Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (75)
閑話 カトルカールの試食会
俺はベンノ。
ギルベルタ商会のオーナーをしている。29歳、独身だ。
街に店を構えている者の中でも一定以上の税を納めることができる大店のオーナーばかりが集められた会議の最後に、ギルド長であるくそじじいが出席者全員の顔を見回して口を開いた。
「議題は以上かな? では、大会議室で新しく売り出す予定のお菓子の試食会を開催している。時間があれば立ち寄ってくれ。連れている従者の分も用意してあると言っていたぞ」
くそじじいの言葉に俺は立ち上がって、大会議室を目指す。
この会議に出席しているのは大店のオーナーばかりだ。高価なお菓子を購入するだけの金と商品を見る目を持った商人がきっちり揃っていると言える。
ギルド長の家や店で試食会を開催されても、わざわざ足を運ぶかどうかわからないが、会議の後で部屋を移動する程度なら足を伸ばすだろう。日程と開催場所の設定は腹が立つほどうまい。注目されること間違いなしだ。
マインが情報を流して作られたお菓子のカトルカール。
そのうえ、マインがポロッと漏らした言葉で、くそじじいの孫娘がやる気になったという試食会。
本当に、あの阿呆は次から次へと! 市場を揺るがすような物を持ってきやがって! マインがあまり注目されないように骨を折っているこっちの苦労も知らずに、あの考え無しが!
自分の店の目玉商品となるものは、普通独占したいので、今まではこんな風に売りだし前の商品を周知することなどなかった。
売りだし前の商品を周知することで、最初の考案者が誰なのか印象付けることができる。他の者にすぐには真似できないものならば効果的だ。
腹の立つことに、砂糖はまだそれほどの量が流通しているわけではない。この街で中央から流れてくる砂糖を扱っているのはギルド長の店くらいだ。中央からの流行に乗って、甘味を探している貴族階級には強い訴えかけとなるだろう。
そして、この試食会を開くことで、ギルド長ばかりではなく、孫娘の手腕が注目されるに違いない。あの孫娘の金に関する嗅覚はじじい譲りだ。
「カトルカールの試食会にようこそ。気に入ったカトルカールを選んで、箱の中にこの木札を入れてください」
大会議室に入ったところで、頭を同じ布で覆った少年少女が数人並んでいて、入って来た客に小さな木札を3つずつ渡していた。
「一番気に入った物に3つ入れても良いし、3種類選んでもらってもいいです」
俺は渡された木札を手の平に握りながら、ぐるりと部屋を見回す。会議室の中を歩き回る者が同じ布を頭に付けているので、開催側の人間をすぐに識別することができた。
まだ客は少なく、お互いの様子を探り合っているようで、カトルカールに手を伸ばしている者はいない。
「これがカトルカールか」
机が5列も並んでいて、それぞれの列ごとに種類の違うカトルカールが並べられているのが見える。一口サイズに切り分けられたカトルカールだが、俺の予想と違って種類が多かった。
「あ、ベンノさんだ!」
「旦那様」
大きく手を振ってやってくるのは元凶のマインとウチの見習いであるルッツだ。ルッツはウチの見習い服を着ているが、マインは試食会を開催している者と同じ格好をしている。
おう、と軽く手を上げて二人を手招きして、俺は寄ってきたマインの頭をガシッとつかんだ。
「マイン、お前はここで何をしているんだ?」
「いたたっ! お手伝いですよ?」
この恰好を見てわかりません? と首を傾げたマインの頭を覆っている布をグイッと剥ぎ取る。
「今すぐ着替えろ。これから入ってくる商人達にお前の姿を印象付けるな。何のために俺が紙を作り、髪飾りを作ったお前の存在を隠していると思っているんだ? こっちの店でも矢面に立つか? 派手に宣伝してやろうか?」
