Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (78)
プロローグ
私はフェルディナンド。エーレンフェストの街の神殿で神官長を務めている。よく25歳くらい、下手したら30歳くらいと間違われるが、20歳である。
若さが足りない、枯れているなどと異母兄からはよく言われているが、それは生活環境によるものだ。
私は成人するまで貴族社会で育った。愛妾の子であったが、礎の魔術具を扱えるだけの魔力があったため、そして、自分で言うのも何だが、勉学が苦ではなく得意であったため、異母兄を補佐する立場として育てられた。父の本妻とはともかく、異母兄との仲は悪くなかった。
しかし、本妻は異母兄の補佐をする私が気に入らなかったようで、父の死後、私はあからさまに排斥され始めた。権力に群がる大人達は本妻の意見に賛同し、実の母親は当てにならず、身の危険を感じ始めた頃、異母兄が神殿に入ることを勧めてくれたのだ。
神殿に入ることは貴族社会から見ると、政治の世界から抜けると宣言することに他ならない。けれど、神殿もまた魔力を使い、神事を行うため、政治の世界とは密接な関係を持っている。そして、神殿の上位は貴族出身の神官や巫女が占めており、その位は実家の地位による階級社会である。
異母兄は私に神殿を掌握するように、と笑いながら命じた。今の神殿長は本妻の実家に連なる者で、態度も大きく厄介な相手なのに、簡単に言ってくれるものだ、と肩を竦めながら、私は神殿に入った。
神殿での日々は安穏としていた。財政を握っていたり、孤児院の管理をしていたり、貴族との連絡を取り扱ったり、と仕事をしている者もいたが、私には回されなかった。そのため、神具に魔力を込める以外、特に仕事がなく暇を持て余していた。
あまりに時間が余るので、異母兄に頼んで、実家に置いてあった本や木札を送ってもらった。せっかくなら、経済状況が思わしくない貴族にも利用してもらえたら良いと考えて図書室に並べてみた。けれど、神殿にいる青色神官や巫女は貴族社会に戻れない者ばかりで、勉学に興味がある者はいなかった。本が読みたいと号泣するほど興味を示したのが、貧民の幼女だけとは嘆かわしいことだ。
そして、中央での政変が起こり、貴族の数が激減した。まず、これから貴族院に通える年齢である幼い見習いが次々と実家から呼び戻され、次に結婚が可能な年若い神官や巫女が貴族社会へと戻っていった。さらに、適齢期より上でも、ある程度魔力がある神官や巫女は、中央神殿へと移動するよう要請があった。
今、この神殿に残っている巫女はおらず、神官は実家に戻れる年齢ではなくなり、中央の神殿で必要とされる魔力量に満たない者ばかりである。
主要な仕事をしていた者がごっそりと居なくなった神殿で、私はあらゆる仕事を引き継ぐことになり、安穏とした時間は私の前から姿を消した。執務の量と質、実家の地位、異母兄の懇願により、神殿に入って日が浅い上に、まだ年若い私が神官長を務めることになったのだ。
「神官長、神殿長がお呼びだそうです」
「……無事だったようだな」
側仕えであるフランの言葉を聞いて、私は溜息混じりに立ち上がった。もうしばらく寝込んでいてくれれば、執務がはかどったのだが、と考えながら、自室を出て、神殿長の部屋へと向かう。神殿長は手を出さないけれど、口だけはしっかりと出す人物なので、執務中は寝ていてくれるとありがたいと私は常々思っている。
移動途中で図書室が視界に入った。ここの本を読むために騒動を起こした子供、マインの顔が浮かんできて、指先でこめかみをグッと押した。ここ最近の頭痛の種であり、おそらく今回の呼び出し原因だと思われる。
洗礼式で図書室を見つけて、巫女見習いになりたいと言い出したマインは、富豪らしい衣装に身を包んでいたらしい。見習いになるために、と提示された巨額の寄付金に目が眩んだ神殿長が、富豪の娘を何とか神殿に入れようと話をするうちに魔力があることまで判明した。
