Kanna no Kanna RAW novel - chapter (144)
第百三十四話 自覚し始める感情
意識が戻ると、目の前には見知らぬ天井が──。
「──広がってねぇな。割と見覚えあるな」
既視感どころか、全く同じ天井を以前にも見たことがあった。
そう、ドラクニル帝立病院の病室だ。どうやら、俺はまたも運び込まれたらしい。
こんな短期間に病院に二度もかつぎ込まれるなど、『現実世界』では考えられなかっただろう。この世界でいかに危険な場面に遭遇しているかが分かる。
だとしても、どうにか今回もその危機を乗り越えたようだ。またもギリギリな展開ではあったが、俺の運もそう捨てたものではない。ただ楽観視できない点があるのも忘れてはならない。これからのことを考えると色々と憂鬱になる。
医者の話によれば、俺が遺跡で気絶してから三日が経過していた。肉体の負傷は既に治療されており、後は体力が戻るのを待つばかり。
そのすぐ後、俺の意識が戻った報は幻竜騎士団に届き、レアルが病室に訪ねてきた。
彼女の顔には呆れが張り付いていた。
「……どうして部屋に入るなり呆れ顔なんだよ。ここは窮地を脱して生き延びた俺を褒める場面だろうさ」
「君はどうしてか、事が終わると必ず意識を失っているからな。褒め言葉よりも『またか──』という気持ちが先に出てきても仕方がないだろう」
渓谷の時も、鉱山での一件も、そして
遺跡
での事件も、俺は最後は必ずと言っていいほど気絶している。レアルの気持ちも分からないではなかった。
レアルはベッドの側にある椅子に腰掛けた。
「まぁ、君が簡単に後れを取るような人間でないのは、私が一番知っているつもりだ」
「それって褒め言葉なのか?」
「間違いなくな」
レアルと二人して笑い合った。
ここからはまじめなお話だ。
「カクルドとスケリアから、大体の話は聞かせて貰っている。また色々と手間を掛けさせたな」
「そういや、あの二人は? 結構な深手を負ってたはずだが……」
「キスカ殿の応急処置が幸いして、一週間も治療に専念すれば現場に復帰できるそうだ。後遺症も残らないらしい」
「そりゃ重畳だ」
一応、俺はレアルがどれだけ事情を把握しているかを確認した。彼女が口にした内容に目立った不備はなく、訂正する必要はほとんどなかった。
「しかし、まさかこちらが用意したガイドの中に『刺客』が潜んでいたとはな。これは間違いなく
幻竜騎士団
の落ち度だろう」
「正確には親子の片割れだったがな。実際のところ、パペトの身元はどうなってんだ?」
「あのパペトという男は、確かにドラクニル内でもそこそこに名の知れた
案内役
だ。詳しい身元に関しても、事前に調査させたので間違いない」
他国のご令嬢の案内役だ。過去の経歴に後ろ暗いものが無いかは、念入り調査し、その上でパペトに依頼する運びになったのだ。
「ってことは、パペトは単純にラケシスに利用されていたって事か」
パペトと操られていた軍人は未だに意識が戻ってしておらず、俺と違って回復の目処が付いていないらしい。医療に詳しい魔術士の見解によれば、深い洗脳による精神への干渉が脳に少なからずの
負担
を強いていたためだと考えられている。
「ただ、不可解な点が幾つかある」
レアルはパペトに仕事を依頼するに辺り、短時間ながら部下に可能な限りの調査をさせた。それこそ、経歴はもちろん交友関係や血縁関係に至るまでだ。
「そして部下の一人を、仕事の交渉をさせにパペトの家に向かわせたのだが……その時点で既にマリト──ラケシスが既に息子として収まっていたようだ。彼の自宅で息子として振る舞っているラケシスの姿を覚えていた」
「……それは本当か?」
「ああ、間違いない。念のために、皇居勤めの魔術士やファイマ嬢にその部下を魔術的に検査してもらったが、洗脳の痕跡は無かったようだ」
つまり……どういう事だ?
