Kanna no Kanna RAW novel - chapter (229)
第二百十二話 口は災いの元とはよく言う話だが、はた迷惑極まりない。
萎縮しそうになる心根を気合いで叩き直し、俺は森の奥へと急いだ。
エルフ兵たちには申し訳ないがあの場に晒したままだ。『灰燼の災禍』とやらの影響でこの辺りには他の魔獣が寄り付かないという。そのことを願って無事なのを祈るしか無い。一応、書き置きは残してある。
「ああもう。こうも障害物が多いとアイスボードもキックブレードも使えやしねぇ」
木の根や地形の隆起が多すぎて、下手をすると走るよりも神経を使い速度が遅くなる。
とはいえ、この世界に来てから鍛えられた健脚のおかげで苦もなく森の中を走ることができる。
──咆哮は、不規則ながら幾度も轟いていた。
「今からあそこに行くのか? ……気が滅入るわぁ」
まさに自分から死地に飛び込んでいく心境であるし、実際にそう間違ってはいない。咆哮の根元に近づくにつれて、殺気がより濃くなっていく。
叶うことなら今すぐに逃げ出したい。あるいは、信頼できる仲間──クロエやファイマを連れて行きたい。もし叶うのであれば、レアルがいてくれれば最高に心強い。
しかし。
──
早く
。
早く
先ほどからずっと精霊が俺を囃し立てている。普段から精霊たちには世話になっている手前、こうも必死な様子で語りかけられたら無視できるはずも無い。
「つか、もうちょい具体的に何がいるのか教えてくれるといいんですけどね精霊さんたち!」
シルヴェイトのような大精霊ならともかく、自然にありふれている精霊たちは自我を持たない意識体。こちらからの語りかけには応じるが、あちらから声をかけてくることは無い。ましてや明確な意志を向けてくる事すら稀なのだ。
その稀な状況が今まさに起こっているだけに、これがよほどの事態なのは想像に難く無い。
「鬼が出るか蛇が出るか……『
鬼
』は俺だっけな」
冗談で緊張に固まりそうな心を無理やりほぐしながら、俺は先を急いだ。
──時は、カンナ達に『咆哮』が届く少し前に遡る。
リクシル草の生息地から少し離れた場所に、古ぼけた建物があった。
大きさにすれば、貴族がパーティーを催す会場程度。人族の倍の寿命を持つエルフであっても古くに建造されたと断じれるほどには時を経たものだ。
中は
がらんどう
としており、天井を支える柱が幾つか立っているのみ。生い茂った植物が中に侵食しており、いたるところから草花が伸びている。
その広々とした空間の再奥に一つ、何かを祀っているかのような祭壇が鎮座していた。そして、祭壇の台座には一つ、怪しい光を内包した宝玉が収められていた。
カンナの暗殺を狙う者達はいま、その祭壇の前に集まっていた。
辺りは静寂包まれ、かすかに聞こえてくるのは風が揺らす葉音のみ。この近辺は魔獣どころか通常の動物すら足を踏みいれないからだ。
祭壇に収められた宝玉からは、禍々しい気配が発せられていた。魔獣や動物が寄り付かないのも当然だ。通常の生存本能を持った生物であれば、五分とこの近くにいられないだろう。長時間止まれば、心臓の前に精神が停止する。そう思わせるほどの狂気がこの空間を支配していた。
暗殺者として心を制御する術を身につけていながらも、誰もが緊張感に身を包んでいる。一人が唾を飲み込むと、その嚥下の音が妙に響く。
知識がなくとも、この場にいれば幼子であって理解したに違い無い。
『これ』は、決して触れてはならない禁忌であると。
宝玉を前にした時、暗殺者のほぼ全員が心に抱いた。
果たして、これを解き放っても良いのか?
いくら『やんごとなきお方』からの指示があったとはいえ、それを素直に受け入れて本当にいいのか。自分たちは取り返しのつかないものに手を出そうとしているのでは無いか。
だが──。
躊躇いを抱いている面々の中で、一人だけが先に一歩を踏み出した。
『これ』の使用を最初に口にし、そして『やんごとなきお方』から直々に指示を受けた者だった。
彼はふらりふらりと、まるで熱に浮かされたかのような足取りで宝玉の元へ足を踏み出す。その最中、懐から取り出したのは一振りの短剣。刀身は、宝玉の光に呼応するように怪しげな輝きを灯していた。
「お、おい! 待て!」
一人が思わず制止の声を上げるも彼の動きを止めるには至らない。
彼とて理性では分かっていた。『これ』は何人たりとも手を触れて良いものではない。手を出せば確実に『身を滅ぼす』類のものであると。『死』を生業にする暗殺者であるからこそ、己の『死』の気配が目前に迫っているのを感じ取っていた。
しかし、その直感を強迫観念と言っても差し支えない念が押しのけ、支配していた。
頭が──心が『やんごとなきお方』の声で埋め尽くされている。『これ』を解き放つことこそが己に課せられた使命であると、信じて
疑えない
。
「──ッ、────ッッ!!」
遠くから声が聞こえ、背後から体を掴まれた。
躊躇わず、振り向きざまに己の体をつかんだ者の首元に短剣の刃を滑らせた。切り裂かれた傷口から吹き出す鮮血。
今の彼にとって最優先すべきは『これ』の解放。それを邪魔する者は排除されてしかるべき。だから、仮に仲間であろうと、己を阻むのならば死んでもらうよりほかない。
身を紅に染めながらも、彼は構わず宝玉の元へと躍り出る。
そして──短剣を宝玉へと突き立てた。
森の中を走り抜けると、ぽっかりと開いた空間に飛び出す。
自然に作られたのか、あるいは人工的に切り開かれたのか。その開けた場所の中央部には、草木が侵食した建造物が立っていた。
「……なんか見覚えがあるな」
一見した印象としては、ディアガルの遺跡──ラケシスと戦ったあの遺跡に雰囲気が似ていた。もしかしたら、同じ年代に建造されたのかもしれない。
そしてやはり、肌を震わせるような殺気は、あの建物から発せられている。
「……いきなり爆発とかしねぇよな」
そう呟いた次の瞬間。
古ぼけた建物が『爆散』した。