Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (81)
青い衣と異なる常識
「ルッツ~!」
ルッツの顔を見た瞬間、自分の常識が通じる場所に戻ってきた安堵で身体の力が抜けていくのを感じた。わたしは階段を駆け降りると、迎えに来てくれていたルッツの腕にギューっとしがみついて、頭をぐりぐり押し付けた。
「もう疲れたよ、ルッツ」
「あ~、ちょっと顔色が悪いな。お疲れさん」
ルッツがポフポフと頭を軽く叩いて労ってくれる。
わたしが今日したのは本を読むことだったが、側仕えは側にいるのが仕事らしく、基本的に誰かが近くに立っていて、ずっと見られていた。
わたしは本に没頭すると周りのことなど気にならなくなるのが常だったが、フッと我に返る度に誰かの視線を感じるというのは、かなり居心地が悪いものだった。視線が痛いというか、重いというか、絶えず見張られているという状態が負担で、疲れた。
貴族って、すごいね。慣れるの、どれくらいかかるんだろう?
家に帰って寝られるだけ、わたしは幸せかもしれない。これが「おはよう」から「おやすみ」まで続いたら、発狂しそうだ。
「ねぇ、ルッツ。今からベンノさんに会いたいんだけど、お店にいた?」
「オレが出る時に丁度帰って来てたから、今なら多分いるんじゃないか? 何かあったのか?」
心配そうなルッツに、わたしはふるふると首を振った。
「商業ギルドでお金下ろして、神官長に寄付金を持っていかなくちゃいけないんだよね。早目が良いと思って……」
「ふぅん。じゃあ、行くか」
ルッツがそう言うと、何故か側仕え三人組がついて来ようとした。神殿の中ならともかく、外まで一緒に来られたくない。見張られたくない。
「……別に来なくていいよ?」
「そういうわけにはまいりません。私は側仕えですから」
「そうよ! 側仕えもなく、誰かに会うなんてあり得ないわ」
フランばかりかデリアまでが「あり得ない」と言うのだから、どうやら、青色神官が誰かと会う時には側仕えを連れていくのが常識らしい。頭の中にメモしておく。
「ふぅん。行かなくていいんだったら、一抜けた。オレ、腹減ってるから」
やはり、側仕えとしての常識にも疎いらしいギルは恨めしそうにわたしを睨んでそう言うと、くるりと背を向けていなくなった。
しかし、他の二人は神殿に戻ろうとしない。譲歩して、連れていけるのはフランだけだ。それでも、いっそ側仕えなんていない方が気楽だし、行く場所はいつも出入りしているギルベルタ商会だし、ルッツがいるから役に立たなそうな側仕えは必要ない。
……追い払っちゃっていいかなぁ?
「ねぇ、デリア。ベンノさんとの話がまとまったら、寄付金を持って戻ってきますって、神官長に伝えてくれない? ちゃんと伝わらないと困るの。頼むね」
「ふぅん、困るの。わかったわ。ちゃんと伝えてくるわね」
ニヤァとデリアがわかりやすい笑みを浮かべた。握りつぶすか、そのまま神殿長に報告に行くか、どちらかだろう。
今日、わたしが見た中で一番楽しそうな笑顔でデリアが踵を返して神殿へと入って行く。
無事にデリアを追い払えたことに安堵の息を吐いていると、不満そうにフランが顔をしかめて、デリアの背中とわたしを見比べた。
「マイン様、神官長への伝言なら私が行きます。デリアを同行させてください」
「フラン、わたしはデリアに頼んだの。側仕えが付いてなきゃいけないって言うなら、フランが同行すればいいでしょ?」
フランはハッキリと不満を顔に出して、首を振った。
「しかし、あれでは神官長に伝わるかどうか……」
「……今はルッツが一緒だから、フランもあっちに行って良いよ? 確かに、神官長に伝わってないと困るし」
そう言って、わたしはルッツと手を繋いで歩き始めた。
しばらく神殿の出入り口でうろうろしていたフランだったが、結局、神官長に報告する方を優先させたようだ。踵を返して、中へ入って行った。
「マイン、いいのか? あれって体調管理を覚えるヤツじゃねぇの?」
ルッツが後ろを振り返り、誰もいなくなった神殿の入り口を見て首を傾げる。
そういえば、側仕えに体調管理をさせるという話があったなぁ、と思いながら、わたしは大きく息を吐きだした。
「……うーん。神殿側に付けられた候補その1だけど、難しいと思うよ。まず、本人にやる気がないから」
