Kanna no Kanna RAW novel - chapter (108)
第九十九話 お嬢様はエレクトリックで俺はスパーキングかもしれない
自分でしでかした結果だがあまりにも哀れなチャラ男の亡骸(死んでない)から目を背けると、部屋に備え付けてあるソファーに横たえられたファイマの姿を見つけた。大慌てで彼女の元に駆け寄り、ひざを折る。
室内に光源は無く、窓から差し込む星明かりだけだ。顔色の善し悪しは判断できないが、目を閉じているその表情が優れないのは見て取れた。呼吸も少し荒い。が、幸いと言うべきか、衣服に乱れはなくチャラ男に乱暴された形跡はない。その点に関してだけは安堵する。
「おい、ファイマ」
俺の呼びかけに対して彼女からの明確な返答はなかったが、声にならない呻きが唇の間から漏れた。どうやら意識はあるらしい。
それから少しだけ待つと、彼女はやがてうっすらと瞼を開いた。
「……カンナ?」
「おう、カンナだよ。気分はどうだ。気持ち悪くはないか?」
「……………………」
譫言のように俺の名を呟いてから、彼女はボンヤリトした眼差しでこちらの顔をのぞき込んでくる。彼女の揺れる瞳と視線が絡むと、俺は己の胸が高鳴るの感じた。
繰り返しになるが、元々の素材が良い上に今夜の彼女は麗しいドレスで身を飾っており、美女度が普段よりも割り増しだ。まさしく手が触れ合う距離で見つめられると、たとえその気が無くともドキリとしてしまう。
(……っと、いかんいかん)
気持ちを落ち着かせていると、不意に人肌が頬に触れた。
ファイマの方に再度目をやると、彼女はそっと俺の頬に手を伸ばしていた。どうしてか、彼女の手は驚くほどの熱を持っていた。俺は反射的に頬に触れている彼女の手を握ってしまう。
「ーーァァッッッッ!」
俺がファイマの手に触れた途端、彼女の躯がビクリと跳ね上がった。何かを堪えるように目を瞑ると、強引に押し殺したような悲鳴を上げた。
「ちょっ、大丈夫かっ!?」
唐突な変化に慌てた俺はファイマの肩に手を置く。すると、彼女の躯が跳ね上がり、飛び出そうな悲鳴を必死で堪えるように口を噤む。どう考えても尋常な様子ではない。やはり、チャラ男に飲まされた飲料が原因だろう。だとしても、今の彼女が果たしてどのような状態なのか、素人の俺には判断できない。当のチャラ男は尻に氷の『ナニ』をぶっさされて気絶中だ。これでは話を聞くことはできない。
(……や、ちょい待てよ?)
苦しげに目を瞑っているファイマから漂う気配に、既視感が頭の中を
過
ぎった。
ただ、
既視感
の正体を思い出すよりも早く、扉の外から複数の足音が聞こえてきた。
「ナイスタイミングだっ」
遠くから近づいてきた二人分の気配は扉の前を通り過ぎそのまま離れていってしまいそうになる。俺は急いで部屋の入り口に向かい、扉を開いて二人に声をかけた。
「おっさんッ、キスカッ、こっちだ!」
俺の声に、部屋を通り過ぎていた二人が振り返った。チャラ男の仲間が行った引き留めの工作を振り切ってきたのだろう。
「お嬢様は無事か!」
「貞操は無事だが様子がおかしい。たぶんチャラ男に変なモノを飲まされてる」
「キスカっ」
「了解、すぐに診てみます」
部屋に入るなり、ランドの指示でキスカはソファーで横になっているファイマの元に駆け寄った。護衛メンバーの中で医療に対して一番深い知識を持っているのはキスカなのだ。ここは彼女に任せておくしかない。
ランドは忌々しげに尻が氷でアレになっているチャラ男を睨みつけた。
「……国賓扱いされているから大きな問題は起きないと思っていた、というのは言い訳に他なら無いな。まさかここまで大胆に不貞を働こうとする不届き者がいたとは」
「そりゃぁ、国賓待遇のお嬢様を、
人気
のないところに連れ込んであれやこれやしようとする馬鹿野郎がいるとは誰も思わねぇだろうよ。しかもこの国の貴族様が主催するパーティーでな」
「だが、この不届き者がグラスを受け取ってからその中に何かを混入させる素振りは一切見せなかった。もし魔術的な仕掛けを施していたとすればお嬢様が気づかないはずがない」
俺の見解ではあるが、チャラ男が仕掛けたであろう策の内容を簡潔に説明する。そのついでに、ファイマとチャラ男の間に起こった町での騒動を伝えた。ランドも騒動そのものはファイマから聞かされていたが、その騒動の当事者がチャラ男である事実はさすがに知らなかった。ファイマもそうだろうが、俺もまさかあのチャラ男が今回のパーティーに参会しているとは予想だにしていなかったからな。
話を聞いたランドは肩を落とした。
