
おぉ、と感嘆の声が上がる中、すぐ近くまで近寄ってきたフェルディナンドがぼそりと尋ねた。
「神具を使って大丈夫なのか?」
「……ちょっと迂闊でしたが、転移させるために魔力を使えば多分大丈夫だと思います」
「この馬鹿者」
転移陣を準備して魔力を注ぎ込むのはわたしだが、転移陣を作動させるのはアーレンスバッハの礎にアウブ認定されているフェルディナンドだ。フェルディナンドはやや大きめの魔石を手に、シュタープを出して「ネンリュッセル ビンデバルト」と唱えた。
わたしとフェルディナンドの側近達に加えて専属料理人や食材なども移動させるので、予想していた以上に魔力が減った。そうはいっても、残っている魔力量から考えると微々たる量だけれど。
「人の気配がなくてガランとしていますね」
以前にここへやって来た時は「んまぁ!」の大合唱や宴会とディッターで盛り上がるダンケルフェルガーの騎士達の姿があったが、今は荒れて緑が少ない土地しか見えない。
「完全に封鎖して、下働きの者達も近隣の町へ移動させたからな。君が新しいギーベを任命するまではこのままだ」
領主会議で正式にわたしがアウブになるまで新しいギーベを任命することができないため、ビンデバルトの館は閉ざされたままだ。正確には、任命できなくはないけれど、新しいツェントを蔑ろにしているように見えるため、しない方が無難だそうだ。
「早く任命しなければ、この土地で暮らす平民も大変でしょう」
祈念式や収穫祭を行い、徴税する貴族がいなければ平民達は税を納めることができない。まとめてくれる貴族がいなくても、税金を払っていなかったら罰を受けるのは平民になるのだ。
「できるだけ早く任命できるよう領主会議までに何人か候補は見繕っておくので、君の騎獣を出して側仕えや料理人が動けるようにしなさい」
「はい」
わたしは虹色レッサーくんを出し、キャンピングカーのような内装をイメージしながらどんどんと大きくしていく。わたしだけが寝られる場所ではなく、皆が寝られるようにするのだ。
「どうですか? これで皆が安全に寝られます」
二階建てバスのような大きさになったレッサーくんを見せると、フェルディナンドはこめかみをトントンと叩きながら更に要求を重ねてくる。男女で階を分けられるようにしなさいとか、下働きの者が休む場所は別に作れとか、狭すぎるとか、天井が低すぎるとか、キャンピングカーに求められる以上の広さが求められ、最終的に二階建ての家のような代物になってしまった。
「フェルディナンド様。もうレッサーくんが『車』に見えないのですけれど……」
騎獣とは一体何なのか、わたしがフェルディナンドに問いたくなったところでフェルディナンドは「相変わらず君の騎獣は非常識の塊だが、これでよかろう」と満足そうに何度か頷いた。
……フェルディナンド様にだけは非常識だと言われたくないですよっ! ふんぬぅ!