「ぅあぅ……。すぐに着替えてきます。ルッツ、ここにいてね」
俺が剥ぎ取った布を返すと、マインは早足で大会議場を出ていく。それを見て、俺は軽く息を吐いた。
マインは洗礼式を終えたばかりの子供とは思えないくらい頭の回転が異様に速く、何に関しても呑みこみが良い。普通では知らないはずの知識がある。
それなのに、周りが見えていなくて考えが浅い。子供ならば当たり前なのかもしれないが、他が突出している分、考えの浅さと危機感のなさが目立つ。
なるべくマインは目立たない方が良い。後ろ盾がない子供が目立っても、碌な結果にはならない。父親が死んで、成人したばかりの自分が店を継いだ時でさえ、若輩者と侮られ、数々の苦い思いをしたのだから、洗礼式を終えたばかりの子供なんて食い物にされるだけだ。
「旦那様は……マインには厳しいんですね」
「ルッツ、マインを守る気があるなら覚えておけ。商人としての後ろ盾もなければ、神殿で後見してくれる貴族も決まっていないマインは宙ぶらりんで非常に危うい存在なんだ」
延命のことを考えても、これから先の貴族との繋がりを考えても、現時点では神殿に入った方がマインのためではある。だが、これから先、数年後も同じ状況が続くとは思えないのが頭の痛いところだ。
「え? でも、旦那様が後見なんじゃ……?」
「一応表面的にはマイン工房の責任者をしている関係で、俺が保護者扱いになるが、その関係は薄い。せめて、お前と同じ見習いにできれば、もっとやりようがあったが、すでに神殿入りを決めてしまった以上、俺の手が届く範囲はそう広くない。今までと違って、お前の目も届きにくくなるんだ。変な目立ち方はしない方が良い」
「そっか。そうですね」
「それでなくても、アレは何を考えているのかわからなくて、ちょっと目を離すといきなり妙な事をしでかすんだ。厳しく管理するくらいでちょうどいい」
「あ~、それは確かに」
ルッツは神妙な顔で頷いた。その仕草がマルクに似ていて、フッと小さな笑いが漏れる。
洗礼式を終えたルッツは、見習い仕事につき始めてから、言葉遣いが急速に改められ始め、姿勢や仕草がマルクに似てきた。マインがマルクをお手本にしろと言ったことが理由らしい。
商人の子供と違って、生活の全てに違いがあるルッツは商人としては足りないところが多い。他の見習いとの差を何とか埋めようとルッツはいつも必死だ。じっとマルクや俺を見ては、少しでも多くのものを盗もうとしているのがよくわかる。
ルッツの向上心の強さを俺は結構気に入っている。
「ルッツ、お前はこのカトルカールをどう思う? 商品としてだ」
「……貴族にも間違いなく売れると思います。多分すごく歓迎される」
「根拠は? お前は貴族が何を好むか、普段どういうものを食べているか知らないだろう?」
俺が突っ込んで質問したけれど、ルッツは特に悩んだ様子もなく、答えを出した。
「えーと、ギルド長は貴族街に入ることになるフリーダのために、生活の全てにできるだけ貴族のものを取り入れているって、マインから聞きました。料理人も貴族の家で働いていた人を引きぬいてきたらしいです。だから、フリーダやその料理人が自信を持って売ろうとするなら、売れると思います」
「ふぅん、そうか」
ギルド長の家のことについて、俺はあまり知らなかった。ギルド長が家に金をかけているのは知っていたが、生活にできるだけ貴族のものを取り入れているとは知らなかった。思わぬ情報に軽く目を見張る。子供同士の繋がりから来る情報も侮れないようだ。
「ただいま、ルッツ」
「あ、マイン」
ウチの見習い服に着替えたマインが戻ってくる。これで、俺がマインとルッツを連れていてもそれほど不思議ではないだろう。
