Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (9)
エジプト文明、リスペクト中
さて、絶対に本を作ってやると心に決めたものの、わたしには紙が調達できなかった。
日本人としての感覚ではホームセンターにでも行けば、500枚のコピー用紙が200円程度で売られていたけれど、わたしとして生活する場では、父親の一月の給料が羊皮紙たった1片に消えてしまう。
羊皮紙の1枚っていうのは、皮を剥いで、毛も削いで、羊皮紙として売りに出された一番大きい一匹分の形のことで、使いやすい大きさに切ると1片になる。父の職場で見つけた1片はだいたいA4用紙くらいの大きさだった。
羊皮紙一枚を何とか切って使うにしても、5~8片くらいにしかならない。簡単に言うと、高価すぎて平民には本が書けるだけの羊皮紙を買うなんてできない。
つまり、わたしは本を作る前に紙を作る必要がある。
だがしかし、わたしは紙の作り方なんて、本で読んだくらいの知識しかない。だって、紙はわたしにとって、店に行けば売っているものだったから。
スーパーやコンビニはもちろん、学校の購買でさえルーズリーフやノートが並べられていた。「よかったらどうぞ」なんて言って、粗品でメモ帳や手帳がもらえる世界で生きてきた。カレンダーなんて銀行の粗品だったし、折り込み広告や必要のないダイレクトメールなんてすぐにゴミとなっていた。
今ならどんなに不必要な広告でも隅々まで目を通せるし、どんな余白も大事に使うと宣言できる。
紙が簡単に手に入る世界は何て贅沢だったのだろう。
ビバ、日本! どうせ転生するなら、日本がよかった。
おまけに、紙を作ろうにも、ここには機械が見当たらない。機械がない以上、紙を作るのも全部自分の手作業で作るしかないのだ。
機械がない異世界に生まれ変わったんだから当たり前だ、と思うでしょう?
本を読んで、知識はあるんだからやっちゃえよ、と思うでしょう?
……けれど、よく考えてみてほしい。
読書が好きなだけで、電化製品を使った日常の家事さえ面倒がっていたダメダメ日本人が、いきなり手作業で紙なんて作れるだろうか。しかも、今は身体が幼児で、病弱で、できる範囲や許されている範囲が極端に狭いのだ。
結論。
できるわけない。
しかし、諦めるのはまだ早い。
政治的に、経済的に必要で、記録してきた長い歴史が地球にはある。ずっと記録はしてきたが、機械で作られた紙ができたのなんて、それほど昔のことではない。
つまり、歴史が古ければ古いほど、今のわたしにも再現が可能かもしれない。
うーん、機械がない時代はどうしてたっけ?
わたしは五歳の幼女――体格だけなら三歳児並み――の手をできるだけ大きく開いて、むむっと眉を寄せた。
古い文明、古い文明……。古代文明と言えば、エジプト文明!
エジプト文明と言えば、パピルス!
エジプト文明、万歳!
