Kanna no Kanna RAW novel - chapter (28)
第二十七話 桃なる至福と爆炎なる刺客
ゴブリンと暗殺者達の襲撃からの翌日、俺たちの乗る馬車は渓谷の終盤に差し掛かっていた。昨日の魔獣の待ち伏せもあり、俺たちは一層に警戒を周囲に払いながら進んでいた。
ところが、魔獣云々とはまた違った問題がここで発生した。
「ーーーーむ?」
一番最初に異常に気が付いたのはレアルだ。それまで馬車の後部でそちらの方に注意を払っていた彼女が何かに反応した。
「どうしたのレアルさん、また魔獣?」
待ち伏せされた地点から出発した後に一回。夜を明かし、現時点までにもう一回と戦闘があったが、一度に襲ってくる数も通常と変わらず、頻度も並だ。だから俺はまた魔獣がやってきたのかと思ったのだが。
「いや、違う。これは…………」
ファイマが聞くと、彼女は否定し自分の長耳に手を添えて目を閉じた。妙な音でも聞こえているのか。俺もファイマも彼女に習って耳を澄ますが特に変わった音は聞こえない。
ーーーーミシミシミシッ!
ところが、それから数秒もしない内に誰にも聞こえるハッキリとした『亀裂』の音が響いた。
異常を察知したときには既に遅かった。
バキンっと致命的な音が鳴ったと思ったら突如、俺たちが腰を下ろしていた馬車の荷台が決定的に『傾いた』。
俺が腰を下ろしていた側が下に。対座は上になる形で傾く。
下側にいた俺は急な高さの変化に驚く程度で済んだ。側に座っていたキスカも同じく。元暗殺者の黒髪巨乳も横たわっていたお陰か、幸いにも問題はなかった。
一方で反対側に座っていた面子も、レアルやアガットは咄嗟に側の縁に捕まって事なきを得た。荷物も、刃物関係は他の荷物にしっかり固定していたので危険はない。軽い何点かが転がった程度だ。
「きゃぁっ!?」
ただ唯一、俺とは丁度対面に座っていたファイマが傾きの下であるこちら側に向かって投げ出された。魔術士である彼女は、このパーティーの中で一番運動能力が低かったのが原因だろう。
俺は、咄嗟に彼女の体を受け止めようと身構えた。
「おわっとむごぉぅ!!??」
ん? 妙なくぐもった悲鳴だって?
うん、大体みなさんの予想通りの展開だ。
とりあえず、彼女を受け止めることには成功した。
ただ、ちょっと体勢が悪かった。
俺は腰を下ろしたままだったのだが、彼女がなぜか計ったかのように万歳の形で突っ込んできた。Y→yな感じで、丁度ファイマの胸が俺の顔にぶつかる形で彼女をキャッチしてしまったのだ。
そして、彼女はレアルに匹敵するほどの巨乳である。
遮られる視線に、塞がる口と鼻。柔らかくも弾力があり、崩れ落ちてしまいそうでありながらも存在感を表す二つの柔い塊が、俺の顔面をくまなく圧迫する。
ーーーー俺は、この世界に来て初めて『死んでもいい』と本気で思いました。
って、考えたのは本当に一瞬。
や、間違いなく本気で思ったのだが、いざ命の危機に瀕するとさすがにボケで死ぬ気は失せた。何せ口も鼻も巨乳によってミッチリ塞がれてしまったのだ。新鮮な酸素を取り込めず呼吸困難に陥り始める。
さらに運の悪いことに、混乱していたのかファイマが俺の後頭部を両腕でガッシリとホールド。胸に固定する形で抱きしめてきたのだ。密着度が上がり、さらなる酸欠に瀕する。
解放の願いを込めてファイマの腕をぺちぺち叩くが、彼女からの反応は返ってこない。混乱が後を引いているのか、心なしか腕に込められる力が増す。ちょっとファイマさん。このままだと俺の死因はあなたの胸による窒息死ですよ? 絞殺ならぬ乳殺か。
「ファイマ嬢。そろそろカンナを解放してやらないと危なそうなんだが…………」
「え? …………ああっ、カンナ君ッ」
「ぶはぁッ!」
拘束から解放された俺は、酸素を求めて思いっきり息を吸い込んだ。どうやら乳息死ーーじゃなかった。窒息死の危機からは脱したようだ。巨乳とは、色々な意味で凶器なのだと初めて知りましたよ。
