Kanna no Kanna RAW novel - chapter (111)
第百二話 893再び
ファイマは帰ってきた当初からしばらくの間、羞恥心のあまりベッドの中で丸まって一日中悶えていたほどだった。薬によって一時的に『ニャンニャン』な状態になっていたとはいえ、その間の記憶はかなり鮮明に覚えていたようで、当然俺との『情事』の最中のアレやコレやナンやらもきっかり頭の中に焼き付けられてしまっていたようだ。
「……自分の記憶力の良さを、これほど疎ましく思った事はないわ」
ベッドの中で丸まっている最中、ファイマが辛うじて呟いた言葉だ。
そんな彼女ではあるが、三日目になる頃には蓑虫ベッド状態から脱し、四日目になればぎこちないながらも俺との会話も成立し、一週間も経てばまた皇居書庫での調べ物を再開するようになった。下手に付き合いが拗れてしまわなくて一安心だ。
ただ全てが元通り、とはいかなかった。
書庫に向かう最中にこんな一幕。
「────…………(ぽぉ〜〜)」
「……おいファイマ」
「ひぅっ!? か、カンナ?」
先頭を歩く彼女に声を掛けると、面白いほどに彼女の肩が『ビクリッ』と跳ね上がった。「え? 何でそこにいるの?」と言わんばかりの驚きようと表情だった。
「な、なななにかし……ら?」
「や、書庫の扉は通り過ぎてから曲がり角を二回ほど曲がってるぞ」
「もうちょっと早く言ってくれないかしらねぇ!? っていうか、どうして誰も止めてくれないのよ!」
──などと、ふとした時に呆けるようになっていた。道を歩いていようが調べ物をしていようが食事をしていようが関係無しだ。キスカの話によると、入浴中に時間を忘れて『ぽぉ〜』となり、
逆上
せそうになったとも言っていた。
……や、確実に俺との『ニャンタイム』が原因だろう。逆にそれ以外に考えようがない。
「おい貴様、お嬢様にナニをした」
「その喧嘩腰でものを訪ねるの止めてくんない?」
アガットに詰め寄られるが、適当にはぐらかしたりランドに間に入ってもらってやり過ごすのだが、彼の右手がいつ腰の剣に伸びないかひやひやする。真実を知ったとき、果たして彼は──。
「──つーか、理解できるのか?」
アガットに『大人の教育』が必要だったのをすっかり忘れていた。それどころでは無かった、と言ってしまえばそれまでだが、ランドに相談する程度はしておいた方がいいだろう。
彼にはランドの口から『慣れない異国のパーティーで疲れていたから』と、パーティーから帰ってきてから数日のファイマの様子を説明してもらった。アガットの性格を考えると、事実を知ったとたんに俺を問答無用に殺しに来そうだったからだが、改めて考えるとそもそも理解できるのかが疑問だ。子供は神様の贈り物であると、比喩表現ではなく本気で考えてるピュアイケメンだ。そもそもどういう教育がされればあんな純情イケメンに成長するんだろうか。機会があれば、最低でも『雄しべ』と『雌しべ』の関係ぐらいは知っているべきだろう。
アガットへの『教育』はさておき、レアルと話を終えた俺は心にちょっぴりの傷を負いながら、次に冒険者ギルドへと足を運んだ。と、言うのも、レアルから別れ際にギルドの方に顔を出すように指示されたからだ。どうやらリーディアルの婆さんが、俺の口から経過報告を聞きたいのだと。
ファイマからは既に今日の自由時間は許して貰っている。
運が良いことに、熱心に調べ物をするファイマを見て書庫の司書さんが数日前から本の貸し出しを許可してくれた。貸し出しとは言うが、皇居からの持ち出しは厳禁であり、司書さんが許した書物に限られはするが、その範囲内でならば問題ないとのこと。おかげで、書庫の利用時間が終了した夜中でも継続して調査が出来るようになったのだ。
加えて、陽のあるうちに本を大量に持ち込めば、ほぼ一日中は客間から出ないで済む。皇居の中でもファイマの宿泊している客間の作りはほかの部屋に比べて頑丈であり、扉も窓も並大抵の衝撃では破壊できない。ついでに天井裏にはファイマが直々に魔術式で措置を施したおかげで、誰かが忍び込めば瞬時に彼女に伝わるようになっている。つまり、客間に居る間は彼女の身の安全は保障されているのだ。コレなら、俺が一人抜けた程度で問題にならない。
