Kanna no Kanna RAW novel - chapter (201)
第百八十九話 どれだけ我慢しても熱いものはやっぱり熱い
──ぶっ殺してやろうか。
八割くらいの本気で、無粋な
闖入者
にそう思った。
俺的に近年希に見る
良いムード
なシーンだったのに、燃え上がりそうになったところで冷水をぶっ掛けられたような心境だ。これで憤らない方が無理だろう。
「────ぬぉっ!?」
俺の殺意の籠もった視線に気圧されたのか、
闖入者
はバルコニーに入ったときの勢いを失ってたじろぐ。しかし、すぐさま気を取り直すと険しい表情で近付いてきた。
「な、なんだその態度は。……そういえば貴様、レアル殿の護衛だったな。たかだか人族の護衛如きが私に対して不敬であろう!」
どうにも、身につけている衣装の豪華さと口ぶりから、招待客の中で相当に位が高い者なのだと推測できた。
そのためか……辛うじて残っていた理性がこちらに詰め寄ってくる
闖入者
の眉間に、氷円錐をぶち込むのを堪えさせた。
──俺のこの場での役割はレアルの護衛だ。
俺が下手を打てば、護衛対象であるレアルにも咎が及ぶ。これからエルダフォスとの関係が濃密になっていく以上、それはよろしくない展開。
俺は躯全体を冷気で覆った。寒さこそ感じなかったが、憤慨で火照った躯を冷ますには十分。それに伴い、
闖入者
に気取られない程度に肺の空気を鬱憤と合わせて吐き出す。
「申し訳ありません。突然の声で思わず警戒をしてしまいました。気分を悪くさせてしまったのなら謝罪します」
心頭滅却してもやっぱり火は熱いがやせ我慢ぐらいは出来る。極力に感情の波が荒ぶらないように心を落ち着かせながら俺は口を開いた。
「先ほどは彼女の頬にゴミが付いておりまして、それを取り除いていただけです。誤解を招くような行為、大変申し訳ありません」
──か、カンナ氏が大人の対応をしてるでござるよ!? もしかして別人じゃないでござるか!?
──明日は剣か槍か──それとも
雹
でも降るのかしらね……。
闖入者
の背後。バルコニーの入り口付近でクロエとファイマのそんな声が聞こえてきたが、今は黙って
無視
をしておく。頼むから煽らないでくれ。
「ふんっ、これだから人族の者は礼儀がなっていない。どうして叔父上はこのような男をレアル殿の護衛に回したのだ」
こう……話に聞いていたエルダフォス人の典型例みたいな男だな。もの凄く端正に整ったエルフ顔に他種族を見下すような物言い。怒りを通り越してむしろ感心する。
予想外の方向で冷静さを取り戻していく俺に、
闖入者
はなおも畳みかけるように続ける。
「まぁよい。私が用があるのはそこにいる美しいご婦人だ。貴様なぞどうでも良い」
普通に考えれば当然だな。
俺は何気なく隣を見て──絶句した。
表情が欠落したかのような能面を浮かべているレアルがいた。
一見すると酷く落ち着いているようにも見える。
だが、側に居る俺の肌には彼女の内面に荒れ狂う感情がびりびりと感じられた。何かの拍子で爆発してしまいそうだ。
もしかしなくても、良い雰囲気を壊された事を俺以上にぶち切れてらっしゃる!
よく見ると目からハイライトが消えてませんかね!?
「お初にお目にかかる。私はこの国の第二王子セリアス・エルダフォス」
幸か不幸か、気取ったような動作で頭を垂れる闖入者──セリアスと名乗ったイケメンエルフはレアルの様子に気が付いていない。言葉で表現すると〝熱に浮かされている〟といった具合か。レアルの顔を見る奴の顔がほんのりと赤らんでいる。野郎の赤ら顔なんぞ見たって欠片も嬉しくないが、どうやらレアルの美貌に陶酔しているのか。
「あなたのような美しいご婦人と出会えた幸運を、天神に感謝いたします」
セリアスはレアルの側で膝を突くと彼女の手を取っると、そのまま己の口元に近づけた。
映画とかでよく見る女性の手の甲にキスをする気障ったらしいあれか。
本音を言うと、惚れた女に他の男がするかと思うとぶっ殺してやろうかと思ったが……俺よりも早くにレアルがセリアスをぶっ殺しそうな勢いだ。なにせ、手を取られた瞬間に目が完全に据わったからな。
(って、これ傍観してる場合じゃなくね!?)