「ここの井戸を使って構わないので、食事や寝床の準備をするように。ローゼマインと私は護衛騎士を連れて土地を癒してくる」
騎獣が消えないようにするための魔石を置いて、側仕えや料理人達を残し、わたしは聖杯を抱えてフェルディナンドの騎獣に同乗させてもらう。ビンデバルトの夏の館を中心に、午前中は北東を癒し、午後は南へ向かうのだそうだ。
「では、早速農村へ行きましょう」
空へ駆け上がった白いライオンの上でわたしがフェルディナンドにそう言うと、フェルディナンドは首を横に振りながら農村の上空を通り過ぎていく。
「いや。先に人里から離れた場所へ魔力を注ぐ予定だ」
「どうしてですか? 祈念式なのですから農村へ行けば良いのではありませんか?」
収穫量を増やすためには農村へ向かうのが一番だ。これだけ魔力が薄くなっている土地なのだから、農村を優先しなければならないと思う。
「駄目だ。これだけ領地内の魔力が枯れた状態で農村だけに魔力を注ぐと、魔獣が農村へ押し寄せる確率が高い。先に魔獣が多く生息する辺りに魔力を流した上で農村に魔力を配らなければ農民が襲われる」
領地の魔力が乏しくて魔力に飢えているのは魔獣も同じで、魔獣が魔力豊富になった農村を襲うことがないように山や森を癒しておく必要があるのだそうだ。
「では、山や森まで早く移動しなければなりませんね。聖杯から魔力が零れ始めました」
わたしが抱えている聖杯から虹色の液体が溢れ始めたのを見て、フェルディナンドの騎獣がグッとスピードを上げた。
聖杯から流れ出す虹色の液体が降り注ぐと、土地の色が黒みを帯びたり、突然緑の部分が増えたりして、景色が本来の色を取り戻したように鮮やかになっていくのが目に見えてわかる。
わたしの本来の魔力ではお祈りをしなければこんなふうに土地自体を癒すことはできない。せいぜい魔力目当ての魔獣や魔木が巨大化するくらいだ。
……神々の御力って本当にすごいな。
しかし、わたしが感嘆しながら下を見下ろしていられたのはそれほど長い時間のことではなかった。すぐに腕がプルプルしてきた。
「フェルディナンド様、大変です。聖杯を抱えている腕が疲れてきたのですけれど……」
「四の鐘までもう少し間我慢しなさい」
「できる限り我慢はしますけれど、聖杯を落としそうです」
神具の聖杯は結構大きい。80センチほどの高さのワイングラスのような形だ。自分の魔力で染めると、重さをほとんど感じないので重くはないけれど、これをずっと抱えているのは大変である。
フェルディナンドに聖杯を抱えるのも手伝ってもらって四の鐘が鳴るまで頑張ったけれど、正直なところ、「もう無理!」と声を大にして言いたい。魔力はちょっとずつ減っているし、土地は癒されているけれど、散布方法は考え直す必要がある。
昼食のためにレッサーバスのところへ戻ると、先に戻ったハルトムートが留守番をしていた側仕え達に滔々と語っている姿が見えた。
「女神降臨と言われても納得できるほど非常に神秘的で美しい光景でした。神々の御力を得て光り輝く女神の化身が、そのたおやかな手の内にある聖杯から全属性の輝きを注げば、ゲドゥルリーヒは癒されて潤い、ブルーアンファの訪れと共に若葉が次々と芽生え、アーンヴァックスの導きにより葉は青さを増して……」
「ハルトムート、それは緊急時の今伺わなければならないことでしょうか? 今でなくてもよろしいのでしたら、ローゼマイン様がお休みなった後に聞かせてくださいませ」
「主の活躍ですから非常に気になるお話ですけれど、わたくし、ローゼマイン様の給仕を優先しなければなりませんから失礼いたしますね」
リーゼレータやグレーティアは慣れた調子でハルトムートの賛美を流しているけれど、フェルディナンドの側仕えとして同行しているゼルギウスは目を白黒させながら頑張って相槌を打っている。
「フェルディナンド様、ゼルギウスを助けてあげなくてもいいのですか?」
「ユストクスが向かった。問題ない」
ゼルギウスのところへ向かったユストクスがゼルギウスの手からフェルディナンドに給仕する予定だったお皿などを取ると、こちらへ歩いてくる。
「……あれは助けたと言わずに、生贄にしたというのですよ」
「側仕えにとって最優先すべきは主の世話だ。問題ない」
……頑張って、ゼルギウス。
心の中で応援を送って、わたしはリーゼレータが並べてくれるお皿へ視線を向ける。ふわりと温かそうな湯気が出ているお皿を見ていると、リーゼレータが少し体を傾けてわたしの顔を覗き込んできた。
「ローゼマイン様、何だかお疲れの顔になっていらっしゃいませんか?」
「聖杯を抱えているのも結構大変なのです。午後からは紐か何かでお腹の辺りに括りつけておいて、わたくしは手を添えておくだけにした方が良いかもしれません」
「紐でお腹に……ですか?」
少し想像するようにリーゼレータが視線を上に向けた後、微妙な表情になってフェルディナンドを見た。わたしは何やら考え込んでいるフェルディナンドに訴える。
「たとえ女神の化身らしくないと言われても、自分で優雅に抱えているなんて無理なのですよ」
「それは午前中に理解している。だが、魔力の減り具合はどうだ? 腹に括りつけるような美しくない行動をする価値があるのか?」