「旦那様、これが何も入っていないカトルカールなんです。オレが初めて食べたのはこれでした」
ルッツが一番右端のカトルカールを指差してそう言った。以前に食べた味を思い出しているのか、今にもよだれを垂らさんばかりの顔をして、ルッツは期待に満ちた目で切り分けられたカトルカールを見ている。
「イルゼさんは研究熱心だからね、あの時よりすごくおいしくなってるよ。このテーブルはフェリジーネ入り。そこのテーブルは蜂蜜が混ざってるやつで、あっちは胡桃入り。向こうは最新作のお茶の葉入りなんです。さぁ、食べてみてください」
まるで自分の手柄のように胸を張って説明するマインが何となく面白くなくて、フンと軽く鼻を鳴らしながら見下ろした。
「この種類の多さはお前がボロボロ情報を零した結果じゃないのか?」
「うっ……。さ、砂糖と引き換えだから、無駄に零したわけじゃないもん」
こいつはどうやら情報と引き換えにちゃっかりと自分用の砂糖を手に入れていたらしい。商人らしくなったと褒めてやるべきか、あっちに有利な情報を回すなと拳骨をくれてやるべきか悩むところだ。
「それに、わたしが教えたのは、このフェリジーネとお茶の葉だけですよ。それだって、配分は全部イルゼさんが研究した成果だから、わたしだけが原因ってわけでもないんです」
ぷーんとマインが俺から視線を逸らす。そして、テーブルの上に並べられたカトルカールに手を伸ばした。
「ベンノさんも食べてみてください。おいしいですよ」
ひょいっと口に入れて味わうマインを見て、ルッツもテーブルの上に手を伸ばす。周囲で驚きの声が上がっているので、おいしいことは間違いないだろう。俺もカトルカールを口に入れた。
何だ、これは!?
指で摘まんだ時から分かっていたが、ふわりとしていて、口の中でほろほろと溶けていくような柔らかさだ。見た目はパンのように見えたが、パンはこんなに柔らかくない。スープにつけて食べるのが基本だ。
そして、今までに食べたことがない甘みに、驚愕する。甘くて味がしっかりしているが、蜂蜜漬けを食べた時のような凝縮された甘みでもなく、果物を食べる時の甘みとも全く違う優しい甘さが口全体に広がっていく。甘さとバターの混ざった匂いも食欲を刺激してもっと食べたいと思わせるものだった。
「おいしいですか?」
褒め言葉を期待しているのか、金色の目を輝かせてマインが見上げてくる。素直に褒めるのは何だか癪で、マインを無視して俺はフェリジーネ入りのカトルカールに手を伸ばした。
ふんわりとした柔らかさはそのままにフェリジーネの香りが口の中に広がった。爽やかな甘みで、食べやすい。ちょっと香りと味が付いただけでずいぶんと印象が変わる。すいっと視線を上げて、他の机に並んだカトルカールを見た。
「イルゼさん、すごいでしょ?」
余所の料理人を絶賛するマインを避けて、テーブルを移動すると、蜂蜜が混ざっているカトルカールを口に入れた。
今までのカトルカールとは違って、少し生地が重い感じで、べったりとした甘みが増した。慣れた甘みだし、今まで食べた中では一番甘さが強く感じられるので、子供や甘いことに重点を置くものには一番受けが良いだろう。
「甘いけど、それほどくどくないでしょ?」
次は胡桃入りだ。胡桃入りのパンに似ていて、一番見慣れている見た目だった。しかし、食感は普段食べているパンとは全く違う。生地が柔らかすぎて、胡桃の固さが浮いて感じられた。柔らかい生地がすぐに口の中から消えていき、胡桃だけが口に残る。慣れれば、この歯ごたえが良いのかもしれないが、俺はあまり好きではない。
「ねぇ、ベンノさん。答えてくださいよ」
「黙れ。うるさい」
俺の側をぐるぐる回りながら、ぴーぴーうるさいマインを黙らせると最後の机に向かう。
