Kanna no Kanna RAW novel - chapter (106)
第九十七話 見栄やプライドは遠投しております
熱烈すぎて冗談抜きに焼け死にそうな
求愛
を受けた俺は、どんよりとした空気を背負いながらパーティー会場への道を戻る。もしかしたら、この世界に召喚されてから一位、二位を争うほどの危機的状況に陥ったのではないだろうか。
厄介の度合いを考えれば、『あの腹黒姫』と並び立つほど。憂鬱にならない方がおかしい。
……アレ? もしかして、幻想世界で面識のある『胸の慎ましやか』な女性って、マトモな人がいなくね?
先ほどのシュライアは断崖絶壁。『腹黒』は美乳ではなく、あるのか無いのかはっきりした方が需要が出てきそうな『微乳』。敵ではないが、何かと油断にならない言動が目立つもキスカも貧しいし。
…………今後は、乳の少ない人と出会ったら警戒心を強めた方がいいのかもしれないな。
ん? と言うことは、味方=巨乳?
ガチでシリアスな命がけパートを乗り越えれば、いつものようにお馬鹿丸出しの考えに至る俺である。あるいは現実逃避とも言うが、気持ちは幾分かだが上向きになった。まだ会場警備の仕事は続くのだし、いつまでも重い空気を発しているわけにも行くまい。
警備としては、シュライアという超危険人物がパーティー会場に潜り込んでいた事実を警備責任者に報告しなければならないだろう。だが俺は判断に迷ってしまう。
シュライアの存在を伝えたところで、パーティー会場を含むこの屋敷に彼女に対抗できる実力者が果たして存在しているのか。招待客の何人かは、おそらく護衛として冒険者を雇っているだろう。貴族の護衛は、決まりこそ無いがBランクから受注するのが通例となっている。『不意打ち特価』でCランクの俺よりも確実に腕利きだろう。
AランクとBランクの間に大きな隔たりがあるのはよく聞く話だ。片方は『元』と付くが、Aランクの知り合いが二人もいるだけあり、両者の実力の一端を肌で感じている。仮に
Bランク冒険者
が束になってかかったとして、『天剣』の異名を持つ
あの危険人物
に対抗できるかどうか。
シュライアは自分から無差別に喧嘩を売りはしないが、売られた喧嘩は特売で買いたたいて破産させるタイプだと俺は見ている。下手に刺激をして逆上されればどのような惨劇が起こるのか、想像するだけでも恐ろしい。
……と、不安材料を並べれば最悪の展開ばかり予想できてしまうが、逆に今日に限ればそれほどシュライアを危険視する必要はないとも考えていた。
「だって、あんな去り方で数分後に再会とか、恥ずかしすぎるもんな」
あれだけ『男前』な台詞を残していながら、その直後に会場内で高級料理を貪っているとは思えない。おそらく、シュライアは既にこの屋敷から抜け出しているだろう。
俺ほど見栄や
誇り
を投げ捨てていなければ、の話ではあるがな!
「……誰に向かって自慢げに宣言しているのだろうか、俺は」
ただ、考えなければならないことが増えたのは間違いなかった。
ーー
大いなる祝福
。
ライトノベルに出てきそうな組織だが、俺がこの世界にいる事実そのものがラノベ展開なので仕方がない。
毎度思うのだが、この世界は人の『幻想』を具現化したような世界だな。だからこそ俺はこの異世界を『幻想世界』と呼称している。
だが、俺が今まさに二本の足で踏みしめているこの世界は、今の俺にとっては紛れもない『現実(リアル)』だ。RPGのように、何も考えずに用意された筋書きをなぞるだけでは
生き残る事
は不可能。
彼女
は『結社』と呼んでいたが、そう呼称するに値する規模を持った組織と見て間違いないだろう。鉱山事件の時、魔獣の召喚を行っていた大型術式の側にはシュライアの他にもう一人魔術士がいたのを覚えている。あの男も結社の一員と考えるのが妥当だ。
規模も目的も、名前以外は不明な組織だ。堅気の人間にとってはあまり好ましくない集団なのは確実だ。鉱山事件で結社が何を狙っていたのかは未だに不明。それでも、俺があの場に乱入しなければ、ゴブリンの討伐に赴いた冒険者と騎士団は壊滅状態に追い込まれていたとレアルが断言していた。
「頭脳労働は俺の役割じゃないってのに……」
シュライアの言葉を信じるなら、結社の存在を知るのは極少数だと考えられる。下手をすれば、名を知っているだけで目を付けられる程度には危険な組織だろう。
