Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (74)
閑話 お菓子のレシピ
アタシはイルゼ。ギルド長の家のお抱え料理人だ。
はぁ? 年なんて女に聞くもんじゃないよ。
アタシが料理人としての道を目指し始めたのは、両親が飲食店を営んでいたから当然の成り行きだった。幼い頃は屋台で商売をしていたが、東門のすぐそばに小さな店を構えることができた両親の背中を見て育った。両親に仕込まれていたから、見習いになる前から料理もできたし、洗礼前の子供には珍しいくらいに金勘定だってできたんだ。
洗礼式を終えたアタシは両親の知り合いの店で見習いとして働き始め、どんどん新しいレシピを吸収していった。覚えることが嬉しくて、教えてもらったレシピ、横で見ながら盗んだレシピ、それぞれをもっとおいしくできないか、考えるのが好きだった。
あちらこちらの店を渡り歩いて腕を磨いてるうちに、アタシは貴族の館で働かないかと声をかけられた。もう街に戻ることができなくなるかもしれないから止めておけ、と言う両親を振りきって、貴族の館に行った。
当然だろう? 貴族の館のレシピを知る機会なんて、これを逃したらないじゃないか。
一番下っ端として下拵えや皿洗いをしながら、アタシはどんどん料理長の技を盗んでいく。貴族の食事になると使える食材も調味料も段違いだった。皿の華やかさも街の食堂では見られないような物ばかりで、何もかもが勉強になる毎日だった。
だが、それはほんの数年のこと。
いくら修業を重ねても、なかなか上に上がることはできなかった。貴族の館で上に上がろうとすれば、技術だけじゃなく、血筋や縁故が必要だったのさ。
くすぶっていたアタシに声をかけてくれたのがギルド長だった。本当は副料理長が引き抜かれるところだったんだが、技術はあっても上には上がれないアタシを料理長が推薦してくれたんだ。
成人したら貴族街に上がることになるお嬢様のために、貴族に出すのと同等の食事を作れ、と言われた。いずれ、一人で貴族街に入ることになるお嬢様が将来苦労しないように、と。
二つ返事で引き受けたね。アタシが料理長として自分の腕を振るえる機会が巡ってきたんだ。しかも、下手な下級貴族より金のあるギルド長の館だよ?
キッチンの設備も貴族の館と同じ様に揃えてもらったし、調味料だって、素材だって揃えてもらった。料理人としてはこれ以上なくやりがいのある仕事で、最高の仕事場だ。最高の環境に応えるために、アタシは毎日腕をふるう。こんなに楽しくて充実した毎日はない。
アタシは自分の腕に自信があった。
今まで掻き集めてきたレシピには絶対の自負があった。
そう、マインが飛び込んでくるまでは。
あれは衝撃だった。
ギルド長の家でさえ、やっと取り入れることになった砂糖だが、中央からこちらへ回ってきたばかりの調味料で、まだ大した調理法が確立しているわけではない。色々と使ってみようと思っていたが、研究しきれていなかった。
それなのに、マインは当たり前のようにそれを使ったお菓子を作りだした。体力も腕力もなくて、作るのは全部アタシがしたけれど、レシピがわかっていなければできない指示の出し方だった。
焼きあがったカトルカールはふんわりしっとりとした生地のお菓子で、品の良い甘みがあり、口の中でほろほろと崩れていくような食感は今までのレシピにはないものだった。そう、貴族の館でも扱ったことがなかった。
だが、お嬢様に教えてもらったマインの素性は、兵士の父と染色工房で働く母を持つ平民の娘だ。お菓子なんて贅沢品にそうそうありつける家庭事情ではない。森で採ってきた果実や蜂蜜くらいしか甘味などないはずだ。
一体どこでマインはお菓子のレシピを知ったのだろうか。
アタシはそれからというもの、マインに教えてもらったカトルカールについて、生地の泡立て具合やオーブンの温度や焼き加減など色々と研究してみた。何度も焼いて作ることで自分でも最高傑作だと思う出来に高めることができた。お嬢様もこれを貴族に向けた商品にできないかと言いだすくらいの仕上がりだった。