折角俺が我慢したのに彼女が爆破したら本末転倒だ! まさか俺と乳繰り合っている場面を目撃されたことで逆ギレした、なんて理由で国交に亀裂が入ったら
笑い話
にもならねぇ。
咄嗟に俺は手のひらに収まるサイズの小さな氷塊を具現し、指弾の要領でセリアスの眉間にぶち込んだ。
「ぐほぁぁぁっっ!!」
精霊術が込められた指弾を打ち込まれたセリアスはレアルの手を離し鈍い悲鳴を上げながら後方へと倒れた。氷塊は役割を終えた時点で消滅させ、証拠の隠滅は完璧だ。
痛む額を手で押さえ地面で悶えるセリアスから、俺とレアルから視線が外れた。
その隙に俺は右手に超低温の冷気を宿した。とにかく強い刺激を与えてレアルの正気を戻そう。そう考えた俺は冷気を帯びた右手でレアルに触れようと腕を伸ばした。
……ところが、俺もよほど慌てていたらしい。
──ふにょん。
肩の辺りを狙っていた俺の手の平は、その前にとても柔らかいもの摑んでいた。
何だろう、この〝幸福〟という曖昧な存在に形を与えたかのような極上の感触は。手のひらから痺れるような多幸感が脳へと伝わってくる。
────はっ!?
一瞬だけだが完全に意識が飛んでた!
改めて、自身の手が摑んでいる『モノ』を目にして、俺は血の気が引いた。
あろう事か、俺の手のひらは普段は鎧に隠されて決して届かず、だが今はドレスを纏いその柔らかさを主張しているレアルの胸を鷲掴みにしていたのだった。
更に始末の悪いことに、レアルの肩がびくりと震えると完全に据わっていた目に理性の光が急速に戻った。右手に宿った冷気で刺激を与え、レアルの正気を取り戻すという本来の目的は達成できてしまったのだ。
「~~~~ッッ!?」
と、ここで俺が胸を摑んでいるのに気が付いたのか、レアルの顔が真っ赤に染まった。どれほどに普段は男性のように振る舞っていてもやはり女性であり、ちゃんと羞恥心はあるようだ。
と、安心している場合ではない。
「わ、悪いっ!」
人生の中で間違いなく五指に入るほどの大きな決断を強いられつつも、俺はレアルの胸から手を引き剥がそうと腕を引いた。
──パシッ。
「…………え、ちょっと何やってんの」
一大決心でレアルの胸から離そうとした腕を、誰かが手首を摑んで押し止めていた。
他ならぬレアルの手が、俺の腕を摑んでいた。
「──っ!? わ、私は何を……ッ」
少しの間を置いてからハッとなったレアルは、慌てたように俺の手首を解放した。
俺は幻覚を見ていたのかと思いそうになったが、手の平に残る柔らかな残滓と、手首を掴まれた確かな感触が夢でも幻でもないと証明していた。
「す、すまない……」
己の手を胸元に抱くように引き寄せたレアルが、申し訳なさそうに言った。や、それを言うなら咄嗟のこととはいえ女性の胸に触れてしまった俺に咎があるわけで。
それを口にする前に、レアルは──。
「君にもっと触れられていたいと……そう思ってしまって」
………………………………………………。
「ごふッ」
「カンナ!?」
俺は思わず血を吐くような息を漏らし、その場に膝を突いてしまった。
普段は凜々しいレアルから発せられた今の言葉は、
男
の精神をぶち抜くには十分すぎた。
「だ、大丈夫か?」
「ちょっと待ってくれ……それは反則だわぁ」
「……意味が分からないのだが」
今し方自分が発した台詞がどれほどの破壊力を秘めていたのか、レアル当人は無自覚とくる。それがより一層俺の心にクリティカルヒットする。
──なお、
イケメンエルフ
は額の痛みで未だにバルコニーの床で悶えておりこの甘ったるいやり取りを完全に聞き逃していた。