Kanna no Kanna RAW novel - chapter (180)
第百六十八話 気になるあいつはニトログリセリンみたいになってる
問題は解決せずとも、レアルと話せたことは俺にとっては僥倖だった。
あれ以降、会話の数こそ少なくなったが、険悪な空気は薄れた。依頼の最中に妙な形で拗れた関係が爆発してしまう心配は少なくなったと見ていいだろう。
俺たちを乗せた飛竜の編隊は、一人の脱落者も出すこと無く無事に国境代わりの山脈を越え、エルダフォスの領内に入った。
「……なんか、見渡す限り緑色しかねぇんだが」
山脈を越え、高度を下げると徐々に眼下に広がったのは広大な森。遠くを見れば、地平線の代わりに
木
平線が広がっている。
「エルフは森と共に生きる種族だからな。エルダフォスの領内はその大半が樹海だ」
この深い樹海はエルダフォスにとっては恵みであると同時に、外敵からの侵入を防ぐ天然の防壁でもあった。
「ディアガルがエルダフォスと戦争をしていた話は聞いたか?」
「国境やら何やらでお互いにあまりにも攻めにくいから、直ぐに友好関係を結んだとは聞いてる」
「エルダフォスの軍にとっては、我々が今越えた山脈が最大の難関だった。だが、ディアガル帝国軍にとっては、この大森林こそが難所であった」
屈強な竜人族の兵でさえ、この森の深さは過酷であり、大隊からはぐれた小隊規模の部隊がいくつも行方不明になった。ひどければ大隊が丸ごと遭難し、行方知らずになったコトもあるらしい。おかげで帝国軍はエルダフォスの首都に近づくことさえできなかった。
だが、ディアガル領内に侵入したエルダフォス軍もそれは同じだ。地の利は
敵側
にあるのは当然として、
首都
への道程には強力な魔獣の生息地が多く存在する。戦力を維持したまま首都へ侵攻するのは不可能に近かった。
「残された戦時の資料によれば互いの部隊が衝突して戦死した人間よりも、遭難して行方不明になったり魔獣に殺された人数の方が遙かに多かったそうだ」
「で、あまりにも不毛すぎるから、友好関係を結んだと?」
「被害と利益があまりにも不釣り合いだったからな」
下手に損害を出すよりかは、不干渉に近い友好関係を築き、細々とでも国交をした方が互いの利益になる。そして現在では互いを行き交うための道のりがある程度整備されるまでになったのだ。
「んで、どこに降りるわけさ。今の話を聞く限りだと、まさか森のど真ん中に着地するって訳じゃないんだろ?」
「我々が予定通りの針路を取っているなら、しばらくすれば木々が開けた場所がある。エルダフォス側の使者がそこで待っているはずだ」
いくら皇帝が直々に認めた書類とはいえ、よほど緊急な内容でなければこうした事前連絡は当たり前らしい。
「なぁ、エルダフォスの首都ってどんなところなんだ?」
「一本の巨大な大樹を中心に発展した都であるらしい。……私は実際に見たことはないがな」
彼女は少し間を置いてから言った。
「……この身にはエルフの血こそ流れているが、生まれも育ちもドラグニルだ。エルダフォスがどのような場所かは、生前の母から聞いた話だけでしか知らんのだ」
生前の母──リーディアルの婆さんから聞いた話では、確か『レイリーナ』という名前のエルフだったか。彼女は裕福だったエルダフォスの実家を飛びだし、レアルの父親となる竜人族の男性と共にディアガル帝国に身を寄せていた。どうしてそんな出奔紛いな行動に出たのかは、婆さんの口からはついぞ語られなかった。
俺がこれらの事実を知っているのを、レアルは知らない。レアルを介さずに彼女の過去を知っていることに、今更ながらに居心地の悪さを感じてしまう。かといってその事を告げるには少し勇気がいる
どうしたものかと考えていると。
「さて、ここで君に一つ言っておきたいことがある」
顎に手を当てて悩む俺だったが、レアルの声に顔を上げた。兜で覆われていながらも剣呑な雰囲気を醸し出している。まさか、ここに来て重大な事実が──。
「く・れ・ぐ・れ・も! ……失礼な態度だけはとってくれるなよ。下手をすれば外交問題に発展するんだからな」
………………………………。
「おいおい、俺が息をするように失礼をする歩く傍迷惑みたいな言い方は止めてくれ」
韻を踏んで殊更に強調してくるレアルに、俺は肩を竦めるが。
「………………」
返ってきた無言。
兜越しでも分かった。
──今のレアルの目が、完全に据わっていると。
「はい分かりました。ちゃんと自重するんで無言で魔力を溢れさせるのは止めてくれ怖いから」
「頼むぞ……今の私は相当に気が短いからな」
改めて、今のレアルがニトログリセリン並みにデリケートな爆薬状態であることを思い知らされた。