Kanna no Kanna RAW novel - chapter (20)
第十九話 投げちゃいけないなど誰も言っていない
「…………馬車ってぇのは意外と揺れるな」
「そうか? これでもかなり上等な部類だぞ。一般市民が使うような物だと、これ以上に相当揺れる」
人生で初めて乗る馬車の乗り心地は、想像以上に悪かった。不満を漏らす俺に対して、隣に座るレアルは平然としていた。
少し考えれば、現実世界の車両と幻想世界の馬車の差異は歴然だ。動力が馬力とかどうのと言う前に、あちらの車両の車輪は基本的にゴム製だが、こちらは木製だ。そもそも、こちらの世界に来てからゴム製品を見たことがない。車軸の方にも衝撃吸収をしてあるサスペンションなど入っていないだろうし、路上がコンクリで舗装された車道でなく、土を軽く均しただけ。そりゃ揺れるか。頭さえ固定できればどこでも寝られるのが、俺の数少ない取り柄だから、揺れはそこまで問題ないか。
「でも、いくら少ないっていっても、ずっとこの揺れじゃぁお嬢様は辛いんじゃねぇの?」
「一時とはいえ家を離れる時点でいろいろな旅の不便は覚悟していました。それに、こういうのは慣れです。最初は確かにキツイものがありましたが、今ではさほど気になりません」
俺とレアルの新たな雇い主であるファイマは、不満を漏らすでもなくにこりと笑った。深窓のお嬢様では持てない逞しさを感じた。
ーーランドが訪れた日の翌朝、俺らは前もって教えられたファイマの泊まっている宿を訪れた。もちろん、正式な契約を交わすためだ。部屋を訪ねると、ファイマは起き抜けで目をしょぼしょぼとしていたが、件の話を引き受けると口にした途端、一気に覚醒し感激の余りに俺の手を取った。女性に触れる機会が少なかったのと、予想外の喜びように、俺は驚いた。
ただし、今回の件に一つだけ条件を追加させてもらった。
護衛として雇われるなら、俺としては手札を躊躇する気はない。しかし俺の精霊術は、ファイマにとって格好の観察対象だ。教えて『すぐさま出来るようなもの』ではないし、俺だってこの力の全てを把握している訳でもない。というか、教え方を知らない。なので、以後にこの精霊術ーーファイマには魔術で通しているがーーへの干渉を控えてもらう事を条件に出した。それを持ちかけられたファイマは少しだけショックを受けたが。
「確かに、カミシロさんの扱う術式は魅力的ですが、背に腹は代えられませんから、仕方がないですね」
と、すぐに承諾した。こちらから何らかの条件を提示するのは予測できていたのだろう。
現在は、町を出発してから三時間ほど経過した頃。お昼と言うにはまだまだ早い。出発したばかりだが、今のところは何らトラブルは起こっていない。
「なぁレアル、次の町までどのくらいで着くんだ?」
「特に問題がなければ四日かそれ前後だろう。幸い、ここからしばらくは見晴らしのよい平地続きだ。魔獣との遭遇はあるだろうが、盗賊どもの襲撃はあまり気にしなくていいはずだ」
隠れる遮蔽物がない平地で、わざわざ正面から来る無法者はいないか。魔獣は基本、知性を持っていないのでそこらお構いなしだ。ただ、極希に人間並みの知能を持った魔獣も存在するらしいが、その殆どが凄まじい能力を有しており、それが十も集まれば一国が滅ぶとされている。一生巡り会わないのを切に願うばかりだ。
「ところでお嬢様、短い期間とはいえ一緒に旅するんだ。一応、あんたの得意な魔術を教えてくれ」
「…………貴様、お嬢様を戦わせる気か?」
俺としては当然の疑問を口にしたのだが、従者の一人から批判の声が上がった。ランドは馬車の御者で、もう一人は哨戒として馬車の後ろを徒歩で歩いている。幌の中にいる最後の一人だ。
