Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (98)
星祭り
星祭り当日。
太陽は顔を出しているものの、まだ太陽が夏の暑さを感じさせない早朝。すでに街は祭り特有のざわめきと、人の動きによる熱気が立ち込め、開門前の早い時間にもかかわらず、南門や東門に向かう人の流れができていた。
「母さん、いってきます!」
「マイン、はしゃぎすぎないように気を付けて。ルッツ、いつも悪いけれど、マインを頼むわね」
わたしは迎えに来たルッツと一緒に家を出た。家を出るのはトゥーリも一緒だったが、トゥーリは自分の友人達と一緒にお祭りを楽しむらしいので、別行動だ。ラルフやフェイと一緒に門に向かって駆けて行く。
「じゃあ、マイン。今日は楽しもうね」
「トゥーリもね」
トゥーリやラルフに手を振って分かれた後、わたしとルッツは人の流れに逆らうように神殿に向かった。今日は水遊びができるように普段着だ。
あちらこちらの路地から連れ立った人達が出てきては、楽しそうに目を輝かせて門に向かって歩いていく。みんな濡れることを想定しているようで、お祭りだというのに晴れ着を着ている者はいない。
人の波に逆らいながら中央広場を過ぎて、さらに北へと向かう。その頃には少しずつ人通りが少なくなってきた。開門と同時に森へと向かう人達は、もうみんな門のところへと行ってしまったようだ。
「マインは孤児院で留守番な」
「え? なんで!?」
みんなと一緒に森へ行ってタウの実を拾うつもりだったわたしは、目を丸くしてルッツを見上げた。ルッツは言いにくそうに顔を歪めながら口を開く。
「マインだけを祭りに連れて行くなら、森で2~3個タウを拾って帰ってくるつもりだったんだけどさ。新郎新婦に投げるんじゃなくて、孤児院に戻ってから、みんなで投げ合うことになっただろ? そうしたら、タウの量が必要になる。マインを連れていたら4の鐘が鳴るまでに神殿に戻れねぇよ」
みんなと一緒に遠足気分で森に行くつもりだったわたしは、ルッツの正論に項垂れる。相変わらず足手まといにしかならない我が身が憎い。
慰めるようにポンポンと頭を撫でながら、ルッツは少し声を潜めた。
「それにさ、様子を見に来るヤツがいるかもしれないんだし、院長のマインは孤児院に残っていた方がいいんじゃないか?」
「うっ……。確かに」
神官長や神殿長の側仕えが注意をしに来たり、様子を見に来たりする可能性は高い。もし、神殿長に孤児院がもぬけの殻だと知られてしまったら、わたしだけではなく、許可を出した神官長にも咎めが行くかもしれない。
「お役目があって残ってるヤツもいるんだろ? タウの実はみんなで拾ってくるから、マインも留守番。それができないなら、オレは手伝えない」
「……わかった。留守番してる」
わたし達が神殿に着くとほぼ同時に2の鐘が街中に鳴り響いた。開門の時間だ。
ルッツに先導されたみんなが孤児院の裏口から喋らないように口を押さえて、こそこそと出かけるのをフランと一緒に見送った。門番が笑いだすのを堪えている姿に、つられて笑ってしまいそうになる。
神殿から離れたみんなが声を上げて、門に向かって走り出したのを見たわたしは、羨ましい気持ちを抱えながら自室へと向かい、孤児院に詰めていられるように青の衣へと着替えた。
「デリアは森へ行かなくて良かったの?」
「森に行くのは、あたしが愛人になるために必要ないことですもの。それより、早く字を覚えたいですし」
わたしがあげた石板で先を争うようにして字の練習をしているギルとデリアだが、ギルの方が少しだけ覚えるのが早い。多分カルタを持って行って、孤児院でみんなと遊んでいるせいだと思う。
「今のところギルに負けていますものね?」
