Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (70)
契約魔術と工房登録
「どうぞ、旦那様」
「あぁ」
マルクによって契約魔術の準備がされた。テーブルの上に並べられた契約魔術に使われる契約用紙と特殊なインクが入った変わったデザインのインク壺には見覚えがあった。
ベンノはインク壺にペンをつけて、すらすらと契約内容を書いていく。インクが黒ではなく青いインクなのも記憶の通りだ。契約書に書かれていく文字を眺める。
《マイン工房で作られたものを売る権利はルッツが有すること。
代理人を置く場合はマインとルッツとベンノの了承を得た上、商業ギルドに届け出ること》
「この一文は何ですか?」
わたしが契約書を指差すとベンノが軽く眉を上げた。
「保険だ。子供だけの契約なんて暴力や誘拐なんかで脅して破棄させようと考えるヤツも出てくる。少しでも不正を防ぐために俺とギルドを巻き込んでおけ。こういう契約をする時は自分の味方になりそうな第三者をなるべく巻き込んでおくんだ。覚えておくといい」
「……ありがとうございます」
こんな面倒な契約魔術を提案してくれるだけではなく、味方として自ら巻き込まれてくれるとは思っていなかった。
マルクが差し出してくれたペンを受け取って、わたしが署名する。次にルッツが、最後にベンノが名前を書いて、血判を押していく。
「ルッツ、お願い」
堅く目を閉じて手を出すと、ルッツがピッとナイフで指先を切ってくれた。じわりとにじんでくる赤い血を自分の署名の上にぎゅっと押しつける。
血を吸いこんだ瞬間、青いインクが黒に変わっていくのは以前と同じだ。そして、前回の契約魔術と同じように、全ての署名を終えた後は、インクの部分が光って、燃えるようにインクの部分から穴が開いて広がっていき、契約用紙そのものが消えていく。
燃えかすまでが光に解けるようにキラキラと消えていくのを見ながら、ベンノがゆっくりと息を吐いた。
「これでひとまず、マインが貴族街に連れ込まれても商品を売るために必要だという大義名分を得て、ルッツとマインが顔を合わせることができるようになる。そんなことにならないよう、マインは自衛することを覚えろ」
「頑張ります」
グッと拳を握って見せたが、ベンノにも、ルッツにも、マルクにも、ものすごく不安そうな顔で首を振られた。
「ただし、このやり方が通用するのは、マインの作りだす商品に価値を見出している者だけだ」
「え?」
「魔力のみを必要とする相手ならば、商品の売買など知ったことではないと言い放つだろう。……幸い、この街にいる貴族で、放っておいても大金が入る機会を無視できるほど裕福な貴族はほとんどいないと思う。それから、以前も言ったが、この契約魔術が効力を発揮するのは、この街だけだ。気を付けておけ」
「はい」
その後、普通の羊皮紙で同じ内容の契約書を交わした。これはギルドに報告するためと、貴族相手には大した牽制にはならないが、別の街で何かあった時にすでに契約していることを示すためらしい。
「今日のうちに手続きしてしまおう。このまま商業ギルドに向かうぞ。マイン工房を工房として登録して、マインを工房長にする。こうしておけば、商品の売買は問題ない。そして、神殿以外にも選択肢とお金稼ぐ術があると見せることで少しは強気に交渉に臨めるだろう」
「はい」
商業ギルドは帰り道なので、寄って手続きを終えることができれば、ひとまず安心できる。
さっさとしろ、と急かすベンノに追い立てられて、ルッツが着替えるために物置にしている上へと駆けあがっていく。
わたしはベンノを見上げて、問いかけた。
「どうしたら交渉を有利に進めることができますか?」
「そうだな。……まずは、自分にとって最善の結果を頭に思い浮かべる。そのために相手から引き出さなければならない譲歩が何か、こちらから出せるものは何か、相手が何を欲しがっているか、見極めるんだ」
ベンノの言葉を聞きながら、わたしは自分が欲しい物を思い浮かべてみる。
欲しい物は図書室への入室&閲覧許可だ。そのためには労働必須の灰色の巫女見習いではない立場で神殿に入りたい。こちらから出せるのは魔力とお金。相手が欲しい物も、ベンノの情報が正しければ、魔力とお金だ。
何とか交渉できそう、かな?
