Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (90)
デリアの仕事
「もー! あんたのせいで、あたしが神殿長の部屋を追い出されたのよ! どうしてくれるのっ!」
そう叫びながら、デリアが憤然とした様子で階段を駆け上がってくる。どこから走ってきたのか知らないが、深紅の髪を振り乱し、ぜいぜいと息を切らせながら、デリアがわたしの前に立った。ここ数日は厨房整備のために忙しい日を過ごしていたので、ものすごく久し振りに顔を見たような気がする。
「あんたのせいよ! 勝手に部屋を賜わったくせに、あたしに何にも言わないから、神殿長に能無し扱いされたじゃない! もー!」
部屋をもらったのは着替える場所が欲しかっただけだったし、神官長からちゃんともらったから勝手に部屋を分捕ったわけでもないし、デリアがいつもどこかに行ってしまうから連絡なんてできるわけないし、神殿長に無能扱いされたところでわたしには何の関係もないと思う。
「デリアは一体わたくしにどうしろと言うの?」
「あたしをここに置きなさいよ。側仕えだから当然でしょ?」
「身分をわきまえろ!」
あ、と思った時には止める間もなく、ゴン! とベンノの拳骨が落ちた。デリアは何が起こったのかわからないような顔で、頭を押さえて辺りを見回す。
「デリア、お客様の前で、その態度は良くないわ。叱られて当たり前でしょう?」
「な、なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないのよ!?」
「まだわからないようだな?」
目を細めたベンノが拳を見せると、デリアがぐっと口を噤んだ。ルッツに殴られた事を思い出したのか、ギルも一緒にビクッとする。
「マイン、与えられた仕事が満足にできないヤツは必要ない。やる気がないヤツを雇っておくのは金の無駄だ。即刻切り捨てろ」
不機嫌に吐き捨てたベンノの言葉は、ギルに向かってルッツが言った言葉と一緒で、ルッツがいかにベンノの影響を受けているのかよくわかった。
「あの、フラン。わたくしにはデリアの置かれた状況がよくわからないのだけれど、部屋を追い出されたということは、神殿長に切られたということかしら?」
わたしの言葉が核心を突いてしまったのか、デリアは今にも泣きそうなほど目に涙をいっぱい溜めて、わたしを睨んで、掠れた声で反論した。
「……まだ切られてないもん」
「切られたと断言することはできませんが……」
「そうよね? あたしみたいな可愛い子を切るなんてないわよね?」
デリアが光明を見つけたようにフランの言葉に顔を輝かせた。しかし、フランは表情を変えることなく、デリアに現実を突きつけていく。
「マイン様が部屋を賜った事を知らず、部屋の場所がわからないためマイン様に仕えることもできず、神殿長にとって必要な情報を全く持ち帰ることができなかったデリアが不興を被ったとしても、何の不思議もございません」
「……え?」
信じられないと言わんばかりに見開かれたデリアの表情を歯牙にもかけぬように、フランは淡々と説明を続けた。
真面目なフランは、側仕えとしての仕事をしていないばかりか、仮にも主であるわたしを困らせるだけのデリアに相当腹を立てているようだ。表情が変わらないのが、逆に怒りの深さを感じさせる。
「デリアがマイン様に付けられたのは、同じ年頃の少女ならば、マイン様と仲良くして情報をたくさん手に入れることができるのではないか、という神殿長の思惑があったと伺っております。ここまでわかりやすく敵意を剥き出しにし、マイン様に警戒されているデリアが神殿長にとって期待外れである事は間違いないでしょう」
「そ、そんな……」
デリアが表情を失くした。
部屋まで追い出されるなんて、神殿長に切られた線が濃厚になってきた、と思った次の瞬間、デリアはフランに媚びるような笑みを見せた。
「でもでも、あたしはここの側仕えだし、巫女見習いに女の側仕えがいないなんてあり得ないもの。そうよね?」
次の居場所を確保するために、主であるわたしではなく、側仕えの中で一番発言力がある成人のフランをターゲットにするところがあざとい。
感情を表情に出すことが少ないフランが嫌悪感を剥き出しにしてデリアを睨んだ後、フッと冷たい笑みを浮かべた。