現時点で相談できる対象は、レアルはまず問題ないか。クロエはちょいちょい残念なところはあるが、信頼度の点で言えばレアルを除いて一番だ。ただ、天剣レベルを相手に考えると武力の面で不安が残る。それでも、俺の身近にいるという事を考えると、伝えておかなければならない。
後は……ファイマに関してか。
彼女の頭脳を頼りたいという気持ちは捨てきれないが、下手に巻き込んでファイマを危機に晒しては本末転倒もいいところ。今はパーティー会場で着飾った美女を演出しているが、正体は知的好奇心の塊だ。『秘密』結社に興味を持ったら、危険を承知で調べ始めるかもしれない。かといって、何も教えないわけにもいかない。
ここはなにかと経験豊富であるランドに伝えておくのが無難だろう。彼ならファイマの身を第一に考えた判断を下せる。
この短時間で考えられるのはこれが限度だ。深く考えるのはパーティーが終わり、宿泊先である皇居の客間に戻ってからでいいだろう。
思考に区切りをつけた俺は会場に戻った。
道案内にしては時間を要したが、問題なく会場の警備に復帰する事ができた。案内で配置を離れる事を伝えていた警備の者には「もしかして『コレ』か?」と握った中指と薬指の間に親指を挟む、少しばかり下品な仕草を見せられたが、俺は苦笑しながら否定するしかなかった。俺が彼女に『差し込む』というよりかは、彼女が俺の心臓を『突き破る』寸前でした、とはさすがに言えない。
いくら絶世の美女であっても、触れたら細切れにされそうな女は御免被る。断崖絶壁なので俺のタイプではないし。
どうせ一緒に『しけ込む』のなら、ファイマのような豊満な乳をした女性を求める。……さすがに護衛対象を相手に『そういうこと』を想像するのは失礼すぎるか。
だからといってではないが、俺は彼女の安全を確認するためにファイマの姿を探した。
人が密集しているだけあって気配探知があっても時間を少し要したが、彼女の姿を無事に確認できた。断崖絶壁と正面から相対していたからか、殊更にファイマの豊かさが目に眩しい。
……と、しばらく彼女を目で追っていると、不意にファイマの表情が盛大にひきつった。遠目から見ても目元がピクピクしてる。何事かと、俺はファイマの視線の先を追うと。
「んげっ……マジかよ」
俺もファイマと同じく表情筋がヒキツったのを自覚した。
なんと、ファイマと町中で遭遇する切っ掛けを生んだと言えなくもない、あのチャラ男貴族が会場内にいたからだ。
詳しくは聞いていないが、そこそこの権力者と繋がりがあると言っていたな。本人の父親も皇居勤めのエリートだとか。その関係でパーティーに招待されたのか。俺が氷の礫で陥没させた鼻は、元の端正な形を取り戻していた。金に物を言わせ、優秀な治療術士にでも魔術を掛けて貰ったのだろう。
チャラ男は最初に驚き、次に笑みを浮かべた。軽い女ならそれだけでコロっといってしまう程度には整ったスマイルだ。奴は僅かばかり視線を巡らせると、改めてファイマへと視線を送る。
ファイマの方に横目で視線を送ると、彼女はどうにか笑顔を取り繕っていたが表情が硬直し、汗をだらだらと流していた。完全に頭の中が
混乱
し、躯が停止してしまっている。コレが場慣れしている彩菜だったら、表情を一切変えず自然な仕草で目を逸らし、何食わぬ顔でその場から去るのだが、それをファイマに求めるのは酷か。
チャラ男は付近を通りがかった
給仕
から、彼が片手の盆に乗せていた二つのグラスを受け取る。飲み物が注がれたそれらを手にファイマの元へ向かう。彼女と話をするつもりだろう。
招待客として招かれている以上、チャラ男にもファイマにも立場があるのは互いに承知しているはずだ。チャラ男が浅慮だったとしても、
先日の騒動
を持ち出すとは考えにくい。奴がファイマに強く言い寄った件も露出する恐れがあるからだ。
(それでも、ちょいと警戒はしておいた方がいいな)
直衛の二人
がいるので容易く問題が起こるとは考えにくいが、これも護衛の役割だ。
チャラ男はファイマの傍まで来ると、手に持っていたグラスの片割れを彼女に差し出した。チャラ男を目前にしてようやく
思考停止
から
復活
を果たしたファイマは、どうにか笑みを浮かべてぎこちない動作ながら差し出されたグラスを受け取った。
