Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (73)
閑話 コリンナ様のお宅訪問
わたしはトゥーリ、8歳。
妹のマインが神殿に巫女見習いとして通うことが決まって、安心したばかり。身食いで死ぬこともなくなったし、灰色巫女として孤児院に放り込まれることもなくなったみたい。いつ、マインがいなくなるのかって怯えていたけど、それがなくなったのがホントに嬉しい。
父さんと母さんが神殿に呼ばれた次の日、マインはベンノさんのお店に神官長対策の相談に行っていた。ついでに、コリンナ様と会う日を決めてくるって、言って出かけた。
前はマインだけ招待されて、わたしはお留守番だったけど、今回は一緒に行けるようにお願いしてくれるんだって。
あぁ、楽しみ~。ウチのマインは姉思いの良い子! コリンナ様のお家に行ったこと、工房の仲間に自慢しちゃうんだ。うふふ。
コリンナ様は成人した頃から自分の工房を持っていて、お貴族様からの注文まで受けて衣装を作っているくらいすごい人。わたしのような針子見習いにとっては、あの青いお空よりずっと遠い存在で、いつかあんな風になりたいなぁ、と思う憧れの人なの。
素敵な旦那様に熱烈な求婚を受けたことも、吟遊詩人の物語のように針子仲間の間では伝えられているんだよ。コリンナ様のために商人である自分を捨て、今まで築き上げてきた財産を捨て、求婚したという噂で、とても愛されていて、大事にされているコリンナ様は女の子にとって理想の固まりなの。
コリンナ様って、どんな人なんだろう? マインは優しくて綺麗な人だよって言ってたけど。
「ただいま、トゥーリ。コリンナさんがね、ぜひ、みなさんでどうぞって、言ってくれたよ。明日の午後にいらっしゃいって」
少し急いで帰ってきたのだろうか、息を弾ませてマインが玄関に飛び込んできた。満面の笑顔でそう言った後、マインはその場にへたりこむ。
「マイン!?」
「うっ……、トゥーリに早く教えてあげたくて、頑張りすぎたかな? ごめんね」
「明日行けなくなる方が困るよ。ちょっと座って休んでて」
へろんとした様子でテーブルに体重を預けて、マインが座る。艶のある紺色の髪がさらりと落ちた。
マインは色々な事に挑戦して、少しずつ体力も付けているけれど、全然強くならないし、大きくならない。いつまでたっても4歳くらいにしか見えないので、心配で仕方ない。
同い年のルッツと並んでも兄妹にしか見えないし、最近では森に行く時に2つも年下の子に世話を焼かれたと、どんよりと落ち込んでいた。
マインは身食いだから虚弱なわけではなく、身食いが治っても虚弱なままらしい。同じ病気のフリーダちゃんとは違うと、この間ルッツが言っていた。
「……むぅ、ちょっとマシになったかな?」
ぐりぐりとこめかみを押さえながら、マインが立ち上がって、のそのそと動き始めた。
自分で作ったお気に入りのバッグに、丁寧に畳んで汚れないように布で包んだ晴れ着と髪飾りと細いかぎ針を入れていく。明日の準備だと気付いて、わたしはマインに尋ねた。
「マイン、わたしは? 何を準備したらいい?」
「うーん、特にないけど……せっかくだから、リンシャンで綺麗にして行こうか?」
「うん!」
わたしが作ったリンシャンで、マインと髪の洗いっこをする。前はこんなに頻繁に洗わなかったけれど、最近は身綺麗にしないといけないと思うようになってきた。
工房でも、お客様が来た時に案内したり、話し相手を務めたりするのは身綺麗にしている人ばかりだからだ。
「あのね、マイン。わたし、今日ね、初めて案内係を任されたんだよ」
「本当に? よかったね、トゥーリ」
「マインのお陰だよ」