聖典を読んでやった時の反応から、かなり頭が良いこともわかっていたし、立ち居振る舞いや言葉遣いからもよく教育されていることが察せられた。だから、青の衣を与えてでもマインを神殿に入れると言う神殿長に、私も否を唱えなかった。
けれど、話し合いをするために両親を呼びだしてみれば、マインは富豪の娘ではなく、貧民の娘だった。
私としては、誰の娘であろうが、寄付金と魔力さえ持っていれば問題ないと思っていたけれど、神殿長にとっては違うようだった。あからさまに高圧的な態度を取り、マインを怒らせた。
貴族ならば魔力を制御するための魔術具を持っている。もしくは、定期的に神具に魔力を捧げているので、感情によって魔力が高まっても、暴走することはない。けれど、マインは貧民の娘で魔術具など持ってはいなかった。
当然、魔力は暴走して身体から漏れだし、神殿長へと真っ直ぐに向かう。洗礼式まで生き延びた身食いとは思えないほど、マインの魔力は強かった。
魔力の威圧を正面から受けた神殿長は、その場で卒倒してしばらくは意識が戻らず、神殿長の意識がないのを良いことに、私がマインの家族との話し合いの場に立ったのだ。
意識が戻ってからも寝込んでいた神殿長が、今になってわざわざ私を呼びだしたということは、おそらく、マインとの話がどうなったかの確認と文句に違いない。神殿長の口から出てくるだろう嫌味の数々が容易に思い浮かんでくる。
神殿長の部屋の前に立つ側仕えの姿が視界に入った。
面倒な事だが、一応この神殿内で一番上位である神殿長は立てておいた方が良い。ゆっくりと息を吸って、億劫になる気分を溜息と一緒に吐き出した。
「神殿長、神官長がお見えになりました」
扉の前に控えていた神殿長の側仕えが私の歩く速度に合わせて扉を開ける。顔に少し緊張している色が見えるのは新入りだからだろう。
部屋に入ると、神殿長は執務机の椅子に座って、背もたれに背中を預けていた。でっぷりとした腹が強調されている。
実家の地位だけを考えると私の方が高いが、私は庶子であり、神殿長は嫡子である。異母兄の母親の実家に連なる者だから、実家の地位が低いわけでもない。そのため、神殿長は自分の優位を示したくて仕方がないようで、私を呼びだす時は必ず執務机を挟んで自分が座り、私が立っているのを見ながらニヤニヤしている。
だが、今日はニヤニヤするほどの心の余裕がないのか、鼻筋に深い皺を刻んだ凶悪な表情で苛立たしげに指先で机を叩いていた。私の姿を見つけるやいなや勢い込んで口を開いた。
「神官長、アレは一体どうなった?」
ゆっくりと神殿長の前まで歩いた後、私は貴族らしい優雅さを殊更に強調しつつ、首を傾げて見せた。
「アレと申しますと?」
「あの無礼極まりない子供に決まっているだろうっ!」
癇癪を起した子供のように、身体を起こしてドンと机を叩きながら神殿長が怒鳴った。予想済みの言動だったので、私は報告するための木札をスッと持ち上げて、読むふりをしながら飛んでくる唾を防ぐ。
「あぁ、確か……マインという名前でしたね」
「それだ。追い返したのだろうな?」
ギョロリと睨む神殿長に、私は緩く首を振った。
「神殿長が不快であることは理解していますが、この神殿の魔力不足は深刻です。それはマインを神殿に入れようとした神殿長が一番よくご存じのはず。この街にまた貴族が増えるまでの辛抱です」
「神官長、この儂に我慢せよと言うのか? 儂は……」
いつもの長い長い家柄自慢が入る前に、私は神殿の現状を並べて立てる。
「あの子供がいなかったら、奉納の儀式は確実に困ります。それに、秋も……。また、騎士団から要請が出たらどうしますか? 魔力がないので、できませんと言うのですか? それとも、貴族が増えるまでの間、ずっと余所の神殿に助力を請いますか?」
実家の位が高く、それと比例するように自尊心が高い神殿長が他人に頭を下げるなど、絶対にできるはずがないことはわかっている。
