Kanna no Kanna RAW novel - chapter (112)
第百三話 ワンコ・ブリーカー
それから少しの会話を経て俺は用事があることをタマルに告げ、彼と別れた。タマルはタマルで今日の依頼を探しに行くようだ。
俺はシナディさんに顔を見せ、断りを入れるとギルドマスターの執務室へと向かった。もはや勝手知ったるなんとやら。何度も足を運んでいるせいで、シナディさんの許可が必要だがそれさえ済めばほぼフリーパス状態になっていた。楽なので良いがセキュリティとか大丈夫なのか?
執務室の扉をノックし、許しが返ってきたので中にはいると、リーディアルの婆さんは机の上で書類作業をしている最中だった。
「よく来たね小僧。呼び出しといて悪いんだが今の仕事がもう少しで一段落する。ソファーに掛けて待っててくれ」
「……婆さんが真面目に働いてる場面を初めてみたかもしれない」
「ギルドマスターがそうしょっちゅう暇してたまるかっての。安心して仕事を任せられる後継がいてくれると、私は悠々自適に隠居できるんだがね。────よし、コレで終わりだ」
最後の一筆を書き終えた婆さんは執務机の席から立ち上がり、凝った筋肉を伸ばしながら俺の対面のソファーに座った。
「やれやれ、私も歳だね。ちょっと作業しただけですぐに躯が固まっちまってたまらないよ。早く隠居したいもんだ」
「そもそも婆さんて今いくつなんだ?」
「レディーに歳を聞くもんじゃないよ」
れでぃー? はて、どこにれでぃーなどという巨乳な美女がいるのだろうか。
「アンタとことん失礼だね! こう見えても若い頃はブイブイ言わせてたんだからね!」
や、いまでもブイブイ言わせてそうなぐらいに元気だが、それを口にするとややこしくなりそうなので自重した。つーか人の心の中を読まないで欲しい。
非常にくだらないやりとりの後に、本題の状況報告を行った。とはいうが、特別に報告することはあまりない。護衛初日に諜報員を確保したことと、先日のパーティーでチャラ男がしでかしたことも既に婆さんは知っていた。
「──今日呼び出した本題は、マダメオって男がしでかした不祥事に関してだ」
婆さんは真面目な顔をして切りだした。
「小僧のことだから察しは付いてると思うが、こいつはドラクニルにとってはあまり表沙汰にしたくない出来事だ。露見すれば今後の外交関係に多大な悪影響を及ぼす類のね」
「
諜報員
の方は良いのか?」
客室の天井裏に侵入した諜報員は、現在も幻竜騎士団が管理する牢屋に拘束されている。
「良くはないが、そっちはドラクニルの上層部が無関係を主張すれば致命的に大きな問題にはならないさ。最悪の場合、
蜥蜴の尻尾切り
にされるだろうしね。明確な証拠がない限り、外交問題で諜報員関係は強く責められないのさ」
ある国が「こいつはおまえの国のスパイだろう」と主張しても、相手国は「我が国とは関係ないので殺しても問題ないですよ?」と返ってきてしまうのだ。
俺が捕まえた諜報員は現在、幻竜騎士団の監視下で牢屋に拘束されている。非合法に情報を得ようとした罪は重い。相手が国の重要人物となればなおさらだ。もしかすると、彼が晴れて自由のみになる日はこないのかもしれないな。
「だが、マダメオの件に関しちゃ知らぬ存ぜぬは通用しない。なにせ追放されはしたが奴は腐っても帝国貴族に名を連ねてたからね」
「や、よく考えると婆さんがマダメオ──じゃなかった、チャラ男の不始末を知ってるのがおかしくねぇか? 俺ぁ一応、レアルに口酸っぱく注意されてたんだが」
「伝手と権力は使いようって言葉は、小僧が一番良く知ってるんじゃないかい?」
不敵な笑みを浮かべるばあさんに、俺は降参とばかりに両手を挙げた。牢屋に入れられたときに、俺は婆さんを経由して軍人であるレアルに釈放の手引きを願ったのだ。婆さんに言われてしまうととやかくはいえないか。
「──ま、
レアル
も面白半分に私に伝えたわけじゃぁ無いよ。こちらにも込み入った事情ってぇのがあるのさ。詮索は勘弁しておくれ」
「……それって、詳しく聞いちゃヤバい系?」
「確実にヤバい系だねぇ」
ノリは軽いが内容は重かった。
婆さんは普段の気さくな態度を潜め、組織の長としての威厳を持って宣言した。
「この件に関しちゃ箝口令を敷かせてもらうよ。破れば、ギルドマスターとして小僧を処罰せにゃならなくなる。肝に銘じておいてほしい」