そんな連想ゲームで、わたしはエジプト文明を手本にパピルスもどきを作ることを思いついた。古代文明の頃の発明品なら、小さいわたしの手でも何とかできるかもしれない。
何か植物、とにかく、真っ直ぐな木や草の繊維を使って、作っていたはずだ……多分。ここにだって植物はある。紙の原料になりそうな植物が、森にならきっとゴロゴロしているに違いない。
よし、森だ。森に行こう。
わたしは本に関してのみ、恐ろしくフットワークが軽いと、家族にもしゅーちゃんにも驚嘆され、そして、嘆かれた女だ。
思いついたら即実行。早速トゥーリに連れて行ってもらおうとおねだりしてみた。
「トゥーリ、わたしも森に行きたい。一緒に……」
「え!? マインが!? 無理だよ」
全部言う前に却下された。考える余地なんてないって感じの反射速度だった。
しかも、「ダメ」じゃなくて「無理」ってところが「再考の余地なし」と言われているようで、胸に痛い。
「どうして?」
「だって、マインは歩けないでしょ? 門まで歩けないのに、森までなんて絶対に無理だよ。森に着いたら、薪拾ったり、木の実探したりするんだよ? ゆっくり休憩なんてできないんだから。それに、木登りもできないでしょ? 帰りは疲れているのに、重い荷物も背負って歩くんだよ? 門が閉まる時間に間に合うように帰るんだから、いくら疲れても休憩できないよ? ほら、マインには無理でしょ?」
当たり前のようにトゥーリはマインが森に行けない理由を指折り数え始めた。ちょっと多すぎるけど、全ての理由が「体力がない」に集約されている。
「それに、もう冬が近いから、森で採れる物も減ってきてるし……」
疲れて森まで行って、ほとんど収穫なしになる可能性もあるとトゥーリは言う。
それはさすがにきつい。
収穫がないかもしれない前提で森に行ってみるか、紙作りを諦めるか……。
難題すぎる。
「何が欲しいの? メリヤの実はもうほとんどないと思うよ?」
深く悩むわたしにトゥーリが首を傾げた。
メリヤの実はわたしが簡易ちゃんリンシャンを作った実で、トゥーリが採ってきた実は、食べられることなく全てオイルとなって保存されている。そして、時折髪につけて、保湿に使っている。
メリヤもありがたかったけれど、大事なのは美容より本だ。パピルスもどきの原料にするために必要な植物の繊維だ。
「えーとね、『繊維がばらしやすい植物』ってあるかな?」
「え? 何?」
怪訝そうな顔で、聞き返されてしまった。これは絶対に日本語で通じなかった顔だ。
うーん、と少しばかり考えて、なるべくわかりやすい言葉に置き換えてみる。
「……ちょっと茎が太めで真っ直ぐな草。茎だけ欲しいの」
わたしの言葉を聞いたトゥーリも、うーん、と考え込んだ。何か心当たりがあるのだろうか。じっとトゥーリの答えを待つ。
しばらくたってから、トゥーリは仕方なさそうに首を竦めて、口を開いた。
「そうね、ラルフやルッツに協力してみるわ」
「え?」
協力してもらうじゃなくて、してみる?
わたしが言葉の意味がよくわからなくて首を傾げると、トゥーリはわたしの反応にちょっと驚いたようだ。目を何度か瞬いて、「今頃何を言っているの?」と首を傾げた。
「ラルフのところは鶏を飼っているから、冬を越すための飼料がいっぱいいるでしょ?」
いや、「でしょ?」って言われても知らないし。
トゥーリが当然のこととして口にしているので、わたしも心の声は隠したままで、「そうだねぇ」と相槌を打っておく。
「だから、草を取るのを手伝う代わりに茎が少しもらえないかどうか聞いてみるってこと。でも、草が多い季節は終わったから、それほど多くないよ?」
「それでもいい。ありがとう、トゥーリ」
さすが、トゥーリ。イイお姉ちゃん。
次の日、森に行くトゥーリと一緒に下まで降りて、ラルフとルッツにも頼んでみた。引きうけてくれたことにホッとしたが、さすがにトゥーリ達だけに任せるわけにはいかない。
わたしも自分で草を取りに行くんだ。幸い、井戸の辺りでも、石畳のところ以外は草が生えていた。あの茎は使えないだろうか。
「母さん、わたしも井戸まで一緒に行く」
「あら、お手伝いしたいの?」
「ううん。違う」
なんか嬉しそうなところ悪いけど、それははっきりと否定させていただく。お手伝いしていたら、草を集めるなんてできない。
「草を集めるの」
そう言ってわたしはトゥーリが前に作ったという小さな籠を見せた。
「そう、頑張りなさい」
バッサリとお手伝いを断ったのだが、ちょっとやる気になっているのを邪魔しない方がいいと思ったのか、動く体力が出てきたことを喜んでいるのか、母はわたしの同行を拒否しなかった。
洗濯物を抱えた母と一緒に、またしても階段を下りていく。今日は既に二往復目なので、それだけでやっぱり息切れしてしまって、草を取るなんてできやしない。
井戸から水を汲み上げて、全く泡立たなくて匂いのきつい動物性石鹸でゴシゴシと洗濯する母の隣でちょっと休憩だ。トゥーリの言うとおり、体力を何とかしないと森まで行けるはずがない。
「あらぁ、マインちゃんじゃない」
「おはようございます」
「あら、カルラ。おはよう。今朝は早いのね」
わたしに覚えはないけれど、カルラというおばさんが親しそうな様子で声をかけてきた。母もにこやかに話をしているから、間違いなく、マインの知り合いだと思われる。誰だ? というのが顔に出ないように気を付けながら、少し記憶を探ってみた。
やっぱり知っている人だった。記憶によると、なんとラルフとルッツの母親だ。ちょっと恰幅のいい、えーと、実に頼りがいがありそうな人だ。
この場合は「いつもお世話になっています」と言うべき?
