Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (69)
ベンノのお説教
神殿長と神官長、二人の目がギラギラしていることに、及び腰になってしまう。思わず顔を引きつらせたわたしに気付いたのか、神官長が聖典を持ってきた。
ルッツの迎えが来るまで、聖典を読んでもらうことになって、さっきと同じように膝の上で色々と教えてくれるのは嬉しいが、妙な圧力を感じるというか、非常に逃げ出したい気分になる。
「マインを迎えに来たという、ルッツと名乗る少年が門に来ています」
灰色の神官が部屋に入ってきたのは5の鐘が鳴り響いてから少したってからのことだった。待ちわびた迎えがやってきたことにわたしはホッと胸を撫で下ろす。
「ルッツが来てくれたの? じゃあ、わたし、帰らなきゃ。神殿長、神官長、今日は長々とお世話になりました」
「では、マイン。これをご両親に渡してほしい」
手渡されたのは招待状だった。神殿長からの招待状なんて断ることができない召喚状と同じだ。示された日時は明後日の3の鐘の時間だった。コクリと息を呑んで、わたしはその木札を受け取った。
「ルッツ~! 迎えに来てくれてありがとー!」
「な、なんだ!?」
神殿を出たところで待っていてくれたルッツを見た瞬間、何とも言えない安堵感が広がっていく。感情のままにギュッと抱きついて感謝感激を表現すれば、少しよろけたけれど、ルッツは転ぶこともなく持ちこたえてくれた。
ルッツの肩の辺りに頭をぐりぐり押し付けていると、ルッツは溜息を吐いた。
「もしかして、また何かやらかしたか?」
「……多分、やらかした。自分が何をやったかわからないけど、最大級の自爆っぽいことをやらかした気がする」
ポンポンとわたしの頭を軽く叩いていたルッツがニッコリと笑った。
「旦那様も血管浮き立たせた笑顔で待ってるぞ」
「え?……もうおうちに帰っていいかな? 今日は疲れちゃって」
「首根っこ引っ掴んでも連れて来いって言われてるし、今のマインの顔色ならまだ大丈夫だ」
「あああぁぁぁぁ……」
神殿ですでに神経をすり減らしたのに、ベンノのお説教フラグに突っ込んでいくしかないなんて。味方だと信じていたルッツに裏切られた気分だ。
ドナドナされる子牛の気分でベンノの店に連れていかれると、ベンノは待ち構えていたようで、すぐに奥の部屋へと通された。
いつもの席に座るように言われて座ると、正面にベンノ、ベンノの後ろにマルクが立ち、ルッツはわたしの隣ではなく、ベンノの隣寄りにいる。
「久し振りだな、マイン」
「……はひ」
「さて、言いたいことは山ほどあるが……」
これから出てくる話が非常に長くなりそうで、わたしは身を固くする。ベンノはゆっくりと息を吐いて、口を開いた。
「俺の話の前にコリンナからの伝言だ。洗礼式で着ていた晴れ着や髪飾りを見せてほしいと言ってた。ずいぶん変わった衣装だったな。かなり人目を引いていたぞ。何を考えてあんな衣装にしたんだ?」
「トゥーリのお下がりをお直ししただけですよ。意味なんてありません。わたしは見せるくらい別に構わないんですけど、衣装の持ちだしに関しては作った母に聞いてみないとわかりません」
「そうか。なら、聞いておいてくれ」
ベンノは軽くそう言った後、テーブルの上で手を組んで、やや身を乗り出すようにして、じろりとわたしを見据えた。
「さぁ、洗いざらい吐いてもらおうか。神殿で何があったかによって、お前の今後の扱いを考えなければならないからな」
「え? ルッツから聞いてるんじゃ?」
洗礼式から数日がたっている。とっくにルッツから話を聞いていると思っていたけれど、ベンノは聞いていないらしい。
「人伝の情報はどうしても歪む。当人に聞ける機会があるのに、わざわざルッツに聞く必要はないだろう? それに、敢えて隠している情報があるかもしれないからな」
獲物を見つけた猛獣のような目に、ぅひっと小さく息を呑んだ。これは追及の手が厳しそうだ。
「……どこから話せばいいですか?」
「洗礼式で倒れた後だ。ルッツと別行動になってからのことを、隠し事なく、話せ」