「……あ、そういえば、神殿長に原則として神殿へ入るには他のギルドへ所属しちゃダメだって言われたんですよ。ギルド長と交渉するって神殿長が言っていたけど、どうなったんだろう? 登録できるんでしょうか?」
ふと神殿長の言葉を思い出したわたしに、ベンノがビシッとチョップする。
「おい、マイン。自分のことを他人に丸投げするな。きっちり間に入って自分の利益を確保しろ。どんな無茶な条件をつけられるかわからないだろう」
「そうですね。ぶっちゃけ、聖杯が魔術具で、延命できるなんて思ってなかったので、あと半年くらいならどうにでもなぁれって気分だったんですよ。投げやりだったのは認めます」
寿命を延ばすことはできそうだし、図書室が見つかったし、わたしのやる気はぐぐんと上がっている。
「そのやる気が空回りしないように、頭を使え」
「善処します」
ルッツが階段を駆け下りてきた。ぜいぜい言っているので、相当急いだようだ。7階という高い位置を見上げて、わたしは感心してしまう。わたしがこんなところを駆けあがって、駆け下りたら、きっとぶっ倒れるに違いない。
「じゃあ、行くぞ」
ベンノがスッと脇に手を入れて、当たり前のようにわたしを抱き上げた。
わたしの歩くスピードは成人男性にはとても耐えられない速さだとオットーに言われたので、最近はおとなしく抱きあげられるままになっている。抵抗したら疲れるだけで無駄だと諦めた。
「神殿に入る者は他のギルドに所属してはならないなら、神殿で商業ギルドとやり取りできるのは、マインだけということになる。もうすでに登録している、で押し通せなかったら、金をちらつかせてもいいから、工房活動を認めさせろ」
商業ギルドへの道すがら、ベンノはほんの少しの時間も惜しむように、次々と対応策や交渉の仕方を述べていく。全部メモを取りたいけれど、取れないのが惜しい。じっとベンノを見ながら、少しでも多くの情報を得ようと耳と脳味噌を総動員する。
「さっきも言った通り、青の神官が減って、孤児達には仕事がなくて、寄付が減っている可能性がある。彼らに新しい道を与えたいとか、仕事を与えたいとか、生活環境を整えたいとか、適当な綺麗事をこれでもかと並べ立てて、工房の権利を認めさせろ。何をするにも金が必要な事くらいは神殿側もわかっているはずだ」
「はい」
「ついでに、当人達にも働かせるとか、体調管理をするヤツがいないと行動できないとか、1の真実を10でも20でも膨らませるような言い方をして、労働力も確保しておけ。ルッツはもう店に入っているから、週の半分は使えなくなる」
「なるほど」
いちいち具体的でわかりやすい対策にわたしは何度も頷きながら、頭の中を整理していく。綺麗事を並べて工房の権利を勝ち取り、虚弱さを誇大して労働力を確保する。確かに、工房があってもわたしだけでは動かない。
「孤児達でも工房で真面目に働けると分かれば、他の工房でも受け入れてくれるところが出てくるかもしれない。新商品を作りだし、それを孤児達が作っているとなれば、周囲の目も少しは変わるかもしれない。その辺りはお前の腕次第だ」
「わかりました。頑張ってみます」
わたしのことだけではなく、孤児のことまで考えてくれるなんて、とベンノに感動していると、ベンノは溜息を吐いて、頭を振った。
「ハァ……。お前、乗せられやすいのにも程があるぞ? 何でも抱え込もうとするな。優先順位はあらかじめ決めておけ」
「え?」
くるっと手の平を返したような意見にわたしが目を瞬いていると、ベンノは困ったように眉を寄せた。どうやら、何か試されていたらしい。
「神殿内で自分の立場を確定させるまでは、孤児達より自分の身を最優先にしろ。むしろ、孤児達を味方にして利用することを考えろ。こんなこと言いたくはないが、孤児に何かあるより、お前に何かある方が心配して悲しむヤツは多いんだからな」
「……わかりました」
わたしが頷いた時には商業ギルドに到着していた。ギッとルッツが開けてくれたドアを通り抜けながら、ベンノは少し眉を寄せて不機嫌そうな顔になる。