処罰の内容は『冒険者としての資格を永久に剥奪する』という重いものだった。元々口外するつもりはなかったが、婆さんの口から改めて『厳禁』と言われると、俺が遭遇した事態が俺の想像以上に重い出来事であったのだと思い知らされた。
婆さんが軽く息を吐くと張りつめていた空気が緩和した。彼女はまた気さくな雰囲気の笑みを浮かべる。
「まだ付き合いは短いが、無駄に歳は食ってないからね。小僧がなんだかんだで義理堅い小僧であると信じてはいるよ」
でたよ『なんだかんだ』。俺は別にZ組の担任じゃねぇんだが。
最後に労いの言葉をもらって、俺は婆さんの執務室を後にした。丁度、太陽が天の直上に昇った頃合いだ。昼食はギルド横の食堂で済ませてしまおう。最近は皇居で出される料理しか口にしていない。久々に、魔獣食材で作られる旨い料理が食べたいしな。どうせなら、冷めても旨い料理を弁当にし、騎士団員の二人に持ち帰ってやるのも良いかもしれない。特にスケリアは喜びそうだ。
ギルドの職員区画の通路から冒険者達の集まるロビーに向かう。
すると。
「カンナ氏ィィィィィィィィィィィィィィィィッ!」
聞き覚えのある声とともに、こちらに走り寄ってくる駆け足の音。久々に聞く声を嬉しく思いながらそちらを振り向けば。
「カンナ氏ィ!!」
「おお、久しぶりだなクロブホォァッ!?」
無防備に振り向いた俺に、速度の乗った低空軌道タックルが襲いかかった。腹を中心として叩き込まれた衝撃によって、俺は勢いのまま吹き飛ばされ、地面に倒された。その拍子に頭を地面にぶつけ、目に火花が散った。
腹への痛みに呻きつつ、くらくらする視界で胴体に張り付いている人物に目を向けると、少し癖のある黒髪に狼の耳が付いた頭頂部があった。
クロエは俺の腹をガッチリホールドし、顔を胸元に埋めていた。
「クンクンクン……ワフゥン。カンナ氏でござる。正真正銘、カンナ氏の匂いでござるよ。クンクン」
「げほげほっ……。ちょ、クロエ落ち着け。キャラが崩壊して──」
──や、無いか? 元からクロエはこんな感じだった気がする。
問答無用で体当たりをかましてくるのは考え物だが、彼女が俺との再会を嬉しく思ってくれているのは間違いない。タマルと同じで、こちらも二週間以上は顔を合わせていなかったのだ。
俺は苦笑をしながら彼女の頭を撫でてやろうと手を伸ばしたとき。
「────ん? ……クンクン」
クロエは動きを止めると、もう一度深く俺の匂いを嗅いだ。もしかして汗くさかったか。皇居の使用人専用の風呂は借りて定期的に汗は流してるはずなんだが──。
「クンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクン」
「──って嗅ぎすぎだろっ、いい加減離せ! ほら、周囲の人からめっちゃ見られてるから!」
衆人観衆の注目の的である。見せもんじゃねぇぞこら!
クロエの肩に手を置き、引き剥がそうと力を込めたが、何故か万力で固定されたかのようにびくともしない。……どころか、徐々に胴を締め付ける力が強くなってないか?
と、不意に俺の匂いを一心不乱に嗅いでいたクロエが、ぽつりと呟いた。
「──────女の匂いがします」
「……………………ん?」
ザワリと、肌が泡立つような感覚が襲い来る。
ゆらりとクロエが顔を上げると、その目からはハイライトが失われており、汚泥のような濁った闇が宿っていた。
……おかしい、こんな目を見るのは本日二度目な気がする。
「──────女の匂いがします」
「なぜ繰り返した!?」
俺の叫び声に、クロエは微笑を浮かべてコテンと首を傾げた。普段なら「あ、可愛いなこれ」とか思いそうだが、今この瞬間は「あ、ヤヴェなこれ」と本能が危険信号を発するくらいに恐ろしかった。だって目が笑ってないもん。
「ねぇカンナ様。どうしてカンナ様の躯から女の匂いがするのでしょうか。私はカンナ様と再会出来る日をずっと待ち望んでいたというのに、カンナ様はいったい
ナニ
をされていたのでしょうか? いえ、カンナ様がどこのどなた様と逢瀬を共にしていたとしても私がとやかく言う権利も無いのですが。ただ、世間一般で言えば、コレはつまり寝取られと言う奴ですか? NTRでしょうか? どこぞの泥棒猫とにゃんにゃんしていたのでしょうか?」
しかも口調が変わってるし! クロエの中では俺と『誰か』がニャンニャンしたというのがすでに決定事項になっている。
心当たりは一つしかない。
(おいおいおい! ファイマとアレしたのは一週間前だぞ! その間に何回か風呂にだって入ってんだ! 何で分かるんだよ!)