もっとも、効率を考えれば書庫に直接で向いた方が遙かに良いのだが、そこはファイマが「カンナには世話になってるし、たまには息抜きもしてきて頂戴」と快く送り出してくれたのだ。よって、今日は自由時間なのである。
おそらく半月以上に久しく訪れる冒険者ギルドは、相変わらずの賑わいを見せていた。ここしばらくは格式張った場所に詰めていたせいか、騒がしいながらも、俺は逆に落ち着きを感じていた。やはり、皇居などの堅苦しい空気はどうにも性に合わないらしい。
「あっ、そこにいるのはアニキじゃないですか!」
ギルドの中に入ろうとすると、背後から声を掛けられた。振り返ると、顔の半分に入れ墨を彫った体格の良い男が、こちらに嬉しそうな笑顔を向けていた。明らかに堅気でない容貌に一瞬驚くが、すぐに覚えのある人物だと思い出した。
鋼竜騎士団に拘束されたとき、捕らえられた牢屋で知り合った町のゴロツキ──タマルだった。
「お久しぶりでさぁ、カンナのアニキ!」
「お、おお、久しぶりっつっても半月ぐらいだが……」
見た目厳つい野郎が人懐っこい風に詰め寄ってくるとたじろいでしまう。慕ってくれている手前無下にはできず、目の端が引き攣るのを感じながら言葉を返した。
「と、とりあえずここだと通行の邪魔になるから中に入ろうぜ」
「了解しやした!」
威勢良く返事をしたタマルと共に、俺はギルドの中に足を踏み入れた。建物の内部で、他人の邪魔にならない場所に陣取ると、改めてタマルと言葉を交わす。
「聞いたぞ。冒険者になれたってな。おめでとう」
「いえ、コレもアニキが牢屋の中で俺を叱咤して、なおかつ援助までしてくれたおかげですよ。アレがなかったら、俺はまた路地裏のゴロツキに戻ってましたよ」
後頭部を掻きながらタマルがペコペコと頭を下げてくる。
「どうよ、冒険者になった感想は」
「へいっ! お陰様で、冒険者になってから三食マトモな飯にありつけて、夜もマトモなベッドで寝られるようになりました!」
もの凄く平凡な事を感極まった風に言うのだが、逆を言えばその平凡な日常すら遅れないほどに底辺の生活を送っていたのだろう。
「ギルドに来たって事は今日も依頼を受けにきたのか?」
「マトモな生活を送れるようになったとは言え、今の俺じゃぁ魔獣討伐系の仕事は無理ですからね。雑事系の依頼で日々の稼いでいる最中です。……あの、非常に申し訳ねぇんですが──」
語尾の濁り具合で俺は笑いながらタマルの腕を軽く叩く。
「金に困ってるわけじゃないから、貸した金の返済は気長に待ってるよ。
阿漕
な事に手を出さずに、健全にキッチリ返してくれればそれでいいさ」
「あ、ありがとうございやす、アニキ!」
自分より体格の良い男に頭を下げられると、違和感がハンパないな。
「……今ふと疑問に思ったんだが、おまえさんのその見た目で雑事系の依頼とか受けて大丈夫なのか?」
タマルの容姿は、一見すれば『武闘系893』。しかも顔の半分には入れ墨が彫られており迫力が半端ない。気弱な人間が夜中の路地裏で顔を合わせれば一発で泣き出すぐらいだ。
そして雑事系の依頼は人々の日常生活に密接したものが多く、魔獣討伐の依頼と比べて依頼人との距離が近い。それも、荒事とは無縁の一般人だ。893との相性は最悪問いっていいかもしれない。……タマルは『元なんちゃって893』だったが、初対面の人間に分かるはずもない。
「確かに、ギルドの紙を持って依頼主の元までいっても、変な顔をされるのが多いっすね。中には顔を合わせ得た途端に依頼を取り下げられたこともありました。俺ぁこんな見た目ですからね」
力なく笑うタマルだったが、悲壮感はあまり含まれていなかった。
「けど、まだ一度だけですけど、庭の芝刈りに言ったときに依頼主のバアちゃんから「ありがとう」って言って貰えたんです」
「そりゃぁ良かったな」
「たかが草刈りの仕事で報酬も安かったんですけど、あの一言で報われた気がしましたよ」
「……どうやら、まだしばらくは続けられそうだな」
「安心してくだせぇ。アニキの期待を裏切るような真似だけはしませんから」