「はぁ?」
「神官長に仕えていたかったのに、多分、わたし付きになれって言われたんだと思う。何をしていても嫌々って雰囲気が出てるんだよね。わたしが神官長以上の主になれれば、変わるかもしれないけど、それって絶望的じゃない?」
「マインが主か……。威厳とか貫禄とか、全然ないもんな」
ルッツがからかうようにそう言って、ひひっと笑った。わたしも声を上げて一緒に笑う。居心地の良さにホッとした。
「マルクさん、こんにちは。ベンノさんはいますか?」
ルッツがドアを開けている途中で、マルクの姿が見えたのでいつものように手を振った。マルクがわたしを見た瞬間、顔色を変えた。
「……マイン、早く中に入ってください」
「へ?」
いつになく焦った様子のマルクが急いでわたし達を店の中に招き入れた。
特に約束なく店に立ち寄った場合、いつもならわたし達を店内で待たせて、まず、ベンノにお伺いを立ててから、奥の部屋に通される。けれど、今日は血相を変えて、奥の扉を開けながらベンノに向かって声をかけ、わたし達を押し込むようにして部屋に通した。
「旦那様、マインが店に来ました。すぐにこちらに通します」
「なんだ、マルク? マインが来たくらいで、そんなに慌て……」
マルクが即座にドアを閉めるのを耳にしたのか、ベンノがからかうような口調で顔を上げる。ベンノの目が、わたしに固定された瞬間、目が見開かれて、吊り上がった。
「くぉらっ! マイン! このバカ!」
「ひゃんっ!」
突然の大声にぎょっとして思わず耳を押さえて座りこむ。ルッツも「ひっ!?」と息を呑んで飛び上がった。
「え? え? ベンノさんまで何ですか!?」
「この考え無し! なんて恰好で来るんだ!? まさか神殿からここまでその恰好で歩いてきたのか!?」
「……そうですけど、何か問題ですか?」
わたしは自分の恰好を見下ろして首を傾げた。ルッツも一緒に首を傾げる。
問題の根本が理解できていないわたしとルッツを見て、ベンノはガシガシと頭を掻いて、マルクはこめかみを押さえた。
「マイン、お前が着ているのは青い巫女服だな?」
「はい」
「普通、青い巫女や神官は貴族だ」
「そうですね」
「貴族っていうのは、移動に馬車を使うんだ。徒歩で街をブラブラすることはあり得ない。何故かわかるか?」
ベンノの質問にわたしは首を傾げた。数回乗った馬車を思い出す。ガクガク揺れて、乗り心地が悪い。けれど、平民が滅多に乗れるようなものではないので、憧れの目で見られるし、手っ取り早くステータスを見せつけることができる。
車と言う移動手段を当たり前に持っていた麗乃時代に車を使うのは、買い物に行くので荷物が多くなるとわかっている時や長距離を移動する時、天気が悪くて歩くのが面倒な時だった。
「えーと……見栄っ張りで歩くのが面倒だから?」
「違うっ! 貴族がフラフラ外を歩いていたら、営利目的で誘拐されるからだ! お前も誘拐されたくなかったら、神殿以外でそれを着るな!」
「は、ははは、はいぃっ!」
わたしはその場で青い巫女見習いの服を脱ぎ始めた。下にはここの見習い服を着ているので、帯を解いて、青い衣をペイッと脱いだら、終了だ。
わたしはずっと貧乏人の子供として育ってきた。営利目的の誘拐なんて考えたこともなかった。
そうか。わたしはこの青い服って制服みたいなものだと思ってたけど、他の人にとっては「わたしは貴族です。お金持ってます」って札を首から下げて歩いているようなものだったんだ。
ベンノはわたしが丁寧に畳んで抱えた青い固まりを、複雑そうな顔で見遣りながら、疲れきったような深い溜息を吐いた。
「それで……一体何の用だ、マイン? 俺達を驚かせるためだけに来たわけじゃないだろ?」
「はい、お願いがあってきました。ベンノさん、これから一緒に商業ギルドへ行って、その後、神殿へ行ってくれませんか?」
「何のために?」
わけがわからないと言わんばかりにベンノが首を傾げた。
「寄付金の小金貨5枚を下ろして、運ぶのに、ついて来て欲しいんです。神官長の許可は取ってます」
「何故、俺が?」
「今まで高額取引って全部カードで済ませたけど、神官長はギルドカードなんて持ってないし、わたしはそんな金額を持ち歩くのって怖いし、神官長にそう訴えたら、側仕えに任せろ、なんてビックリするようなこと言うし」