犬かこいつは!?
……………………狼でしたね!
心の中でボケとノリツッコミかましている場合ではなかった。そろそろ肋骨が軋みそうなぐらいに俺の胴を抱く彼女の腕に徐々に力が入ってきていた。呼吸も困難になり始めている。下半身に押しつけられるクロエのハリのある双丘の感触が押し付けられているのだが、それを楽しめるほど今の俺には余裕がなかった。ここで下手を打てば、俺の口から出ちゃいけないモノが絞り出されるかもしれない。
息苦しさをどうにかこらえながら、俺は努めて柔らかく言葉を口にした。
「女の匂いってぇのは、ファイマの事じゃないか?」
「そういえば、この匂いは確かにファイマ殿ですね……もしや!」
肋骨がギリってなった!
「ぐぉぉ……。や、俺ぁ昨日まで仕事でファイマの護衛をしていた。つまり、ここしばらくは日常的にあいつと接触する機会が多くあったわけよ。だから、あいつの匂いが俺に移っていても不思議ではないだろう?」
嘘は言っていない。が、事実を全て口にしたわけでも無い。
「……確かに、シナディ殿からカンナ様が要人の護衛任務を受けているとの言付けを受け取りました。なるほど、その要人とはファイマ殿のことでしたか」
……………………………………。
考え込む素振りを見せるクロエに、俺の胸の鼓動は高鳴る。……もちろん不安でだ。頼むからコレで納得してくれ。
「…………どうやら、
拙者
の早とちりであったようで
ござる
な」
急速に
理性
を取り戻したクロエの瞳と戻った口調に、俺は内心に盛大な安堵を付いた。同時に胴に回されていた腕からも力が抜け、新鮮な空気が肺に行き渡る。
──早とちりではないのだが、そこにツッコミを入れられるほど俺も自殺志願者ではなかった。
さて、
黒ワンコ
が正気を取り戻したところで彼女を引き剥がさねば。もう周囲の目とか空気とかが生ぬるくて仕方がない。事情を知らない者の目には痴情の縺れにしかならない場面だったからな。ある意味で正しいのが非常に不本意である。
感動の再会──と言うには語弊はあるが、久しぶりにクロエと会えたのは純粋に嬉しかった。彼女もそれは同じだったようだ。
喜びを分かち合った後、俺たちはいつものようにギルド横の食堂へと足を運んだ。
「カンナ氏! 拙者、ようやく念願のBランクに昇格したでござるよ!」
口火を切ったクロエが、興奮気味にギルドカードを取り出した。クロエの名が記されたカードは赤色になっており、それはすなわち彼女がBランク冒険者である証だ。
「無事に昇格できたようで何よりだ。おめでとう」
「これもカンナ氏の御助力あってこそでござるよ」
彼女は心底嬉しそうに言った。
「興味本位に聞くが、Bランクに昇格するために受けた依頼って何だったんだ? 貴重な素材の採取ってぇのは聞いたが」
「拙者たちが採取を命じられたのは、エスピル草と呼ばれる薬草でござるよ」
エスピル草は、単体では役に立たないが、触媒として他の薬品と調合するとその効果を飛躍的に高める性質があるようで、薬師や錬金術師の間では有名な薬草らしい。
「ただ、エスピル草は特殊な土壌でしか生息せず、人工栽培は成功していないらしいでござる。今のところは、冒険者の手で自然に生息している場所に足を運んで採取するしかないのでござる」
忘れてはならないのが、この採取依頼がBランクに昇格するために選ばれたという点だ。それだけで、ただの採取依頼でないことが窺える。
「採取地域である山脈の事前の下調べに、出現する魔獣の特性。さらにはエスピル草の採取にも特殊な手順が必要だったでござる。前二つに関しては冒険者にとって基礎中の基礎でござるが、最後の採取の手順はおろそかになりがちでござるからな」
Bランクから受注できる採取依頼の中には、採取方法そのものが特殊であることも少なくなく、正しい手順を踏まなければ素材の効果が変質してしまったり、最悪の場合は採取する冒険者自身の命が失われる危険すらでてくるのだ。
「幸い、エスピル草は手順を間違っても、触媒としての効果を失うだけでござったが、それでも採取に失敗する者が何人かいたでござる」