いつだったか、マインに綺麗な人しかお客様と顔を合わせる仕事が回ってこないと不満を言ったら、「お客様相手の商売は第一印象が大事なんだよ。商人なら当然気を付けることだから。作るだけの裏方ならともかく、お客に顔を売りたいんだったら、トゥーリも汚れや恰好には気をつけた方が良いよ」と商人視点で注意された。
他にも、お客さんに見られても良い仕事着にして、汚したくないなら袖までついたエプロンをしておくといいよ、とも言われた。案内する前に外せば、綺麗な仕事着になるよ、と。
マインの忠告を取り入れたら、お客様に顔を出す仕事が回ってくるようになった。
「ただいま」
今日の出来事をお互いに話しながら、丁寧に髪を拭っていると、母さんが帰ってきた。わたし達二人が髪を拭ったり、櫛で梳いたりしているのを見て、軽く目を見張る。
「あら、リンシャンを使っているの?……もしかして?」
「うん。明日、コリンナさんのところに行くことになったから」
マインの言葉を聞いた母さんは、料理番をわたし達に押し付けて真剣な眼差しで熱心に髪を洗い始める。コリンナ様に会う前に、できるだけ綺麗にしたい気持ちはとってもよくわかるので、わたしとマインは肩を竦めて交代してあげることにした。
「明日は作ってもらったばかりの新しい夏服で行くんだ」
「いいね。あれ、涼しそうで可愛いもん」
マインの晴れ着を作らなくて余った布は、わたしの夏服になった。マインと違って成長が早いわたしは、あっという間に服が着られなくなってしまうのだ。
わたしの服にするには布が足りなかったので、スカートの裾の部分だけパッチワークのようにいくつかの種類の布を縫い合わせて長さが足されている。それが飾りのようで、結構可愛くて、お気に入り。
コリンナ様も可愛いって思ってくれるかな?
次の日、マインの速さに合わせても約束に間に合うように、わたし達は早目に家を出た。
中央広場を越えて北側に向かうと、行き交う人の服が色彩豊かになってきて、布もたっぷり使っている人達が出てき始める。北側に来ることなんて滅多にないので、わたしは自分の服を見下ろして、周りから浮いていないか心配になった。
母さんもわたしと一緒で少し人目を気にしているように見える。マイン一人だけ緊張の欠片もなく元気いっぱいだ。歩くのは遅いけど。
「コリンナさんの家はね、ベンノさんのお店の上なんだよ」
そう言われて気が付いた。毎日の出来事をウチで聞いているだけだから、実感はなかったけれど、マインはルッツと一緒に日常的にこの辺りを歩いている。緊張するわけがなかった。
「あぁ、何て挨拶すればいいかしら?」
「まずは、初めまして、でしょ? あとは、お招きありがとうございます、とか? 娘がお世話になってますは、ベンノさんやマルクさん向きだね」
緊張している母さんにマインはさらっと答えを返す。わたし達が普段使わない挨拶なのに、すぐに出てくるということは門やお店で覚えたものだろうか。一切の迷いがない。
「マイン、わたしは? 何て挨拶すればいい?」
「トゥーリは可愛く笑っていればいいよ。楽しみにしてましたって、トゥーリに言われて喜ばない人なんていないから」
笑いながらマインがそう言った。
わたしと母さんは挨拶の言葉を練習しながら歩く。楽しそうにわたし達を見ながら、見習い服を着て歩くマインは、わたしと違ってこの辺りに馴染んでいる。
自分が知らないマインの姿があることを感じて、何だかちょっと焦るような、悔しいような変な気分になった。
「コリンナさん、こんにちは~」
階段を一段上る度に緊張が高まってブルブル震えている母さんと足がカクカク動くわたしと違って、マインは慣れた様子でドアを叩く。
ちょっと待って。まだ心の準備が!