従者ズは例外なくイケメン揃いで、彼も間違いなくイケメンだ。いい感じの渋さが出てきているランドと比べて若々しく、おそらく二十代前半ほど。有月ほどではないが、女子に黄色い声援を浴びるぐらいにはかっこいい。
そんなイケメン君が、俺を睨む。
「場合によりけり。切羽詰まった状況だったら、ここにいる人間の総力が必要になるかもしれないだろ」
「そうならないために、護衛の我々や雇われた貴様たちがいるんだろうが」
「あのね、俺は万が一のことを言ってるだけだ。もちろん、お嬢様を危険に晒さないのが最善だ。そこに異論はない。ただ、常に最悪の事態を想定して動くのが護衛の仕事だと俺は思うわけよ」
ガチガチにルールを固めても逆に動きづらい。必要なのは、咄嗟の状況で動かせる手札の数。多ければ多いほどに使える選択肢が増えるし、たった一枚の手札が全ての戦況を逆転させるのを、俺は経験で知っている。
「新参者が分かったような口を…………」
理論整然な説明をしたつもりだったが、イケメン君はお気に召さないようだ。なにが悪かったのだろう。相手がイケメンだから(爆発しろ)と心の中で唱え続けていたのが悪かったのか。それとも、たまに激しく揺れる瞬間に、お嬢さまのバウンドする胸を凝視していたのが悪かったのか。レアルの胸当ての奥に収まってる山とどちらが大きいのか想像していたのが悪かったのか。
…………あれ? これって普通に怒られる要素?
「よしなさいアガット。カミシロさんの言葉は正しいわ」
「…………お嬢様がそう仰るのでしたら」
主の一言であっさりと引くイケメン君。ざまぁ、とは欠片にも思わない。新入りにデカい顔されれば、よほど人間が出来ていないと良い気分はしないものだ。
「私の得意属性は風で、攻性術式と支援術式が中心です。後の三属性は初級程度は扱えます。未熟な身で、上位属性の習得には至っていません」
魔術には基本の四属性。上位四属性を含み、大まかな三つの部類に分けられている。威力を重視した攻性術式。防御を念頭に置いた耐性術式。サポートに特化した支援術式だ。これを術式特性と呼ぶ。魔術はだいたい属性と術式特性で効果が決定づけられる。基本、人間誰しもが基本属性の一つと術式特性のどれかに適性があり、それを中心にしてほかの魔術も覚えていく。
何事も例外はある。レアルが良い例だ。彼女は特別に得意な属性が無い代わりに、全ての属性に対する耐性術式と、特定の支援術式に秀でている。攻性術式は初級のほんの一部しか使えないが、超前衛役の彼女からしてみればちょうど良い適性だ。
「補足しますと、ランドも火属性の攻性術式と支援術式を扱えます。アガットともう一人は攻性も支援も使えませんが、剣術のみでしたらランドとも良い勝負でしょうね」
「ちょうどいい具合にバランスが良いパーティーになったなこれは」
俺もどちらかと言えば前衛だが、氷の精霊術で遠距離攻撃もこなせえるために遊撃に近い。レアルら前衛三人に、ランドと俺が中堅。万が一の後方支援にファイマとなった。贅沢を言うならば、回復役がほしいところだが、支援術式の中に含まれる回復魔術は習得が困難で、だいたいが医者を営んでおり、冒険者のような危険職に就くことは少ない。
「スキルポイント振り分けのワンクリックで覚えられる訳ないか」
この世界にとっては謎の言い回しに、ファイマもレアルを首を傾げたが、俺は笑って誤魔化した。
「貴様、まさかランドさんと自分が同等とでも言うつもりかッ」
「や、だから俺は冷静に戦力を把握しただけだよ?」
イケメンーーアガット君がまたも噛みついてくる。
「ランドさんは我々の中で随一の実力者。貴様も多少なりともやるようだが、ランドさんの足元にも及ばない。身の程を知れ!」
「誰よりも知ってるさ。余裕を持って勝てるのは路地裏喧嘩までさ。自分の無能とはかれこれ十七年の付き合いだからな」