マインに味見をしてもらって、うまく話を向けて、権利を買い取りたいとお嬢様は言った。身食いのマインはきっと貴族との繋がり求めてやってくる。条件の良い貴族を紹介するのと引き換えにカトルカールに関する権利を譲ってもらおう、と。
しかし、お嬢様の目論見は外れ、マインは夏が近付いても一向に姿を見せない。焦れたお嬢様が強硬策で連れてきたマインは、命の期限があることを理解していないような穏やかさで応接に入ってきた。
「いらっしゃい、マイン。よく来たね。カトルカールを焼いて待っていたよ。是非、感想を聞かせておくれ」
アタシが改良に改良を重ねたカトルカールを食べたマインは、砂糖と引き換えに更なる改善策を口にした。
『フェリジーネの皮をすりおろして生地に加えると香りと味が変わっておいしくなります。他にも何か入れることで味は変わります。何をどんな比率で入れたらおいしくなるかは、自分で研究してみてください。これはおまけ情報ですけど、もし、お貴族様相手に出すようなことがあるなら、よく泡立てた生クリームや飾り切りした果物を添えると、見た目が豪華になりますよ』と。
フェリジーネの皮をすりおろしたカトルカールを作りながら、アタシはボールをつかむ手にグッと力を込める。さらりと改善点を口にできるマインは、間違いなくもっと色々なレシピを知っているはずだ。
欲しい。新しいレシピが。
マインが知っているレシピが欲しい。
「イルゼ、イルゼ! マインを連れて来たわ!」
お嬢様が満面の笑顔でそう言いながらキッチンの扉を開けた。初めての試みである試食会なるものを開くことを決めたお嬢様は、ここ最近ビックリするほど精力的に働いている。家族全員を振り回し、開催に向けて、全力を尽くしていた。
お嬢様は生まれた頃から病弱で、アタシがこの家に来たばかりの頃は、基本的に部屋の中にいることが多かった。広い部屋の中で金貨を数えることを最上の趣味としていたお嬢様と同一人物とは思えないほど、マインと出会ってから変わったと思う。
今、この街でどんどん勢力と影響力を広げているベンノさんにも負けない商人になって、マインを引きこむのだと野望に燃えている。やる気に燃えるお嬢様に家族は協力的だ。
「では、マインは子供も範囲に入れる方が良いというのね?」
キッチンの片隅にあるテーブルにアタシが作ったカトルカールを小さめに切り分けながら並べていく。
今日は試食会について意見を聞くために連れてこられたらしいマインは、キッチンの中をキョロキョロと見回しながら、お嬢様に答えを返す。
「さすがに平民の子供が買うのは無理でも、商人の子供なら商品価値がわかったり、購入するお金を持ってたりするかもしれないでしょ? 見習いになるくらいなら字も読めるだろうし……。何より、子供の頃に食べて好物になった物って、大人になっても忘れないものだよ」
「そんなものかしら?」
お嬢様はそう呟きながら、木札に何やら書きこんでいるが、アタシは何とも不思議な気分になった。身食いで成長が遅いマインはまだ洗礼式も終わっていないような子供にしか見えない。それなのに、まるで大人になったことがあるような言い草ではないか。
「それからね、カトルカールを売る時に一本丸々だけじゃなくて、こんな風に切った分ずつ売れば、値段が下げられるから購入層が増えると思うの。恋人と二人でとか、洗礼式のお祝いにとか」
「最初は貴族を中心に売るつもりなのよ。高価なお菓子として」
お嬢様は独占販売することで価値を高めたい。マインは少しでも値段を下げて、大勢の人に広げたい。同じ年頃の少女が同じ商品を売るにしても、ずいぶんと考え方に差があるようだ。
「独占販売で価値をつけるのもいいけど、これってお菓子だし、知名度を上げるならやっぱり購買層は広げた方が良いと思うけどなぁ……」
「わたくしの独占期間が一年ですもの。一年たてば嫌でも広がるものでしょう? 一年の間は貴族を中心に売って、できる限り価値を高めておきたいわ」
「ふぅん。だったら、季節のフルーツなんかでちょっとずつ季節限定の新しい味が出せれば、他との差別化もできるし、固定客も喜ぶかもね」
季節限定の新しい味だって?