私の言葉通り、余所の神殿に頭を下げて助力を請う自分を想像でもしたのだろう、神殿長が額まで真っ赤に染めて悔しがった。
「くっ、魔力不足でなければ、あんな無礼な子供、すぐにでも処刑してやるのに……」
「正面から挑発するのは危険ですよ。あの魔力をまた正面から受けたら、神殿長の心臓が持たないかもしれないのですから」
高圧的な態度をとったことが原因で、マインに卒倒するまで魔力で威圧されたことを忘れたのだろうか。これだから、年寄りは困る。
ギリギリと奥歯を噛みしめている神殿長を軽く牽制だけして、私はマインとその両親との話し合いで決まったことを報告する。
「事前に話していた通り、マインには特別に青の衣を準備することになりました。魔術具の手入れと、本人が熱望する図書室の仕事を勤めとするというのも、事前に話し合っていた通りです」
事前に話し合っていたところを何度も強調しておく。年のせいか、神殿長は最近自分で発言した内容を都合よく忘れることが多い。案の定、忘れていたのか、反論したくてもできないような不本意極まりない顔で唸りながら私を睨んでくる。
「うぐぐぐ……」
「あぁ、それから、マインは孤児ではないので、家から通うことになりました。実際、家がある貴族も通いが多いので、これは特に問題ないと判断して、許可しています」
「何だと!?」
私の言葉に神殿長が目を剥いて、噛みついてくる。これもまた予想通りだ。
「……青の衣を与えられているのだから、と言われて貴族区域に部屋を持たせることになるよりは、通いの方が良いかと思ったのですが?」
「フン! まぁ、そうだな」
貴族区域に部屋を与えることになるよりは、通いの方が神殿長にとっては納得しやすいようで、嫌な笑みを浮かべながら頷いた。孤児院に放り込めば良いと言っていた自分の発言はすっかり忘れているようだが、もう言質はとったので、マインは通いで決定である。
「それから、マインは虚弱なので、毎日のお勤めはできないそうですが、神殿の仕事と言っても青の巫女見習いがこなす仕事は多くないので、体調が悪い時に休んだところで問題はないでしょう」
「ハッ、やる気が全く感じられんな」
何に関しても文句を付けなければ気が済まないらしい。わかっていたことなので、軽く肩を竦めて流しておく。
「神殿内に病気を持ちこまれるよりは良いと判断しました。……それから、体調管理のための側仕えを付けることになりました」
「必要ない!」
神殿長の言葉があまりにも推測した通りであることに、軽く溜息を吐きながら、私はまた準備していた答えを返す。
「青の衣をまとう者に側仕えが全くいないのは、対外的に見目が良くありません。これは神殿長の面子に係わると思われます。……それに、今は灰色神官や巫女が余っているので、マインに引き取ってもらった方が良いと思われませんか?」
「……なるほど」
青色神官は去っていったけれど、灰色神官はよほどのお気に入りを除いて、ほとんどが残されている。青色神官の実家からの寄付も減った状態で、主のいない灰色神官や巫女ばかりがいるのは、出費がかさむだけという処置に困る状態なのだ。
「それから、マインについて調べたところ、商業ギルドに工房長として登録されていました。神に仕える者に金儲けの手段など必要ないと切り捨てるのは簡単ですが、工房を続けさせることで神殿が定期的に利益を得るのも、有益な手段ではないかと思います。どうしましょう?」
「できるだけ、搾りとってやれ」
「仰せのままに」
神官や巫女が少なくなったことで、自分が手に入れられるお金も減っている神殿長は、神殿の建前より実利を取った。マイン側から出された条件に全て許可が出たことに、そっと安堵の息を吐く。
「とりあえず、神殿長の手を煩わせないように、マインの面倒は基本的に私が見ることにします。商業ギルドに出入りしているなら、書類仕事も多少できるでしょう。それから、神殿長の部屋へは基本的に立ち入らせないようにします。あとは、そうですね。灰色神官の側仕えに自分の側仕えを一人付けて、細かく報告させることにします」