お茶の葉入りというところで一瞬躊躇したが、口に入れてみると非常に香りが高かった。胡桃と違って中に入っている葉が完全にすり潰されていて、口当たりも全く気にならない。確かにお茶の味がするけれど、甘いお菓子で、不思議な感じだ。甘みが強いわけでもないのにおいしい。この中で一番男性受けはすると思った。少なくとも、俺は一番気に入った。
「ベンノさんはどれに木札入れますか?」
ここに並べられたカトルカールは、どれもこれもぎょっとするほど美味だった。これは間違いなく貴族階級に広がるだろう。誰もが欲しがる味だ。追従を許さないほど、今までのお菓子とは差がある。
「おい、マイン」
「何ですか?」
「どうしてこんなレシピをギルド長に渡した?」
貴族社会に切り込むためには、大きな武器になるだろうレシピだ。俺が欲しかった。
マインを睨むと、マインは目を瞬きながらこてんと首を傾げる。
「渡したのはイルゼさんですけど……」
「あのくそじじいの店で売られるなら、一緒だ」
カトルカールであのくそ爺はまた貴族への影響力を強めるに違いない。俺の苛立ちに気付いたらしいマインが困ったように眉を寄せた。
「ベンノさんって、ギルド長に対してすごく態度良くないですよね? どうしてですか?」
そういえば、マインには話したことがなかったな、と思いつつ、思い返すのも不愉快な過去のあれこれが頭をよぎる。
「成長中のウチの店はずっと目の敵にされていたんだが、あのくそじじい、父が死んだ直後に母を後添えにして店を吸収しようとしやがった」
商売のために叔父の店へと向かった父は、金目当ての盗賊に襲われて死んだ。街の近くでの犯行だったため、遺体だけは帰ってきたが、傷だらけの惨い状態で、母はしばらく寝込んだ。
そんな傷心の母に嬉々として話を持ってきたのが、あのくそじじいだ。
「へ? そ、それはギルド長の後添えってことですか?」
「あぁ。母が断ったら、一つ一つは小さい嫌がらせをこれでもかとしてきて……これは今でも続いているな。ギルドで申請してもなかなか通らなかったり、難癖をつけられたりするだろう?」
「あぁ~……」
何度か巻き添えを食らっているマインとルッツは顔をしかめた。俺だけではなく、俺の周りにも迷惑を撒き散らすくそじじいなのだ。
「恋人が死んだ直後に満面の笑顔で自分の娘を斡旋してきたり、成人前の妹達に俺より年上の息子を宛がおうとしたりするような相手に、お前は態度良くできるのか?」
商売に関して言えば、とんでもない無理難題も色々あったが、マインを相手にそんな苦労自慢をしても意味がない。あのくそじじいが人としておかしいということだけ伝わればいい。
「……えーと、見ようによっては、ギルベルタ商会がすごく評価されてるってことですよね? ギルド長が強引で粘着質で面倒なのは否定しませんけど」
苦しい逃げ方だが、マインも多少はギルド長の面倒さがわかっているらしい。
「それで、何故そんな厄介なギルド長にレシピを渡した?」
「何故って言われても……前にも言った通り、フリーダとお菓子作りをする約束をしていたから一緒に作っただけなんですよ」
「だが、契約したんだろう?」
「一年だけの独占契約ですよ? そんなに目くじら立てるほどのものですか?」
期間を定めたというのはマインにしてはなかなかよく考えたと思うが、それが本当に守られるのかが不安だ。あの孫娘に丸めこまれてずるずると独占状態が続くのではないだろうか。
「……本当に一年後に公開するのか?」
「はい。お菓子なんて独占するものじゃないし、色んな人に作ってほしいですから」
マインは一年間の独占権でレシピを売ったと言っているが、砂糖が手に入らない以上、しばらくはギルド長の店での独占状態になるだろう。
これ以上、差を付けられたくはないのに、また差が広がっていく気がする。