マインの零した言葉をアタシの耳が素早くキャッチする。それぞれの季節のフルーツを思い浮かべながら、アタシは首をひねった。
「冬は季節の果物がないだろう? そういう時はどうするんだい?」
「冬の甘味って言ったらパルゥじゃない? あとは『ルムトプフ』……」
言いかけたマインがいきなりハッとした顔になって口を噤んだ。会話が突然切れたことに軽く眉を上げてマインを見ると、マインは視線をあちらこちらにやりながら、口の前で人差指を交差させた。
「……ここから先は有料」
会話に夢中になって、貴重な情報をボロボロと零していたことにようやく気付いたらしい。気まずそうなマインの顔にお嬢様が小さく笑う。
「それはどんな情報ですの? マインの情報には正当なお金を払う用意がありますわ」
マインは適正価格だと本人が納得すれば、大体は払った以上に価値のある情報をおまけと言いながら寄こしてくれる。
こちらだけが利益を得ようとケチったり、騙したりして距離を置かれるよりは、正当な値段を付けて、仲良く長く信頼関係を築いていった方がよほど得だとお嬢様が言っていた。商売人は騙してなんぼと言っていたお嬢様の変化には少しばかり目を見張るものがある。
「えーと、わたしは『ルムトプフ』って言ってるけど、簡単に言うと果物の酒漬けのこと。おいしく漬かるには時間がかかるけど、冬のカトルカールの材料にも使えると思う」
「大銀貨5枚でいかが?」
果物の酒漬けとまで分かれば、あとは試行錯誤でも何とかなるだろう。最悪、この商談がまとまらなくても何とかしてみせようとアタシが思った瞬間、マインがちらりと砂糖を見た。
「……ここで砂糖が出回ってないってことは、『ルムトプフ』の作り方も使い方も当然出回ってないよね?」
果物の酒漬けと言っておきながら、実は砂糖も使うらしい。これは聞いておいた方が良いだろう。砂糖を使う料理はまだ試行錯誤が多くて、あまりレシピが出回っていない。
アタシがお嬢様に視線を向けると、お嬢様も小さく頷いた。
「小金貨8枚でどうかしら?」
「わかった。作り方と使い方を教えるよ。この辺りに砂糖が出回るまでは、独占できるから別に契約書はいらないよね?」
ギルドカードを合わせて、お金をやり取りした後、マインはキッチンにある一つの壺を指差した。
「あんな感じの壺が必要なんだけど、他にもある?」
「今は使ってないから使えるよ。他に必要なものは何だい?」
マインに言われるまま、アタシはキッチンの中を動き回って次々と準備を始めた。
季節の果物であるルトベーレをよく洗って、ヘタを切って、大きさを揃えて切って、ボウルに入れる。ほぼ半分の砂糖を入れて、しばらく放置。ルトレーベから水気が出てきて、砂糖が溶ける感じになるまで置いておくんだってさ。
「マインは本当に砂糖の価値を分かっているのかい? こんなに大量に砂糖を使うって、本気かい?」
「保存のためだからね。ケチったら、果物が痛んで食べられなくなっちゃう。それから、あとで入れるお酒も蒸留してるような、すごくきついお酒じゃないと、果物が腐っちゃうから気を付けて」
権利やレシピを売って大金を稼いでいるマインの金銭感覚はどこかおかしいと思う。同じ重さの銀貨と取引される砂糖の価値がわかって、こんなにドバドバと使っているのだろうか。
「ルトレーベから水分が出たら、この壺に入れて、お酒を加えてね。……えーと、果物がちゃんと浸かるまで入れないと、出てる部分はカビが生えちゃうよ。それから、10日くらいしたら、また別の果物を加えるの。プヒュルやブラーレがこれから出てくるよね? 夏の果物を詰め込んで、冬になってから食べるんだよ。あ、そうそう。フェリジーネみたいな果物は向かないみたい」
注意事項をせっせとお嬢様が書き留めていく。アタシも記憶に刻み込みながら、ボウルの中身をぐるりと掻き回した。少しずつ水分が出てきているのがわかる。
「アンタも作ってるのかい?」
「うん。前に砂糖もらったからね。わたしも初挑戦なの。カトルカールに入れることもできるし、ジャム代わりにも使えるよ。『パフェ』や『アイスクリーム』にかけてもおいしいの」
これを作ると冬が楽しみになるよね、とうっとりした笑顔でマインが呟いていると、お嬢様がハッとしたように、テーブルの方を見遣った。
「いけない。脱線してしまったわ。試食会のお話をするためにマインを連れてきたのに」
「あぁ、そうだ。その試食会ね、ベンノさんも参加したいんだって。いい?」
「なんですって?」
お嬢様がギラリと目を光らせて、マインを見た。マインはポリポリと頬を掻きながら、ベンノさんとの会話を思い出すように軽く上を見上げる。