人に馬鹿にされ、貶されているのは慣れている。悪意のない敵意程度では俺の精神は揺るがない。
しかし、この様子だと、彼は俺がファイマの護衛として同道するのを快く思っていない。昨晩、ランドは従者一同の心は一つみたいに言っていたが、筆頭である彼の言葉だから渋々頷いた、といった感じか。
「なんだその目は。馬鹿にしているのか貴様はッ」
何を言っても食って掛かるねこの人。気に入らない奴の言葉は全て否定の対象になってる勢いだ。子供か。俺も大概にガキだがこの人はそれに輪をかけている。や、興奮気味になると誰しも子供っぽくなるものだ。冷静になった彼が非常に優れた護衛であることを祈る。
それから時間が経ち、午前と午後が切り替わる境に、昼食がてらの休憩に入った。丁度良いところに木が一本生えており、馬車から繋ぎを解いた馬をそれに括り付け、付近の草を食べさせる。俺たちは馬車から降り、座ったままで固まった体の筋肉を解しながら思い思いの休憩をとる。
俺とレアルは昼食の前に体術の訓練を行う。町にいるときほどに本格的ではなく、軽い運動のようなものだ。出来るならば、氷の精霊術も使いたかったが、ファイマたちの目があるので使用は控えた。口止めはしているが、目の前で氷をバンバン作られたら、ファイマの好奇心がまた暴走するかもしれない。
レアルは剣の素振りで型を確認し、俺は柔軟運動をして躯を暖める。数分ほどで躯がほぐれ、いざ開始しようとした。
「おい貴様」
手甲の留め具を確認しているところに、アガット君が声をかけてくる。
相変わらずーーというほど対面してから時間は経っていないがーー何が気に食わないのか険しい面持ちだ。
彼は両手にそれぞれ木の棒ーー木剣を携えており、そのうち左手の一本を俺へと放った。反射的に受け取ってしまうが、戸惑うばかりだが、アガット君はこちらの心境などお構いなしに言った。
「構えろ。俺が相手になってやる」
ーーーーこれが、俗に言う新人いびりか?
困ってしまった俺は助けを求めるようにファイマやランドに目を向けるも、彼らが口を開く前にレアルの言葉が割り込んだ。
「ふむ、たまには私以外と手合わせするのも悪くないだろう」
それまで振るっていた剣をどすりと地面に突き刺した。アガットと俺との訓練に彼女は賛成だった。
「変な言い方だが、私のスタイルは少数派だ。正当からはずれた邪道にも近い。それに、普段から慣れてない武器を使うのも訓練になる。緊急時には手元に得物が無いなど事態などざらにある。有り合わせの武器で対処しなければならない可能性も考えられるしな」
「・・・・この木剣を使えってことか?」
「手甲も足甲も外してな。無論『アレ』も禁止だ。緊急時の防御に使うのは構わないが、その時点でカンナの負けと判断するからな」
普段の指導役にここまで言われたら文句は言えない。彼女の言葉に道理は通っているし、俺も十分に納得できた。
手甲と足甲を躯に固定していたベルトを外し、身軽になると改めて木剣を握り、試しに素振りをしてみる。木刀や鉄パイプはあちらでも使ったことがあるし、誤魔化しは利くか。
「勝手に話を進めさせてもらったが、ランド殿もファイマ嬢も問題ないだろうか。私としては、言った通りカンナに少しでも経験を重ねて欲しかったのだが」
レアルの問いかけに、ランドは問題ないと頷いた。
「私としても願ったり叶ったりだ。アガットも我々と共に常に鍛錬は怠っていないが、たまには我々以外の人間と訓練するのも良い経験になるだろう。それに、私自身、彼の戦い方には興味がある。肩を並べる相手の実力を測るのも必要だろう」
期待に満ちた声に、俺は居心地の悪さを覚える。今からお見せするのはかなり格好の悪い戦い方になると俺の中では確信があった。
「レアル。悪いけど、剣は正真正銘の素人だから、我流でいくぞ?」
