Kanna no Kanna RAW novel - chapter (116)
幕間その六 とある密会と気づかぬ『変化』
時は、とある鉱山でゴブリンの大氾濫と幻竜騎士団・冒険者達が激突してから数日の頃まで遡る。
フレイムリザードを退けた勇者達一行はディアガル領内へとたどり着き、ある町の宿屋に滞在していた。というのも、この町に彼らが追い求めている『魔神』セラファイドに非常に良く似た人物がいたと、あらかじめディアガルへと先行、調査していた者から報告があったからだ。
だが、勇者一行が到着し捜索を開始してから既にしばらくが経過しているが、魔神の姿は発見できていなかった。
「……どういうことなのですか?」
ユルフィリア王国第二王女フィリアスは、体調が優れないという事で一足早くに宿に戻っていた。可憐という言葉を具現化したかのような美しくも愛らしい顔が、今この瞬間は苛立ちを含んだ歪みを見せていた。
室内にいるのは、彼女の他にもう一人。薄暗い中、僅かに照らされる彼の顔を見ることは、フィリアス以外には出来なかった。
「ですから、計画は初期段階で頓挫してしまったのですねぇ。おかげで、幻竜騎士団への被害は皆無ですねぇ。つまり、この場に魔獣の軍勢が来ることはありえなくなりましたねぇ」
「…………もしもの為に、『彼女』を配置していた筈ですが?」
「その彼女は僕の召喚術式を破壊してくれた人物の手によって、片腕を潰されてしまいましてねぇ。現在は治療中ですねぇ」
フィリアスは息を呑んだ。
「あの戦闘狂が遅れを取ったのですか?
俄
に信じ難い事実ですね。彼女は『我々』の中では確実に三指に入る猛者ですよ?」
「本人が言うには『油断あった』との事ですが、だとしても有象無象に遅れを取る程に油断があったとは到底思えませんねぇ。ただ、あの作戦に関しては、
異物
の数が多かったのは間違いありませんねぇ」
異物
という言葉を耳にしたフィリアスは
眦
をつり上げた。
「それは、遠回しに『私』の不手際を責めているのですか?」
「捉え方はいかようでも構いませんねぇ。僕は事実を口にしているだけですからねぇ。だから怒らないで欲しいですねぇ」
言い回しは丁寧ながら、その中に責めの色が少なからず含まれているのをフィリアスは感じていた。彼女の内心は荒れ狂うほどの恥辱、憤怒で満たされていたが、その可憐な顔を小さく表情を歪める程度に取り繕っていた。責の大部分は、『異物』を察知し対策を練るべき己。屈辱は感じていても、冷静な思考が目の前の相手にぶつけるのはお門違いと判断していた。
「──それで、ゴブリン大氾濫の件が失敗に終わった要因は? その報告も含めて、わざわざ私の前に姿を現したのでしょう?」
「それがですねぇ──」
『彼』からもたらされた情報に、今度こそフィリアスは大きく表情を歪めた。彼の口から、あり得るはずもなく予想もしなかった『名』が出てきたからだ。
「『竜剣』があの場に? そんな馬鹿なっ! 本当なのですか!?」
「あなたに嘘を言って僕が得をする道理は無いでしょうねぇ。
僕ら
はずっと召喚術式の準備で鉱山の奥に潜ってましたから、その事実を知ったのは全てが終わった後ですがねぇ」
「そんな馬鹿な。あり得ない……。しかも『狼』まで?」
口を押さえて呆然と呟く彼女だったが、それに追い打ちをかけるような言葉が発せられる。
「まぁ、失敗の本当の要因は竜剣では無かったのですがねぇ」
「……どういう意味です? 『あなた』の召喚術式を破壊したのは竜剣ではなかったのですか?」
「僕の召喚術式を破壊したのは、白髪の冒険者でしたねぇ」
「……誰ですかそれは」
フィリアスは眉をひそめるも、会話の相手は肩をすくめて首を横に振る。
「僕に聞かないで欲しいねぇ。こちらとしてはむしろ、あの冒険者の事をあなたから知りたかったぐらいですからねぇ」
つまり、影も形も認識されていなかった闖入者が要因で、作戦が覆されてしまったと、そういう意味だった。
「どうやら、冒険者達の間では『白夜叉』と言う名で噂をされているようですねぇ。今度、機会があれば『見て』もらえると、現場としては非常に助かりますねぇ。曲がりなりにも、我々の計画の一部を破壊に追いやった人物ですからねぇ」
「…………了解しました」
重々しく頷いたフィリアスの様子を見て頷いた『彼』は、さっと中に手をかざした。その足下に魔術式が構築され、『彼』の体を光が包み始めた。
「では、僕はこれで失礼しますね。『我らに大いなる祝福があらんことを』」
「『我らに大いなる祝福があらんことを』」
互いに言葉を残すと、『彼』の姿は光の消滅とともに消え去った。
一人残されたフィリアスは、内面の揺れ動く感情を『微妙』な胸に手を当てて落ち着かせ、それに伴い冷静に思考を巡らせ始めた。