「マイン様はここで生活していらっしゃるわけではないので、身の回りの世話がほとんど必要ありません。この数日、デリアがいなくても全く問題なかったことが、それを証明しております。それに、どうしても必要であれば、孤児院から新しい側仕えを選ぶことが可能でございます」
神官長に付けられた側仕えだから、デリアを外すことはできないと考えていたが、新しく増やすことはできるようだ。わたしが「それはいい考えですわね」とフランに賛同すると、ギュッと唇を噛みしめて、デリアがほたほたと涙を零し始めた。
「……あたしを追い出すの?」
その綺麗過ぎる涙を見て、デリアは本当に男に可愛がられるためにしか生きてきてないんだと理解した。自分が不利な状態になれば、甘えてすがって、涙を見せる。見上げる角度まで完璧だ。幼くても女を武器にすることを知っている。可愛いことを自覚しているって、すごい。麗乃時代にわたしがやったら「気持ち悪い」と足蹴にされかねない技だ。
わたしを今まで散々罵っておきながら、いきなり哀れな雰囲気を出されて、救援を求められても、困る。本音を言えば苛立つけれど、泣いている幼女を追い出すのもかなり鬼畜ではないのか。何とも言えないやりにくさを感じて、重い空気が漂う。
「追い出すも何も、最初からデリアは数に入ってないから心配するな」
デリアが作り上げた同情せざるを得ないずっしりとした空気を、ギルがイイ笑顔で吹き飛ばした。
「な、ななっ!?」
「ここでは仕事をしないヤツには部屋もないし、ご飯も食べちゃダメなんだ。働かざる者食うべからずって言うんだぜ! なぁ、マイン様?」
ちゃんと覚えたんだ、とギルが得意そうな顔で胸を張る。
空気を読んでいないのか、むしろ、読んだのか、わからないが、よくやってくれた。後でいっぱい褒めてやらなければならない。「体力なくて働けないお前が言うな」と呟くベンノは無視だ。無視。
「ギルは頑張ってお仕事したから、お部屋もあるし、お腹いっぱい食べたんですもの。自分のお仕事もしない子にわたくしが与えるものは何もないの」
「わかったわ。仕事をすればいいのね?」
デリアはそう言うと、ベンノの膝にするりと滑らかな動きで座って、にっこりと笑いながら身体を寄せた。
何が起こったのか全くわからず、わたしが目を瞬いていると、ベンノがものすごく嫌そうに顔を引きつらせて、手を振った。
「悪いが、君のような子供に興味はない。下りてくれ」
「ほら、ここには灰色巫女がいないから、お客様の不興を買うのよ」
ベンノの膝から降りながら、デリアはわたしに勝ち誇った笑みを見せる。神殿長の側仕えをしている灰色巫女の仕事を見せつけられたわたしは頭を抱えたくなった。
それは、ベンノも同じだったようで、こめかみを押さえながら不愉快な表情を隠さないままデリアを睨んだ。
「俺は花自体必要ない。ここに花を愛でに来る貴族と一緒にしないでくれ」
「え? そんな、まさか……」
今までのデリアの仕事は、神殿長の愛人となっている側仕えの身の回りの世話と次代の愛人となるために美と教養を磨くこと。そして、神殿長に客が来た時は甘えて笑顔を振りまくことだったらしい。
「わたくしの側仕えには全く必要ないですわね」
「そ、掃除と洗濯はできるわ。神殿長の衣を整える仕事もあったし、この部屋だってちゃんと整えられるもの」
そう言いながら、ギュッとわたしの袖を掴む手に力が籠った。今まで自分がしてきたことが他では通用しないと知ったことで、自分の中の価値観が揺らいでいるのだと思う。媚びた笑顔でもなく、綺麗な嘘泣きでもなく、戸惑ったようにデリアは顔を強張らせて、周りを見回し始めた。しかし、可愛いデリアを助けてあげようとする者はこの場にいない。
部屋を追い出されたデリアが困っているのは本当なのだろう。どうしようか、と助けを求めて、わたしはフランを見上げた。
「反省室で一晩反省すればよいのではないですか? マイン様に不敬を働いたことは事実ですから」
「反省はするわ。これからは、きちんとする。だから……追い出さないで。いらないって言わないで」
うぅ~っ、と泣くのを堪えながらデリアが必死の顔で言い募る。胸を突く切実な響きにわたしが軽く目を見張って周りを見ると、フランとギルもまるで自分がいらないと言われたように痛そうな顔になっていた。
ギルは日常的に反省室に入れられていた問題児だった。フランは神官長付きから外された時に、自分が必要とされていないと思って、傷つき苦しんだ。多分、その記憶が蘇っている。
「フラン。わたくしはデリアがお仕事を真面目にしてくれれば、それでいいのだけれど」