いやいや、いくらなんでも5歳の子供らしくない。
子供って仲が良いはずの知り合いのおばさんとどんな会話するんだ?
誰か助けてー!
ぐるぐると思考が回るわたしに視線を向けず、カルラおばさんは井戸から重そうな様子もなく水を汲んで洗濯を始める。やっぱり臭い動物性石鹸を使って。
「今日は元気なのね? 外にいるなんて珍しい」
「草を取るの。ラルフとルッツ、鳥のために集めてるって言ってたから」
「まぁ、ウチのために? 悪いわね」
別に悪いとも思っていないような軽い口ぶりで答えながら、カルラおばさんはザカザカと洗濯をしていく。ウチの母を含めた数人の母さん集団とずっと何かしらお喋りしながら。
ちなみに、どこの母も口が動いているのに手は全く止まらない。すごいね。
それにしても、やっぱり石鹸が臭い。
匂い消しのハーブとか使ってみればちょっとはマシになるのかな?
それとも、匂い×匂いでもっとひどい悪臭になるのかな?
改善案を頭に思い浮かべつつ、わたしは立ち上がって辺りの草をブチブチと引きちぎり始めた。なるべく茎が太くて、繊維が硬そうな草を選ぶけれど、そうするとわたしの力ではちぎれない。
素手は無理。誰か、草刈り鎌持ってきてー。
もちろん、草刈り鎌が届くはずもなく、素手で引きちぎることができるわけもない。
もういいや。森に行ったトゥーリや、鶏のために頑張るラルフやルッツに期待しよう。
自分用の茎を取るのは早々に諦めて、わたしは鶏が食べそうな柔らかい葉や芽を選んで摘んでいく。これくらいなら、わたしでも問題なくできそうだ。
「マイン、帰るわよ」
もう洗濯が終わってしまったらしい。盥にきつく絞った洗濯物を抱えた母がわたしを呼んだ。まだ小さな籠に半分ほども摘めていないが、母は今日仕事があるので、我儘を言うわけにもいかない。
小さな籠を抱えて家に戻った。
「準備できた? じゃあ、行くわよ」
「うん」
マインになってからは、熱があったり、母が休みをとってくれたりで、ずっと家の中にいる生活だったから知らなかったが、熱もなくて元気な時は、わたしは近所の子守りのおばあさんのところに預けられていたらしい。
そうでなければ、トゥーリが森に行くなんてできないもんね。納得。
「母さんは仕事に行ってくるけど、マインはここでおとなしくしていてちょうだい」
「うん」
「ゲルダ、よろしくね」
「はいはい。おいで、マイン」
子守りを仕事にしているゲルダばあさんのところには、わたしと同じような子供が何人も預けられていた。基本的には乳児をやっと脱出した程度のよちよち歩きが何人か。
この街では、3歳を越えて、体力がついてくると、兄ちゃんや姉ちゃんに連れられて森に行ったり、家のお手伝いをして留守番できるようになる。
つまり、今のわたしの体力はよちよち歩き並みで、家族には一人で留守番をさせられないと思われているということだ。
どういうことなの!?