「……少し頭を巡らせれば察知できる程度の仕掛けだな。なるほど、グラスを運んだウェイターとぶつかってきた貴族もか。咄嗟の事態に動揺し、この程度を看破できなかったとは、私もまだまだ未熟だな。君が迅速に対応してくれなければ最悪の事態が起こっていたかもしれん。カンナ君、礼を言う」
ランドは恭しく頭を下げてくるが、俺は手を振って軽く答えた。
「こいつも護衛としての仕事だ。それに、礼の言葉はお嬢様の容態を確認してからでも遅くは無いだろ」
俺とランドはファイマの様子を見ているキスカに目を向けた。
「どうだキスカ。何か分かったか?」
ランドの問いかけにキスカは振り向く。
「え、ええ。一応は……ですが」
「微妙に歯切れが悪いな。まさかヤバめの薬でも盛られてたか?」
「あ、いえ。確かに薬を飲まされたのは間違いありませんが、命に別状があるような代物では無いと思います」
それを聞いた俺たちはほっと胸を撫で下ろす。これで危険な薬でも飲まされていれば、俺はチャラ男を殺さないでいる自信は無かった。
しかし、キスカの表情は晴れていない。切羽詰まっていたり、悲壮感に満ちたものでは無かったのだが。
「……ですが、カンナ君の言うとおり、今のお嬢様はヤバいと言えばかなりヤバヴァ状態です」
真剣なのかギャグなのか判断しにくい言い回しだな。
「率直に聞くが、お嬢様は何を飲まされたのだ?」
「…………………………おそらくは『ビヤク』です」
……………………………………。
「それってアレか。飲んだらチョメチョメ的にフィーバーしちゃうあのお薬?」
「ええ。飲んだらニャンニャンがニャニャニャン!になっちゃうあの『媚薬』です」
「私は時折、君たちのそのマイペース具合が羨ましくなってくるな」
微妙な雰囲気の沈黙を経て、キスカは口を開いた。
「現在のお嬢様は軽い酩酊状態に加えて、肌の感覚が過敏になっています。そこで
掘られて
気絶している男が先ほどカンナ君が説明したとおりの人間だとすれば……」
「そうか。男の方から無理矢理ではなく、あくまで同意の上だと言い張れば、もしもの時の言い訳が立つか」
ランドは気絶中のチャラ男を蹴って横向けにした。それからチャラ男の懐をまさぐると、何かを引き抜いた。手の平より少しはみ出る程度の長方形の物体で、隅に小さな突起が二つあった。
ランドは突起の片方を押し込み、長方形の物体に口を近づけた。
「この魔術具に女性の声を録音させ、万が一の時の保険として用意していたのだろう」
ランドは突起から手を離し、「押していなかったもう片方の突起を押してくれ」と物体を俺に差し出した。受け取った俺は指示通りにもう片方の突起を押し込むと物体から『この魔術具に女性のーー』と、ランドが先ほど口にした台詞が彼の声色で発せられた。まさしく録音器だった。
「媚薬で強制的にニャンニャン状態にした女性から強引に同意の言葉を引きだし、その声をこの魔術具に記録するつもりだったって事か」
仮に傷物にされた女性側の親族が訴え出ようとしても、同意の証拠となる音声が存在してしまえば一方的な糾弾はできない。むしろこいつを脅しの材料にされて訴えを黙殺されてしまうかもしれない。ただでさえ貴族は世間体が大事だ。嫁入り前のーー仮に嫁入り後でもーー不貞を働いた事実が出回れば、それは致命的な『傷』になりかねない。
思い返すと、ファイマから漂ってくる気配が、クロエが発情ワンワン状態になっているときのそれと酷似していた。
「……この
チャラ男
の事はどうでもいい。後で然るべき場所に突き出すのは当然として、今重要なのはファイマ様だ」
そいつは俺も同感なのだが……。
「キスカ、解毒とかできねぇのか?」
「治療術式が扱えるならともかく、解毒というのは使われた薬に対する知識がなければ処方できない。掘られ男の口から引き出すか、専門家に見せないと無理よ」
「こんな時間に町医者が開業してるか?」
パーティーはまだ閉幕の時ではないが、一般家庭ならそろそろ寝静まる頃合いだ。
「いえ、それよりも問題があります。今のお嬢様は肌が敏感になり過ぎて、この場から抱きかかえて運ぼうとするだけでもかなりの負担になるはずです。……おそらく、夜風が吹くだけでもその……
アレ
してしまうかも」
さすがのキスカもいろいろと言葉を濁すが、言わんとすることは伝わってきた。ここから運び出すだけでもエクセントリックしてしまうということだろう。薬が抜けて我に返ったらトラウマになるかもしれない。
「この場から動かせないなら、ドリスト家の人に事情を説明して医者を手配して貰うしかないだろうさ。伯爵家だし、お抱えの医者ぐらいいるだろうさ。寝てたら叩き起こして貰う事になるが」