「なぁ、マイン。お前、他にもレシピを知っていると言ったな? 他の物はウチに売る気はないか?」
「……今のベンノさんには売っても意味がないですよ? ベンノさんには砂糖と料理人が足りないんです」
マインがきょとんとした顔で首を傾げた。
「どういう意味だ?」
「わたしが知っているお菓子のレシピはだいたい砂糖を使うんです。それに、一番大事なのは腕の良い料理人です。貴族の家で働いたことがあるくらいの腕の持ち主じゃなきゃ、わたしがレシピを教えたところですぐさま再現できないんですよ」
「貴族の館……?」
「オーブンが自在に使えることが必須条件なんです。パン工房以外にオーブンってないみたいだし、あまり普及してないんですよね?」
個人的にオーブンを持っているような家はほとんどない。よほどの金持ちで、食道楽でもなければ、そんなものは必要ないからだ。つまり、ギルド長の家にはオーブンがあり、それを自在に使える料理人がいるということだ。
「あら、ベンノさんが全てを揃える前に、わたくしがマインのレシピを全部買い取りますわ。ウチの料理人は新しいレシピに目がないんですもの」
クスクスと笑う幼い声に思わず振り返ると、春の花のような髪を両耳の上で結ったギルド長の孫娘がそこにいた。
「ごきげんよう、ベンノさん。ごきげんよう、ルッツ」
俺を見上げてくる挑戦的な目があのくそじじいとそっくりだ。くそじじいが消えたら、少しは勝算が出てくるかと思っていたが、この孫娘は侮れない。マインにあの手この手で近付く辺り、金に関する嗅覚はじじい並みだ。
こっちが警戒している対象だというのに、マインはへらっとした笑顔で軽く手を振って親しげに話しかける。仲が良さそうな様子に少なくない焦りを感じてしまう。
「フリーダ。どう、試食会は?」
「マインのお陰で盛況ですわ。みんなカトルカールを褒めてくださるの。一年後にはレシピを公開すると言っているので、レシピの公開を心待ちにしている方も少なくないですわね」
警戒心が足りないと何度言えばわかるんだ、この馬鹿者!
マインは何度となく俺にも騙されているが、不満そうに頬を膨らませる程度で済ませてしまう。どんな反応をするのか、きちんと気付けるのか、試しているこちらが心配になるくらい、警戒心がない。マインはきっと警戒心というものをどこかに落としてきたに違いない。
それでも、傍から見て、同じ年くらいの少女が友達同士で楽しげに語らっているのを邪魔するような大人げない対応は取れない。言質を取られたり、変に絡まれたりしないように会話が聞こえる範囲でルッツと二人で睨みを効かせておくしかない。
「なぁ、ルッツ。アイツはなんで命のかかった状況で騙されて、まだ笑顔で付き合いできるんだ?」
「……マインの考えることがオレにわかるはずがない。それに、オレはフリーダがあまり好きじゃないから」
マインに近付くな、とルッツの顔にはわかりやすく書いてある。緑の目に宿る独占欲は一番大事な友達に対するものなのか、すでに恋愛感情まで達しているのか、微妙なところだ。
それでも、マインに対して過保護なルッツを見ていると、もう何年も前に恋人の死と共に置いてきた甘酸っぱい感情を思い出して、何ともくすぐったいようなむず痒いような気分になる。
「これから先も苦労しそうだな、ルッツ」
「へ?」
「マインを捕まえておくのは簡単じゃないってことだ」
ぐしゃぐしゃと頭を撫で回しながら、ルッツをそんな言葉で激励すると、ルッツは緑の目に強い光をきらめかせて、ゆっくりと頷いた。
「マイン、味はどうだい?」
そう言いながら、ずいぶんと親しげな様子で恰幅の良い女性がマインと孫娘に近付いてきた。全身から甘い香りを放っていて、頭には試食会関係者が付けている布を付けている。