倒れて、水場を探して迷子になって、貴族スペースに入り込んでしまった。そこで巫女に拾われて、図書室を発見した話をすると、ベンノが驚いたように軽く目を見張った。
「図書室? そんなものが神殿にあったのか……」
「ベンノさんも知らなかったんですか?」
「貴族が使う場所にふらふら迷い込むような危険な真似、普通のヤツはしないんだ。自分の間抜けさ加減を自覚しろ。自分から危険に踏み込んでどうする?」
「ぅぐぅ……」
確かに、普通の人が出入りする場所ではなかったので、ベンノの意見は完全に正しい。迷い込んだことで図書室を見つけたのだから、わたしとしてはかなり嬉しいことだったけれど。
「その巫女さんに神殿関係者以外は図書室に入れないって言われたので、手っ取り早く巫女見習いになろうと思って、許可を出してくれる神殿長に直訴しました」
「少しは頭を使え! この考え無し!」
「いらい、いらいっ!」
身を乗り出したベンノに両の頬をぐにっとつねられる。マルクとルッツは当然の顔をして、助けてくれなかった。
ひりひりする頬を押さえるわたしに、ベンノは不機嫌そうな顔で先を促す。
「それで? 許可は出たのか?」
「両親の許可と寄付があれば、見習いにしてくれるって言われました」
「寄付? したのか?」
ベンノがくっと眉を寄せて、厳しい顔つきになる。わたしが考え無しに寄付をして、許可を得られなかったことを心配している顔だとすぐにわかった。
ベンノを安心させるため、わたしはグッと胸を張って答える。
「いえ、まだです。大まかな本の値段と自分が持っている貯金を考えた結果、図書室の利用料として、大金貨1枚までなら出せるかなぁって話をしただけで、まだ寄付はしてません。さすがに入れると決まっていないのにお金を払うほど、わたしだってバカじゃないんです」
安心させるつもりだったのに、ベンノを初め、マルクもルッツも頭が痛いと言わんばかりに頭を抱えて、肩を落とした。
「金額がバカバカしすぎて、言葉にならんぞ」
「お陰で扱いはよかったですけど……」
「当たり前だ!」
高額の寄付だろうとは思っていたが、どうやら、大商人が頭を抱えるくらい、わたしが提示した寄付の金額は高額だったようだ。
「それで、家に帰って両親に話したら、神官や巫女は孤児がなるものだからダメだってすごく怒られました」
「それはそうだろう」
「神官長は貴族の子もいるって言ってたんですけどね」
父が怒る理由がよくわからなくて首を傾げていると、ベンノがガシガシと頭を掻きながら、神官について説明してくれた。
「神官や巫女には青い衣装と灰色の衣装がいただろう?」
「はい」
「青い服を着ているのが貴族で、灰色が孤児だ。青の神官や巫女の従者や下働きとして、給料もなく奴隷のようにこき使われて、神殿で働いているのが灰色の神官や巫女だ」
「っ!?」
色の違いは見習いと正式な神官くらいの差だと思っていたが、まさかそんな違いだったとは思わなかった。
「貴族ではないお前が神殿に入るとすれば、灰色の巫女見習いになる。親が許すわけがないだろう」
わたしはコクリと頷いた。父が激昂した理由がわかった。それは間違いなくわたしにできる仕事ではないし、娘ラブな父が神殿入りを嫌悪するわけだ。
「それで、今日は断りに行くとルッツは言っていたが、お前、本当に断れたのか?」
「……えーと、身食いことを話したら、礼拝堂の石像が抱えている金の聖杯みたいなものを持ってこられて、触ったら光ったので、両親への招待状をいただいてしまいました」
こめかみを揉みほぐすようにグリグリと指先で刺激しながら、ベンノが大きく溜息を吐いた。
「……これは完全に取りこまれるな。延命できる事を喜んでおくしかない。お前は運が良い」
「えーと?」
神殿に取りこまれるのに運が良いと言われて、わたしは首を傾げた。意味がわからないわたしを放置して、ベンノは何やら考え込んでいる。
くっと顔を上げたベンノが真剣な目でわたしを見据えた。
「マイン、契約魔術を交わす気はないか? お前が作った物はこちらで取り扱うと」
「……どうしてですか?」
いきなり契約魔術などという言葉が出てきて、わたしは思わず警戒してしまう。ベンノは顎を撫でながら、わたしを見た。
「今すぐのことにはならなくても、お前は確実に貴族に取りこまれる。貴族を牽制するなら、契約魔術は必須だ」