「……マイン様がそうおっしゃるなら」
少しホッとしたようにフランが息を吐いた後、厳しい顔になってデリアに言った。
「ここで受け入れてほしければ、まず、言葉遣いを改めるように。マイン様を主と考えられないような側仕えは必要ない」
「かしこまりました」
デリアが仕事をすると宣言してくれたことで、泣いている幼女を追い出さずに済んだ。わたしは胸を撫で下ろしながら、デリアに尋ねる。
「それで、デリアはどんなお仕事ができるの?」
「この部屋を青色巫女の部屋として整えます。最初はここ!」
デリアがビシッと指差したのは、わたしが二階の物置だと思っていた場所だった。実は、お風呂場兼トイレとして使う場所だったらしい。それらしい道具がなかったので、全く気付かなかった。
「数日の間、時間があったのというのに、道具も準備できていないというのはどういうことですの? お風呂はともかく、トイレはどうしていたんですか?」
「え? 一階にあるから、そこで道具借りて、自分で片付けて……」
「何ですって!? 信じられない! もー! 一階って、側仕えの、しかも、殿方が使うところじゃありませんか。恥を知りなさい!」
言葉遣いが多少変わっても、態度はあんまり変わってない気がするのは、わたしの気のせいでしょうか。
デリアは風呂、トイレの道具に加えて、鏡台や執務机がないと、この部屋に足りない物を次々と指摘し始めた。食事も書き物も全部中央の丸テーブルで済ませているのだが、青色巫女としては失格らしい。
わたしにはここでお風呂に入る予定はないと言っても、入ることがあるかもしれないし、自分のために二階にも準備しろとおっしゃる。
「ベンノさん、お願い」
「任せておけ。……これだけ不足しているんだったら、確かに、巫女の生活を知っている側仕えも必要だな。それに、あの調子で怒られたら、マインももうちょっと貴族の娘らしくなるだろ?」
「うぐぅ……」
そして、デリアは二階の水瓶に水を運び始めた。ここに水を運んでおかないと洗顔や手洗い、トイレの片付けにも困るらしい。か弱いお姫様系かと思えば、愛人目指して熱心に仕事をしていたようなので、デリアは水を運ぶ腕力も体力もやる気もしっかりあった。
「二階に水さえ準備していないなんて、もー!」
デリアが口やかましく独り言に近い文句を言いながら仕事を始めたのを見届けて、フランは厨房へと戻り、ギルは一階の掃除を始めた。
わたしは手を付けずに放置されていたデザートに手を伸ばし、もしゃもしゃと食べながら、ベンノに相談を持ちかける。
「そういえば、先日、神官長に儀式用の青い衣を作るようにと命じられたのですけれど、儀式用って何か特別なのでしょうか?」
「神殿外の者の目に留まる、いわば、晴れ着のようなものなので、見栄えを考えても、普段使いの衣とは全く違うものになります。縁取りの刺繍やそれぞれの家の紋章が……」
途中で言葉を止めて、ハッとしたようにベンノがわたしを見た。
「マイン、お前が儀式に出るのはいつだ? 貴族の儀式用なんてどれだけ日数がかかるか、わからんぞ」
いきなり崩れた言葉遣いから、相当焦っているのがわかる。確かに、機械でパパーッと仕立てられるわけがないので、時間は必須だろう。
「見習いだから多くないとは言われたけど、いつ、どんな儀式があるか、わかりません。フランなら知ってるかな? フラ……ふがっ!?」
フランを呼ぼうとしたら、ベンノに口を塞がれ、視線でベルを示された。そうだった。人を呼ぶにはベルを使うんだ。
わたしがベルを鳴らすと、フランが階段を上がってきた。
「何か御用でしょうか、マイン様?」
「わたくし、神官長から儀式用の衣を仕立てるように言われているのだけれど、その儀式がいつあるのか、フランは御存じかしら?」
「秋に騎士団の要請があれば、それが一番近い儀式になると思われます」
「秋か。一から仕立てるとなると厳しいな……」
貴族の晴れ着を仕立てるとなれば、糸から選ぶのが当然らしい。眉をひそめるベンノに、フランは視線を壁際にある木箱へと向けた。
「儀式用の衣を仕立てるのは、ベンノ様に頂いた布を使うのはいかがでしょうか? とても品が良いので、染めればそのまま使用できると思われます」
「……マインには紋章がないが、それは?」
「工房の紋章のようなものはないのでしょうか?」
「これから作ります!」
ベンノに採寸され、儀式用の衣のデザインをベンノとフランが話し合う間、わたしは一人でニヨニヨと自分の工房の紋章を考えていた。