「えーと、試食会ってもの自体が珍しいんだってね? どんなお菓子が売り出されるか興味もあるけれど、それ以上に試食会って催し自体に興味があるみたい」
「……そうですの。ベンノさんが」
しばらく考え込んでいたお嬢様がバッと顔を上げた。どうやら何か思いついたようだ。お嬢様はくるりと身を翻してキッチンの扉へと向かう。
「わたくし、おじい様にお伺いすることができました。少し留守にするわ。イルゼ、マインのもてなしをお願いね」
勝手に敵対意識を燃やしているベンノさんが来ることになったせいで、更に熱がこもり始めたようだ。マインをキッチンに残し、優雅な雰囲気はそのままに、お嬢様が早足でスタスタと去っていく。
「……行っちゃった」
「普段はあんな行動しないんだけどね」
「それ、イルゼさんにカトルカールの改善点を教えた時、フリーダが同じこと言ってたよ」
くすくすと笑うマインに以前の自分の行動を指摘されて、アタシは軽く溜息を吐いた。新しいレシピを知ると居ても立ってもいられなくなるのは、昔から指摘されてきたことだが、一向に直せない。
「アンタの新しいレシピが悪い」
「……うぅ、すみません」
「謝ることじゃないさ。アタシは新しいレシピを知りたいからね。じゃあ、これを食べて、感想を聞かせておくれ」
マインが教えてくれた一番基本となるカトルカール、フェリジーネの皮をすりおろして香りと味を付けたもの、砂糖のいくらかを蜂蜜に変えたもの、胡桃を入れたものを並べる。
そして、今日のカトルカールに合わせたお茶を入れて、マインの前にそっと置いた。
「どれもこれもおいしそう! いただきます」
目を輝かせたマインはとろけるような笑顔で頬を押さえて、一口一口をゆっくりと味わって堪能する。
そのフォークを操る指先の動きや姿勢の良さは、きちんとマナーを教えられた貴族のお嬢様のようだと思う。少なくとも、甘味を食べることが少ない貧民のがっつく姿勢とは全く違うのだ。
マインはお茶を一緒に楽しみながら、ほぅ、と満足の息を吐いた。
「この中でわたしが一番好きなのはフェリジーネのカトルカールかな?」
「どうしてだい?」
「口の中に広がる香りが好きなの。……このお茶の葉っぱもカトルカールと相性が良さそう」
コクリとお茶を飲んで目を細めていたマインがポツリと呟いた。
「お茶の葉? 食べにくくないかい?」
「……あ、言いすぎた」
マインがしまったとばかりに口元を押さえる。どうやら貴重な情報だったらしい。
アタシはフンと鼻を鳴らしながら、以前に渡した砂糖と同じ袋をドンと作業台の上に置いた。
「砂糖一袋と引き換えに喋っちまいなよ。中途半端でこっちがもやもやする。ルムトプフを作ってるなら、砂糖もそろそろなくなるだろ?」
正直、お茶の葉をお菓子に入れるという発想はなかった。お菓子とは甘い物だ。高い砂糖を使うのだから、甘ければ甘いほど良いと中央では言われていると聞いた。
お茶の葉を入れたところで甘くなるとは思えない。そして、どんな葉っぱをどんな風に使うのか自分で研究するにはちょっと時間が足りない。
「……砂糖一袋なら、まぁ、いいか。イルゼさんならおいしいお菓子を作ってくれるし」
うーん、とほんの少し考えこんでいたマインが口を開く。
「口当たりが悪くならないように、お茶の葉をよくすり潰して混ぜるの。そうすると香りの良い生地になるよ」
「お茶って、これかい」
マインに入れたお茶の葉の詰まった瓶を取り出すと、マインは大きく頷いた。しばらくビンを見つめた後、アタシはオーブンに火を付けた。
マインがカトルカールを食べている隣で、ゴリゴリとお茶の葉を潰し始める。早速焼いてみようと思ったのだ。客であるマインを放り出すことになるけれど、一番に味見させてくれるなら別にいい、と楽しそうに笑いながら、マインはアタシの手元を見ている。
「なぁ、マイン。聞きたいことがあるんだけどいいかい?」
「はい、何ですか?」
「アンタさ、お菓子だけじゃなくて、スープも何か秘密を持っているんじゃないかい?」
「へ!?」
フォークをくわえた状態で、マインは金色の目を丸くしてアタシを見上げてくる。アタシは卵を泡立てながら、片方の眉を上げた。
「ここに泊っていた時の食事の減り方を考えると、そういう結論になるんだ。アンタ、スープだけ残していただろう? 野菜が苦手なのかと思ったが、他の料理では大体食べている。何かおいしい秘密を知っているね?」
「……鋭いですね、イルゼさん」
マインはフォークを口から出して、そっと皿の上に置いた。
「教えてくれないかい?」