「だ、大丈夫?」
心配そうに聞いてくるファイマ。
「…………大丈夫だからとりあえずどいてくれ」
彼女の気遣いは嬉しかったのだが、些か体勢がよろしくない。俺の言葉にようやく己が俺の体にのし掛かっていることに気が付き、顔を赤らめながら慌てて退いた。異性とのスキンシップはコレまで無いわけではなかったがーー拳と拳だった気がしなくもないが、それとはまた違う女性の柔肌の感触に名残惜しさを感じつつも、さすがにそれを口にはしなかった。
俺とファイマの間に気まずい雰囲気が流れる。多分俺の顔も、彼女に負けず劣らずに赤く染まっているだろう。
何かしらの言葉を口にすべきか否か、迷っていると。
「キ、サ、マァッ! お嬢様になんて事を!」
「いやいやいや、完全に不可抗力ですからね! 窒息の一歩手前になってましたからねッ!」
「黙れっ! 嫁入り前の乙女の純潔を汚す不届き者めっ!」
「そこまで深刻な話じゃねぇだろうがっ!」
「言い訳をするな。女性のむ……む…………むねに顔を…………ええい、痴れ者がッ」
「堅物の上にピュアでさらに逆ギレかッ!」
怒りと羞恥に顔を赤らめるアガットに胸倉を捕まれ、ギリギリと首が締まっていく。これがラッキースケベを体験した時の主人公の境遇か。すぐにファイマの仲裁が入り事なきを得る。
「……………………」
「で、お前はどうしたのよ?」
「…………別に」
レアルから三白眼の視線を頂戴したが、聞くとすぐさま顔を逸らされる。同じ女性として、ファイマに対する不可抗力のセクハラに憤ったのだろうか。や、普段の彼女なら「仕方がない奴だ」と小言の一つで済ませてしまうだろう。不思議だ。
「皆、じゃれ合うのはそこまでにして。今はとりあえず状況の把握が大事よ」
一番冷静だったキスカがそう言い、いつの間にか御者席から離れていたランドが馬車の後部に顔を出した。
「ランド隊長。どうでしたか?」
「左側の車輪の軸が二本とも折れていた。応急処置程度ではどうにもならんだろう」
外にでて見れば、ランドの言葉通りの状況だった。俺が座っていた側、馬を引く方を前とした左側二つの車輪が外れていた。軸となる部分が両方ともポッキリと折れている。
「二本とも折れるとかなんでよ。普通一つのどちらかだけだろうさ」
「一本だろうが二本だろうが車輪がイカレた事実には変えられんよ」
「レアルが最初に気が付いた音ってのは、コレが折れる音だったのか?」
「彼女はエルフだからな。我々では聞き取れないような小さな音でも聞き分けられるだろう。この場合、気がつけたからといってどうこうなる問題では無いが」
車軸の折れた原因は、渓谷の荒れ道が原因だろう。道としての体裁は保っているが、至る所に大小の石が散らばっているし凸凹も多い。それらに乗り上げたり降りたりの繰り返しで、予想以上に車軸に負担がかかってしまったのだ。
「予備のパーツとかねぇのか?」
「車輪は一つ予備があるがそれだけだ。さすがに車軸が折れてしまうと、我々素人の手には負え無い」
「というと、ここから先は歩くしかないでしょうね」
キスカの言葉に頷くランド。
「幸い馬は健康そのものだ。お嬢様を一頭に乗せて、もう一頭に重たい荷物を背負わせれば、後は我々が運べば何とかなるだろう。荷台の方は惜しいが捨てていくしかないか」
そうと決まれば、俺たちはいそいそと壊れた荷台から荷物を運び出した。貴族子女の一人旅(従者込み)にしては、ファイマが予め持っていた荷物の量は驚くほど少ない。食料は金品は余裕を持たせているが、着替え等は最低限だ。各自で分担して運べば、荷台以外は破棄せずに済むようだった。
「この黒髪さんはどうするよ」
意識のない黒髪をどうにか背負い馬車の外に降りる。
…………決して、背中に桃二つの感触を味わいたかったから運び出したのではないと断言しておく。本当に他意はない。
幸せであったのは紛れもない事実だったけどね!