わたしの文句にベンノはぐぐっと眉を寄せた。
「どこがビックリするんだ? それは側仕えの仕事だろう?」
「……およそ、全く、完膚なきまでに、信用できない側仕えに大金任せるなんて怖いことできませんよ」
わたしがそう言うと、ベンノは赤褐色の目を丸くして、何度か瞬いた。
「基本的に考え無しで、何でもかんでも、まぁ、いいやで済ませて、騙されても懲りずにギルド長のところに出入りするお前が信用できない? どんな相手だ、それは?」
ギルド長のところに出入りするのは、わたしにとっての利益があるからだ。砂糖やレシピの取引もするし、騙されはしたが命を救ってもらったことに違いはない。もちろん、個人的にお金を預けられるほど、ギルド長やフリーダを信用しているわけではない。取引相手なら、まぁ、いいやってレベルである。
側仕えは「困らせてやると」正面きって宣言されたのに、信用なんてできるはずがない。
「側仕えとして付けられたうちの一人は神殿長の回し者で、一人は神官長の回し者。最後の一人は嫌がらせで付けられたって感じの問題児なんです。神殿内で周りをうろうろされるくらいならともかく、お金を預けるなんて無理です」
「お前、予測はしていたが……かなり嫌われているな」
ベンノの的確な指摘にわたしは小さく呻いた。
「うっ……。前は、半年くらいの命だし、本さえ読めたら、別に嫌われてても大して問題ないって思ってたんですけど、これがずっと続くと面倒ですよね」
「そういう意味では状況が変わったからな。回し者に関しては、表面上だけでも関係改善していくしかない。完全に信用するんじゃなくていいから、ここは任せられるって部分を探せ。……問題児は獣と向き合う要領で躾けろ」
ギルの見た目と獣という単語に、木の上の方で手を叩いてキャッキャッと騒ぐ貧相な子ザルが思い浮かんだ。
「獣と人間は違うでしょ?」
「大して変わらん。言うこと聞かなきゃ鞭で叩いて、言うことを聞けば餌を与える。誰が主か、叩きこめば良い」
信頼関係云々ではなく、服従させろということらしい。
「……そんなのに時間取られるくらいなら、本が読みたいんですけど」
「面倒くさがるな! これから先、貴族社会で側仕えが使えない方が大変だぞ!」
「うぐぅ……。前向きに検討します」
ハァ、と溜息を吐いたベンノが頭の中をリセットするように軽く頭を振った。
「話が逸れたな。ところで、寄付金を持っていくのはいつの話だ?」
「ベンノさんの予定を聞いて決めるつもりですけど? ベンノさんの都合が良かったら、お金持って戻ってくるって側仕えには神官長へ伝えてもらって……」
わたしの言葉と共にベンノの顔色が一瞬で変わった。
「……それは今すぐに持参しますと言っているに等しいっ! マルク、すぐに準備しろ! 神殿に向かう!」
「かしこまりました!」
真っ青になったマルクが部屋を飛び出していった。
「え、えと、じゃあ、すぐ商業ギルドに……」
「時間の無駄だ。わざわざ行く必要はない。カードを出せ」
カードを合わせた後、ベンノは「神殿に行くんだから、青い服を着ておけよ」と言い残して、奥の扉から上に駆け上がって行った。
わたしはついさっき脱いだばかりの青い衣を手にとって、もう一度着直す。帯を締めて、項垂れた。
こんなことになるとは考えてもいなかった。わたしがただ側仕えを追い払いたいと思って言ったことで、とんでもない面倒事を持ちこんでしまった。
「……どうしよう、ルッツ」
約束の仕方も、ちょっとした言葉の意味合いも、所属する団体が変われば全く違うものになる。そんな簡単な事くらい知っていたのに、わかっていなかった。
ルッツはポンポンとわたしの頭を軽く叩いて慰めてくれる。
「貴族のことなんて、オレ達にはわかんねぇからなぁ」
「……うん」
「今回失敗したのは仕方ないけど、マインも悪いところを直せ」
「悪いところ?」
わたしが首を傾げると、ルッツは少し厳しい目でわたしを見ながら大きく頷いた。
「マインが何より本のことを好きで、ずっとずっと本を読んでいたいことは知ってるけどさ、それより先に、周りの人に色々聞いて少しでも早くそこでの生き方を覚えなきゃダメだ」
「生き方?」