本とペンとインクからデザインしたわたしの紋章は、フランとベンノに簡素すぎると却下され、添削された。結果的に、紙を作るための木や髪飾りの花も加えられ、ごてごてした印象の紋章に決定した。女性らしい華やかさがあって大変結構、とフランが満足しているので、それで良いことにする。
「マイン様、料理人が我々の夕飯分も作り終わったと申しております」
「そう。では、片付けが終わっているか、よく確認してもらっていいかしら?」
わたしの指示を受けて、厨房のチェックと明日の予定について話をしたフランが料理人を見送った。
「今日はわたくしも帰ります。二人とも着替えてきてちょうだい」
ギルとフランがそそくさと各自の部屋へ着替えに行く。近いうちにルッツがベンノと一緒に仕事で別の街に行くので、側仕えが送り迎えできるように、ただいま練習中なのだ。
わたしも帰宅準備のために青の衣を脱ぐ。帯を解こうとしたら、デリアが憤怒の表情でわたしの前に仁王立ちした。
「何をしていらっしゃるの?」
「見ての通り、着替えですけれど?」
あぁ、一人で脱ぐのはダメだったか、と思いながら、帯からそっと手を離す。お願いしますと腕を上げて、手伝ってくれるのを待とうとしたら、デリアが目を三角にした。
「殿方の前で何ですか!? はしたないっ!」
テーブルに着いたままのベンノをちらりと見て、デリアが怒鳴った。
下に服を着ているし、青の衣を脱ぐだけでそんな怒られ方をすると思っていなかったわたしは首を竦める。
「ご、ごめんなさい? でも、この青いのを脱ぐだけで……」
「自ら脱ぐという行為は狙った殿方を誘惑する時だけ! 他に見せるなんて女の価値が下がります。それくらい知らないとこれから困りますよ。もー!」
「そ、そうですか……」
どうしよう。怒られポイントがずれてる気がする。でも、何か真剣に怒っているようなので、指摘しにくい。
「ベンノ様、ホールでお待ちくださいませ。幼いとはいえ、女性の着替えを見るのはご遠慮ください」
「あぁ、そうだな」
笑いを堪えるように口元を押さえながら、ベンノが下に降りていく。完全に一階に行ったのを確認した後、デリアがわたしの帯を解き、衣を脱がせてくれる。
灰色巫女の身の回りの世話をしていたと言うだけあって、デリアはてきぱきと青の衣を片付け、少しずれた髪飾りを整えてくれた。
「支度が終わりました」
デリアが階下を覗きこんで、そう声をかける。と、同時に下を見たまま固まった。
「何、その服……?」
「マイン様からのご褒美だ」
自慢したくて仕方ないギルの声だけで、胸を張ったドヤ顔が目に浮かぶ。
「ずるいわよ! 平等じゃないわ!」
「これは仕事のご褒美さ。仕事もしてないヤツはもらえねぇよ」
「あんた、何の仕事をしたのよ!?」
「ここの掃除。一人で頑張って掃除したから、ご褒美貰ったんだ。へへん、いいだろう?」
「別に悔しくなんてないわよ!」
しばらくの応酬の後、悔しくて羨ましくて仕方ない顔をしたデリアが涙目の捨て台詞で話を切り上げる。キッとわたしを睨みながら、階段を指差した。
「下でみんながお待ちですわよ。早く行って差し上げたら?」
「一応デリアの分も準備してあるけれど……」
「え?」
デリアは目玉が零れ落ちそうな程目を見開いて、わたしを見た。
「デリアはいらない?」
「あたし、一言もいらないなんて言ってないわ」
わたしはクローゼットに一つだけ残っている布の包みを取り出して、デリアに渡す。触れようとした手を一度引っ込めて、デリアはわたしをちらりと見た。
「……いいんですか?」
「これからも仕事、頑張ってくれるんでしょう?」
「あたしがいないと何もわかっていないんですもの。仕方がないでしょう」
真っ赤な顔で、つーん、と視線を逸らしたデリアは、乱暴な仕草で包みを抱えて、側仕えの部屋へと駆けこんでいった。
「おーい、まだかよ?」
「デリアが着替えているから、もう少し待ってちょうだい」
焦れた様子のギルに声を返しながら、わたしはデリアの部屋のドアを見つめた。着替えるだけにしてはずいぶんと時間がかかっている。いつまでたっても出てこない。
「デリア、まだ?」
ドアを開けると、服を着たデリアが満面の笑顔で、何か歌いながらくるくる回っていた。目が合った瞬間、デリアはスカートの部分をギュッと握って、ふるふると震える。耳まで真っ赤に染めて、わたしを睨んだ。
「か、勝手に開けるんじゃないわよ! もー!」