「……もしかして、最初の契約魔術の時から、貴族に取りこまれると思っていたんですか?」
「いや、あの時はただの保険のつもりだった。お前がどんな子供かもよく知らなかったから、きっちりと線引きしたいというのが一番強かった。……ただ、身食いかもしれない可能性はあったからな。マインが生き延びるには貴族と契約することになる。契約した貴族を黙らせるには効果的だとは思っていた」
とても対等とは言えないわたしやルッツと契約魔術を交わしたのは、貴族が出てくることを想定していたからだったらしい。
「わたし、貴族と契約なんてしませんけど?」
「今までは貴族と接触しなかったから、お前の意思だけで何とかなったが、神殿に取りこまれたら無理だ。取りこまれることを前提に行動しろ。これだけ商品を生み出せる身食いを取りこもうとしない貴族はいないはずだ。今は特に、な」
「今はってどういうことですか?」
これは最近になってようやくこちらに回ってきた情報だが、と前置きしながら、ベンノはわずかに声をひそめた。
「ここの領主は中立というか、我関せずという態度を貫いたから、余波は少なかったが、もっとでかい領地は中央の政権争いに相当巻き込まれたらしい。大規模な粛清が行われ、貴族の数が激減したと聞いた」
「え?」
いきなり物騒な話になった。歴史の知識を引っ張り出してみるが、そもそも今がどの辺りの時代になるのか、これから先にどのような展開が待っているのか、すぐに察することができない。情報もないし、俯瞰して見ることもできない渦中のわたしには全くわからないのだ。
「当然、激減した貴族の穴を埋めるために、傍系を探したり、養子縁組をしたり、結婚が増えたり、と新しい繋がりや利権を求めて、人も金も物も動き始めた。人数がいないんだから、今までは厄介者のように神殿に放り込まれていた青い神官や巫女が大量に貴族社会へと戻っていくことになる。そうなると、神殿がどうなるかわかるか?」
ベンノにじろりと睨まれて、わたしは首を傾げた。マルクやルッツに助けて、と視線を送ってみたが、マルクからは澄ました微笑み、ルッツからは同じように首を傾げる反応しか返ってこない。
「えーと、貴族がいなくなって困ることって、何かあるんですか? 神殿の仕組みや仕事さえわからないわたしには思い浮かばないんですけど。灰色の神官達をこき使う人が減るならいいんじゃないですか?」
「まず、寄付が減る。それから、孤児達を使うヤツが減るんだから、孤児が仕事にあぶれる。孤児達は生きることすら困難になる」
「大変じゃないですか!」
わたしが思わず叫ぶと、ベンノは溜息混じりに首を振った。
「もっと大変な事がある。お前が触らされたと言った聖杯。神殿のヤツらはあれを神具なんて言っているが、実際のところ魔術具だ。青い神官や巫女が魔力を注いで溜めこみ、春の祈念式で使うけれど、その力が溜まらなくなる。そうなったら、農作物の収穫が減る」
「ええぇぇ!?」
そんな重大事にあの聖杯が直結しているとは思っていなかった。光ったことに驚いたが、神の威厳を見せつけるためのお金のかかった飾りくらいにしか考えてなかった。
農作物の収穫は生きるために絶対に必要な物だ。収穫量が減って一番に困るのはわたし達のような街に住む貧民だ。
「政変前までは貴族の子が余っている状態だった。身食いなんて、魔力を独占したい貴族にとっては目障りな存在でしかなかった。だが、貴族が減って、魔術具を使うことが難しくなった今、身食いは神殿に取ってかなり必要な存在になる」
「あの、身食いと魔力って何か関係があるんですか?」
わたしの質問に、ベンノは顎が落ちそうなほど驚いた顔をして、信じられないと頭を抱えた。
「お前、まさか知らなかったのか? 身食いは身体の中の魔力が暴れる状態を言うんだ」
「えぇ!?」
「魔術具に魔力を移すことで、自分の力で制御できる状態にするんだ」
「初めて知りました」
わたし、魔女っ子だったらしい。魔力持ちだなんて、それって、転生のお約束じゃないですか。わたしにもとうとう見せ場が来たってことですね。溢れる魔力でバーンと敵を倒しちゃったり、派手な魔法を使ったりできるってこと?……ん? 敵って何?