「いらっしゃい、マインちゃん。ようこそ、マインちゃんのお母様とお姉様。コリンナです。どうぞ入ってください」
心の準備ができる前にドアを開けてくれたのは、可愛らしくて、愛らしい女性だった。わたしが想像してたよりもずっと若くて綺麗な人だった。
月の光を集めたような淡いクリーム色の髪は艶々で、柔らかく細められた銀色のような灰色のような瞳はとても優しそうに見える。全体に色彩が淡くて儚げに見えるのに、とてもスタイルがよくて、出るところがグッと出て、腰回りはキュッとくびれている理想的なスタイルだった。
「コリンナ様、初めまして。わたしはマインの母、エーファと申します。本日はお招きありがとうございます」
母さんがさっき練習していた挨拶を、軽く膝を曲げて腰を少し落とすようにして口にする。わたしも母さんの真似をしながら、挨拶した。
「初めまして、コリンナ様。わたしはトゥーリです。とても楽しみにしてました。会えて嬉しいです」
「わたしも楽しみだったの。マインちゃんの晴れ着は遠目から見てもとても目立っていて素敵だったから、ぜひ見せていただきたくて。我儘を言って、ごめんなさいね」
コリンナ様のおっとりとした笑顔につられて、わたしも一緒に笑ってしまう。春の日差しのように温かい笑顔だ。
「こちらで待っていてくださいな。お茶を準備させますから」
コリンナ様に通された部屋は、お仕事をする部屋でもあるようで、綺麗な刺繍をされた布やコリンナ様の作った見本の服がたくさんあった。飾りがたくさんある、とても豪華な部屋だ。話をするためのテーブルと奥の方におそらく作業をするためのテーブルの2つがある。台所で全部済ませるウチとは比べ物にならない。
きゃあ! 素敵~!
わたしと母さんは壁際に飾られている服や色とりどりのタペストリーに目が釘付けになる。こんなに綺麗なものを見られるなんて思っていなかった。
ぐるりと見回しながら、一つ一つうっとりと眺める。どれも仕事が丁寧で、色彩も鮮やかで、飾られている服のデザインがわたしの着ている服とは全然違う。ハァ、と感嘆の溜息を吐きながら、わたしは飾られている服を見つめた。
「綺麗……。どうしたら、こんな服が作れるようになるんだろう? わたしには全然思いつかないよ。やっぱり練習かな?」
「技術も大事だけど、思いつくためには良い物をいっぱい見るのも大事だよ」
疲れた様子で一人だけ席について、足をブラブラとさせながら、マインが金色の目をこちらに向けた。思わぬ言葉にわたしはくるりと振り向く。
「マイン、どういうこと?」
「お金持ちの人達がどんな服を好むのか、今の流行はどんなものか、よく観察しなきゃ思いつかないってこと。コリンナさんは生まれがお金持ちだから、自然と良い物に囲まれてた。だから、良い物がよくわかるんだよ」
「それじゃあ、わたしには無理ってこと?」
努力しても無駄だと言われたような気がして肩を落とすと、マインが「違うよ」と言いながら、ふるふると首を振った。
「お仕事が休みの日に森へ行くのも大事かもしれないけど、できれば、中央広場から北に向かって散歩してみるといいよ。お金持ちが歩いているし、そういう人が使う店もいっぱい並んでるでしょ? 色々な服の人がいるから。見比べたり、流行している色やデザインを調べたりしてみると参考になると思う」
休みの日に森へ行くことはあっても、北に行くことはなかった。片手で数えられる程度しか、わたしは中央広場より北に行ったことはない。お金持ちのいるところに行けば、お金持ちの間で流行していることについて得られる情報がある。そんなことにも気付かなかった。
「あとはね、こういうタペストリーの模様やこの刺繍の花って、森で採れる物でしょ? こういうのもよく見ておくと、デザインを考える時には役に立つよ」
「……わかった。やってみる」
マインはわたしと全く違う見方で服や飾りを見ているみたいだ。綺麗だと浮かれているわたしとマインの差は職人と商人の違いだろうか。
わたしは浮かれる心を少し抑えて、今のわたしでも盗める技術がないか、目を凝らしてコリンナ様の作品を見つめ始めた。
「まぁ、トゥーリ。そんなにじっと見られると少し恥ずかしいわ」
コリンナ様がそう言いながら、下働きの女性を伴って部屋に入ってきた。