「新しい商品を作ったり、困ったことができたり、何か必要な物があれば、相談に来い。もちろん、相応の金は取るが、できるだけ便宜を図ってやる」
「感謝します。ありがとう、ベンノさん」
夕暮れが近付いているので、人が少なくなっている商業ギルドの2階をさっさと通り過ぎて、3階のカウンターへと向かった。
仮のギルドカードを返し、洗礼式前からベンノが準備していた書類を提出して正式登録する。書類には売買の店にベンノ店、交渉役にルッツを指名する旨もしっかりと書かれていた。
「あら、マイン。来ていたの?」
ギルド長室にいたのだろうか、淡い桜色のツインテールを揺らしながら階段を下りてきたフリーダが、待合スペースの書棚を漁っているわたしを見つけて、駆け寄ってきた。
「洗礼式が終わったら、登録に来ると思っていたのに、全く音沙汰ないんですもの。もしかしたら、洗礼式で倒れたのではないかと心配していたのよ」
「ふふっ、お見通しだね。本当に倒れたんだよ。やっと回復したの」
フリーダの予想通りだったことが少し面白くて、わたしが小さく吹き出すと、フリーダは地図を広げていたルッツを軽く睨んだ。
「ルッツが付いていたのに、マインが倒れるなんて」
「今回はルッツに非は全くないから。むしろ、わたしが悪いから」
倒れた原因が腹筋崩壊と図書室見つけて大興奮なのだから、全面的にわたしが悪い。心配かけたことを土下座レベルで謝らなければならないくらいだ。
「おい、マイン。呼ばれてるぞ」
フリーダと話をしているうちに、新しいギルドカードができたらしい。フリーダはカウンター奥の仕事に戻り、わたしは説明を受けるためにカウンターへと向かった。
新しいカードは前の情報を引き継いでいるが、血判は必要だと言われて、ひっと息を呑む。
「マイン、諦めろ」
手渡された針で指を突いて、じわりとにじむ血を押しつけると、カードが光って登録は完了する。登録は簡単だけれど痛い。
登録料に小銀貨5枚を払った後、仮登録と工房長としてのカードの違いについて説明を受けていると、それを聞き咎めたフリーダがわたしの手元を覗きこんできた。
「まぁ、マイン工房ですって? ベンノさんのお店で商人見習いになるのではなかったの?」
「体力的に仕事できないから諦めたの」
「では、マイン工房が作った物を我が家にも卸していただこうかしら?」
即座にきらりと目を光らせて商人の顔になるフリーダを見て、わたしは少し視線を逸らす。
「あ~、ごめん。マイン工房で作った物はルッツがベンノさんのお店で売ることになってるの」
「……またルッツなのね」
むぅっと不満そうにフリーダが唇を尖らせるが、決まってしまった物は仕方ない。フリーダにはカトルカールの専売権を売ったのだから、それで諦めて欲しい。
「フリーダにはカトルカールを譲ったでしょ? どう? 売り物になりそう?」
「えぇ、イルゼが張り切って味の研究をしているわ。売りに出す前にマインの意見が聞きたいそうよ。ぜひ味見にいらして。明日はどう?」
食べたいけど。疲れた時に甘い物って素敵だよね、って思うけど。神殿との交渉が終わるまでは、お菓子の味見に行く余裕はない。
「お誘いはありがたいけど、明後日までは予定が詰まってるの」
「では、その次の日はどうかしら? よかったら、マインのお姉様も連れていらして。お姉様がいらっしゃれば、ルッツは来なくていいでしょう?」
トゥーリの存在をちらつかせて、フリーダがルッツを牽制し、ルッツは今にも噛みつきそうな顔でフリーダを睨んでいる。そういえば、前回はトゥーリを馬車に乗せて、ルッツを置いていったのだ。
「フリーダ、そんな意地悪言わないで、みんなで食べた方がおいしいよ? イルゼさんが味の研究をしているということは、いくつかあるんでしょ?」
「それはそうですけど……」
唇を尖らせて不満顔になったフリーダに、わたしは商品の試食という点を追及していく方向でフリーダの思考を感情的なものから、商人思考に切り替えできないか考える。