図書館都市の名付けが後回しにされるような非常時に美しさなんてどうでもいいと思うのはわたしだけだろうか。
「魔力の減り方はイイ感じですよ。この調子で一日魔力を撒いていたら、一晩寝て回復する分を考えても……五日くらいで枯渇すると思います」
「午前中で疲れを感じている君の体力が全く考慮に入っていないようだが?」
「わたくしの体力を考慮するのはフェルディナンド様の役目ではありませんか」
そんなに苛立たしそうに睨まれても困る。このやり方が最も効率的だと主治医であるフェルディナンドが判断したから、わたしはそれに従っただけなのだ。
「……つまり、もっと効率の良い方法が必要だということか」
フェルディナンドは考え込みながら昼食を摂っていたが、結局、午後からはお腹に聖杯を括りつけて同じように魔力を撒き散らすことになった。
「疲れました……」
「見ればわかる。カンナヴィッツではしゃいで無駄に体力を消耗した君が悪い」
ビンデバルト全域と南にあるカンナヴィッツを満たしたわたしは、夕食を摂る頃にはかなりぐったりだった。
「ビンデバルトにはなかった海がカンナヴィッツは広がっていたのですもの」
「海くらいはアーレンスバッハに来てから何度も見たではないか」
「お城から景色としての海は何度か見ましたけれど、神々の御力によってカンナヴィッツの暗く濁った色合いの海が青く透き通っていき、最終的には魚がキラキラと光りながら跳ねるようになる光景は全く別ではありませんか」
漁に出ていた漁師達がどんどんと変わっていく海に歓声を上げながら船から手を振ってくれた。わたしはそんな彼等に手を振り返したり、サービスでちょっと多めに魔力を注いだりしていたので、非常に疲れた。そんなことで余計な体力を使ったと言われれば反論の余地はないが、お魚パラダイスができあがる瞬間に少し興奮するくらいは仕方がないと思う。
虹色レッサーくんのところへたどり着いて、夕食を摂る。同行した側近達がフーゴとエラにお魚を渡しているのが見える。お土産は必須なので、漁師達から買ってきたのだ。食材の保存に使われている時を止める魔術具の中に入れて、道中でゆっくりと食べたいものである。
「ローゼマイン様はこちらへどうぞ。フェルディナンド様はこちらへ」
先に夕食を摂るのは領主一族であるわたしとフェルディナンドだけで、側近達は下げ渡しを摂ることになる。わたしはできる限り早く食べて、側近達が食事できるように頑張った。
食後はお茶を飲みながら側近達が食事を終えるのをのんびりと待つのである。
護衛騎士には先に食事を終えたエックハルト兄様とラウレンツが付き、側仕えはお茶を淹れると食事をするために下がっていった。
わたしはレッサーバスの中のソファに座ってお茶を飲む。隣に座っているフェルディナンドがお茶を飲むのを待って、話しかけた。
「さぁ、フェルディナンド様。図書館都市の計画についてお話をしましょう」
「……君は先程疲れたと言っていなかったか? 今日はもう興奮しそうな話題は避けた方がよかろう」
「エラが急いで作って加えてくれた魚の塩焼きがあったので、元気が回復したのです。それに、夜になったらお話をするとおっしゃったではありませんか。わたくし、楽しみにしていたのですよ」
フェルディナンドはわたしの額や手首に触れて診察をした後、仕方がなさそうに座り直して盗聴防止の魔術具を出した。
「候補はアレキサンドリアとベネツィアだったか? 君の命名にしては比較的まともな響きだが、由来は? 夢の世界が関係あるのであろう?」
「まともな響きとはずいぶんと失敬な物言いではありませんか」
「自分の名前でさえ碌な候補を挙げられなかった君が何を言うのだ?」
フンと笑われて、わたしはつーんと顔を逸らした。貴族となり、マインから改名する時に強くなって新登場というイメージで名前の候補を挙げて「残念すぎるにも程がある」とフェルディナンドに言われたことを思い出す。でも、その前後や細かい部分があまり思い出せない。
「ローゼマイン?」
「あ、由来でしたね。アレキサンドリアは巨大図書館に薬草園を併設していた古代都市の名前です。世界中から本を集める図書館都市でした。ベネツィアはグーテンベルクによる印刷が始まった後、世界一本屋が多かった交易都市の名前です。わたくし、ベネツィアのように本がたくさんあって、交易によって本がたくさん集まる街にしたいのです」
わたしの説明を聞いていたフェルディナンドが少し考え込んだ後、言いにくそうに口を開いた。
「ベネツィアは止めた方がよかろう。ランツェナーヴェの言葉に響きが似ている。神々の世界から取ったことにしても、あまり良くない勘繰りをされそうだ」
「ランツェナーヴェを連想させる響きが良くないことはわかりました。では、アレキサンドリアならば構いませんか?」
「アレキサンドリア、か。エーレンフェストとの繋がりがわかるような名が良いと思うのだが……」
エーレンフェストの領主一族が礎を得たとわかるような名を付けた方が良いとフェルディナンドに言われて、一瞬だけ「エーレンドリア」が思い浮かんだ。何だか食べ物の名前っぽく感じて急いで打ち消す。
……組み合わせたらダメだ!