「ドラクニルは世界有数の規模を誇る都市だ。そのため、観光業の一環として
案内役
を営んでいる者たちはそれなりにいる。パペトに仕事を依頼したのはほとんど偶然だ」
パペトはそれなりに実績がある案内役ではあったが、彼と同じ程度の案内役は他にも何人かおり、その中から選んだのがたまたまパペトだったという話だ。
「その他の案内役たちに関しても色々と調べさせているが、どれもパペトと似たような経歴の持ち主だ」
「悪い──話が見えないんだが……」
いまいち要領が掴めなくて、俺は頭を掻いた。
「病み上がりだから仕方がないか……。つまり、だ。何故ラケシスは息子として潜入する相手をパペトに選んだかが不明なのだよ」
ここまで言われて、俺はようやく話を飲み込めた。
パペトに仕事を依頼した〝後〟に、パペトを洗脳して息子と誤認させるのならばまだ自然だ。
「けど……偶然選んだに過ぎないパペトに、仕事を依頼する前からラケシスが息子として接近していた。そりゃ確かにおかしい」
まるで──レアルがパペトを選ぶことを、
本人
より先に知っていたかのようだ。
「さらに詳しく調査を進める予定だが、今はこの程度か。一応、頭の中に止めておいてくれ」
「了解だ。じゃぁ、次は俺の方だな」
「ああ。客観的な一部始終は既に聞いている。今度は君の〝主観〟からの見解を聞いておきたい」
「了解。……あ、けど割と危ない内容が多いんだが──」
「部屋の外にも部下に見張らせているし、声が聞ける範囲の人払いは完了している。部屋自体も防音性が高い構造になっているので問題はない」
任務の最中に重傷を負った入院中の兵や騎士から団長らが報告を受ける場合もあるので、部屋自体に高い機密性が求められるのだと言う。
──俺は以前に夜会でシュライアと遭遇した一件を含めて、今回の騒動に関わると思える全ての事柄をレアルに伝えた。無論、
大いなる祝福
の事に関してもだ。
……もちろん、シュライアからの
殺し文句
は伏せて。
「元Aランク冒険者と、それに匹敵する実力を有した者たちが属する組織か。なるべくならもっと早く知らせて欲しかったよ」
「…………や、悪い。色々と重なって伝え損ねてた」
実は夜会後に会ったとき伝えようと思っていたのだが、その矢先にファイマとの『ニャンニャンタイム』が発覚してしまった。レアルが怖すぎて頭の中から完全に抜け落ちていたのだ。
「その
大いなる祝福
とやらの存在を知っているのは、君以外には他にどれだけいる?」
「面と向かって伝えたのは今が初めてだ。他にも、俺がラケシスやシュライアと話しているときに会話を聞いていた他の面子も名前だけなら聞いているはず」
「そうか……。聞いた限りでは、以前に渓谷で襲ってきた者たちも、その組織の差し金であろうな。『例の気配』も感じたのだろう?」
「証明する手立ては無いけどな」
俺の中では確信があるのだが、どこまでいっても俺の主観だ。確固たる繋がりを証明する材料にはなり得ない。
「規模や目的は不明だが、『天剣』が属している点を考えると相当大きな後ろ盾があるか、彼女にとって有益な何かしらがあるのだろう」
どちらにせよ、マトモな集団でないのは確実だ。
「ぶっちゃけ、全く予想がつかねぇ」
「私もだよ。……手掛かりが皆無──では無いがな」
それに関しては、俺も少しばかり心当たりがあった。間違いなく、俺とレアルの考える『手掛かり』は同じだ。
正直に言えばあまり気は進まなない手段。けれども、ここに至りそろそろ許容できない事態になっている。
「……『彼女』には些か気の毒だが、致し方ない」
同性である
彼女
に対し思うところはある。だが、それでもレアルは責務ある者の顔をした。
──クラッ……。
不意打ち気味に起こった目眩に、俺の躯がバランスを崩す。躯がベッドの外へ傾げてしまい、このままではベッドから転げ落ちる。
躯に力が戻っておらずに堪えきれなかった俺だが、ちょうどレアルの方へと倒れたのが幸いし、彼女に支えられてどうにかベッドから落ちるのを免れた。
「すまない。病み上がりに長話が過ぎたな」
「や、ありがとよ。どうにもまだ躯がポンコツみたいだわ」
三日間も寝たきりで、ろくな栄養も取っていないのだ。体力なぞあるはずもないか。俺は自嘲気味に軽く笑った。
だが、不意にレアルの表情が陰った。
「どうしたレアル?」
「……やはり、君は少々無茶が過ぎる」
そう言って、彼女は俺の頭に──『髪』に触れた。
俺の髪の色は本来、日本人らしい黒色だった。それが、渓谷で襲ってきた魔術士──おそらくは
大いなる祝福
の一員──を迎撃する際に精霊術の酷使で躯に影響が出たのだ。結果、俺の髪は白に、目の色は赤に変色してしまった。。
「……あまり無茶ばかりしてくれるな」
レアルは俺の髪に手を触れたまま、こちらをのぞき込んできた。
至近距離から見える彼女の碧眼には、不安げに揺れていた。
「ファイマ嬢もクロエ殿も心配していたぞ。君が運び込まれた当初は、この病室から離れたがらなかったほどだ」
「心配かけたのは悪いと思うが……こればかりはな」
『俺の向かう先々に、格上の敵が多すぎる件について』
何故か、ライトノベルのタイトルみたいな台詞が浮かんだ。
「……今回の件もスケリアたちから状況は聞き及んでいる。カンナがそうせざるを得なかったのも理解している。だとしても、己の身を軽んじるな。少なくともあの二人は君を案じているのだからな」
そう言われてしまうと返す言葉がなくなってしまう。
「……二人に会ったら謝っとく」
「そうしておけ」
──ただ、残念ながらこれ以降の無茶を重ねないという保証はできなかった。
この世界に来てから色々と揉まれて多少はマシになったろう。だとしても、やはり俺が人より劣っているのは間違いない。無茶を重ねてようやく一人前なのだ。
「……怪我人を長々と拘束するのも悪いな。私はこれで失礼させてもらうよ」
どうしてかレアルの表情は晴れることはなく、椅子から立ち上がると出口へ向かった。俺はそんな彼女になんら言葉を掛けられずに、背中を黙って見送るしかなかった。
けれども、彼女は部屋の扉を開く寸前に顔を少しだけ振り返らせた。
「……最初に私は言ったな。『呆れた』と」
レアルの表情を伺う事は出来ない。
「だがな。渓谷の時も、鉱山の時も、そして今回も……」
だというのに彼女の声が強く俺の心に深く響いた。
「ここにも、君を心配していた人間が居る。それを忘れないでくれ」
──感じたのは強い悲しみと、小さな怒り。
レアルが部屋を去った後、一人残された俺は己の胸を手で押さえた。
「……痛ぇな」
クロエやファイマに抱いている罪悪感はもちろんある。心配を掛けた事への申し訳なさだ。
けれども、レアルが最後に残した言葉に、俺は胸が締め付けられるような痛みを覚えたのだった。