Kanna no Kanna RAW novel - chapter (162)
第百五十話 嫉妬の咆哮
──カンナと分かれ、屯所の執務室に戻った後に書類作業を行っていたのだが、ふとカンナへの用事を一つ思い出した。
特別に急ぐ内容では無かったが、思い立ったら吉日というか。あまり好きでは無い書類作業でストレスが溜まっており、気分転換の意味も兼ねて
レグルス
は屯所から出て再び皇居へと向かった。
皇居の正面門をくぐり、内部の廊下を進みながら
レグルス
はカンナという男に関して改めて思いを馳せていた。
(ユルフィリアの牢で初めて顔を合わせたときは、変な少年としか思っていなかったのだがな)
当初は『少し変わった少年』程度の印象だった彼が、今やディアガルの皇帝に存在を認められるほどにまでなっている。まるで、一人の少年による
英雄物語
を実際に目の当たりにしているような気分だ。
「やっていることは勇者や英雄などとはほど遠い男であろう」
勇者や英雄が好む『正々堂々』とはほど遠い。しかし、結果だけを見ればまさしく英雄さながらの活躍をしている。これが滑稽と呼ばずしてなんなのだろうか。
「……だが、女にだらしないところは頂けないな」
仮面の下に隠れた口元がへの字に歪んだ。
英雄色を好む、というのはよく聞く話だ。
物語に出てくる英雄の色恋沙汰も千差万別だ。一人の女性と永遠の愛を誓い合い添い遂げる者もいる一方で、周囲に多くの美姫を侍らせて欲望のままに振る舞う者もいる。
カンナは手当たり次第、というわけでは無いだろう。
だが、確実に『
女誑
し』だ。
女性への下心をおくびにも隠さないが、妙なところで無駄な紳士ぶりを発揮している。言い換えれば、女性の魅力的な部分を(容姿を含めて)嘘偽り無く褒め称えながら、無理矢理に手を出そうとしない。けれども、求められればきっちり答える辺りが本当に
性質
が悪い。
「おそらく、クロエもファイマ嬢もそんなところであいつに
絆
されたのだろうな」
話を聞くだけであれば、クロエは恩返しで、ファイマはやむにやまれぬ状況でカンナに躯を許している。しかし、レアルはそれだけでは無いと確信していた。
時折、あの二人がカンナを見るときの目はただの仲間、護衛者に向けるそれではない。
紛れもない『恋慕』の感情が含まれていた。
──ズキリッ。
『それ』を再認識すると、
レグルス
の胸に締め付けるような痛みが走った。
(む、いかんな。これ以上は〝歯止め〟が無くなりそうだ)
胸の内に沸き上がりだした『感情』にレアルは蓋をした。それこそ、今被っている
甲冑
で覆い隠すよう。
──今の私はレアルという女では無い。『レグルス』という一人の騎士。ディアガル帝国を守護する者なのだ。
故に、今の感情を──『嫉妬』を抱く余裕など無い。
ざわつく内心を落ち着かせながら、
レグルス
はファイマの宿泊している部屋の扉前に立つ。
話し合いが終わっていればいいが、と考えながら扉をノックしようとして、不意にその手が止まる。
「む、よく考えると、年頃の男女が二人で同じ部屋にいるのか」
形はどうあれ二人は一度致してしまっている。だがそれは、ファイマの身分が明らかにされる以前の話。ファイマが王女であるという事実はカンナにも伝わっている。さすがに王女相手に手を出すような命知らずでは無い──はず。
……………………………………。
「ま、まさかな」
しかし、一度沸き上がってしまった予感を、
レグルス
は否定しきれなかった。
ノックしようとしていた手がぴくりとも動かない。
寸前までの思考が尾を引きずっていたのだろうか。ここで
レグルス
は普段であれば絶対に取らないであろう行動に出てしまう。
逸る心臓の鼓動を押さえつけながら、音を立てないように扉のドアノブに手を掛け、ゆっくりとひねる。
そして、僅かに開いた扉の隙間から部屋の中を伺った。
男
と
女
が、ソファーの上で身も心も繋がり合っている光景が目に飛び込んできた。
二人は互いの躯、そして行為に夢中で扉から中の様子を覗き見ている
レグルス
に気がついていない。それが幸いか不幸かは
レグルス
にも判別できなかった。
己の目と耳の良さを、これほど疎ましく思ったことは無い──
レグルス
は真っ白になった思考の中でそんな言葉を浮かべた。
ファイマの情欲に彩られた女の顔も、その口から紡ぎ出される妖艶な声も、二人の躯がぶつかり合う音も全てありありと認識できてしまう。
覗きという、騎士として──それ以前に人として決して褒められた行動では無いというのに、二人の行為から目が離せない。心臓は破裂してしまいそうな程に高鳴っている。下腹部の奥底に強い熱が帯びるのを感じた。
レグルス
が見ているとも知らずに、室内の二人の行為は続く。カンナとファイマは繋がり合ったまま、互いの唇を重ね合わせた。
──ギリッ。
レグルス
は一瞬、その音がどこから発せられたのかを理解できなかった。
数秒が経過してから、己の口から出た〝歯噛み〟の音であると気がつく。
──私は今、
彼女
を羨ましいと思った?
──『嫉妬』という感情を抱いた?
そこに思考が辿り着いた途端、一旦蓋をしたはずの『
感情
』が一気に溢れ出しそうになった。
「──っ!?」
思わず叫び出したくなるような衝動を懸命に堪える。
身を焦がすような憎悪に心が染まった時のように、僅かでも気を抜けば爆発してしまいそうな感情の波が躯を支配しようとする。
これは、彼女の躯に流れる『エルフ』の血とは別に流れる、
もう一つの血統
が起因していた。
力任せに振るいたくなる右腕を、どうにか左手で押さえ込む。力が制御できず左手で握りしめた右腕──鎧の籠手が拉げて歪む。歪んだ鎧に挟まれ腕が痛むも、それよりも激しい痛みが胸中を苛む。
──気がつけば、
レグルス
は人気の無い荒野に立っていた。
皇居を跳びだした後までは記憶に残っていたが、その後の記憶が曖昧だった。いつの間にかドラグニルの外にまで出てきてしまったようだ。
周囲には誰もいない。人がいるはずのドラグニルは遙か彼方に小さく見える程度。
この場所でなら──存分に力を振るえる。
「『ドラゴニック・レイジ』──ッッ!!」
レグルス
は感情の赴くままに魔術式を発動。膨大な魔力が全身から吹き荒れる。それだけで纏う全身鎧に亀裂が生じた。
「──────────────────ッッッッ!!」
もはやそれは、人の発する声では無かった。体中に駆け巡る暴力衝動に身を任せ、あらゆるものを粉砕せんとする荒れ狂った獣。理性を投げ捨てた暴虐。
竜の咆哮だ。
そのまま
レグルス
は背中の大剣を引き抜き、衝動の赴くままに振り下ろした。
直後、ドラグニル市街にて誰もが小さな揺れを感じ取った。