「もー! ほんの少しではないですか! すぐに勝ちますわ!」
自主的に居残りをするデリアに料理人の監視を任せて、わたしはフランと一緒に孤児院に向かうことにする。
一階に下りると、タウの実を投げ合う4の鐘までに料理を完成させたいフーゴとエラが鬼気迫る勢いで調理しているのが、開け放たれたドアからちらりと見えた。
「本日の午前中は神殿における儀式についてお話するよう、神官長から言付かっております。マイン様がきっちり覚えるまで、孤児院でタウの実を投げ合うのは禁止、とのことでございます」
「ぅわぁ……」
教育に関しては一切の妥協を許さないらしい神官長はさっそくわたしの教育プログラムを組んだようだ。今日中に覚えることが、結構な量ある。
木札に書かれた内容を見て、げんなりとしてしまうわたしに、「神官長は計算能力や識字能力からこれくらいはできると判断した量を課していらっしゃいます」とフランは言うが、神官長は誤解している。わたしの計算能力は前世の賜物で、識字能力は読書に必須の能力だからこそ頑張れたものだ。神殿の儀式に対する記憶量の基準にされると困る。そんな優秀な頭をしていない。
わたしが回廊をぐるりと回って孤児院に向かっていると、儀式の準備に向かっているのか、初めて顔を見る青色神官とバッタリ顔を合わせた。
「おや、恥知らずにも青をまとった平民ではないか。今日の儀式に子供の出番はないぞ?」
「儀式ではなく、孤児院に詰めて子供達が儀式の邪魔をしないように、とのお役目を神官長より頂いております」
「ほぅ、なるほど。平民には孤児の面倒を見るのがお似合いだな。しっかり励め」
「激励のお言葉、ありがたく存じます」
「フン!」
面白くなさそうに鼻を鳴らして、青色神官が去っていく。わたしも孤児院に向かって歩き始めた。フランが気遣わしげに眉を寄せて、心配そうに呼びかけてくる。
「あの、マイン様。先程の……」
「気にしなくても大丈夫ですわよ、フラン。口で言われるだけなら、平気ですわ。実害は全くないもの」
孤児院に入ると灰色巫女が数人、孤児院に残っていた。花捧げの候補として残されているだけあって、どの子もタイプは違うけれど、顔立ちの整った綺麗な子ばかりだ。
「あら、マイン様。どうかなさったのですか?」
くるりとわたしの方を振り返り、小首を傾げる。その仕草はとても洗練されていて、わたしよりよほどお嬢様らしく見える。
「様子を見に来る人がいた時のために、ここで詰めている予定ですの。貴女達はお役目かしら?」
「いえ、私達は森に行くことにそれほど魅力を感じませんから、残ってスープでも作ろうかと話し合っていたのです」
「まぁ、助かるわ」
灰色巫女の中の一人に見知った顔を見つけた。
明るいオレンジに近い金髪をきっちりと結い上げた10代半ばの少女だ。いや、髪を結い上げている以上、成人しているのだから少女というのはおかしいかもしれない。けれど、少女というのがピッタリくる幼い顔立ちをしている。
「ヴィルマ、先日はカルタの絵を描いてくださってありがとう。とても素敵に仕上がっていたわ」
ヴィルマのいつもにこにこしている明るい茶色の瞳が嬉しそうに細められて、やんわりとした雰囲気をさらに際立たせた。
「私こそ、絵を描かせてくださってありがとうございました。ペンを握ったのも久し振りで、本当に嬉しかったのです。ここの子供達がとても興味深そうに見ておりましたが、孤児院のためのものではなかったのですね」
「あれはわたくしの側仕えに対するご褒美でしたから。ヴィルマが描いてくださるなら、孤児院の子供達のために板を注文することはできますけれど?」
