Kanna no Kanna RAW novel - chapter (143)
第百三十三話 立ちふさがる『壁』
跳び蹴りをラケシスに食らわせた直後、俺はそのまま受け身も取れずに地面に墜落した。躯の至る所が悲鳴を上げたが、もはや指一本動かすのすら億劫だ。
色々と出し尽くした結果、もう意識を失う0・1歩手前。瞼に重しが乗っている様な疲労感が全身を支配していた。目を瞑って五秒すれば夢の世界に一直線である。
それでも、まだ意識を手放すわけにはいかない。
ラケシスには間違いなく致命的な一撃が入ったのは確実。しばらくの間はまともに動けないはずだ。その間に、奴の動きを完全に止めるまでは文字通り気を抜けない。
「さ、さすがに辛い……な」
軋みを上げる関節を動かし、俺はどうにか立ち上がった。
「よいしょっ…………とととっ!?」
一歩を踏み出す前に、足が縺れた。
「カンナ様、無理をなさらないでください!」
いつの間にか近くにまで来ていたクロエに支えられ、俺は転倒を免れる。しかし、俺の腕を己の肩に回すクロエの顔には、未だに疲労の色が濃かった。
「クロエ、お前こそ無茶すんなよ……」
「私は黒狼族です。失礼ながら、カンナ様とは身体能力が根本的に違いますゆえ、少しの間を頂ければカンナ様一人を支えられる程度には体力は回復します」
「おおそうかい。や、正直に言えば助かる」
視線を動かすと、ファイマもゆっくりとした足取りだがこちらに近づいてくるのが見えた。こちらも表情から疲れが窺えたが、それよりも思い詰めたような表情が印象的だった。
「大丈夫なの、カンナ?」
「あんまり大丈夫じゃないが、死ぬほどじゃぁない」
「そ、そう。それなら良いんだけど……」
安堵と戸惑いが入り交じったような表情を見せるファイマ。
俺は首を傾げつつも、疑問を口にする暇はない。
「今すぐにでもベッドに入りたい心境だが、それよりも先にラケシスの動きを完全に封じておきたい。クロエ、俺を奴のところまで運んでくれ。どうにか氷の錠を作って奴の手足を拘束する」
「これ以上のご無理は……」
「なぁに。数日間寝込むだろうが、それであの厄介な相手をどうにかできるならお釣りが来る結果だ。ファイマ、お前も辛いだろうが、現状で一番戦えるのはお前だ。万が一の時は頼む」
クロエは体力が回復したといったが、やせ我慢も入っているし、魔力ももう限界だ。俺は心身ともに意識を保っているのが精一杯。なけなしの精神力も奴を拘束する為に使いたい。
ファイマも消耗しているが、魔力の残量ではこの中で一番多い。辛いだろうが、頼りにさせて貰うしかない。
「……ねぇカンナ。あのね? 後で貴方に聞きたいことが──」
ファイマは肯定の頷きの前に、意を決したような発言をするが。
「心配になって様子を見に来てみれば、案の定というべきか」
大きな声ではなかった。
だというのに、森の奥から聞こえたその声に、俺たちの足は地面に縫い止められたかのように動かなくなった。
「『
大地の巨神兵
』は私でさえ手こずる『糸使い』最大の切り札。あの高さだ、森の中からでも見えたが、まさかあれを倒してみせるとはな」
そして、俺にはこの気配も声も覚えがあった。
「さすがは、私が見込んだ男だ。改めて惚れ直したぞ、白夜叉」
笑みを浮かべ、森の中から現れたのは六本の剣を腰に携えた美女。
大いなる祝福
の一柱にして『天剣』の異名を持つ超
危険人物
──シュライアだ。
シュライアはファイマと倒れているラケシスを交互に見比べると、得心が行ったように頷いた。
「状況を見るに、『
糸使い
』は任務に失敗したようだ。まったく、人の忠告を素直に聞かないからだ」
やれやれと肩を竦めるて首を横に振るシュライア。まるで困った子供の不始末を嘆く保護者の仕草。
一見すると隙だらけだというのに、俺たちは身動きがとれなかった。
躯中に突き刺さる寸前の刃が突きつけられているような感覚。一歩でも動けば、有無言わさずに串刺しにされる予感が背筋を這い寄る。
「か、カンナ様……あの者は一体……?」
クロエは掠れた声を絞り出した。顔は蒼白となっており、肩に回している腕から隠しようのない震えが伝わってきた。獣人であるが故に、俺たちよりも深い──本能的な部分で『彼女』の恐ろしさを感じ取っているのだ。それでも口を開ける辺り、気丈だと褒められるだろうが──。
「『天剣』──って言えば分かるか?」
「……六本の剣を携えているから、もしやと思っていたけれど」
クロエの代わりに深刻な表情を浮かべたファイマが答えた。
「ファイマ殿、知っておられるのですか?」
「──天剣のシュライア。元Aランク冒険者で、もっともSランクに近い実力を誇っていたらしいわ」
「………………」(←クロエ)
「最悪なことに、あそこで鼻血だしてぶっ倒れているショタ野郎の同僚だとさ」
「………………」(←ファイマ)
俺の言葉に、クロエとファイマが揃って無言になり絶望的な顔になった。
ただ俺は、それほど絶望感は無かった。
一度言葉を交わしているだけに、シュライアの人となりを多少なりとも知っていたからだ。
シュライアはラケシスの元に近づくと、その躯を軽々と担ぎ上げた。
「悪いが、『糸使い』は回収させて貰うぞ」
「……俺たちは眼中にないってか。そのショタに鼻血を出させたのは俺たちだぜ?」
圧倒的な威圧感は変わらないが、シュライアはこちらに刃を向けるそぶりは見せなかった。むろん、こちらが何かしらの
行動
を起こせばその限りではないだろうが。
「
残念ながら
、君たちの始末は私の任務ではない。そもそも、私がこの場に来たのは気紛れに過ぎない」
シュライアのは本当に残念そうに言った。
整った顔たちでそんな表情をされるとゾクゾクしちゃうね!
