Kanna no Kanna RAW novel - chapter (29)
第二十八話 氷の精霊術師&銀髪巨乳竜騎士VS剛炎帝(第一形態)
人らしき気配を察したのが四秒前。
膨大な量の魔力を察したのが三秒前。
根源を視界に収めたのが二秒前。
魔術が解き放たれたのが一秒前。
そして、ありったけの精神力を精霊術に回せたのが一秒と零秒の間。
氷の絶壁が生じたのが、一秒の十分の一の、さらに半分ほどの刹那前。
鉄を溶かすほどの超熱量が炸裂。冗談のような爆炎が氷の壁を隔てた向こう側で荒れ狂った。
強引という言葉では表現できないほどに無理矢理の精霊術の行使。爆炎を防ぐためにつぎ込んだ更なる精神力。二つの『無茶』に俺の意識が飛びかける。意識を失えば、精霊術で生み出した氷は『ただの氷』に成り下がり、炎は氷壁を瞬時に蒸発させその先にある俺らを蹂躙する。絹糸の一本ほどに残った正気を手繰り寄せてどうにか気絶するのを堪えた。
頭痛を感じるほどの精神負荷に耐えながらも、俺は次の行動に移る。閃きや天啓などではない。経験からくる最善の行動を反射的に行っていた。
不意打ちが最も成功するシチュエーションとは何だと思う?
それは、相手が『攻撃してこない』と確信している状況だ。
言い換えれば『不意打ちが成功した』と確信した相手にこそ『不意打ち』は最も効果を発揮する。
故にーーーーこのチャンスは、絶対に外せない。
弱者が強者に勝ちうる鉄則。
手元に落ちた好機を逃さずに掴み取る事だ。
脳が沸騰する程の圧迫にさらに負荷を掛け、氷の大槍を生み出す。その数を十。
空中に創造したそれらを、超熱量の蹂躙が消滅したのを見計らって砲弾の如く放つ。ほぼ二の手を考えずにありったけの精神力を込めた十の大槍は、それまで俺らを守護していた氷の壁を粉砕し、朦々と立ちこめる粉塵を払いながら直進する。
『敵』の姿は視覚にうっすらとしか確認できないほどの遠目に立っている。幸いにもーーあるいは不幸にも、『そいつ』の気配には覚えがった。
忘れもしない。町でファイマが襲われた時、その最後の最後に現れた異様な魔力だ。寸分の狙いも違わず、精霊術の的に設定する。
槍の命中を確認ーーいや、その寸前でいつかの時と同じような炎の柱が立ち上がる。氷の槍は数秒ほど形を保つが、それが限界だ。瞬く間に水に変じて蒸発した。
『敵』の魔力は未だに健在だ。滓かな減少も感じられない。だが、莫大であるが故にそこに生じる揺らぎーー動揺が読みとれた。状況は未だに飲み込めていないのだ。証拠に、驚異であった十の氷槍を防いだというのに、炎の柱がすぐさまに消えない。状況把握のために防御を固めているのだ。
パシリと、頭に走る鋭い痛みに皮膚が弾ける。精霊術で創造した現象を強制的に破壊されたフィードバックが、負傷の形で体に現れる。頭部の一部分が裂けて血が吹き出す。左目を赤い色彩が覆い隠した。
内面の圧迫と外部の痛みを『根性』で堪える。
あの炎の柱が消える前に次の一手を打たねばならない。それが一秒先か一分先かは定かではない。思考に裂いていられる時間は余りない。あの炎が消えた瞬間、掴んでいたチャンスは霧散する。
あの異質すぎる魔力の持ち主を、本気にさせてはならない。相手が未だに小手調べの段階で、全身全霊を持って潰しておくべきだ。
膝が折れ地面に倒れそうになる。かろうじて俯せに倒れるのだけは避けて膝を突くだけに留める。ついでに、それまで背負っていた黒髪を地面に下ろした。と、今度は立ち上がる力が残っていない。
この距離では、強力な一撃は放てない。
精霊術の利点であり欠点は、使用者の精神に強く影響される点だ。至近距離ならともかくとして、長距離の対象に対しては非常に不安定になる。威力も総じて低くなってしまう。
「レア…………ルッ」
舌が縺れるのは、思考と肉体の繋がりが離れ始めているからか。俺はさらに気合いを込めて口を開く。
「ーーーーッ、私はどうすればいいッ!」
俺の呼び声に、相棒は頼もしく問いかけてくれた。他の四人は未だに言葉を失い呆然としている中、彼女だけは俺の言葉に応えてくれる。敵が誰で状況がどうなのかとの疑問は二の次に、最善の一手を求めてくれる。
口の端が歪む。
「俺を…………担いで突っ込めッ!」
「承った!」
迷い、躊躇いを省略し答えるやいなや、彼女は背負っていた剣を逆手に持つとそれを前方に投擲。山成りを描き遠く離れた地面に突き刺さる。そして、俺を背負って駆けだした。人間を背負いながらとは思えないほど速度で走り抜けながら、レアルが言霊を紡ぐ。
「来たれ、我が翼よっ」