「……それしかないだろうな。よし分かった、カンナ君は事の次第をアガット達に伝えてきてくれ。私はドリスト家の者に医者の手配を要請してくる。キスカはお嬢様の様子を引き続き見ていてーー」
ランドが言葉を終える前に、「まって」と弱々しい声が聞こえた。声の元に視線を向ければ、ソファーに力なく倒れているファイマが薄くだが目を開き、こちらに顔を向けていた。
「医者を……誰かを呼んできては……駄目」
「一応、話だけは聞いてたのか。だったら自分がどんな状態なのか分かってるだろ」
「そう……ね。正直……気が狂いそう……よ」
今の彼女は息も絶え絶えであり、声を絞り出すのすら辛そうだ。しかもその声色に艶が混じっているので、声を聞いているこちらが変な気分になりそうだ。しかも気が狂うとまで言ってくる。
「とりあえず咎を全てそこのチャラ男に押しつければお前さんの経歴に傷が付く事は無いだろうさ。心配ない」
彼女が恐れているのは醜聞が外部に漏れる事だろうが、俺が今言ったように全ての責任をチャラ男に押しつければ問題ないはずだ。だが、彼女は首を左右に振った。
「忘れ……たの? 今の……私は……国賓待遇……として……この国にいるの」
「だからどうした?」
要領を得ない俺は眉を
顰
めた。
「ただでさえ……カンナが捕まった時の一件で……動きにくくなってるの。これ以上の問題が……ドラクニルの政府に認められてしまえば……今度こそ身動きとれなく……なるわ」
「お前、この期に及んでーー」
「それに……こちらが問題にしなく……ても、ドラクニルの方が……放ってはおかないわ」
彼女の言わんとすることところをようやく理解する。
国賓
の経歴に傷がつかなかったとしても、傷をつけられそうになったという『事実』は残ってしまう。ましてや問題を起こしたのはドラクニル側の人間だ。ドラクニルは国の威信にかけて、これ以上の失態を起こさないように動くだろう。そうなれば、彼女の身の安全を図るためにさらに身辺の警護を強化する方針をとるだろう。下手をすれば皇居内でさえ出歩きを制限される可能性も出てくる。そうなれば、ファイマがこの国に来た目的である『調べ物』もさらに達成が困難になる。これでは本末転倒だ。
実際に護衛として旅に同道しただけあり、彼女の気持ちは理解出来る。だが、だからといってこのまま放っておくわけにもいかない。行き場のない苛立ちを、頭を掻きむしって代替にする。
「じゃぁどうしろってんだ。まさか薬の効果がなくなるまで耐える気か?」
「それも……現実的では……無いわ。これ以上……我慢したら……精神に異常をきたす……可能性も……あるわ」
「んな他人事みたいに言うなよ……」
「安心……して。方法は……あるから……」
彼女はそう言ってゆっくりと手を掲げると、震える指先に魔術式を描いた。何かしらの魔術を行使するつもりなのだろうが、俺とキスカは首を傾げる。ランドはファイマの意図を読みとったのか大きく目を見開いた。
「まさか……お嬢様っ!?」
術式に宿る魔力が弾けると、室内全域に魔術が広がる気配を感じ取れた。それだけではファイマがどのような効果を持った術式を発動したのかは不明だった。
「『サイレント・フィールド』。範囲内の……あらゆる音を……範囲外へ漏れ出るのを……防ぐ効果が……あるわ…………ひぅぅぅんっ!」
彼女は悲鳴と言うにはあまりにも『甘い』声を発すると身を縮こまらせた。いい加減、お嬢様の我が儘に付き合っている余裕がなくなってきたな。医者を呼んでくる時間も惜しい。こうなったら無理矢理にでも抱えて連れて行くしかないか。運んでいる最中にファイマがエレクトリックしたら、その拍子に俺の下半身もスパーキングするかもしれないが、パンツの中に氷でも詰め込んで強制的に沈静化させよう。据え膳は美味しくがっつり頂く派だが、本人の意図せぬ膳はさすがに受け取れない。
ーーパシッ。
だが、彼女を運び出そうと伸ばした俺の腕を逆に握る手があった。
俺の動きを止めたのは、ファイマだった。
彼女は歯を食いしばるようにして、奥底から込み上げてくる『ナニか』を押さえ込みながら言った。
「ランド……キスカ。悪いけど……二人は部屋を出ていって……頂戴。さすがに……人に見られるのは……恥ずかしいわ」
「…………ほ?」
言葉の意味が分からず、俺は『どゆこと?』とランドとキスカをそれぞれ振り返った。
ランドは顔に渋面を浮かべ、キスカは合点がいったように『ぽんっ』握り拳の底辺で手を叩いた。
この世界にもあるんだな、その仕草。