「アレキサンドリアがいいと思います。グーテンベルク達の印刷による本作りとフェルディナンド様の研究所とわたくしの図書館を内包する図書館都市にはぴったりだと思うのです。アレキサンドリアの薬草園には大量の標本とか、研究資料がありましたし、図書館も大きくて旅人が……」
わたしが必死に言い募っていると、フェルディナンドは少し呆れた顔になった。
「私に意見を尋ねている割に、全く譲る気がないであろう? まぁ、君が手に入れた領地だ。よほど不都合のある名前でなければ構わぬ」
「ありがとう存じます。では、このままアレキサンドリアの計画を立てましょう」
わたしが喜んでいると、フェルディナンドが少しばかり複雑な顔になった。
「それにしても、今の君はずいぶんとあちらの世界への執着が色濃く思えるが……」
「うーん、多分記憶が繋がっていないせいでしょうね。商人に片足を突っ込んでいた時や神殿で過ごしていた時のことがちらほらと飛び飛びに思い浮かぶだけで平民時代のことがほとんど思い出せません。昔のことを思い出そうとしたら、読書が何よりも大事だった麗乃時代に記憶が飛んでしまうので、どうしてもあちらの印象が濃くなるみたいです」
今のわたしにはマインの頃の記憶がかなり足りない。ローゼマイン時代はほとんど違和感を覚えないので、フェルディナンドの言葉を信じるならば、わたしはマイン時代に読書よりも大事なものをたくさん得ていたことになる。髪飾り職人や染色職人の記憶が消えているだろうとフェルディナンドは言っていたけれど、彼女達はわたしにとってどういう存在だったのだろうか。
「……日常生活に不都合はないのですけれどね」
「いや、根幹となる存在を取り払われたせいであろう。私が知っている君との差異を感じることが何度もあった。不都合は起こり得る」
どういうところが違うのですか? とは何となく質問できなかった。フェルディナンドの口からどちらかの自分を否定されるような言葉は聞きたくない。わたしはニコリと微笑んで話題を変える。
「記憶を取り戻すにも神々の御力を消さなければならないのですよね? だったら、今考えてもどうにもなりません。それより、領地の色はどうしましょう? 昔は国境門の貴色に合わせていたのですよね? でしたら、アレキサンドリアは黒に近い色合いが良いと思われるのですけれど」
完全な黒はまだ王族の印象が強いから、周囲の貴族達の反応を考えると黒は避けた方がいいかもしれない。わたしがそう言うと、フェルディナンドはわたしの様子をじっと観察しながら口を動かした。
「こちらの色を昔に合わせて国境門に合わせるならば、中央も貴族院への移動に伴い、白のマントに変えるように進言した方がよかろう。ツェントは本来白をまとっていたからな」
「本来の由来を公表すれば、わたくし達も白をまとうことになりますよ」
メスティオノーラの書を賜ったツェント候補がメスティオノーラと間違われてエーヴィリーベに襲われないように白をまとっていた。昔のツェントやアウブの色が白だったのだ。それが神殿長服の始まりである。
「完全に本来の由来に合わせれば、白をまとえるのは君だけだ。エグランティーヌ様が得たのはメスティオノーラの書ではないし、私は所持していないことになっている」
「中央を白にすれば十分ですね」
ユルゲンシュミットの中でわたしだけ白だなんて、仲間外れっぽくて嫌だ。わたしは皆に埋没して読書をして過ごしたいのだ。
「アレキサンドリアの色は君の髪の色で良いのではないか? 闇の神からメスティオノーラが賜った髪の色だ。女神の化身が治める新しい領地の色に相応しいであろう。君の髪の色には映えぬが……」
残念そうに言いながらフェルディナンドが手を伸ばしてわたしの髪に触れる。当たり前のように伸ばされた指に何となく、あれ? と思った。
……フェルディナンド様って、こんなふうに髪を触る人だったっけ?