家族から自分への評価に愕然としているわたしの前で、床に落ちているおもちゃを口に入れようとしている男の子がいた。その隣では、ちっちゃい女の子が男の子にぶたれて泣き始めた。
「こら、汚いっ! ばっちぃから口に入れちゃダメ!」
「あらあら」
「いきなりぶっちゃダメでしょ。どうしてそんなことしたの?」
「まぁまぁ」
わたしも預けられている子供のはずなのに、一番大きいせいで周りの面倒を見ることになっている。
あらあら、まぁまぁ、じゃないよ!
ゲルダばあちゃん、ちょっとは仕事しろ!
ゲルダばあちゃんと一緒に小さい子供を寝かしつけながら、届けられる茎でどうやってパピルスもどきを作るか考えてみた。
正直、パピルスの作り方なんて、覚えてない。
だって、そんなの試験に出なかったんだもん。
確か、パピルスは見た感じ結構硬そうで、繊維が縦と横になっていて、繊維の方向が表と裏で違うから、片面にしか書けなくて、折り曲げるのには向かないって注意書きがページの隅にはあった記憶が……って、どうすりゃ作れるのか、なんて当然だけど、書いていなかった。
困ったことに、写真で見ただけのパピルスの作り方が全く思い浮かばない。
何か真っ直ぐに繊維が走っていた気がするんだけど、繊維同士はどうやってくっつくの? 和紙みたいに糊っぽい何かが必要なの?
大したことが書いていなかった歴史の資料集を思い出しながら、首を傾げる。
とりあえず、一番硬そうな茎の部分の繊維を使って、ひとまず布みたいに縦横にちまちまと織ってみるのはどうだろうか。これなら、糊っぽいものがなくても何とかなるかもしれない。
羊皮紙だって布みたいなものだし、初めて作るパピルスもどきだし、字さえ書ければいいよね。
「マイン、迎えに来たよ」
「トゥーリィ~!」
夕方、森の帰りにトゥーリ達が迎えに来てくれた。
助かった。迎えに来てくれて本当に嬉しい。そんな気持ちのまま、わたしはガシッとトゥーリに抱きついた。
ゲルダばあちゃんの子守りは面倒を見るのではなくて、危なくないところで放置しておくというような子守り方法だった。おもらししても、濡れた布で拭いて、後は放置。部屋の中が汚物臭い。
日本の常識が頭にこびりついた状態で、ここの子守りの現場を見るのは本当にきつかった。
あれで、子守り代を取るなんてひどすぎる。
ただ、何とかしたくても、わたしの小さい手には余る問題だ。わたしの小さい手で子守りなんて思ったようにはできないし、ゲルダばあちゃんのやり方がここの普通かどうかもわからない。告発したところでわたしの方が変かもしれないのだ。
この劣悪な環境から少しでも早く逃げ出したくて、ひたすら早く迎えが来ることだけを考える時間が苦痛で仕方なかった。
「どうしたの、マイン? 久し振りに預けられたから、寂しかった?」
「マインももうちょっと体力があれば一緒に森へ行けるのにな」
「春には行けるようになればいいな」
トゥーリに頭をポンポンってされて、ラルフやルッツにも慰められて、本気で体力を付けなくてはならないと思い知った。全部体力がないのが悪いんだ。
「そうそう、約束してた草の茎、採ってきたぞ」
籠の中にある茎をガシッと掴んで、ラルフが見せてくれた。その瞬間、ゲルダばあちゃんのことは頭から吹き飛んだ。
ばあちゃんより本だ。紙だ。
「いっぱいだね。嬉しい! あのね、わたしも今日は井戸のところで草をちょっと集めたんだよ」
わたしが胸を張って報告すると、何故か三人に頭を撫でられた。
おまけに、上から目線のルッツに「よく頑張ったな」と生温かい笑顔で褒められた。
ねぇ、わたし、どれだけ働かない子だと思われてるの?
……いや、確かにろくに働いてないけど。
トゥーリに取ってきてもらった小さい籠の中の草と、三人が採ってきてくれた茎の束を交換する。
さぁ、これでパピルスもどき、作っちゃうぞ。