「うーん……スープについてはちょっと悩むところですね。ちょっと以前と状況が変わってきて、嫌でも貴族と係わることになりそうなので、自衛のためにも切り札は余計に置いておきたいんですよ」
「そうかい」
弱り切った表情にそれ以上の無理強いもできず、アタシは肩を竦めた。
自分が貴族の館に勤めていたから知っている。身分差の厳しさとそこに切りこんでいく危険性を。自衛のための切り札はいくつでも持っておきたいと思っても不思議ではないし、持っていた方が良い。
「お菓子のレシピは、期間限定の独占販売なら相談に応じますけどね」
「本当かい!?」
アタシがボウルを抱えたままグッと身を乗り出すと、マインはぎょっとしたように身体を引いて、何度か頷いた。
「まずは、カトルカールが軌道に乗ってからですけど。カトルカールの独占販売が切れる頃が頃合いかなぁ?」
「ベンノさんに邪魔されるんじゃないのかい?」
お嬢様が苦い表情で、「ルッツとベンノさんばかりがマインの知識を独占する」と嘆いているのを知っているアタシがそう言うと、マインはコテリと首を傾げた。
「うーん、どうだろう。苦い顔はすると思うけど、邪魔はできないんじゃないかな? 正直、ベンノさんにお菓子のレシピを公開しても意味がないんですよ」
「なんでだい?」
「ベンノさんはまだ貴族との繋がりが浅いから、素材と技術が手に入らないんです。砂糖を手に入れるルートは開拓できていないみたいだし、イルゼさんレベルの料理人って、貴族から引き抜きでもしないといないんでしょ? ギルド長が引き抜いてきたってフリーダが言ってたから」
自分の後見人と言っても過言ではないベンノさんに対するマインの分析と判断にアタシは半ば呆然としてしまう。情報を流す相手をマインなりに一応考えているらしい。これならば、マインのレシピをアタシが知るチャンスがあるかもしれない。
小麦粉をふるってボウルに入れながら、ちらりとマインの様子を伺った。
「レシピをアタシに公開するのは良いのかい?」
「イルゼさんくらいの腕の料理人じゃないと口で説明しただけで作れないんです。それに、研究熱心だから応援したくなるんですよね」
マインの言葉を聞いて、アタシは大声で意味のない言葉を叫び出したいほど嬉しくなった。
今の言葉は、つまり、マインがアタシの腕を認めているということだ。恩があるベンノさんに公開しないレシピをアタシには公開してくれると言うのだから。
「……でも、レシピを公開するにはお金も貰わないと、色んなところで不平等になっちゃいますから、ちょっと難しいところなんですけど」
マイン自身は利益に重きを置いていなくても、周囲はそうでない。そして、マインのレシピは色んな意味で周囲を混乱に巻きこんでしまう。多分料理以外の商品も前例がない物が多いのだろう。
溶かしたバターを混ぜながら、アタシはずっと疑問だったことをマインにぶつけてみた。
「なぁ、マイン。アンタ一体何者なんだい? 一体どこでそんなレシピを手に入れた?」
「……うーん……夢の中です」
「あぁん?」
ふざけているのか、と思わず凄んで見せたアタシに、マインは困ったように笑った。
「……本当に。今となっては夢の中でしか味わえないものばかりなんですよ」
懐かしそうに目を細めてフッと笑ったマインの笑顔が大人びていて、妙な不安に駆られて覗きこむ。
軽く一度目を閉じた後、マインが顔を上げて、にぱっと子供らしい笑顔を見せる。でも、それは作り笑いだとわかる下手くそな笑顔だった。
「できることならパパーッとレシピを広げて、イルゼさんみたいな料理上手な人にどんどん作ってほしいんですけどね」
あまり触れられたくない部分なのだろうと察して、アタシは生地を型に流し込みながらマインの会話に乗ってやる。
「自分では作らないのかい?」
「腕力ないし、体力ないし、道具もないし、技術が足りなすぎて、正直再現できません。技術のある料理人に作ってもらえるなら、本当はレシピなんていくらでも公開したいんです。現状ではそうもいきませんけど」
小さい手をパタパタと振りながら、マインは情けない顔で眉を下げた。
卵の泡立てどころか、小麦粉を混ぜることさえできなかった腕力と体力のなさを思い出しながら、マインの細ッこい貧弱な腕を見下ろす。アレではどんな料理もできないだろう。
「食べたくなったらいつでも言いな。レシピさえ教えてくれればいくらでも作ってあげるからさ」
マインの夢の中にしか存在しないと言うレシピを再現するのは、とても心躍ることだ。
あぁ、楽しみだねぇ。一体どんなレシピがあの中に眠っているんだろう?
ちょびちょびとカトルカールを味わうマインを見ながら、アタシは新しいお茶の葉入りのカトルカールを熱いオーブンに突っ込んだ。