板を準備して、文字を書くくらいなら何とかなるが、周囲の人が揃って止めるくらいわたしのイラストはここの文化の絵と違うらしい。カルタを作るにはヴィルマの協力は必須だ。
「まぁ、ぜひ! ぜひお願いいたします」
ヴィルマが顔を輝かせた。絵を描きたいという熱意と同時に子供達への愛情が溢れている。孤児院の大掃除をした時、一番に子供達の元へと走って綺麗に洗ってくれたのもヴィルマだったはずだ。
わたしが近いうちに孤児院の子供達用のカルタを準備することを約束すると、ヴィルマの隣にいた少女が悲しそうに目を伏せた。
「ヴィルマのように絵を描くことができれば、私もマイン様のお役にたてるのですけれど、……」
「あら、ロジーナは竪琴が得意じゃない」
残念そうに溜息を吐いた大人びた綺麗な顔立ちのロジーナの特技は竪琴らしい。何それ、優雅。
ぜひロジーナの竪琴を聞きたいと思ったけれど、楽器は前の主が持っていたので、今は特技なし状態だと言う。できれば買ってあげたいが、日本でも楽器は基本的に高かった。良い楽器の値段なんて天井知らずに決まっている。
「ねぇ、フラン。竪琴って高いですわよね?」
「ベンノ様に伺った方がよろしいでしょうが、青色巫女の嗜みに音楽は必須でございますよ?」
「マイン様が教養を身に付けられるなら、私達、お役に立てると思いますわ。よろしければ、側仕えにお引き立てくださいませ」
ロジーナは以前ヴィルマと同じ青色巫女見習いに仕えていたらしい。芸術にとても関心を寄せていた巫女見習いで、彼女の側仕えは雑用をこなす灰色神官と芸術を分かち合うための灰色巫女や見習いにくっきり分かれていたらしい。ロジーナ達は歌、楽器、舞踊、詩、絵などの腕を磨く毎日だったそうだ。
……うぬぅ。ピアノは3年くらい習わされたけど、竪琴は全く触ったことないよ。ピアニカやリコーダーなんて、ここにはないよねぇ。
書類整理や神殿に関することだけではなく、教養まで身に付けなければならないとか、今更だが青色巫女見習いになったのは早まった気がする。
「では、マイン様。私達はスープ作りに行ってまいりますね」
ヴィルマ達がスープを作りに行ってしまうと、孤児院の食堂にフランと二人で残されてしまった。
「ねぇ、フラン。ヴィルマを側仕えに入れたいと言ったら、どう思いますか? 神官長は許可してくださるかしら?」
「ヴィルマを? 理由をお伺いしてもよろしいですか?」
フランが少し眉を寄せた。
「ヴィルマは絵が上手でしょう? カルタもそうだけれど、これから先、わたしが作りたいものには絵が必要になるから、他の青色神官に取られる前に確保しておきたいの。それに、成人していて教養がある灰色巫女も必要ではないかと思ったの」
「おそらく許可は出ると思われます。ただ、この孤児院で幼い子供達の世話を一番しているのがヴィルマのようなので、ヴィルマを引き抜いた後の孤児達がどうなるか……」
「そう。今度ヴィルマの意見も聞いて、少し考えてみましょう」
フランから神殿の儀式について講義を受けるうちに、3の鐘が鳴り響いた。その後、外がざわざわと騒がしくなってくる。星結びの儀式のために、新郎新婦が神殿へとやってきたようだ。見に行きたいけれど、行けるわけがない。
そわそわしながらノルマをこなしているうちに4の鐘が鳴り響いた。星結びの儀式が終わったようで、ざわざわとしたざわめきが少しずつ遠くなっていく。
静けさが戻ってから少したつと、裏口からこっそりと子供達が戻ってきた。口を押さえながら、足音をさせないように、階段を上がってくる。
「おかえりなさい、みなさん。タウの実はたくさん採れたかしら?」
「マイン様、しぃーっ!」
喋るな、と言われて、慌てて口を噤む。地階の裏口が閉まった音がして、ルッツが入ってきて、ざっと手を上げた瞬間、みんなが口々に喋り始める。