初めて知った情報にちょっとだけ心を遠くに飛ばしていると、聞け、とベンノに軽く頭を叩かれた。
「貴族も上級貴族の方は魔力が強く、下級貴族は魔力が弱い傾向がある。そして、金もない貧乏貴族は生まれた子供全員のために魔術具を準備できない。魔力の多い跡取りだけ家に残して、他の子供は神殿に預けるということも珍しくはないそうだ」
つまり、今、神殿にいる青い神官は、育てられないと親に放り出された貴族達ということになる。いないと困るけれど、悲しい存在だと思う。
「つまり、今まではそれほど強くない魔力の貴族が人海戦術で溜めこんで神事をこなしていたのに、人数が激減すると一人一人の負担が重くなる。今は下手したら足りていない状態かもしれない。洗礼式で青の神官はどれくらいいた?」
「10人くらいです」
華麗に揃ったグ○コに腹筋崩壊させられた記憶はまだ新しい。
「常時20人ほどいるのが、10人だ。それも魔力のあるヤツから家に呼び戻されるのだから、残っている若いヤツの魔力は推して知るべし。強い魔力を持つ身食いは喉から手が出るほど欲しいに違いない。ただ、これはおそらく今だけだ。貴族の数が激減し、これから生まれた貴族が成長するまでのほんの短い期間だけだと思え」
「はぁ」
短い期間だったら、神殿で魔力提供のためにお勤めしても良いかもしれない。魔力提供と図書閲覧の交換条件を出せば、呑んでくれるだろうか。
むーん、と考えていると、いつの間にかわたしの背後に回ってきていたベンノが拳骨で頭をぐりぐりし始めた。
「俺の話を聞いているのか?」
「いだい! いだい!」
「お前は魔力も金を生み出す商品も持っている。いい加減自覚しろ! 貴族にとって自分がどれだけおいしい獲物なのか」
真剣な声に思わず姿勢が伸びる。ベンノはハァ、と溜息を吐きながら、拳骨を頭から離して軽く手を振った。
「だからこそ、貴族に取りこまれる前に契約を済ませておいた方がお前のためだ」
「……何の契約ですか?」
「お前が作った物をルッツが売るという契約だ」
「え? 何のために?」
身食いと神殿とどういう関係があるのか、全くわからない。どさくさにまぎれて利益を得たいだけではないのか。眉を寄せたわたしに、ベンノは椅子に座りなおして、丁寧に説明し始めた。
「今の段階では、ただの保険だ。迂闊で短絡的で考え無しなお前が、貴族の策にはまって城壁の向こうに連れ去られた時、連絡が付くようにするためだ。それでなくとも、貴族と契約させられた場合のことを考えてみろ。城壁の向こうへと行くには許可がいる。それは知っているだろう?」
「はい」
門の仕事もしていたので、城壁を越えるには許可が必要な事は知っている。わたしが頷くと、ベンノは少しだけ苦い顔になった。
「ギルド長の孫娘は、城壁の向こうに行っても家族と会える。あそこの一族は貴族に認められた商人だからな。だが、お前の家族はどうだ?」
わたしは沈黙で答えるしかなかった。家族と会えなくなるから、貴族との契約を選ばなかったのだ。会えるわけがない。
「お前の家族が城壁を越えられるとは思えない。だったら、せめて、貴族に邪魔されない契約魔術を使って、神殿や貴族に取りこまれる前にルッツと繋がりを作っておかないか? そうすれば、その契約を口実に俺はルッツを城壁の中に連れていくことができる」
ハッとしてベンノを見た。ルッツを見た。二人とも目が合うと小さく頷いてくれる。
「ルッツが仲立ちすれば、手紙なり、伝言なり、何がしかの連絡は取れる。お前も家族の状況を知ることができる。何より、ルッツを通じて状況を知ることができれば、お前を案じる家族にとって少しは安心できる材料にはなるだろう。まぁ、俺と契約しておきたいなら、それでも一向に構わないが?」
「ベンノさんじゃあ家族の様子はわからないじゃないですか」
貴族に取りこまれるような想像はしたくないけれど、もし、そうなってしまった時にルッツと会える状況を作っておくのは、わたしにとっては悪くない。家族に会えるだけで心強いとフリーダも言っていた。
けれど、それにルッツを巻き込んでもいいのだろうか。
「ルッツはどう思ってるの?」
