Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (96)
書字板とカルタ
鍛冶工房を出て、木工の工房へ行く。どちらも職人通りにあるので近い。
3つほど工房を通り過ぎたところにある扉――大樹を背景にのみとのこぎりが交差したデザインが彫りこまれている――を開けて、わたしを抱えたままベンノは中に入って行く。
「ギルベルタ商会のベンノだが、親方はいるか?」
「すみません。親方はいなくて……って、マイン!?」
「あ、ここってジークお兄ちゃんの工房だったんだ?」
店中にいたのは見慣れた顔だった。ルッツの二番目の兄であるジークがベンノに抱き上げられたままのわたしと丁度目の合う位置で、ぽかーんと口を開けている。
「……知り合いか?」
「ルッツのお兄さんです」
ベンノがわたしを下ろすと、そこでやっとジークの視界にルッツの姿も入ったらしい。「……ルッツ、だよな?」と小さく呟いているのが聞こえた。
ルッツはギルベルタ商会で借りている部屋で着替えているので、見習い服を着て、髪を整えた姿をジークは初めて見たに違いない。森に行く普段着で籠を背負っている姿と仕事中のルッツは全然違って見えるのだ。
「ふぅん。ルッツの兄か。……注文したい物があるんだが、いいか?」
「ちょ、ちょっと待っててくれないか? 補佐を呼んでくるから」
ジークが慌てた様子で奥へと駆け込み、少しするとかっちりした体格の男性が出てきた。
「やぁ、ベンノさん。ようこそ。今回は何を作りましょうか?」
「ルッツ」
「はい。これです」
フランのために作っている書字板をルッツが取り出して、テーブルの上に置いた。ベンノはその書字板を指差しながら、注文する。
「これと同じ大きさで、この板の部分を作ってほしい。表にウチの店の紋章を、裏には俺の名前を彫ってくれ」
補佐はメジャーを取り出し、あちらこちらを測りながら、木札に寸法を描きこんでいく。
どの木を使うか、紋章、名前の綴り、字体などを確認しながら、打ち合わせしているのを見ていると、ルッツの様子が気になるのか、奥からジークが出てきた。
「ジークお兄ちゃん、わたしも注文していい?」
「マインが?……別にいいけど?」
「固くて薄い板が欲しいの。大きさはきちんと揃えて、大きさはこれくらいで……」
わたしが手で大きさを作るとジークが慌てたようにメジャーを持ってきた。縦横の大きさをきちんと決めて、厚みも決める。
「同じ物を70枚作って」
「70枚!? そんなにどうするんだ?」
「うふふ~、基本文字35字で『カルタ』作るの」
わたしの側仕え見習いであるギルもデリアもまだ字が読めない。側仕えはフランがしているように書類の手伝いや主の手紙の代筆をすることもあるらしく、読み書きができる事は必要な事らしい。
フランだけにプレゼントをしたら、絶対にギルが拗ねるのは目に見えている。ギルにも何かプレゼントを、と思った時に、楽しく字を覚えるための物が欲しいと思ったのだ。
木の板でカルタを作っておけば、孤児院の子供達も一緒に遊べるだろう。大きくなれば、どうせ覚えさせられる事なのだから、幼いころから遊び感覚で覚えるのが一番だ。
「カルタ? また何か変な物を作るのか?」
「うん、そう。いつまでにできそう?」
「……大きさを揃えて切るだけだからなぁ」
「切るだけじゃダメだよ。表面や角が滑らかになるように、ちゃんと磨いてくれなきゃ」
「あの簪みたいにか?」
わたしが大きく頷くと、ジークはガシガシと頭を掻いた。一つ一つ磨くには時間がかかるだろうけれど、カルタの板はそれほど急ぐものではない。
「他に注文している物ができあがるのが十日くらい先だから、それまでにできればいいよ」
「それなら、余裕だな」
「料金は前に作ってもらった時の倍でどう?」
「それは、ちょっと補佐に聞いてくれよ。俺、料金の事はよくわかんねぇし」
ジークがそう言うと、ベンノとの商談が終わっていたらしい補佐はしばらく話を聞いてたようで、ひょっこりとこちらに顔を出した。
「前に作ってもらったと言うのは?」
「冬の手仕事の時に、ジークに簪を作るのを手伝ってもらったんです。中銅貨1枚で」
「ということは、今回は中銅貨2枚か。……個人に頼むなら、それでも問題はないと思うが、工房に頼むには足りないなぁ」