「正式に訓練する時間もないし、これはあくまで緊急時の対策だ」
「アガット君も構わないか?」
「好きにしろ」
短い答えと共に、彼は剣を正眼に置いた。堂に入った構えが、一朝一夕の鍛錬で身に付かない重さを感じさせる。俺も同じように構えようとして、思い留まる。年期の違いは明らかだ。同じスタートを切っても勝負にならないのは明らか。どう攻めていくか。
改めてアガットの構えを観察する。否、剣術の素人がいくら構えを見ても読み取れる情報などたかが知れている。
「早く貴様も構えろ。それとも、怖じ気付いたか?」
挑発の言葉を口にするも、彼の表情は険しい。
(むしろ緊張気味だな)
糸が切れる寸前の様な張りつめた空気だ。微塵の隙も感じられないが、それと等しく心に余裕がない。
…………一つ手を思いつく。
もちろん、現実世界にいた頃に使っていた手だ。彼のように正道の剣術を学んできた者ほど効果的な手段だ。
「よし」
俺は剣を片手に持ったまま、手首を捻りくるくると回す。怪訝な顔をするアガット君を余所にそのまま剣を回す。
「レアル。三秒カウントで始めてくれ」
「・・・・構えないのか?」
「いいから」
レアルは俺の手にある剣の切っ先を目で追い、やがて肩をすくめてカウントダウンに入った。悪いな。今からやるのは、始まりがある程度予測できないとやりにくい戦法なのだ。
「3」
正直に言おう。いかに我流の剣術を使おうとも彼に勝てる気は欠片もない。ファイマを襲っていたチンピラどもにすら勝てないと確信できる。
「2」
剣術では勝負にならない。ならばどうすれば相手と戦えるか。
答は簡単だ。これを『剣術同士の勝負』で無くせばいい。相手が得意とするフィールドに立たなければいい。
「1」
最後の一秒。
アガット君の握る手に力が入る。開始と同時に踏み込む算段だ。
対して俺は、左足を大きく踏み込み、体勢を低くする。躯のバネを引き絞り、力を溜め込む。そして最後に、右手に持っていた剣を逆手に持ち替えて固定、腕を引き絞る。
「0ッ!」
開始の合図と共に、アガットが大きく踏み込む。素早い踏み込みだ。普通に構えていたら、彼の動きに反応できずに一本取られただろう。
だから俺は普通に構えなかった。そもそも、剣を振るうつもりもなかった。左足を前に大きく踏み込み、右手は後方で引き絞っている。得物を持つ手の握りは逆手。
ーーそう、これは『槍投げ』のフォームだ。
「ふんぬッ」
鋭い踏み込みで迫るアガットに向けて、俺は木剣を全力で『投げた』。なかなかの速度を得た木剣が、アガットの顔をめがけて空を走る。
まさか、木剣を投げ放つとは思ってなかっただろう。アガットは大きく驚くと踏み込みが鈍る。そして、迫り来る木剣を手に携えた己の木剣で弾き飛ばした。驚いたとはいえ、速度を持った木剣を宙で迎撃するのはさすがだ。
けれども、木剣を弾き飛ばしたところで追撃への反応が遅れる。ほかでもない俺自身の存在だ。剣を投げた直後に駆け出した俺に、彼はさらなる驚愕に躯が固まる。
「どっせいッ!」
そこに、全速力の体当たりをぶちかます。コツは肩から若干斜め上方向を狙って突っ込む事だ。相手の体重にこちらからの衝撃が勝てば相手の躯が若干浮いて体勢を崩せる。
狙いの通り、彼の躯は衝撃に耐えきれず、踏鞴を踏む。そこにすかさず低空タックル。相手の足を刈り取る要領で彼の両足を抱え込む。バランスを崩したところで足を取られれば、彼はもう倒れるしかない。
相手が地面に倒れると俺は即座に両足を解放、素早く躯を動かしそのまま彼の胴体に跨がる形でのし掛かった。こうなってしまえばもうこちらのやりたい放題。
彼が「あっ」と声を上げる前に、マウントポジションになった俺はアガット君の眼前に拳をつきだした。
「勝負有り、だな」
…………よくよく考えたら、これって訓練じゃなくね?