「……魔獣の大氾濫が無くなったとすれば、私たちがこの町に滞在する理由はなくなりましたね。それに天竜騎士団が功を得る機会も失われてしまったはずです。──なにか、新たな手だてが必要ですね」
夜半
になると、町の中を捜索していた勇者──有月ら三人が宿へと戻ってきた。
「ごめん、フィー。今日もめぼしい情報は得られなかったよ」
「いえ、こちらこそ途中で抜けて申し訳ありません。皆様もお疲れさまでした」
宿の食堂で帰りを待っていたフィリアスは、有月の気落ちした様子に対して労いの言葉を掛けた。そこから、夕食も兼ねて今後に関しての話し合いが行われた。
「……ここ数日の捜索の結果、おそらく『魔神』はすでにこの町にはいないと考えるのが妥当でしょう」
「一足遅かった……というわけですね。残念ですが」
沈痛な色の濃いフィリアスの言葉に、彩菜は悔しげに頷いた。この数日間の行動が徒労に終わったのだ。
「それでフィー。これからどうするつもり? あなたのことだから、既に次のことも考えてあるんでしょ?」
この
四人組
のリーダー格は有月であったが、行動の指針を決めるのはフィリアスの役割であった。常に一歩先を見据えている彼女がこの町での捜索に区切りをつける発言をしたのだ。そう考えた美咲の問いかけに、フィリアスは頷き答える。
「この国──ディアガル帝国の領内に彼の魔神が進入したのは間違いないはずです。ならば、ディアガル領内でもっとも情報が集まる場所に向かうのが現在の最善だと考えられます」
「だとすると、次に向かうべきはディアガル帝国の帝都『ドラクニル』だね」
フィリアスの言葉を有月が引き継いだ。ただ、それを聞いた彩菜が不安げな表情を浮かべる。
「私たち三人は旅の者として通せばどうにかなるでしょうが、フィーはユルフィリアの王族です。そう簡単にドラクニルに入れるのでしょうか?」
「ご心配ありません。我がユルフィリアとディアガルの外交関係は良好です。ディアガル皇族の方々とも少なからず面識がありますし、無下に扱われることは無いでしょう」
「そうですか……」
顎に手を当て思案顔になる彩菜に対して、ケラケラと美咲が笑った。
「フィーが大丈夫だって言ってるんだし、問題ないわよ。彩菜は心配性だねぇ」
明るく言う美咲に、彩菜は少しムッとなる。
「私は美咲さんほど考えも無く物事を楽観視できないだけです」
「……それは私を遠回しに『考え無しの馬鹿』と言いたいわけ?」
「さぁ、それは受け取り方次第ですが……あなたがそう思うならそうなのでしょう」
「ったく、重箱の隅っこを突っつくようにみみっちい話を。これだから理屈っぽい女は好きになれないのよ。脳に栄養が行ってる分、体の方に栄養が行き渡ってないんじゃないの?」
「……あなたこそ、筋肉に栄養が行きすぎて考え足らずなのでは?」
僅かな沈黙の後、美咲と彩菜はキッと互いを睨みつけた。鋭い視線が交錯し、鋭い火花が散った。
「よしわかった。表に出なさい。その喧嘩、買ってあげるわ」
「受けて立ちます」
両者共に己の得物を確認しながら席を立ち上がろうとする。もし仮に彼女たちを知るものがこの場にいれば、一触即発の雰囲気を漂わせていることに驚きを隠せなかっただろう。
「まぁ、待ちなよ二人とも」
店の外に出て行こうとする彼女たちを、有月がやんわりと制止した。途端、それまで怒気を背負っていた二人は我に返ったような顔になる。
「彩菜さんはフィーを心配してのことだし、美咲さんはフィーのことを信頼しての発言だろ? だから二人ともそんなにいがみ合う必要なんて無いさ。違うかい?」
──今の有月を某少年がみれば、落雷に打たれたかのようなショックを受けていたに違いない。そんな光景であった。
余裕すら感じられる有月の仲裁に、二人は落ち着きを取り戻した。
「そ──うですね。……申し訳ありません、美咲さん。先ほどの言葉は間違いなく失言でした」
「いいのよ彩菜。私もカッとなってずいぶん言い過ぎちゃったもの。ごめんね?」
先ほどの一触即発が嘘のように、美咲と彩菜は互いを気遣うような態度をとる。そこにあるのは、間違いなく親友同士の姿だった。
「……有月君に喧嘩を止められるなんて屈辱ですね」
「今日はみんな疲れてんのよ。でなければ、有月があんな事を言うはず無いもの」
「あれっ!? 僕ってば結構良いこと言ったつもりなんですけど!?」
普段通りの三人。普段通りの様子。普段通りの関係に戻る。
──誰一人として気づいていなかった。
彼らの中で、間違いなく『変化』が起こっていることを。
その切っ掛けを、もはや誰も思いだしていないことを。
本来なら抱いていたはずの警戒心すらもはや忘れて。
王女は一人、ほくそ笑んでいた。