ニヤニヤと笑いながら補佐はそう言うが、わたしはそんなに鬼畜な値段設定にしたつもりはない。紙を作る時に材木屋で木の値段も知っている。普段、職人に払われる給料も知っている。
ルッツも同じように感じたのだろう。わたしの隣で目を鋭くして、補佐を見つめる。
「工房の手数料を店で扱うのと同じ3割と仮定して、木の原価や職人に払うお金を考えれば、マインが提示したのは、やや余裕があるくらいの妥当な金額だと思います。たった1枚の注文ではなくて、70枚注文ですし」
マインは見た目が洗礼前の子供に見えるから完全に舐めてますね? とルッツがマルクによく似た笑みを浮かべると、補佐が顔を引きつらせた。
「ルッツ! お前、何やってんだ!?」
「仕事だ」
家の中でルッツを怒鳴り付ける時のような声をジークが出した。しかし、ルッツは補佐から視線を外さない。
かなりベンノとマルクにしごかれているようで、ルッツは胸を張って補佐とやり取りしている。去年の今頃は市場の値札くらいしか数字が読めなくて、自分の名前がやっと書けるようになったと喜んでいたルッツの成長が著しい。
「ジークお兄ちゃん、ルッツは補佐の人と商談中だから邪魔しちゃダメだよ。料金のことはよくわからないって言ったのはジークお兄ちゃんでしょ?」
わたしがジークを止めると、ジークは困ったようにわたしとルッツの間に視線を行き来させた。
「マイン……。でも、ルッツが、あんな……」
「ルッツは商人見習いとしてすごく頑張ってるよ。ジークお兄ちゃんが職人として技術を身につけてるように、ルッツは商人としての知識や技術を身につけてるの」
情報伝達が口だけしかないに等しいここで、親から教えられる家業以外の職に就いて、成功する事は滅多にない。多分、家では商人としての職業を否定するだけで、ルッツが仕事している現場を見たのは初めてなのだろう。ジークは何か言いたくても言葉が出てこないような、複雑な顔でルッツを見た。
「ジークお兄ちゃん、ルッツの努力をちょっとでいいから認めてあげて?」
「……」
補佐とルッツが話し合った結果、値段は最初にわたしが提示したもので決定した。
ルッツの成長をニヤニヤと見守っていたベンノが片腕でわたしを抱き上げて、もう片手でわしゃわしゃとルッツの頭を掻き回して、木工の工房を出る。
ベンノの肩越しにきつく眉を寄せたジークが映った。
十日後には、鉄筆とカルタの元になる板ができあがった。もちろん、ベンノが注文した書字板も仕上がった。豪奢な書字板を抱えて、ベンノはご機嫌で蝋の店に行って、蝋を流し込んで完成させる。
「それで、マイン。これはどうやって使うんだ?」
ギルベルタ商会に戻って、ベンノはうきうきとした様子で書字板を取り出した。自分の書字板を抱えたルッツも興味深そうに覗きこんでくる。
「これは出先で覚書をするためのものなんです。この輪に引っ掛かっている鉄筆を使って、この蝋部分に字を書きます。片面は片手で持てる大きさにしてますし、紙と違って板は固いから書きやすいでしょ? インク壺を持つ人が側にいなくても書けるというのが書字板の魅力です」
早速ベンノが手に持った状態で、中に字を書いてみる。鉄筆で細く彫る感じで、白い跡が残った。
「……なるほど。蝋に筆跡が残るんだな」
「はい、閉じてしまえば、石板と違って中の文字が消えることもありません。ただ、覚書のための物だから、帰ってから紙や木札の保管できる物に書き写さなきゃダメなんですけど。書き写した後は、この平たい方で蝋を均せば、また使える……はずです」
わたしが使ったことがあるわけではない。本で読んだだけだ。昔の徴税人が馬に跨ったまま、メモをするのに書字板を使っていた、と。
「中の蝋がボロボロになっても、蝋をこそげて入れかえれば使えます。……これって、商品になりそうですか?」
「……読み書きができる商人や貴族専用だ。客層を考えれば、木工の彫刻ができる工房を押さえて、こんな風に枠を装飾しなければ駄目だな。だが、インクが必要なく、すぐに書けると言うのは便利だ」
自分の名前と店の紋章を撫でながら、ベンノがそう評した。
「売れそうですか?」