「わたしが見ないタイプの服だから、とても珍しいんです。針子見習いをしているけれど、服のように大きい物はまだ任せてもらえないし……」
最近、やっと商品の中でも小物の目立たないところを縫わせてもらえるようになってきたけれど、自分で服を縫うなんてまだまだ先の話だ。
「基礎の練習は大事よ。縫い目を揃えて丁寧に縫えなければ、綺麗な服にはならないもの」
「頑張ります。あの、コリンナ様。この部分ってどうやって縫いつけているんですか?」
「これはね……」
下働きの女性がお茶とお菓子を持ってきてテーブルに準備している間、コリンナ様はそれぞれの服について解説してくれた。いつの間にか母さんも寄ってきて、一緒に聞いている。マインだけはそれほど興味もないようにテーブルに座ったままだった。
「どうぞ、召し上がれ」
「いただきます」
コリンナ様に勧められて、お茶を一口飲んだ。ウチのお茶と違って香りがすごい。口の中にぶわっと広がっていくようだ。
「おいしい!」
「気に入ってもらえてよかったわ」
わたしの声にコリンナ様がニコリと微笑む。家族に同意を求めようと隣を見ると、母さんはおいしいけれど、値段が気になって仕方なさそうな顔をしていて、マインは軽く目を閉じてうっとりとした表情で味わっていた。
「こちらもどうぞ」
薄く焼いたパンのような生地の上に、果物と蜂蜜がかかっているお菓子の皿をそっと押し出してくれる。わたしは切り分けられている一つを手に取って、口に入れた。
うーん、おいしいけど、これだったらマインが教えてくれたお菓子の方がおいしいな。
マインはこの間フリーダちゃんのところで料理の作り方を教えて、代わりに砂糖をもらってきた。そして、クレープとか、コンポートとか、クッキーモドキとか、わたしが知らないお菓子を教えてくれて一緒に作っている。
もうちょっと寒かったらプリンってお菓子を作りたいんだって。冷やさないとダメだから夏には向かないらしい。
他にも壺の中に砂糖と果物とお酒を漬けこんで、何か作っている。夏の味をたっぷり閉じ込めた冬の甘味になるんだって。今から楽しみ。
「甘くておいしいです。やっぱり蜂蜜をたっぷり使えるのが羨ましいなぁ」
マインがお菓子を食べながらそう言うと、コリンナ様が苦笑した。
「その気になれば、買えるでしょう? ベンノ兄さんが苦い顔をしていたわよ」
「お小遣いと工房のお金は別なんです」
お菓子を食べた後は、早速晴れ着を広げ始めた。母さんとマインが晴れ着を見せて、お直しのやり方を説明する。コリンナ様は晴れ着を手に取って、じっくりと眺め、ひっくり返したり、裾を捲ったりしながら、観察している。
「こんなお直しをするなんて驚いたわ」
「一から縫い直すより、よほど簡単なんですよ」
マインの説明を聞きながら、コリンナ様は木札に何やら書きこんでいく。マインがよく石板や紙に書きこんでいる姿と同じに見えた。何となくわたしも文字を覚えた方がいいのかな、という気分になる。その方が何かカッコイイ気がした。
「これが髪飾りね。こんな飾り、初めて見たわ」
コリンナ様がそう呟きながらマインの髪飾りを手に取った。白い小さな花がゆらゆらと揺れる。
「この白い大きいほうの花はわたしが作ったの」
「そう。とても綺麗にできているわ、トゥーリ」
コリンナ様に褒められて、わたしはへにゃっと相好を崩す。白い指先が花をなぞっていく。
「この髪飾り、とっても素敵ね。……わたしの工房で注文を取って作りたいと思うのだけれど、いいかしら?」
コリンナ様がおっとりと微笑んで首を傾げた。
まさかコリンナ様の工房で作ろうと思うほど気に入ってもらえるとは思っていなくて、わたしは感動と感激に包まれる。パァッと明るい気分になって「もちろんです!」とわたしが言おうとしたら、それより先にマインが首を振った。
「条件次第ですね」
「ちょ、ちょっと、マイン!?」
せっかくのコリンナ様からの申し出に条件を付けるマインが信じられなくて、わたしはぎょっと目を剥いたが、マインはスッと手を上げてわたしを制した。
「髪飾りは大事な冬の手仕事で、収入源なので、ほいほい許可は出せません。どうしても作りたいというなら、権利を買っていただかないと、こちらとしては困ります」
マインの言葉に頭がさっと冷えた。確かに、髪飾りはとても大きな収入源だ。冬の間にがっつりと稼いだわたしは、もうマインを止めようと思えなくなった。
