Kanna no Kanna RAW novel - chapter (103)
第九十四話 友人に『女性』を感じると緊張するらしいですよ?
ビティス服飾店で衣装の目処が立つと、そこから先は何かと忙しい時間を過ごすことになった。お嬢様だけではなく、他の面子の着る
正装
も必要であったし、その他細々とした用意が多かったのだ。
……とは言ったものの、俺はそれらを気に掛けている場合ではなかった。ご存じの通り、過去にパーティーなどというものに参加したときは、ひたすら育ち盛りの空腹を満たすために高級料理を終始食べ続けた経験しかない。レイギサホウなんて食べ物は知りません。美味しくないのは確実だ。多分苦い。
だが、ファイマの護衛として「知りませんでした」ではマズい。パーティー当日でファイマの傍を固めるのはキスカとランドと決まってはいるが、それ以外が暇になるわけではない。パーティー会場の警備をする兵士たちに混じり、合同で場の全体を監視する役を担うのである。
「なにそれめんどくさい。
ストライキし
ていい?」
「駄目に決まっているだろうが!」
毎度の事ながらアガットに一喝され、会場の警備をするにあたって、貴族に声を掛けられたときの最低限の
作法や言葉遣い
を一通り叩き込まれることとなった。
……とりあえず理解したのは、パーティーの間は『壁の模様』の如く動くな、という事である。有事の時以外は微動だにするなと。
「じゃぁいつパーティーの料理を食べれば良いんだ?」
「たかだか護衛がそんなものを口にする余裕があると思っているのか……」
「えっ、無いんですか?!」
「スケリア殿。貴殿まで
カンナ
のような事を言わないでくれ。……いや待ってくれ、その心の底から絶望したような顔はやめてほしいんだが」
他人のフリして
食べ放題
でもしようかとちらっと考えたが、さすがにバレたらファイマの顔に泥を塗るので自重しよう。アガットがキレそうだしな。
瞬く間に時間は過ぎ、パーティーの当日である。
どうにか
最低限
を覚えることはできたが、仮にファイマの傍で護衛する役割だったらとてもではないがこんな短時間で覚え切れるものではなかった、とはアガットの談だ。俺としては、時間があっても覚えきれるかどうかは不安だ。
唯一の心配は、美味そうな料理が並ぶ光景を前に我慢できるかどうかだ。昼飯を大盛りで食べて食欲を無くしておくとしよう。
今更だが、この前装備を新調したのは正解だった。穴が空いたり傷が多い防具では見栄えが悪すぎたが、現在はミスリル製の胸当てに脚甲。そして重魔鉱製の手甲。手甲の方は古くに作られたものだが、武具屋のオヤジが磨き上げてくれたおかげで新品同然の光沢を放っている。これに幻竜騎士団のマントを羽織ればパーティーに出るのは問題ない仕上がりだ。
ランドとキスカはパーティーに着ていく正装をビティス服飾店に用意してもらった。キスカは女性だが護衛としての本分があるために、スカートではなく動きを重視したランドと同じ造りの正装を頼んだようだ。アガットは基本的には普段通りの装備だが、そのままだとパーティーの空気にそぐわないので上から上等な質の外套を羽織って誤魔化していた。顔が良いので、その程度で問題ないのだ。爆発しろ。
カクルドとスケリアに至ってはディアガル帝国の兵士として正装を元々持っていたのでこちらも問題なしだ。貴族を相手に粗相がないよう訓練も受けているのだ。
「……料理が私を待っている(ぼそり)」
とある人物の呟きはあえてスルーしておこう。
一通りの準備が終われば、馬車の到着を待つばかりだ。