「商人には売れると思うが、貴族は微妙だ。側仕えがいて、常にペンとインクを持っているからな。……むしろ側仕えに必要かもしれんな」
「わたしもフランの様子を見て思いつきましたから。側仕えが使うなら、ごてごてした装飾はそれほど必要ないので、値段が押さえられますね」
「よし、権利を買っておこう」
わたしはベンノに権利を売り払う。鉄筆を作る必要がある以上、今のマイン工房で書字板を作るのは不可能だし、今は目先のお金が欲しい。
「ところで、マイン。そっちの板は何に使うんだ?」
バッグの中にバラバラになって入っている板を指差して、ベンノが問いかけた。ここでは袋に入れてくれるようなサービスは無い。マイバッグで持って帰るのが基本だ。カルタが完成したら、片付けやすいように父に箱を作ってもらった方が良いかもしれない。
「これは『カルタ』です。まだ完成してないんですよ。これから書かなきゃいけないんです」
「書く?」
「この半分は絵札で、基本文字とそれを頭文字にする物の絵を書きます。例えば……」
わたしは自分の書字板を開いて、片方に絵札、片方に読み札を即席で作ってみた。「て」の頭文字と鉄筆の絵を描き、もう半分は読み札で「鉄筆。書字板に字を書く時に使うもの」と書いた。
どやっとベンノに見せると、ベンノはものすごく戸惑ったような顔でわたしを見た。
「……もしかして、全部、お前が書くのか?」
「そうですけど?」
カルタを知らない人に任せられるわけがない。ギルへのプレゼントはわたしが仕上げるつもりだ。胸を張ってそう言うと、ルッツが頭を抱えた。
「マイン、別のヤツに任せろ。特に絵。それじゃあ、何を描いているのか、わからないじゃないか。もらったギルが困る」
「お前、字は上手いが、絵は下手だな」
二人の容赦ない言葉に、わたしはグッと息を呑んだ。別にイラストは苦手なわけではない。少なくとも、麗乃時代に下手だと言われた事はない。
「……へ、下手じゃないもん! ちょっとデフォルメされてるから、そう見えるかもしれないけど、前衛的なだけだし! そのうち世間がわたしに追いついてくるから大丈夫」
「何を言っているのかわからんが、事実は認めろ。絵は別のヤツに任せるんだ。いいな?」
……へ、下手じゃないもん。
ベンノとルッツの意見が正しいかどうかわからなかったので、わたしは次の日、神殿の自室で側仕え達に意見を聞いてみた。
「……そんな風にベンノ様に言われたのですけれど」
わたしが自分の書字板に書いた絵を見せながら説明すると、デリアは目を丸くした。
「ベンノ様の言うとおり、とても見られたものではないでしょう? マイン様は絵をご覧になったことがないの?」
「神官長の部屋に行く途中に色々あるから見たことがないわけないだろう? マイン様が苦手なだけだって」
デリアとギルの言葉にぐさりと胸を貫かれて、わたしがフランに視線を向けると、苦しそうにフランが眉を寄せて、少し視線を逸らした。
「……そうですね。実に個性的だと」
礼拝室や門、回廊に置かれた宗教関係の彫像や絵、青色神官の部屋に飾られている美術品ばかりを見て育っている神殿育ちの側仕えの言葉はとても辛辣だった。写実的で繊細な物でなければ、認められないらしい。
「マイン様、絵はヴィルマに任せればいかがでしょう? 彼女は以前にいた青色巫女から絵の手解きを受けていたはずです」
「え? 絵の手解き? 側仕えはそんなこともできるの?」
「……主の求めるものによって、側仕えが必要とされる能力は様々ですから」
孤児達は洗礼を終えると、礼拝室や回廊の掃除、洗濯などの下働きをする灰色見習いとなる。その時の真面目さや機転により、側仕えが自分の後継としての側仕え見習いにするかどうか決めるらしい。
側仕え見習いとなれば、住居が孤児院から貴族区域に移動する。貴族区域で下働きと大して変わらない仕事をしながら、側仕えとなるために必要な事を先輩に叩きこまれる。
「そのため、客人を迎えるための作法だけは側仕えになれば必ず教えられますが、仕える神官や巫女によって、仕事内容が全く違います」
「花を捧げることについて教えられる巫女見習いもいれば、計算に特化した神官見習いもいるということですわ」
ほぅほぅ、と説明を受けたわたしはギルに尋ねる。やはり、プレゼントをもらう立場のギルの意見が一番大事だ。