誰だ? と俺とルッツが警戒するのにも構わず、マインはパァッと表情を綻ばせて、駆け寄っていった。
「もちろん、すごくおいしいですよ。さっき食べたけど、お茶のカトルカールもすごくおいしくなってました。さすがイルゼさん」
「そうかい」
マインに褒められて、相好を崩しているこの女性が、どうやらギルド長の家で働く料理人で、このカトルカールを作った人物らしい。
商人としての性で、莫大な金を生み出すことになるだろう料理人のイルゼを観察していると、イルゼの方も俺に視線を向けてきた。
「そっちがベンノさんかい?」
「あぁ、そうだが?」
ギルド長の料理人に名指しで声をかけられる意味がわからない。マインがまた何かしでかしたのだろうか。眉を寄せる俺を、イルゼが上から下まで見る。
「……ふぅん」
その相手を見定めるような目はギルド長と似ているようで、俺は思わず目を細めた。孫娘を相手に本気を出すのは大人げないと思って、無意識にセーブしていたが、相手が大人ならば、遠慮はいらないだろう。
「マインの知識を縛り付けて独占しているのはアンタなんだろ?」
「はぁ? 別に独占などしていないが? 現にカトルカールのレシピがそちらに流れているだろう?」
できる物なら独占しておきたいが、マインはおとなしく独占させてくれない。縛り付けてと言うが、ポロッと零した程度の情報で市場がひっくり返るのだから、マインの知識は小出しにするくらいでちょうどいい。
「だいたい、マインに関する面倒事は全部こっちが引き受けているのに、おいしいところだけを掻っ攫っていくのはそっちだろう?」
マイン自身を守るために色々なところから情報を集めたり、ルッツとの繋がりを強固にするために契約魔術を使ったり、マインの存在を隠すために植物紙協会を設立したり、他にも色々と裏で暗躍している。考え無しのマインに苦労させられているのは、ギルド長ではなく、俺だ。
「ベンノさんには結構ぼったくられていると思いますけど?」
むぅと唇を尖らせているマインの額を、俺はピシッと指で弾いた。
「俺がマインからリンシャンでぼったくった金なんて、2回の契約魔術で飛んでいったぞ?」
「え?」
「……契約魔術を2回ですって?」
マインと孫娘がぽかーんと口を開けて、同じ表情で俺を見上げてくる。間抜け面を見下ろして肩を竦めた。
「ったく、人の苦労も知らず……」
「アンタの苦労はどうでもいい。マインは再現できそうだと認めた相手にしかレシピを渡さないって言ってたからね。他の物はともかく、料理のレシピはアタシがもらうよ」
料理人にまで宣戦布告された。どうやらあのくそじじいの関係者と俺はことごとく対立関係になるらしい。
「誰が渡すか」
いつまでもカトルカールをギルド長に独占させてたまるか。独占契約が切れる一年以内に砂糖を手に入れて、腕の良い料理人を探してやる。砂糖に関しては少し疎遠になっている親戚筋をたどっていけば、多少の無茶で何とかなるはずだ。
頭の中で目まぐるしく計算しながらイルゼと睨みあっていると、マインが不安そうな顔でちょいちょいと俺の袖を引っ張った。
「ベンノさん、ベンノさん。料理人を探すのって、すごく大変なんですよ? 貴族に頼める伝手がなかったら無理ですよ」
「伝手なんか必要じゃない。必要なのは向上心とオーブンの扱いなんだろ?」
貴族の館で働けるくらいの腕が必要で、オーブンの扱いに慣れればいい。絶対に貴族の館で働いたことがなければならないわけではない。
「マイン、本がなければ自分で作ればいいとお前は言ったな? だったら、料理人がいなかったら?」
「……自分で育てればいいんじゃない?」
「そういうことだ」
設備を整え、この街で腕の良い料理人を探して、お菓子だけに特化させた料理人を育てればいい。
「……やってやろうじゃねぇか」