会場へ向かうための馬車は通常なら自前で手配するのだが、ファイマは国賓であり外国から来日したお嬢様だ。よって、馬車はドリスト家が用意し当日に迎えにくる手筈になっていた。
着替え
で遅くなっているファイマやそれを待っているランド達よりも一足先に、俺とアガットは皇居の玄関口の近くで馬車が来るのを待っていた。
「毎度思うんだが、女性の
支度
ってぇのはどうしてこうも時間がかかるんだろうか」
着替えにしても買い物にしても、女性が男性と比べて長く時間を要するのは現実世界も幻想世界も大差ない。一種の精神鍛錬の時間だな。
「女友達と服を一緒に買いに行くと、衣装合わせでその都度に感想を聞かれるんだがさ。似合うのは間違いないんだが「似合う」だけ言ってると確実に機嫌を損ねるのよな。や、確かにそれだけだったら確かにいい気がしないのは分かる。けど五着、六着と見せられるとさすがに褒め言葉が無くなるのを理解してほしい」
何気ない会話をアガットに振ったのだが反応がない。首を傾げて彼の顔を見ると、眉間にしわを寄せて黙り込んでた。機嫌が悪い、という感じではなく、悩んでいるようだった。
「なにさ、今の話を聞いて、女関連の嫌な事でも思い出したか?」
「……いや、貴様にレアル殿以外の女性の知り合いがいると聞いて少し驚いてな」
「人を何だと思ってるんだおいこら。女性の友達とか普通にいるわ」
世界は違うけど。
「そーゆーおまえさんこそどうなんよ。
お嬢様
とキスカ以外に女性の知り合いとかいるんか? ってぇか彼女とかいるのか?」
や、そりゃこのイケメンフェイスだ。
故郷
に帰れば恋人の一人や二人はいるだろう。掴み取りだろう。爆発しろ。
僻みが九割、興味が一割の発言だったが、アガットが口にしたのは俺の予想を超えた内容だった。
「………………ない」
「……?」
「だから、女性の知り合いなど、仕事の仲間以外は一人もいない」
……………………。
「嘘つくなよ、そのイケメンフェイスで。あ、もしかして友達はいないけど恋人はいるってオチか?」
幼い頃に結婚の約束をした許嫁とかいそうだな。
「だから、特別に親しい女性は居ない。仕事仲間にも、それ以外にも。
恋愛
に
現
を抜かしている暇があれば、お嬢様をお守りするための鍛錬に時間を費やしていた」
言葉だけを取り上げればいつも通りの真面目な内容なのだが、それを口にするアガットの切実な表情が何とも言えなかった。
大方、持ち前の生真面目さが原因で女の方も取っつきにくかったのだろう。「同衾は結婚してから」と真顔で言いそうだし。
「なぁ、聞かせてくれ。田舎では男性と女性が一緒に買い物に行くのは当たり前のことなのか?」
「……当たり前かはともかく、俺の地元じゃあるぞ」
「そうか……田舎は進んでいるのだな」
ちょっとおかしい。そのセリフ、普通は逆ですよ。
そういえば、こいつは委員長気質であると同時に
純情
さんだった。以前にファイマの『胸』を言葉にしようとしたとき、真っ赤になって最後まで言えなかったのを思い出す。
(……いやいや、まさか)
嫌な予感を覚えた俺は、ふと興味本位で聞いてみる。
「なぁアガット。子供ってどうやって作るか知ってるか?」
若い男性に聞くにはあまりにも愚問すぎる問いかけだ。アガットに負けず劣らずピュアでヘタレな
有月
だってこのぐらいは知っている。
「なにを馬鹿なことを……」
案の定、アガットは怪訝な表情を見せる。変な質問で彼の気に障ったかもしれないが、俺の心配事が一つ減るなら安いものだ。
「結婚した男女が初めて閨を共にしたときーー」
どうやら俺の杞憂だったようだ。相変わらずお堅い内容だがーー。
「ーー『神の祝福』が妻である女性に新たな命を吹き込むのだろう?」
なんか思っていた答えと違くない?