「ギル、どうする? ヴィルマに頼む?」
「え? オレ? なんで?」
不思議そうなギルにわたしはご褒美の理由を教える。
「……孤児院の子供達に毎日こっそりご飯を持って行ってくれたでしょ? あの子達のために一番頑張ってくれたギルへのご褒美なの」
「ご褒美か。うーん……」
そう言った後、ギルは悩み始めた。
しばらく経つと、何故か、どんどん顔が赤くなっていって、頭を抱えてしまった。「嫌だ。恥ずかしくて言えねぇ」とか呟いている。うー、とか、あー、とか、その場をぐるぐるしながら唸り始めた。
もしかして、ヴィルマに何か楽しい感情でも持っているのだろうか。頼みに行くのが恥ずかしいのだろうか、とわたしが生温かい目でギルの奇行を見守っていると、一大決心したようにギルが顔を上げた。
「……オレ、絵はどっちでもいい。マイン様に時間がないなら、ヴィルマに頼んでも良いけどさ。……字だけはマイン様に書いてほしい。マイン様の字、綺麗だから、その……あの、ぅああぁぁぁ!」
恥ずかしさに耐えきれなかったようで、ギルが一階へと駆け下りていく。バン! と乱暴にドアが閉まった音が大きく響いた。おそらく自分の部屋へ籠って、恥ずかしさに打ち震えているのだろう。
「……マイン様、いかがいたしますか?」
「誰かを褒め慣れてないギルが、照れながら必死に褒めようとしているところがとても可愛かったので、全力で読み札作りに取り掛かりたいと思いました」
「では、絵札はヴィルマに頼みますね」
笑いを堪えるような顔をしているフランの言葉で、絵札はヴィルマに任せることが決まった。
話が一段落したので仕事に動き出そうとしたフランを、わたしは急いで呼びとめる。
「フラン、待って。これをフランに」
「……私に?」
わたしはフラン用の書字板を取り出す。持ちやすい手の大きさに合わせてあるので、大きさは違うけれど、お揃いだ。
「フランは一番お仕事多いでしょう? 側仕えが一人しかいないのに、わたくしが孤児院の院長まで引き受けてしまったから、毎日調整に大変ですよね? とても頑張ってくれていること、本当に感謝しているのよ。ご褒美ですわ」
フランに書字板の使い方を説明して、門のところで困っているフランを見て思いついたのだと言うと、フランが茶色の目を細めて嬉しそうに笑った。
「思いついたからと即座に商品を作ってくださるとは……。マイン様に応えられるよう、私も体調管理を完璧にこなしたいと存じます」
「お願いしますね」
フランがそっと書字板を手に取るのを、デリアが羨ましそうにじとーっとした目で見ているのに気が付いた。相変わらずわかりやすい。
「デリアはこちらよ。デリアは孤児院に行かなかった分、ここでギルがいない間の一階の掃除やフランがいない時の来客対応などを頑張ってくれましたから」
「これは?」
「石板と石筆ですわ。これで字の練習をしてちょうだい。側仕えは主の手紙の代筆もできるようにならなければダメなのでしょう?」
わたしが石板にデリアの名前を書いて渡すと、デリアは食い入るようにその字を見つめる。ギルと違って、デリアは少しくらいの文字は知っているかもしれないと思ったが、もしかしたら、神殿長のところでは全く文字を教えてもらっていなかったのだろうか。
「これがデリアの名前。まずは自分の名前が書けるようにならなくては。ね?」
しばらく時間が立って、ようやく落ち着いたらしいギルが部屋から出てきたので、石筆を渡す。すぐさまデリアとギルが先を争うようにして文字の勉強を始めたので、わたしはギル達のお手本になるように、細心の注意を払って、カルタの字を書き始めた。読み札の内容は、神殿育ちのヴィルマが絵を描きやすいように聖典や神様に関するものばかりだ。
わたしが字を書き、ヴィルマが絵を描いたカルタの完成品を見たベンノは、すぐさま権利を欲しがったけれど、カルタは子供達のためにマイン工房でも作りたいと思っている。
基本はベンノの独占だが、マイン工房でも作ることを盛り込んだ上、アイデア料として利益の3割をもらうことで契約した。これで、カルタが売れる度に少しずつお金が入ってくることになる。
懐具合がマシになったわたしは、知育玩具や娯楽用品が結構売れるかもしれない、と先の事を考えながら軽く安堵の息を吐いた。