一応マインを警戒しているところを見せると、興味深そうに神殿長が目を光らせた。白いひげを何度か撫でながら、碌でもないことを企んでいる時の嫌らしい笑みを浮かべる。
「ほぅ?……ならば、こちらからも一人付けるとするか。同じ年頃の少女ならば、アレも信用するだろう。デリアならば、こちらのためによく働くだろう。他の側仕えには孤児の中でも面倒な者を付ければいい。精々困らせろ。寄付金は上限ぎりぎりまで搾りとれ。どうせ、そのくらいしかアレに価値はないんだからな」
「仰せのままに」
厄介なことになった。 貴族社会や神殿内に詳しくないマインに補佐を付けるつもりだったが、神殿長の子飼いの側仕えがいたら、こちらの言動も筒抜けということになる。
臍を噛む思いで軽く指先を組んで上げて礼をしながら、私は神殿長の部屋を出て、自室へと戻った。
「まったく……」
本当に煩わしい神殿長である。
神殿に預けられる青色神官や巫女の大半が貴族の庶子である中、神殿長は嫡子であり、高位の家柄であることを非常に誇っている。その実、出自の割に魔力が少なすぎたことで、神殿に預けられたため、魔力が多い者に対する劣等感は凄まじい。
マインに対する言動はよく見張っておかないと、またマインが暴走することになるかもしれない。こちらよりも身分が低いうえに、魔力と金だけでなく、報告書によると事務処理能力も持っているのだから、私にとっては神殿長よりマインの方がよほど有益な人材だ。
マインに関する報告書の中の商売に関する項目を見つめる。
ギルベルタ商会を後ろ盾に見習いの仮登録をした後、マインが今までに権利の譲度を交わした商品はリンシャン、植物紙、糸を編んで作る髪飾り、カトルカールと多岐多数に渡る。大金貨1枚を寄付できるくらいの財力がマイン個人にあるのは、大袈裟でも嘘でもないらしい。
体力的に問題があるため、商人見習いは諦め、ギルベルタ商会が準備したマイン工房でこれから先も商品を発明しては売る予定とある。
「これだけの商品の契約をしたのが、一年ほどの間か……。次から次へとよく商品を思いつくものだ」
マイン工房で作る物の利益はかなり大きなものになりそうだ。金にがめつい商人に誤魔化されないよう、細かく報告してくれる側仕えをマインには付けておかなければならない。
そう考えて、自分の部屋にいる側仕えをぐるりと見回す。さて、誰をマインに付けるべきか。
私に対する忠誠心が厚く、報告が正確で、我慢強い者が良いだろう。神殿長が付けた厄介な側仕えにそつなく対応できなければならないのだから。
「……フラン」
「はい、何でしょうか?」
名前を呼ばれたフランがスッと近付いてきた。
「君にはマインの側仕えとなってもらう。なるべく細かく報告してほしい。それから、神殿長とマインをなるべく近付けないように頼む」
「っ!?……かしこまりました」
ほんの一瞬、不満そうに眉を寄せたフランだったが、ゆっくりと頷いた。マインの魔力が暴走した場にフランはいたので、神殿長の卒倒する姿でも思い浮かべたのかもしれない。
「他の側仕えは……。そうだな。貴族には付けにくいような、扱いにくい者はいなかったか? 建前上、神殿長の意見も入れておかなければならないからな」
フランは当惑したように視線を彷徨わせた後、そっと目を伏せた。神殿長の部屋に行く時も私に侍っていたアルノーが助け船を出すように口を開く。
「そうですね。ギルはどうでしょう? よく反省室に入れられていますが、全く懲りない子で、監督神官が困っています」
「……ふむ。では、ギルとデリアとフランをマインの側仕えとしよう」
マインに付ける側仕えが決まった。
青の衣が届くのが3日後、マインが巫女見習いとしてやってくるのが5日後だ。
マインを迎え入れる準備は整ったものの、さて、一体どうなることやら。
これから騒動が巻き起こることだけは推測できるのだが、どれだけの規模の騒動になるかまでは私にも見当が付かなかった。