「どうした、ローゼマイン?」
「いえ、何でもありません。領地の色は領内の貴族全員が身に付ける色ですから、自分の髪の色合いに合う人も合わない人もいるでしょう? わたくしの髪に合うか合わないかはこの際どうでもいいと思います」
正直なところ、わたしは領地の色は何色でも構わないのだ。わたしは自分の髪に触れているフェルディナンドの指先を視界の端に留めながら、「紋章はレッサーくんがいいです」と主張した。
その途端、フェルディナンドの指がパッと離された。
「却下だ。これから先のアウブ・アレキサンドリアが代々使う紋章だぞ。君の好みでグリュンに決めてはならぬ。名前の継承を止めたのだから、エーレンフェストと関係があることを示して獅子の紋章を継承するか、グリュンよりは君の図書館で多く稼働することになる図書館の魔術具からシュミルにする方が良い」
とてもわたしの領地らしい紋章だと思ったのだが、即座に却下された上に代案が出されていく。何が何でもレッサーくんは受け付けないことがその態度でわかる。
「シュミルは弱すぎて紋章にする領地はないとおっしゃったではありませんか」
「その辺りにいるシュミルは弱いが、図書館の魔術具は強い。額の魔石を必ず意匠に入れて、ただのシュミルと区別すれば良かろう」
シュミルなんて紋章としてはあり得ないと言っていた人が、シュミルを紋章の候補に挙げるとは思わなかった。
「そこまでレッサーくんがお嫌いですか!?」
「珍妙なグリュンの紋章を持たねばならないのは君だけではないのだぞ。そこまで頑なならば、周囲の意見を聞いてみれば良かろう。賛同者などいるはずがない」
わたしは盗聴防止の魔術具を置いて、護衛として立っているエックハルト兄様とラウレンツを振り返った。ちょうど食事を終えたリーゼレータ達も様子を見に来たのが見える。
「皆は新領地アレキサンドリアの紋章の意匠にわたくしの騎獣と図書館の魔術具、どちらが相応しいと思いますか?」
顔を見合わせた皆が「図書館の魔術具でしょう」と声を揃えて言った。
「シュミルの紋章はとても可愛らしいと思います」
「紋章の意匠には強さが大事だとフェルディナンド様は以前おっしゃったのですよ」
わたしがリーゼレータにそう言うと、話を聞いていたグレーティアがニコリと微笑んだ。
「ユーディットによると、大鎌を持った魔術具は大変強かったそうです。シュミルの意匠に鎌を加えればいかがでしょう?」
……そんなの嫌!
「鎌を持たせるくらいならば本を持たせます!」
「さすがローゼマイン様。良い案です。本を持つ図書館の魔術具を意匠にするのであれば、ローゼマイン様の図書館都市を象徴する紋章になると思います」
ラウレンツが爽やかな笑顔でポンと手を打った。
「図書館の魔術具に本……。女神の化身に相応しく、本はメスティオノーラの書にいたしますか?」
「あまり細かすぎるのは後々面倒ではないか?」
「ローゼマイン工房の紋章が本とインクと植物からできているので、そちらを絡めても良いかもしれませんね」
「それは悪くない」
あれ? あれ? と思っているうちに、側近達とフェルディナンドの間で紋章がどんどんと決められていく。「……レッサーくんはそんなにダメですか?」というわたしの言葉は完全に聞き流された。