「『神の祝福』ってなんぞ?」
「……そうか。貴様は宗教すら知らなかった田舎者だったな」
しょうがない奴だな、とアガットはヤレヤレと首を振るが俺が知りたいのはそこでは無い。
「『死により肉体から離れた魂は、神の手によって『天の世界』に送られる。そして『天の世界』で神の科す試練を全うした者が『神の祝福』を与えられ、再びこの世界で新たな命として誕生する』……これが『天神教』の教えだ」
天神教ーーこの世界で唯一信奉されている宗教だったな。旅の最中でファイマに存在は教わっていたが、詳しい内容までは知らなかった。アガットが今説明した『生命』のあり方は、現実世界にある『輪廻転生』に近いな。や、ここで教養が増えたのは良いことかもしれないがそれよりも気にする点がある。
「結婚した夫婦が初めて閨を共にする……だったな」
「だからそう言っているだろう」
「……具体的になにをするかは?」
「………………?」
大人の階段を昇るどころか、その階段すら知らないご様子である。
嫌な予感が的中してしまい、俺は頭を抱えたくなった。女の子から騒がれそうなイケメンなのに、性に関しては子供並とかアンバランスにも程がある。ニッチにしても需要あるかこんなキャラ。
アガットの行く末を心配し始めていると、正装姿のランドがやってきた。
「待たせたな。お嬢様の準備が整った……どうしたカンナ君、頭を抱えて」
「……オッサン、後で大事な話がある」
俺は自分でも珍しいと思えるほどに真剣な目をランドに向けた。只ならぬ気配を感じたのか、ランドは訳も分からずとも頷いた。後でアガットの性教育に関してしっかりと話し合わなければならない。
パーティーの会場にすら着いていないのにどっと気疲れが押し寄せてきた。俺の周囲に真面目でマトモなキャラはいないのか。
「……で、我らがお嬢様はどちらだ?」
「もうすぐだ。ほら、来たぞ」
ランドの言葉に皇居の内部へと顔を向けると、周囲を護衛に囲まれたお嬢様が姿を現した。
「お待たせ、二人とも」
己のことで忙しかった俺はこのとき初めてファイマのドレス姿を目の当たりにし、目を奪われ言葉を失った。
元々が掛け値無しの美少女だったが、普段の彼女は『女性』よりも『友人』としての意識が強かった。たまに女性的な要素を意識する程度だったが、現実世界で美咲や彩菜と一緒にいるときと同じ気持ちだ。
だが、艶やかな紅のドレスを纏う今のファイマに、俺は強烈な『女』を感じていた。女性としての色香を発揮しつつ、必要以上の露出を控えた衣装が彼女の『美しさ』をさらに演出している。
「えっと……カンナは初めて見るわよね。……どうかな、変じゃないかしら、この格好?」
ファイマが若干上目遣いで聞いてくる。俺は胸の高鳴りを悟られないように、努めて冷静に答えた。
「……間違いなく似合ってるから安心しろ」
ビティス服飾店は、三日という短時間で見事期待に応えてくれたのだ。今度時間があればお礼を言いに行こう。
「そっか……よかった」
微笑んだファイマの頬は赤みを増していた。
しかし、本当にドレスを着たファイマは綺麗だ。
まるで物語に出てくるような
お姫様
のようだ。柄にもないが、俺は彼女に見惚れていた。これじゃ初心な子供の反応だ。俺もアガットのことをとやかくは言えないかもしれない。
や、あそこまで深刻ではないか。
「ねぇねぇ、一緒に来たのに、二人の世界に入っちゃってるんですけど。私たち、まるで空気じゃない? 背景じゃない? むしろ壁? ……誰が貧乳かッ」
「落ち着いてくださいキスカ殿。誰もそんなことを言っていませんから。自分としてはキスカ殿も十分に魅力的ですよ」
「スケリアの言うとおりですよ。それに、ファルマリアス様の着飾った姿にカンナ殿が心を奪われるのも無理からぬ事だと、私は思いますよ」
……ごめん、途中から完全に忘れてたよおまえさんら。
カクルドとスケリアはさほど変わらず普段の鎧姿。
キスカは前もって知らされていたとおりに男性物の正装を来ていた。中性的に整った顔立ちも相まって、ファイマとはまた違った方向で魅力が際立っていた。確かに似合っている。
それから少ししてようやく馬車が到着し、俺たちはパーティー会場であるドリスト家へと向かったのである。