「では、ベンノ兄さんとお話してくださいな」
コリンナ様がベルを鳴らすと、下働きの女性が現れて、ベンノさんを呼びに行ってくれた。すぐに階段を上がってくる足音が聞こえ始めた。
「コリンナ、呼ばれたようだが、何が……。あぁ、マインのご家族か。初めまして。コリンナの兄のベンノです」
これが、マインがお世話になっているベンノさんか。
ミルクティーのような淡い色の癖毛に優しげな容貌で、赤褐色の瞳をしている。人当たりの良いベンノさんの笑顔はコリンナ様とも似ている感じで、最初の挨拶ではにこやかで良い人そうな印象を持った。
「マインの母、エーファです。娘がいつもお世話になっています」
「トゥーリです。こんにちは」
挨拶をする母さんに続いて、わたしも慌てて挨拶する。ニッコリと笑ったまま、軽く頷いてくれたベンノさんは、マインを見下ろして軽く眉を上げた。
「マイン、今度は何だ?」
「コリンナさんから依頼がありました。髪飾りの権利が欲しいそうです。いくらで買っていただけます?」
「商談か?」
「商談です」
ふむ、と一つ頷いたベンノさんの表情がいきなり変わって怖くなった。商売人の顔になった瞬間にガラッと雰囲気が変わった。どさっと乱雑な動作で椅子に座り、ギラリと光る目でマインを見据える。
「これでどうだ?」
ベンノさんが指を何本か立てると、マインはフッと鼻で笑った。
「そんな金額では売れませんって。フリーダに売った方がマシです」
横で見ていても怖い雰囲気のベンノさんを、マインは全く表情を変えることなく、当たり前のこととして受け止めている。むしろ、嬉々として張り合っているように見える。
「マイン工房で作った物はルッツが売ることになっているはずだろう?」
「マイン工房で作った物は、ですよね? 権利やレシピは含まれてませんよ?」
「くぉら!」
激昂したように怒鳴るベンノさんの迫力に、同じテーブルについているわたしと母さんがビクッとしたのに、マインはニッコリと笑って首を傾げただけだった。
「そういえば、ベンノさん。リンシャンって結局いくらで売ってるんですか? フリーダが言ってたけど、他にはない新しい物の権利を売る時って、大金貨から、が相場なんですって? 今までずいぶん格安でお譲りしていたみたいですよね。うふふ~」
話には聞いていたけど、初めてマインが商売人をしているところを見た。見ると聞くでは大違いというか、こんな雰囲気の中で怖い大人とやり合うマインに度肝を抜かれる。
どうしよう、ウチの妹が怖い。
家ではでろでろしてて、動いたらすぐに熱を出すし、お手伝いも相変わらず役に立たないのに、マインがこんな風に活躍している場面を初めて見た。正直ビックリだ。
ベンノさんの店の商人見習いを目指していて、身体がついていかないから、止めると言っていたけれど、本当はやりたかったんじゃないかな? すごく合っている気がする。
「長引きそうだから、こちらへいらっしゃい」
「え? え?」
コリンナ様はスッと立ち上がって、部屋の奥の方にあるテーブルへと向かう。
わたしと母さんは顔を見合わせた後、そっと立ち上がってコリンナ様の後を追った。マインが心配だけれど、ここにいてもわたし達が立ち入ることができるような雰囲気ではない。
「ベンノ兄さん、とっても楽しそうだから、長くなりそう。……それにしても、マインちゃんはすごいわね。あの兄さんと商売の話ができるなんて」
眩しそうに向こうのテーブルを見ながらコリンナ様が呟く。わたしは初めてマインのすごさを知った。
わたし、マインのお姉ちゃんなのに、知らなかったな。
「商売のお話はあちらに任せて、こちらはお裁縫のお話をしましょうか。さっき、スカートの形について話をしていたでしょう?」
「はい! お願いします」
向こうのテーブルでは商売の話、こちらのテーブルではお茶をしながら裁縫の話で盛り上がる。コリンナ様が貴族の間で今流行している服や飾りの話をしてくれた。
縫い方にも色々種類があるようで、パッと名前を聞いてもどんな形のスカートなのかすぐに思い浮かばない。工房の見習い仲間と話をしていても全く出てこない裁縫の言葉がコリンナ様の話には次々と出てくる。
「それって、何ですか?」