チャラ男は彼女の手に渡ったグラスに己のモノを軽くぶつけると、注がれていた飲料を口に含んだ。それに釣られるようにして、ファイマも同じくグラスに口を付けた。
会場内の賑やかさもあり、この距離ではさすがに二人の会話は聞き取れない。キスカとランドの表情に余り変化が見られないことから、交わされている言葉の内容にそれほど危ない要素は含まれていないのか。
しかし、だったらなぜファイマと会話をしようなどと思い至ったのか。虚仮にされたら手下を大量に引き連れて女一人を追い回すような輩だ。俺が思わず警戒してしまう程度に短気ならば、貴族主催のパーティー内であってもなにかしらの行動を起こすと思っていたのだが。
や、俺の考え過ぎなら、それはそれで問題ない。護衛の仕事なんて、暇を持て余すぐらいがちょうどいいのだ。
ただ、妙に
引っかかる
。
一抹の不安を拭えないまま、俺はファイマとチャラ男の同行を観察し続ける。すると、俺はファイマの様子がおかしい事に気が付いた。
彼女の頬が、チャラ男との会話前に比べてかなり赤く染まっていたのだ。チャラ男から受け取ったグラスの中身が酒の類なら、単にアルコールに酔ったのだと考えるのが妥当だ。ただ、同じモノを飲んだはずのチャラ男はそれほど酔っている風には見えない。
もしや、ファイマは酒に弱いのか? そんな話は聞かされていないが。
(………………?)
一瞬だが、それまで爽やかな笑みを浮かべていたチャラ男の気配に『濁り』が生じた。注意しなければ気のせいと判断してしまいそうなほどの些細な変化だ。
チャラ男はファイマから視線を外して会場内に巡らした。そして、ある一点に目が止まると微かにだが首を縦に動かしたように見えた。
言いしれぬ警戒心が胸の内で強まる中、チャラ男がファイマを気遣うような表情を見せると、彼女のグラスを持っていた方の手に軽く触れた。
ーーファイマの躯がぐらりと揺れ動く。
まるで緊張していた糸がぷつりと切れ落ちるように、力なく崩れ落ちた。ランドとキスカは咄嗟に駆け寄るも、彼女は床に倒れる前にチャラ男に支えられて事なきを得た。ご丁寧に、思わず手から放れたグラスもチャラ男が彼女の手を握りしっかりと確保していた。
ファイマは目を瞑り、苦しげな表情を浮かべている。慣れない
環境
で心労が溜まり、酔いが一気に回って体調を崩したのかもしれない。
ランドは恭しくチャラ男に頭を下げ、キスカはファイマの身柄を受け取ろうと彼女に近づく。だがどうしてか、チャラ男は近づくキスカに手を『待った』の形で制した。
俺の脳味噌がこの瞬間からフル回転を開始する。
(なるほど……ね)
先ほどから感じていた違和感や不快感にようやく確信が持てた。
ここからの話の流れは予想できる。
ならばとれる手段は……。
チャラ男が口を開くと、ファイマを抱えたまま躯を反転させ、会場の出口へ足を向けた。おそらく、体調を崩したファイマをどこかで休ませたいから、チャラ男が直々に休める場所に連れて行こうという話になっている。
一見して紳士的な態度ではあるが、年頃の女性を異国の男性に任せるのはまずすぎる。去ろうとするチャラ男を追おうとする二人だが、そこに
偶然
にも別の男性貴族が通りかかる。十字の交差点で真横から車両が突っ込んでくるような形だ。しかも、その貴族は運悪く手に飲料が注がれたグラスが握られていた。
ファイマの元へたどり着くことに意識を傾けすぎた二人と通りかかった貴族がぶつかる。衝撃でグラスの中身が零れて飛沫となり、避けきれなかった二人の正装に染みを作ってしまう。
貴族の男性は大いに慌て、二人に向けて頭を下げるが、キスカとランドはそれどころではない。しかし、貴族が謝罪している状況を無下に出来ずに立ち往生してしまう。その間にも、ファイマを抱えたチャラ男は会場の出口へと向かってしまう。
いよいよ強引に貴族を押しのけてチャラ男の後を追おうと二人だったが、
既に
動き始めている俺と目が合う。
アガット達はここから少し離れた場所に配置されているため、ファイマの異変を察知できていないはずだ。ならば、俺が動くしかない。
意志を込めた視線で見据えると、二人は『頼む』という表情で頷きを返した。
俺は、会場を出ようとするチャラ男の後を追うのだった。