昇格の試験依頼に臨んだCランク冒険者はクロエと、俺と彼女の共通の知り合いである槍使いのバルハルト。それに加えて四人の合計六人。そのうち、クロエとバルハルト、他一人は無事に規定量のエスピル草を無事に採取できたが、残りの三人は採取に失敗してしまったという。
「その三人は道中でも目に付く行動が多かったでござるからな。もちろん、そいつ等は不合格でござったよ」
こんなところでござるかね、とクロエは話を終わらせた。試験として相応の困難はあったが、危機的状況に陥るような事態にはならなかったらしい。この場にクロエがいる時点で無事なのは確定しているが、それでも俺はホッとした。
「拙者もカンナ氏の近況を知りたいでござるよ。そもそも、どうして再びファイマ殿の護衛を請け負うことになったでござるか?」
「や、いろいろあったわけよコレが」
俺はファイマと再会してから、護衛をするに至るまでの経緯を簡潔に説明した。もちろん、レアルや婆さんから口止めされている点は伏せてだ。
「なるほど、ファイマ殿は拙者たちが思っていた以上にやんごとないお方でござったか。そうとは知らず、気づかぬ内に無礼を働いたかもしれないでござる」
「おまえさんが気づかない程度の無礼で目くじら立てるほど、ファイマも狭量じゃぁ無いさ」
「しかし、ファイマ殿の本当の名はファルマリアス殿と申されるのか……」
うーん、とクロエは考え込むように両腕を組んだ。何か気になる点でもあるのだろうか。
「一つ確認したいのでござるが、ファイマ殿はユルフィリア貴族の血縁者で間違いないのでござるな?」
「説明の最中に話したろうに。アルナベスさん
家
のご令嬢だって、本人が言ってたよ」
「そうなのでござるか。ユルフィリアにファルマリアスという名前。はて、どこかでこの組み合わせを聞いた覚えがあるのでござるが……」
「アルナベス家の領地は学問で有名って聞くからな。他国から学びにくる者もかなりいるって話だ。ファイマの名前も、その噂の一部として
人伝
に聞いただけじゃないのか?」
「そうなのでござろうか? ……まぁ、思い出せないと言うことは、それほど大事では無かったということでござろうね。そもそも、拙者の頭はそれほど立派な作りはしていないでござるし、記憶違いでござろう」
特に気落ちする様子もなく、クロエは思い出すのをすっぱり諦めた。
「ところで、俺はまだしばらくの間はファイマの護衛を続けるんだが、おまえはどうするつもりなんだ?」
「拙者はしばらく依頼を受けるのは控えようと思っているでござるよ」
意外だと思ったが、すぐに考え直した。
彼女がそれまで(Cランクの)依頼をこなしていたのは、昇格の実績を積むためではなく、俺への借金を返すためだ。鉱山の事件での報酬でその全ては既に返済されている。
「Bランクともなれば依頼の難易度は跳ね上がるでござろうし、ここは一度装備を見直そうと思っているでござるよ。今使っている剣も、間に合わせの品でござるからな」
言いながら、腰に差している剣の柄を軽く叩く。
「拙者の本来の得物は故郷以外では特殊ゆえ、あまり市場には出回ってないのでござる。──がここは帝都でござる。外来の品がどこかしらにあるかもしれないでござるよ。まずはそれを探してみるでござる」
「だったら、俺がアンサラから勧められた武器屋に行ってみたらどうだ? Aランク様の御用達の店だ」
「よく見れば、カンナ氏の装備も変わってるでござるな。見たところ胸当てはミスリル合金製でござるが、その手甲はなんでできているのでござるか? 色合いからしてミスリルではないと思うのでござるが」
「重魔鉄鉱って呼ばれる妙ちくりんな素材から作られた代物だ。それはともかく、店主のおっさんも割と親切だし品ぞろえも中々だ。いろいろと掘り出し物があるかもしれないぞ」
「なるほど……分かったでござる! 一度訪ねてみるでござるよ! 昇格試験の報酬で懐も少し暖かいでござるからな!」
それからは取り留めもない話に花を咲かせながら昼食をとり、クロエと分かれたのだった。