質問すれば、コリンナ様は優しく教えてくれる。嬉しいけれど、ちょっと情けなくなった。
見習い仕事を始めて一年たつのに、これほど自分が物を知らないとは思わなかった。話を聞いているだけで裁縫について勉強不足だな、と痛感した。もっと練習して勉強しないと、お客様に服作りを任されることはないと思う。
「今流行し始めたドレスの形がこれよ」
コリンナ様がそう言って、特別に作っている最中のドレスを見せてくれた。お貴族様のお茶会用のドレスらしい。生地の艶や糸の細さ、ところどころに刺された刺繍の見事さに感嘆の溜息を吐く。
「とっても素敵です。でも、用途ごとにドレスが決まっているなんて信じられない。わたしには無駄遣いにしか思えないなぁ」
「えぇ、そうね。でも、わたし達も寝る時、外に出かける時、汚れ作業をする時、全部違う服を着るでしょう? お金があるからそれがさらに細かく分けられているだけなの」
「へぇ……」
そんな話をしていると、ガタンと向こうのテーブルで椅子から立ち上がった音がした。
驚いて視線を向けるとベンノさんとマインが二人とも立ち上がって、テーブルから少し離れたところで向かい合うのが見える。
「お前、可愛げがなくなったぞ」
「それもこれもベンノさんの教育の賜物ですね」
「ったく、余計な入れ知恵されやがって……」
「複数ルートから情報を仕入れて、情報の精度を上げるのは商人の基本なんですよね?」
そんなことを言いながら、二人は何かいっぱい含むところがあるような笑顔で握手を交わしている。何となく二人の背後から黒い物が出てきて牽制し合っているような気がした。
うん、わたしは絶対に商人にはなれないな。
二人のやり取りを見てそう思っていると、きょろきょろとしたマインがわたし達を見つけて、駆け寄ってきた。
「決着付いたから、コリンナさんに髪飾りの作り方教えてあげて、母さん」
そう言いながら、マインがこちらのテーブルへとやってくる。コリンナ様が準備してくれた冷たいお茶にマインはお礼を言って手を伸ばした。
「ハァ、喉乾いちゃった」
「お疲れ様。結局いくらで決着がついたのかしら? それによって、こちらの値段設定もあるの」
マインが母さんとわたしをちらりと見た後、パッと指をいくつか立てて、コリンナ様に見せた。コリンナ様が小さく息を呑んで、その指を見つめる。
商人独特のサインなのだろう。意味がわからないわたしには少し歯痒くて仕方ない。
「コリンナさんの工房の一部で、一年中髪飾りを作らせるらしいです。そして、独占販売するって言ってました」
「それにしても、よくベンノ兄さんからそれだけもぎ取ったわね」
感心したようにコリンナ様がマインを見た。指の動きは予想通り金額を示していたらしい。
「ねぇ、マイン。いくらなの?」
髪飾りの権利というものが一体どれくらいの金額になるのか興味があって、わたしはマインに聞いてみる。マインはものすごく困った顔でわたしを見て、母さんを見て、コリンナ様を見て、う~っと小さく唸った。
「言えないような金額なの?」
「適正価格だし、言えなくはないけど、言いたくない……」
歯切れの悪い口調でそう言うマインに何度か「教えて」とねだると、マインは渋々という表情を隠さずに、小さくボソッと呟いた。
「……大金貨1枚と小金貨7枚」
「え!? 金貨って言った?」
高くても大銀貨くらいだと思っていたわたしは、あまりに桁違いの金額にガツンと力いっぱい頭を殴られたような衝撃を受けた。ひくっと口元が引きつる。母さんもぎょっとした顔でマインを見ていた。
「すごい金額に聞こえるけど、権利の譲度として考えると適正価格だからね。ベンノさんじゃあるまいし、ぼったくりなんて、わたし、してないから。それに、これはマイン工房のお金で、わたしの個人的なお小遣いじゃないんだよ」
バタバタと手を振りながら、マインは必死に次々と言葉を連ねて言い訳をしているけれど、そんな大金を平然とやり取りできるマインの神経がわたしには理解できない。
だって、大金貨だよ? 個人的なお金じゃないって言うけど、マインって一体いくら持ってるの!?
もしかして、マインって、実はすごかった!? やっぱり神殿より商売の方がよかったんじゃ?
自分の不勉強さと裁縫の奥深さと妹のすごさ……色々なことに圧倒されて、お宅訪問は終わった。