「……オレも商人の世界は知らないことだらけだ。周りにとっては当たり前ってことが、オレにはわからない。だから、小さいことでも一々聞いてる。そうしたら、他の見習いにしても、マルクさんにしても、ちゃんと教えてくれる。マインも面倒がらずに聞かなきゃ、いつまでたっても覚えないぞ」
ルッツの言葉が胸に響く。
職人の息子として生きてきて、自分の意思で商人の世界に突っ込んだルッツが、店に馴染むために全力で取り組んでいることを知っている。それなのに、本読みたさとはいえ、ルッツと同じように自分から神殿の世界に飛び込んだわたしは、神殿の常識に馴染むための努力をしていない。
「オレは、商人として生きたいから頑張ってるつもりだ。マインも神殿で本が読みたいなら、まず、神殿のやり方を覚えろよ。大丈夫。マインならできるって。頭良いんだからさ」
「良くないよ。考え無しだもん。ルッツの方がすごいって」
わたしの頭が良いはずがない。わたしはベンノの言うように考え無しなのだ。昔から、知識はあっても、その先に繋がらないと言われてきた。
「考え無しでも、マインはいつだって自分の目標に向かってまっしぐらだから、心置きなく本を読む目標のためなら、マインはどんなことでもできるだろ? 安心して本が読めるように頑張れ」
「うっ……。ルッツはわたしを理解しすぎだよ」
ちょっと前向きな気分になった時、階段を下りてくる足音が響いてきた。ギッと奥の扉が開いて、涼しげな素材ではあるが、長袖の衣装を着たマルクが出てくる。
「お待たせしました」
マルクは普段の執務服とは違い、振り袖かと言いたくなるくらい布を使った長い袖がひらひらする白の上着を着ていた。縁に青を基調とした刺繍がされていて、上着の丈は膝くらいだった。
その下は比較的ピッタリとした細身の白いズボンだ。洗礼式の晴れ着をもっと豪華にした感じだ。布の質も上質のもので、明らかに貴族対応の服だとわかる。
「待たせたな」
マルクの後から出てきたベンノは、マルクの服より袖が長くて大きい白の上着を着ていて、その着丈が足首ほどまであった。刺繍の豪華さはマルクとは比べ物にならず、さらに、その上から薄手のマントを羽織っている。マントは肩に青い宝石のついた金細工のブローチで止められていて、手には花のような物を持っている。
少し癖のあるミルクティーのような色の髪は、ポマードのようなもので固められていて、まるで別人のように見えた。
服装だけでもこれだけの準備をしなければならない貴族との対応に、ゴクリと息を呑んだ。全く知らない世界に飛び込んでしまったことに、わたしの方が怖気づいてしまう。他人を不用意に巻き込むような発言をするべきではなかった。
「ベンノさん、ごめんなさい。わたしが無知なせいで、巻き込んじゃって……」
「そう気に病むな」
わたしが駆けよるとベンノは手に持っていた花の飾りを「新作だ」と言いながら、簪の側に挿しこんで、いつもと同じような不敵な笑みを浮かべた。
「窮地の中にこそ好機ありが俺の信条だ。貴族的なやり取りをこなしつつ、無事に寄付金を渡すことができれば、ギルベルタ商会の迅速で上質な対応を印象付けることができる。行くぞ」
自信のありそうなベンノの発言に嘘はなかった。
店の中にどういう命令系統があるのか知らないが、ベンノとマルクが着替えて店へと出た時には、寄付金の小金貨が詰まっている両手に収まるくらいの宝石箱のような木箱と、くるくると巻かれた布と、小さい壺と、布に包まれた包みが3つずつ準備されていた。
そして、店の外には大人が4人は乗れる大きな馬車がきっちりとした服を着た御者付きで待っている。
いつの間に!?
ポカーンとしているわたしをベンノがいつもと違って、恭しい態度で抱き上げて、馬車に運ぶ。
お金がかかっているとわかる馬車に座らされたわたしが、不安になってベンノを見上げると、ベンノはピンと額を弾いた。
「今のお前は貴族だ。慣れている俺が何とかするから、お前は何かあってもうろたえずに笑え。堂々としていろ。絶対に俯くな。できるか?」
「……やります」
馬車の窓からルッツが見えた。頑張れ、と口が動いているのがわかって、わたしはルッツにわかるように大きく頷いた。
マルクが乗りこみ、扉が締められると、馬車はゆっくりと動き始める。
ガタンガタンとわたしの心と同じように不安定に揺れながら、初めて見る貴族の社会へと進んでいった。