「貴族の街に行けるなら行ってみたいし、連絡係くらいなら別に構わないと思ってる。マイン一人にする方が心配だ。何をやらかすかと考えると頭が痛い」
軽く肩を竦めるだけで、ルッツ本人はすでに契約する気になっているようだ。だが、貴族を牽制するための契約だ。契約相手であるルッツにかかる負担を考えると、そう簡単に頷くことはできない。
「契約しちゃうってことはそんなにお気楽な立場でもないでしょ? 危険な目に遭ったり、ルッツが嫌な思いをしたりするんじゃない? それに、その契約だったら、ベンノさんの利益は少ないですよね? ルッツが引き抜かれたら、それまでじゃないですか」
わたしが唇を尖らせると、ベンノは呆れたように溜息を吐いて、緩く首を振った。
「他人の心配をしていられるほど、お前は呑気な状況じゃない。ルッツにも利益があるからそれでいいんだ」
「ルッツにどんな利益があるって言うんですか?」
「お前が知る必要はない。マインは自分の利益だけを考えろ。正直、招待状をもらっているなら、先に手を打てる時間はほとんどないんだ」
情報が多くて、周りが見えているベンノが、当事者のわたしより焦っているよう見える。神殿に取りこまれる前にしておくことを並べていく。
「まずはマイン工房を作って、工房長としてギルド登録をして、商品の販路は確保しておけ。金で待遇が変わるなら、金を手に入れる環境を作って神殿と交渉しろ。あっちも金は欲しいだろうから、交渉次第で何とかなる」
確かに大金は力の一つだ。高額の寄付を提示しただけで対応が丁寧だったのだから、自分を守るために、お金は持っていた方が良い。
そして、商品を作っても、神殿に全て取り上げられたら、自分の手元には利益が全く残らないことになる。信頼できる販路は必須だ。ちょこちょこ騙されたり、試されたりしているが、ベンノは今のわたしが一番信頼できる相手でもある。
わたしが頷くと、ベンノも頷き返してくれた。
「貴族にとっては平民一人なんて大した価値はないと思って、用心しろ。生き延びる道、逃げ道は思いつく限り準備しておけ。保険になると思ったものは何重にも準備して自分を守れ」
「はい」
普通に膝に乗せてもらって聖典を読んでもらったり、丁寧に対応したりしてくれたので、何となく良い人だと思っていたが、保険も逃げ道も準備しておいて損はない。備えあれば憂いなしだ。ここでの常識や知識が足りなすぎて、何をどう準備すればいいのかわからないところが歯痒い。
ベンノはわたしをじっと見たまま、言葉を連ねる。
「今だって神殿には貴族が10人はいるんだろう? その中から搾取されるだけでなく、利用し合える相手を探せ。貴族に掻っ攫われ、飼い殺されるだけから、少しだけ選択肢が広がるんだ。よく見て、選べ。考えろ。ぼんやり流されるな。生きるためにあがけ」
「なんでベンノさんが、そこまで……」
並べたてられた対策や注意事項は、相当情報を集めて、色々と考えなければ出てくるようなものではない。この店の見習いにもなれなかったわたしのためにそれだけの手間をかけてくれる意味がわからない。
「お前が生き延びたら、新商品ができる。ウチと繋がりがあれば、こちらの利益にもなる。お前はこうして情報を手に入れることもできるんだから、お前の利益にもなっているだろう? おとなしく受け入れろ」
ムッとしたように眉を寄せるベンノの後ろでマルクがフッと柔らかい笑みを浮かべて苦笑した。
「旦那様は心配なだけですよ。いつだって危なっかしくて、思わぬことを引き起こすので、マインを見ているのは実に心臓に悪い」
「マルク、黙れ」
ベンノが振り返ってそう言ったが、マルクは薄く笑ったまま言葉を続ける。
「見習いに入る子供達は生家で基本的な教育を受けてお預かりする存在で、今まで旦那様の身近にはここまで面倒をみなければならない子供がいませんでした。我が子のように、とは申せませんが、親戚の子供程度には親身になって心配しているのです。もちろん、このマルクも」
「ありがとうございます。マルクさん」
「マルクかよ」
感激してお礼を言うと、ベンノがふてくされたように吐き捨てた。わたしとマルクは顔を見合わせて吹き出した。
「もちろん、ベンノさんにも感謝してますよ。……契約魔術とギルドへの工房登録、お願いします」