From Slaying Metal Slimes to Being Called the King of Black Steel e RAW novel - Chapter (178)
第178話 信じられない出来事
三鷹悠真のことなど、今となってはどうでもいいように思えてくる。
【赤の王】に比べれば、黒鎧など
些末
な存在。いてもいなくても戦況が変わるはずがない。
だが、一部の人間から”黒鎧”の力を借りるべきとの声がしつこく聞こえてくる。
――勝手なものだ。もし黒鎧が暴れ出せば、世間の批判は責任者である私に集まるというのに。
岩城は苛立ちを覚えたが、一定の数の学者がかかげる主張を、完全に無視する訳にもいかない。岩城は梶田に対し、静かに諭す。
「梶田先生、お話は分かりました。しかし黒鎧の危険性については、まだ結論が出ておりません。もうしばらくお時間をもらえますか」
岩城の言葉に、梶田は困惑する。
「し、しかし総理! もう時間がありません。緊急事態ですので、所定の手続きや調査は省いてもらいたいのですが……」
食い下がる梶田を見て、岩城は
辟易
した気持ちになる。
同じような主張をする連中は、”黒鎧”という訳の分からない存在に
一縷
の望みを託しているのだろう。
現実がまったく見えていない。岩城がどうしたものかと考えていると、別の学者が声を上げる。
「バカバカしい! ただでさえ危険な状況なのに、余計な危険を増やしてどうするんだ。もっと冷静に考えるべきだろう!」
腕を組んで憤慨していたのは日本ダンジョン協会の主任研究員、八杉だ。
自分と考えが近く、信頼できる八杉が声を上げてくれたことに、岩城は心の中で賞賛を送りたい気分だった。
「黒鎧の恐ろしさは見てきただろう! あんなものに力を借りようなどと、とても学者の意見とは思えん。もっと常識的な判断をしろ!」
専門家会議で議長を務める八杉の言葉に、梶田も口をつぐみ、黙り込んでしまう。
結局、黒鎧の処遇は棚上げされ、既存のプランにそった対応が承認された。
そして翌日の朝―― まだ薄暗い空を、悠然と泳ぐ集団があった。
中国・北京から黄海に入り、東へ進む真紅の竜たち。【赤の王】を先頭に、二百匹以上の竜が灼熱の息を吐きながら空を埋め尽くす。
竜王が進めば熱で大気が揺らめき、直下の海面が蒸発する。
禍々
しい魔力を放ちながら、確実に日本に近づいていた。
◇◇◇
首相官邸。四階にある大会議室には、前日に引き続き政治家や学者、官僚などが集まっていた。
総理の岩城は座ったまま、まっすぐに背筋を伸ばし、腕を組んで瞼を閉じている。竜たちが黄海から東に進んでいると聞いていた。
もはや日本に来るのは間違いないだろう。
問題は竜たちの
目
的
だ
。ただ日本を通過するだけなら被害はないが、人間に対し攻撃してくるなら戦うしかない。
「高倉。このあと、奴らはどこに向かう?」
岩城は瞼を開け、近くに座る防衛大臣の高倉を見た。高倉も深刻な表情のまま視線を返す。
「やはり可能性が高いのは、茨城にある『赤のダンジョン』でしょう。中国でも大きな『赤のダンジョン』に立ち寄り、ダンジョンを破壊して中から数十匹のエンシェント・ドラゴンを解放したと報告にありました。ならば世界で二番目に大きい日本のダンジョンに目をつけるのは必然」
「うむ」
岩城は小さく頷く。ドラゴンの数はさらに増えていた。
ダンジョンから解放された竜たちは近隣の町や村を焼き払ったと聞くが、どれほど被害が広がったかは分かっていない。日本でも同じことが起こるのか?
次に衛星が繋がる頃には、竜の姿は肉眼で視認できるだろう。
あらゆるものを破壊する異常な化物たち。まともに戦えば到底勝てない。
唯一の対抗手段は――
「本当に、なにもしないままでいいんだな?」
岩城が緊張した面持ちで、高倉に尋ねる。
「はい。ロシア、中国はなまじ戦力があるため竜たちを攻撃し、反撃を喰らって被害をより大きくしました。我々は手を出さず、奴らが通り過ぎるのを待ちます」
「茨城の住人の避難は?」
「”赤のダンジョン”周辺の避難はすでに終わっています。関東圏の避難も考えましたが、余計な混乱が生じる可能性もあるため、今は行っておりません」
「そうか」
防衛省や専門家の見立ててでは、【赤の王】は茨城のダンジョンを破壊し、中にいるドラゴンたちを解放するつもりだという。
その後、南米にある世界で三番目に大きな『赤のダンジョン』へ向かう可能性があるとのこと。大人しくしていれば、被害は抑えられるかもしれない。
それが楽観的な考えなのは分かっているが、それ以外取れる手段がなかった。
そして二時間が経った頃――
「おかしい……まだ報告はないのか?」
苛立った岩城が官僚に尋ねる。だが、報告はまったくないとのこと。
どうしたんだ? もう【赤の王】が本土に来てもいい時間だ。日本の海岸線には自衛隊を配備しているため、肉眼で確認できればすぐに報告が入るはずだった。
どうなってる? なにが起きてるんだ?
岩城の疑問の答えが出るのは、その三十分後。通信衛星が繋がり、海外の情報が入ってきてからだ。
「そ、総理!」
官僚の一人が声を張り上げる。全員の視線が会議室の大型スクリーンに集まった。そこに写し出されていたのは、中国政府から送られてきた竜の群れの進路図。
竜たちは黄海から東シナ海を進み、沖縄の西を抜けて太平洋に出ていた。
「に、日本を素通りして南米に向かったようです!!」
官僚の言葉に「おおっ!」と歓声が上がる。大臣たちは立ち上がり、専門家は目を丸くする。
「総理! 信じられませんが、日本は助かったようです。被害を免れました!」
高倉に声をかけられ、岩城は「あ、ああ」と答えた。
確かに信じられない出来事だ。竜たちとの全面対決を想定していただけに、拍子抜けともいえる状況。
だが、被害がまったく出なかったという最高の結果に、岩城だけでなく、この場にいる全員が喜びを分かち合った。
笑顔で握手を交わす者。抱き合って称え合う者。無事であることを噛みしめる者。
岩城も力が抜け、椅子の背もたれに寄りかかる。
これで少しは落ち着けるかと思った時、秘書の波多野が後ろから耳打ちしてきた。
「総理、こうなれば残る問題は”黒鎧”の処分だけです。研究所からは充分毒が効くとの報告も上がっておりますが……」
「ふむ……そうだな」
岩城は逡巡する。【赤の王】の脅威も去り、【黒鎧】もいなくなったとなれば国民も安心するはずだ。
与党の支持基盤が安定するのは間違いない。
それに毒で後腐れなく殺せるのなら、
躊躇
する理由もないだろう。
「分かった。始末しろ。ただし、自然死したと発表するんだ。そうすれば反対派の連中も文句は言えまい」
「分かりました」
秘書の波多野は頭を下げ、静かに退室した。
これで全ての
憂
いが取り除かれる。岩城はそう確信し、満足気に微笑んだ。