──主に恐怖で。
「実のところ、君たちが『糸使い』にトドメを刺すまで傍観していても良かったのだが……。非常に不本意で遺憾で業腹ではあるが、このような輩でも
我々
にはまだ必要不可欠な人材だ。よって、『これ』の回収を優先させて貰う」
もはや物扱い。どれだけラケシスのこと嫌いなんだよこの女。
や、戦闘狂の彼女からしてみれば、裏工作を好むラケシスとはまさしく水と油の関係なのだろう。
「まぁ、『荷物』があったところで、今の君たちなら片手間で葬るくらいわけないが──」
刃を彷彿させる鋭い視線が俺たちを射抜き、クロエとファイマがのどの奥から小さな悲鳴を漏らした。
俺は『死』の気配を肌に感じつつも心を奮い立たせ、真正面からシュライアを見据える。
「──前言撤回だ。今の君とやり合っても十分に楽しめそうだ」
だが、と彼女は刃のような視線を収めた。
「やはり止めておこう。どうせなら、万全な君と矛を交えたいからな」
とりあえずこの場は見逃してくれるらしい。ラケシスにトドメを刺せなかったのは非常に悔しいが、一発ぶち込めただけでも良しとしよう。それに、彼女の性質を考えると、満身創痍の俺にトドメを刺すようなつまらない真似はしないと予想はしていた。
……地獄行きが先延ばしになっただけのような気もするが。
「それに、私がこの場にいることこそが異常だろうからな。私が手を下せば、『
彼奴
』の筋書きから大きく外れる恐れがある。そうなると、私にもお咎めが来るだろうからな」
こちらが理解できない独り言を漏らすシュライア。言及したいが、答えが返ってくるはずもないか。
これだけは聞いておきたかった。
「……なんでファイマを狙うんだ。
大いなる祝福
にとって、ファイマを狙う価値ってのはなんなんだ?」
シュライアという戦闘狂が属する組織の目的として考えると、地位や金が目的だとは考えにくい。
「私の口から直接は漏らせんよ。ただ──」
シュライアはファイマを見据えていった。
「おそらく、『彼女』を狙う理由に関してなら──本人に聞くのが一番だろう。
なぁ、ファルマリアス様?」
「──ッ」
名を呼ばれたファイマが息を飲んだ。
漠然とだが、俺の知るファイマの名前と、シュライアの呼ぶファイマの名前では意味合いが違うように思えた。
「──そうだ、最後にこれだけは言っておこう」
ラケシスを担いだシュライアは、森の中に足を踏み入れる直前にこちらを振り返った。
「君と私が初めて会話したときの内容を覚えているか?」
──明確に
結社
への敵対行動を続けるのならば、私は『カンナ』という冒険者の存在を『障害』として結社へ報告しよう。
そんな話もあったっけな。本当は忘れたかったが。
「此度の顛末は、間違いなく『糸使い』の口から語られるだろう。その結果、君は間違いなく『
大いなる祝福
』に知れ渡る」
「……できれば、遠慮願いたい」
「『糸使い』だけではなく、私も口添えするからな。それは無理な相談だ。諦めろ」
彼女は心底愉快そうに笑った。
「ではな白夜叉。再び相まみえる日を心待ちにしているよ。それまでは生き延びてくれ」
最後にそう言い残して、天剣のシュライアは森の奥へと消えていった。
災厄
が消えてから数分が経過してから、ようやく場を支配していた緊張感が和らいだ。
「……と、とりあえず、生き残れたようですねカンナ様」
「そう…………だ……な」
緊張の糸が切れたおかげか、それまでどうにか保っていた意識が限界を迎えた。クロエの言葉に頷いた途端に視界がボヤケてきた。
「ちょっと、カンナ!?」
「カンナ様!?」
彼女たちの呼ぶ声が耳に届くも、それに答える間もなく俺の意識は闇の中へと沈んでいった。