「商品の完成度と売れ行きを予測するためには、できるだけたくさんの人に食べてもらって、意見をもらうのが良いと思うよ。子供と大人では求める味が違うし、男性と女性でも違うからね」
「……たくさんの人? どのように食べていただきますの? お茶会をするにしても、なかなかたくさんの人をお招きするのは難しいですわ」
フリーダの目が商人のものになってきた。ただ、思考がルッツを参加させることから、たくさんの人を招くお茶会に変わってきてしまったようだ。ルッツの参加を了承してもらいたくて、わたしは何とか言質を取ろうと言葉を重ねる。
「別にお茶会じゃなくても良いんじゃない? 一口サイズに切った色んな味のカトルカールを準備して、どれが一番おいしかったか、どうしておいしいと思ったのか聞いてみるような試食会をするつもりで、ルッツも……」
「その案、いただきますわ!」
わたしが最後まで言うより先に、フリーダがポンと手を叩いて、目を輝かせた。興奮して完全に浮かれたような表情になっている。すごく楽しそうで幸せそうな顔をしているけれど、こちらはもう完全に視界に入っていないように見えた。
「え? フリーダ?」
「試食会の日時が決まったらお知らせするわね。もちろん、お姉様もルッツも。あぁ、忙しくなるわね。では、マイン、ルッツ。ごきげんよう」
思いついたことをすぐに形にしたいとばかりに、フリーダはくるりと踵を返して、階段を駆け上がっていく。多分、ギルド長に相談に行ったのだろう。何を思いついて、どう暴走していくのかよくわからないが、フリーダが機嫌よくルッツを招いてくれる気になったのだから、結果としてはよかったのだろう。
交渉が終わった後なら、色んな味のお菓子を楽しむのも良いなぁ、と微笑ましくフリーダの後ろ姿を見送っていると、ルッツが軽く溜息を吐いた。
「な? フリーダとマインって、似てるだろ?」
ルッツの言葉にベンノはククッと笑って肯定した。
無事に手続きを終えて、商業ギルドを出ると、夏の長い日でさえも暮れようとしている時間になっていた。商業ギルドに入る時には賑わっていた中央広場も、行き交う人がまばらになってきたように感じる。
長い影法師を見ながら歩いていると、ルッツと繋いでいる手に少し力が込められた気がした。
「どうしたの?」
わたしが足を止めてルッツを見上げると、ルッツは怒っているような、泣きだしそうな複雑な表情に顔を歪めて、わたしを見下ろした。ぽつりと零すルッツの言葉が影に落ちていく。
「……マインは本当に神殿に入るのか?」
「うん、多分ね。ベンノさんの話が全部本当なら、神殿の方がわたしを離さないと思う。ベンノさんはそう予測してるでしょ?」
ルッツは一度キュッと唇を引き結んだ後、不安そうにわたしを見つめた。
「交渉、できるのか?」
落ちていく夕日で陰影が濃くなって、一層不安そうに、泣きそうに見える。握っている手には少しずつ力が込められていくのがわかった。
ルッツの不安を少しでも取り除いてあげたくて、わたしはニコリと笑って見せる。
「貴族と交渉したことがないから、どうなるかわからない。でも、聖杯が本当に魔術具で、身食いを抑えられるなら、神殿に行った方が良いし、本を読むためには入りたいと思ってるよ。けど、灰色の巫女にはどう考えてもなれないから、交渉次第だよね。自分の環境をちょっとでも良くするために頑張ってみるよ」
「あぁ……」
ほんの一瞬痛そうに顔を歪めたルッツが目を伏せて歩き始める。
しばらく沈黙したまま、二人で歩く。荷馬車が通り過ぎる音を気にするふりしてルッツの顔を見上げれば、何か言いたそうなのに呑みこんでいるような表情をしていた。無言で足を進めるうちに、どんどん気になってくる。
「ねぇ、ルッツ。言いたいことがあるなら言っちゃえば? 聞くよ?」
足を止めたルッツは少し口を開いて、引き結び、少し考えこんだ後、プイッと視線を逸らした。
「……カッコ悪いから言いたくない」
「そう、わかった」