俺の内心の独白を知らないファイマが、申し出る。
「私と一緒に馬に乗せるわ。意識のない人間を運ぶのは骨が折れるから」
人体の不思議である。一説では重心の違いとかなんとか。しかし、丸一日近く意識が浮上しないのは少々不安だ。
「次の町に着いたら、医者に見せた方が良さそうだな」
「そうね。呼吸も安定しているし、目立った怪我は無いと思うわ。ただ、私もランド達も最低限の応急治療の知識しかもっていないから。私たちだけでは識別できない怪我を負ってるかもしれない」
「そうでないことを祈るよ」
現時点では唯一、襲撃の裏側につながる手掛かりだ。昨日の、ゴブリンの襲撃の件もある。無事に意識が戻るのを願うばかり。素直に質問に答えてくれるか、という課題もあるが全ては黒髪巨乳の意識が戻ってからだ。
「…………って、あれ?」
黒髪さんを背負い、密着した距離になって俺はようやく彼女が纏う違和感に気が付く。まぎれもなく『人間』を背負っているのだが『それ以外』の者が身近にいるような感覚だ。後ろを振り返り、背中に乗せている黒髪さんの顔を見る。紛れもなく『人間』の顔をしているが、どうにもそれが不自然に見えて仕方がない。
まるで、そこにある顔に『何かが足りない』ような気がしてならない。
ーーーーだが、その違和感を深く探る前に。
(お?)
視界を閃光が埋め尽くした。
ーーーーーーーーーーーーーー
影は自らの運の良さにほくそ笑んだ。どうやら、乗っていた馬車に異常をきたしたようだ。馬車の車輪が、片側が外れて傾いている。今は荷物を運び出している最中だ。
これで馬車で逃げられる心配が無くなった。もとより逃がす暇すら毛頭ない。ただ、失敗の可能性を念頭に置いておくのが彼の主義だった。
「塵も残さずに爆ぜるがよい」
魔力の気配を感じさせぬ長距離からの狙撃。いかに手練れの魔術士であろうとも、この距離からの不意打ちを察知するのは容易ではない。仮に術式の発動を感知したとして、今から放たれるのは鉄すらも瞬時に溶かすほどの熱量を秘めている。
「鋼炎よ、走れ」
術式が発動し、手から放たれるのは膨大な熱量を秘めた火球。凝縮されたそれは、解放された瞬間その衝撃と熱によって周囲の物体を飲み込み灰燼に帰する。
自らが最も得意としている術式だ。少ない欠点として、前準備としての多大な集中力を要し、連射が出来ない単発の魔術式だが、それを補って余りある威力と射程だ。加えて、魔力を練り上げてから術式の発動までに要する時間はわずかに二秒。即席で作り上げた耐性術式では対処しきれない。それは、コレまで数多の標的を葬ってきた実績が物語っていた。
必殺の魔弾が目標付近に到達。目標である女の側に立っていた、「獣」を背負っている少年に届いた。
(・・・・なんだ?)
気のせいであろうか。その少年と視線が交錯したような。
ーーーーその真偽を考える前に、爆炎が轟いた。