「いっぱい採って来たよ!」
「籠は全部地階に置いてあるの。先にお昼でしょ?」
「では、手を清めて神の恵みが届くのを待ちましょうね。わたくしも一度部屋に戻りますわ」
ルッツがいるので、回廊を通らず地階を通る。地階にはみんなが拾ってきたタウの実が籠にたくさんあった。
「ルッツ、拾った実を4つもらっていい? 料理人のフーゴとエラは森に行けなかったから、あげたいの」
「あぁ、いいぜ」
タウの実をフランに持ってもらって裏口の方から部屋に戻った。
すでに昼食の準備はできていて、フーゴが外を気にしながら待っていた。フランを通して二人にタウの実を2つずつ渡す。
「本日はお祭りの日というのに、来て頂いてありがとう存じます。これ、少ないですけれど、持っていらして」
「え? わ!? ありがとうございます!」
わたしが厨房に背を向けると同時にフーゴが駆け出すのがわかった。一体どれだけ星祭りを楽しみにしていたのだろうか。そして、誰にあのタウの実をぶつけるつもりなのだろうか。わたしの様子を気にしたように「ちょっと、フーゴさん」とエラが止めている声がしたので、空気を読んでわたしは振り返らず、階段を上がって行った。
自室でデリアに給仕してもらって、ルッツと一緒に昼食だ。
今日の昼食はカッペリーニもどき。できるだけ細く切った生パスタを作ってもらった。トマトとモッツァレラのようにポメソースとなるべく癖のないチーズを選んで、ハーブを添えたものと、バジルソースを目指して植物性の油に塩とハーブとにんにくもどきのリーガで作ったものの二種類を用意してみた。
それから、季節の野菜に蒸し鳥を添えたサラダもある。本当は冷やし素麺が食べたい気分だが、相変わらず和食に使えそうな物は見かけないので仕方ない。
「ルッツはいっぱい働いたからね。たっぷり食べていいよ。ルッツのお陰で、みんな、とても楽しそうだった。ありがとう」
「張り切って探していたぞ。結構奥の方に入り込んだヤツもいて、時間までに戻れなかったらどうしようかと思ったぜ」
「……いいなぁ。わたしもお祭り、見たかった。午前中はフランと一緒にずっと勉強だったし」
森で楽しそうにタウの実を拾っていた様子や神殿に戻ってくる時にタウの実を構えた人達を見た孤児達の感想を聞いていると羨ましく仕方ない。
「なぁ、マイン。ちょっとだけ、祭りを見に行ってみるか?」
「え?」
「もう新郎新婦はいないだろうし、オレ達はタウを投げるわけじゃなくて、街がどんな感じになってるか、見るだけになるけどさ。オレ達の昼飯が終わってから、あいつらがご飯なら、ちょっとは時間があるだろ?」
青色神官の昼食が終わって、側仕えが食べ終わった後で神の恵みが配られるし、灰色神官の中には馬車の準備をする人もいるので、全員が揃ってからのタウ投げには少し時間がある。
「行く! 行きたい!」
青の巫女服から普段着に着替えて、わたしはルッツと一緒に神殿の門から飛び出した。
水浸しの街並みが夏の太陽でキラキラに輝いていた。神殿近くはほとんど濡れていないが、神殿から離れるにつれて、足元がびしょびしょになってくる。夏の太陽でもすぐには乾かないなんて、一体どれだけのタウの実が投げられたのだろうか。
全身ぐしょ濡れで、髪から水滴を滴らせながら子供達が歓声を上げながら走っていくのが見えた。子供達が向かう先からは大騒ぎをしている声が響いてくる。
「行こう、ルッツ!」
「遠くから見るだけにしておけよ」
ルッツの忠告に従って、こそっと建物の陰から覗いてみると、それほど大きくはない路地が大混戦になっていた。敵も味方もなく、とにかく、大声で意味ない言葉を叫びながら、タウの実を投げまくっている。建物と建物の間で大声を発するのだから反響し合って、ものすごい声量だ。