いくら気になっても、カッコつけたい男心は尊重してあげた方が良いだろう。わたしは頷いて、再び歩きだした。
またもや沈黙が続く。石畳に同じように帰宅を急ぐ人達の足音が響き、夕方の喧騒があちらこちらの窓から聞こえてくるのに、わたし達の周りだけは、シンと静かで空気が重い。
日が落ちてしまったのか、建物の長い影が重なって影を濃くしているのか、足元も少しずつ暗くなっていく。
「……一緒に紙を作って、本を作って売るって言ったくせに。マインの嘘つき」
ガタガタと脇を通り過ぎる荷馬車の音に紛れるようなルッツの呟きだったけれど、ハッキリと聞きとれた。くるくると状況が変わっていく中で、言いたかったのに言えなかったルッツの文句が胸に刺さった。
「ごめんね、ルッツ」
「マインが謝ることじゃない。オレの力じゃ何もできないってわかってるんだ。旦那様の言ったことは正しいから、マインが少しでも危険な目に遭わないように、できるだけの協力をしたいと思ってる」
ルッツはそこで言葉を切って、一度ギリッと奥歯を噛みしめた。
「……でも、悔しい。マインはオレと本屋さんをするって言ったのに……」
「そうだね。でも、わたしは本が読みたいから、作ろうと思ったの。だから、神殿に行っても本を作るのは止めないよ? むしろ、寿命が延びたんだから頑張っちゃうよ? 本を増やさなきゃ、わたしの野望は達成しないでしょ?」
わたしの言葉にルッツが顔を上げた。泣きそうな歪んだ笑顔でルッツは肩を竦める。
「本に囲まれて、本を読んで暮らすっていう野望?」
「そう。ルッツは商人になりたいんでしょ? 商人になって色んなところへ行ってみたいんだよね? わたしにも夢があるんだよ」
それぞれの夢に向かって頑張ろうね、と言うと、ルッツは今度こそ泣きそうな顔になった。溢れそうな涙が薄暗がりの中でもハッキリと見えた。
「マインの夢、応援したいと思ってる。……でも、オレ、マインが一緒だから頑張れたんだ。一緒に旦那様の店で頑張りたかった。マインと一緒にもっと色んなことをしたいよ」
そう言いながら、ルッツがわたしを抱きしめて、わたしの肩口に俯いた顔を埋めた。必死に抑えようとしている小さな嗚咽が肩に落ちてくる。
「大丈夫。神殿に入ってもできるよ。絶対に本を作るから」
「違う。そうじゃない。他の誰かと作った本をオレが売るんじゃなくて、オレがマインと一緒に作りたかったんだ」
溜めに溜めていたのだろう、ルッツの不満が堰を切ったように零れてきた。駄々をこねるように首を振るルッツに、わたしまで胸が痛くなってきて涙が零れる。不満ごとルッツを抱きしめ返して、ポンポンと背中を軽く叩いた。
「前に決めたことは変わらないよ? わたしが考えた物は、ルッツが作ってくれるんでしょう? 何か作る時にはベンノさんより先に、誰より先に、ルッツに相談するし、協力もお願いするよ」
「オレ、何もできないのに?」
ルッツが驚いたように顔を上げた。ルッツの頬の涙を手で拭いながら、わたしは小さく笑った。
「ルッツが何もできないなら、わたしなんてどうなるの? わたしにできることなんてある? それにね、何をどうするのか、何が出来上がるのかわからない状態で、わたしの作りたい物に付き合ってくれる人ってルッツしかいないから。ルッツがいなくて困るのはわたしなんだよ」
「……いや。もう、マインが作る物には価値があるってわかってるから、みんな手伝ってくれるさ」
ルッツはつまらなそうに唇を尖らせて、泣いてしまったことを恥じるように急いで涙を拭う。言いたいだけ不満を吐きだして少しはスッキリしたのか、気恥しさを振り払いたいのか、ルッツはしきりに肩や腕を動かす。
「うーん、誰かと作ることになっても、なかなかうまくいかなくて、結局ルッツを呼びだして、仲立ちしてもらう未来しか思い浮かばないんだけど、ホントに手伝ってくれる?」
わたしが肩を竦めると、ルッツはやっと笑ってくれた。ギュッと手を握り、どんどん暗くなっていく道を明るい笑顔で歩きだす。
「大丈夫だって。オレが作ってやるよ」