Kanna no Kanna RAW novel - chapter (177)
第百六十五話 出会いが感動的でなくとも──
結局、うだうだと悩んでいる内に出発の時刻になってしまった。
離陸の準備が終わった天竜騎士団の飛竜たちの側には、防寒具を着込んだ帝国騎士たちが立っている。山よりも更に上の高度を飛翔するわけだから、飛竜もそれに乗る者たちも上空の冷たい空気に晒される。寒冷対策は必須だろう。
クロエとファイマも、帝国軍から支給された防寒具を身に纏っている。いつもは動きやすい格好をしている二人が着込んでいるとちょっと新鮮だな。あちらも天竜騎士と一緒に飛竜に乗り込む準備を進めている。
俺は氷の精霊を扱う関係上、寒さ──冷気に対しては滅法耐性がある。今の俺ならば、氷の大精霊と出会ったあの霊山で、肌着一枚で一晩過ごしても風邪すら引かずに快適に過ごせる自信がある。
ただ、流石に普段着のままでいると『他の者が見ていて寒い思いをする』とファイマに言われてしまい、仕方が無く周囲に合わせて防寒着を着用した。寒さに耐性ができたからといって暑さに弱くなったわけでは無いので特に問題は無かった。
問題なのは──。
「…………………………」
「…………………………」
──絶賛拗れ中な
意中の相手
と、真正面で向き合っているこの状況である。
本来なら最終調整のために
団長
の所に
騎士
がやってくるのだろうが、俺と
レグルス
の間にある異様な空気を察してから近づこうとすらしない。誰もがちらちらと遠目にこちらへ視線を向けてくるだけだ。
今更ながら、帰りたくなってきた。
「キュ?」
今は装いを調え、運搬する物資や鞍を装着したヴァリエが、この雰囲気に気づいているのかいないのか、小首を傾げる。
この状況を作り上げてくれたファイマとクロエに目を向けると、彼女たちはどや顔をしながらぐっと親指を立ててきた。思わず「やかましいわボケ!」と叫び出したくなるが、のど元でぐっと堪え、小さな溜息に変換してはき出す。
「……時間だ。後ろに乗れ」
「……あいよ」
端的に簡潔に。ついでに冷たく
レグルス
が言い放つと、俺はそれに従いヴァリエに乗り込んだ。続けて
レグルス
が跨がると、周囲の者たちも団長に続いて飛竜に跨がった。
「これより、我々はディアガル、エルダフォス間の国境を空路で横断する! 陸路ではないが、上空にて魔獣と遭遇する可能性も少なくない。各々、決して油断することないように注意しろ!」
私事に問題があっても、指揮官としての職務には影響ないようだ。女伊達らに騎士団の団長を任されているわけでは無い。威厳のある声が周囲の騎士たちの〝芯〟にまで浸透するのが分かった。
「総員、離陸開始!!」
「キュイィィィィィッッ!!」
主の命に従い、ヴァリエが翼をはためかせて飛び立つ。それに追従し他の騎士たちの飛竜も飛翔を開始した。よどみの無い動きで時をおかずして全ての竜騎士、飛竜が上空へと羽ばたいた。
瞬く間に地面が下へと離れていく光景は目を見張るものがある。しかも、飛行機のように壁や窓を隔ててでは無く生でその様子を拝むのだ。迫力が違う。
クロエとファイマが、前に座って飛竜を御している天竜騎士の背中に縋り付いていた。おそらく、あの二人は飛竜の背に跨がるのは初めてなのだろう。ここからではさすがに表情は見えないが、盛大に顔が引きつっているのは想像に難くない。
幻想
世界では
現実
世界以上に空を飛ぶ手段が限られている。地面から足が一定距離以上離れる機会など滅多に無い。一生に一度、あるかないかという人間がほとんどだ。
それと同時に、しがみつかれている騎士たちの背中には、防寒具の上からでも分かる程盛り上がっている極上の
感触
が触れているのもまた想像に難くない。あ、騎士たちは防寒具の下にも鎧を着込んでいるから、直接感触は味わえないのか。うむ、残念であろう。
いつもだったらこのまま
馬鹿な
事を考え続けているところだが、今回ばかりはそうもいかない。
背後に飛竜とそれに乗る天竜と幻竜の騎士たちがいるが、飛翔中に響く風の音の中であれば、余程大声を出さなければ誰にも聞こえない。
彼女たちのお節介のおかげで、ヴァリエの背中の上ではあったが、
レグルス
と二人っきりなのだ。今を逃せば、任務が終わるまで彼女とじっくり話せる機会は格段に少なくなる。任務が終わったとしても、いつ二人になれるか分からない
……絶好の機会だと理解はしていても、どう話を切り出したものかと頭を悩ませる。
前に座る
レグルス
の背中からは、拒絶の
気配
が滲み出ているかのようだ。
……俺の考えが正しいのであれば、彼女も俺のことを憎からず思っている事になる。だからこその不機嫌。しかし、そうであれば尚更気まずい。大恋愛の末に結婚した夫婦でさえ、一発で離婚調停まっしぐらな現場を目撃されたのだから。
普段であれば空気を読まずに直球で問いかけるのだが、さすがの俺も男女関連のあれやこれや──しかも自分が当事者とくれば躊躇せずにはいられない。
決して、下手に刺激してヴァリエの背中からたたき落とされるのを恐れたからでは無い。ごめん嘘、ちょっとだけ怖い。
と、頭を悩ませ視線を下げると、俺の目に下界に広がる光景が映り込んだ。
広大な大地。
草木が生い茂った森。
遙か遠くにそびえる山脈。
どこまでも続く地平線。
これに似た光景を、俺はこの世界に来たばかりの頃に見た覚えがあった。
「……ヴァリエの背中に乗ってると、ユルフィリアの城を飛びだした頃を思い出すよな」
「──ッ……」
俺の言葉に
レグルス
の肩がびくりと震えた。
ユルフィリアの王城を脱出した時も、俺はこうしてレアルの後ろでヴァリエの背に乗っていた。
大自然を全身で感じたような感動は忘れようも無い。
けれども、それよりも深く心に刻まれたものがあった。
──牢屋に捕らわれていた、美しい女性との出会い。
一番脳裏に刻まれているのは、彼女の『目』だった。
鎖に繋がれ、惨めな姿を晒しながらも決して折れなかった強い目。心を支配する感情は怒りであっただろうが、その意志の強さを感じられる瞳に心を揺さぶられた。
出会い方は感動的とは言えなかったが、それでも俺の人生の中で最も心に深く刻まれている。いつからこの気持ちが芽生えたかは定かでは無い。だが、その最初の切っ掛けを作ったのは、あの出会いだったのは間違いない。
改めて自覚できた。
俺は間違いなく、レアルに惚れているのだと。