誰も彼もびしょびしょで、夏の薄着をしているお姉さんなんて、身体にぴたりと張り付いて身体の線がくっきりなのは当たり前で、ひどい人なんて完全に透けている。男の人は張り付いた服が煩わしいとばかりに上半裸で走り回っている人も多い。
……うはぁ、サッカーや野球で応援チームの優勝が決まった時の大騒ぎみたい。
「わっ!?」
「ぅえっ!?」
いきなりルッツの声がして、ルッツの頭から水が滴ってきた。パタパタと自分にも冷たい水滴が降りかかってきて、驚いて振り返ると、ルッツの背後に数人の子供達がタウの実を構えているのが見えた。
「ここに全然濡れてねぇヤツらがいるぞ!」
子供達が大声を上げた瞬間、大騒ぎしていた大人数が一斉にこちらを向いた。獲物を見つけた狩人の目の輝きが自分に向けられると、ぞっとするような迫力がある。小さな悲鳴が口から漏れて、全身が縮みあがった。
「逃げるぞ、マイン! できるだけ避けろ!」
「無理!」
そんな機敏な行動を期待されても困る。わたしにできるのは腕を上げて、顔への直撃を防ぐくらいだ。
ルッツがそんなわたしの手を引いて走りながら、こちらに向かって飛んできたタウの実をバシッと手で叩き返した。本当に水風船のようにタウの実が石畳に当たってパンと弾ける。
直撃を免れたわたしはホッとしたが、ルッツが避けたことで、相手の戦闘意欲を煽ってしまったようだ。
「避けたぞ! 生意気な!」
「みんな、やってしまえ!」
「ぅおおおおおおおっ!」
次々と飛んでくるタウの実がパチン! パチン! と自分に当たって弾けていく。当たる感触自体はボヨンとした感じで、当たっても大して痛くないけれど、頭皮を伝い、背筋に流れ込んでくる水滴や背中に命中した実が弾けた水に鳥肌が立つ。
「ぎゃー! 冷たい! 冷たいっ!」
「マイン、とにかく足を動かせ!」
ルッツが払いのけることができたのは最初の一発だけだった。成人も交じっているので、逃げられるわけがない。あっという間に回りこまれて囲まれて、多勢に無勢。
避けることも逃げることもできないまま、お祭りの熱気でナチュラルハイになっている人達からの集中砲火を受けたルッツとわたしは、あっという間にぐっしょぐっしょだ。
「あはは! チビの割には頑張って守ってたんじゃねぇの?」
「将来有望ってヤツだな」
ゲラゲラと笑いながら、最後までわたしを守ろうとしていたルッツに労いの言葉をかけながら、彼らは次の獲物を求めて嵐のように去っていった。
「……ルッツ、これ、絶対に風邪引くよね?」
わたしがポタポタと水の落ちるスカートを摘まみ上げると、プルプルと頭を振って、水滴を飛ばしながら、ルッツも頷いた。
「間違いねぇな。この分じゃ、エーファおばさんにしこたま叱られて、二度と祭りに行かせてもらえなくなるかも」
「……雰囲気はわかった。嫌というほどよくわかった。終わったら確実に熱を出すんじゃ、わたしには向かないお祭りだね」
ぎゅっと髪を絞れば、バタバタバタと音を立てて水が滴り落ちる。あちらこちらを絞りながら、わたしとルッツは神殿に戻る。
北の方はタウの実を投げ合うよりも、その先の食事会に重点が置かれているのか、あちらこちらにある井戸の広場で準備が始まっていた。木箱と木箱の間に板を渡して、即席のテーブルを設置して、あちらこちらの家から料理が運ばれてきている。
「腹が減っていたら、寄るんだけどな」
「さすがにまだ空いてないもんね?」
料理が運ばれ始めたら、タウの実を持って大騒ぎしていた人達も自分達の空腹を思い出すに違いない。
「もー! 何てこと! なんて恰好!? お部屋が汚れるからお風呂の準備ができるまで、外にいてくださる!?」
母に叱られる前にデリアに怒鳴られた。「エーファおばさんより怖いな」とルッツが呟くのに、小さく頷いて同意していると、濡れても良いように森へ行くための古着に着替えたフランが出てきた。
びしょ濡れのわたし達を見て、困ったようにこめかみを押さえる。
「マイン様、孤児達の準備ができたようですから、もうそのまま孤児院へ向かいましょう。デリア、戻ったらすぐにお風呂を使えるように、準備だけは頼みます」
「かしこまりました」
タウの実を投げ合うなんて、美しくない事はできないとデリアが言ったので、デリアはお留守番だ。ギルはとっくに孤児院へ行ってしまったらしい。
「青色神官達が貴族街に向かうための馬車を準備していた灰色神官から連絡がありました。青色神官およびその側仕えは全員貴族街へと向かったため、正門を閉ざしたそうです」
わたし達が裏口の方から孤児院へと向かうと、全員が神官服から古着に着替えて、地階に置いてあったタウの実を外に出していた。
ルッツの指示で2つのチームに分かれて、投げ合うことになり、年齢や男女数を考えながら、フランが適当に分けていく。走り回っても良い範囲を指定して、そこからは外に出ないように約束させる。
「後片付けを必ずすること。それから、大騒ぎしすぎて街の人に不思議がられるようなことにならないように気を付けること。最後に、怪我や喧嘩をしないで楽しむこと。いいですか?」
「はい!」
「じゃあ、タウの実を配るか」
ルッツがいくつかの籠に視線を向けた。こういう時は一番身分が高いことになっているわたしが最初に動かなければならない。
森で春に見たタウの実は親指の第一関節くらいまでの大きさしかなかったのに、籠の中の実は自分の拳よりも大きくなっていた。たっぷりと水分を含んでいるようで、ぷよぷよとしている。
大量にぶつけられていた時はほとんど目を閉じていたので、じっくりとタウの実を見るのは初めてになるのかもしれない。
「わぁ、ホントに大きくなってる」
わたしが上にある実を一つ手に取った瞬間、奉納の時と同じように魔力が吸い取られていく感じがして、それと同時にタウの実がボコボコと泡を立てながら、姿を変え始めた。
「わわっ!?」
「どうした、マイン!?」
「魔力が吸い取られてる!」
水風船のように半透明の赤だったタウの実の中に、ザクロのように硬そうな種が次々と出現して増え始める。
「気持ち悪い! 何これ!?」
「オレが知るかよ!?」
手に持ったまま右往左往しているうちに、薄い赤だった実の色が少しずつ濃くなっていって、実の中は水分より種の方が多くなってきた。ボヨボヨだった皮が硬くなり、中が見えなくなる。
ここまできてやっとわかった。赤い実は以前に見たことがあるトロンベの種に違いない。
「ルッツ、これ、トロンベだ! ナイフを準備して! にょきにょき来るよ!」
「マジか!?」
タウの実を握ったまま、わたしがそう言うと、姿を変えるタウを覗きこんでいたルッツはすぐさま物置としている地階へと駆けこんだ。ナイフや鉈のような刃物が入った籠を引っ張り出しながら、孤児達に指示を飛ばす。
「採集に慣れているヤツ、ナイフを構えろ。高価な紙の材料が出てくる。ひとつ残らず刈れ!」
「はいっ!」
孤児達がナイフに殺到すると同時に、タウの実の硬さが増してきて、だんだん熱を帯びてきた。以前はこの状態で投げたら、トロンベがにょきにょき出てきたはずだ。
「マイン様、準備できたぜ!」
鉈のような刃物を戦隊ヒーローのようにビシッと構えたギルがわたしの隣に立つ。片手にナイフを掴んだルッツが石畳のない草の茂る方を指差した。
「マイン、土のところに投げろ!」
ギルとルッツの声を聞きながら、土のある部分に向かって、わたしは力いっぱいタウの実を投げつけた。
「いっけぇ、にょきにょっ木!」