短い祝詞にあわせ、地面に突き刺さった大剣を中心として術式方陣が現れる。術式の閃光と共に現れるのは、力強い翼を持った一頭の獣。霊山を越えた時に乗ったあの竜だ。
レアルが届く前に竜は翼を広げ、大地を駆ける。
「飛び乗る、舌を噛むなよ!」
助走を付け、途中の地面に突き刺さった剣を回収してから長い跳躍。本当にどんな筋肉してたらこんなスタントアクションが可能なのか。俺を背負ったレアルが飛び乗ると、竜は誰に言われるでもなく、それまでの助走の勢いのまま飛翔した。翼をはためかせ、わずかに宙に浮いたかと思えば、レアルの疾走よりも遙かな速度で空を駆ける。
彼我の距離がスタート地点からおよそ半分を切る。この時点で、炎の柱が消滅した。その先に姿を表したのは、豪華な装飾を施したローブを纏う一人の男。
男の掲げた手の平が、こちらに『照準』を合わせた。
魔力が膨れ上がり、術式が発動。尾を引く大きな炎の弾丸がこちらを迎え撃つ。
(発動までが早いッ)
魔力の気配がより顕著になるのは術式を構築し始める段階からだ。そして、用いる魔力が多ければ多いほど、術式が複雑で有ればあるほどに、始動から術式の発動までの時間が長くなる。
男が今まさに放った魔術は、始動から発動までのタイムラグがほとんどない。けれども『当たれば死ぬ』という直感の警報が鳴り響く。
「安心しろ、私が道を開く」
俺がとやかく口にする前に、レアルが応えた。そこに焦りは微塵すら無く、自信にあふれた一言だった。
ギラリと、彼女が片腕で携えた大剣が煌めく。雄々しくも暴力的な力の象徴が銀の光を煌めかせる。
炎は既に目前。このままでは直撃のコースだ。
「キュアアアアアアアアッッ!」
竜の彷徨が轟くと、あろうことか彼ーー今更だが雄か雌か?ーーは翼を畳み首をも胴に巻き付かせた。そんなことをすれば墜落必至。更にこんな超スピードでなどと大事故を自ら起こしているようなもの。驚きはまだ終わらない。竜は翼を畳む寸前に体勢を変化させ、勢いを付けて水平軸から僅かに逸れるように横回転をした。
ーーー斬ッ…………。
俺の混乱を余所に、耳の端に音を拾う。
既にレアルは剣を振り切っていた。始まりは見ていなかったが、おそらく袈裟切りなのは終わりの体勢を見て推測。
僅かに遅れて、後方から爆発音。竜の体が横回転し、視界もそれに従う。自然と視界に入る背後では、渓谷に切り立つ両脇の壁それぞれの一部が大爆発を起こしていた。
未だ無事なこの身。そして後方で起こった二つの爆発。
炎をーー魔術を、斬り払いやがった!
そうとしか説明が出来ない現象が、目の前で行われた。
竜が体を縮こまらせ、軸をずらした状態での横回転などというアクロバッティクな飛行を行ったのはこの為か。大剣をそのまま振るえば、竜の翼や首が障害物になって満足に振るえない。だから、剣を振るう空間を確保するためにあんな無茶な体勢をとったのだ(ちなみに、ここら辺の詳しい描写は後日に竜の主さんから聞かされた)。
アクセル全開の車が一回転のスリップから立て直すようにして、竜が再び翼を開いて前方に飛翔する。改めて前方のローブ姿に目をやると、この距離でも読みとれるほどの驚愕を顔に張り付けていた。
彼我の距離は残り僅か。
男の表情が歪む。恥辱屈辱に塗れた憤怒の感情が露わになり、片手ではなく両手で術式を作り上げる。
ここまで接近してしまえば、先のように魔術を切り払うには時間が足りない。レアルは竜を上昇させようとしたが、遙かに早く男の術式が完成した。炎の弾丸が飛び、竜の進行方向上の地面に着弾し、爆裂した。
俺は寸前に氷の壁を具現。僅かばかりに上昇した竜の下腹部と地面の間に展開する。瞬間で込められる限度の精神で作り上げた氷の壁に注ぎ込むが、爆裂の衝撃に粉微塵と粉砕された。
爆圧に煽られ、竜は乗せていた俺たち諸共宙に投げ出される。地面には巨大なクレーターが生じていた。氷の壁を隔てて衝撃を減らしていなければ即死していただろう。
俺自身には氷と竜が盾の代わりになり、衝撃がほとんど届いていなかった。ただ、そうでありながらも爆破の威力は凄まじく、勢いに負けて俺の体は竜の背から完全に放り出される。
天と地の判別が付かなくなり、まさに前後左右に上下すら曖昧になる空中でありながらも、俺は『そいつ』から片時も意識を逸らしていなかった。
爆発に煽られ、竜の背から放り出されたとしても、それまで竜が俺とレアルを運んでいた際に生じた『慣性』までは消せなかった。宙を飛ぶ翼は無くとも、俺の体は突き進む。
彼我の距離は、もはや無いにも等しい。
俺は今度こそ、魂を注ぎ込むほどの全力で精霊を操り、細かい造形を無視して氷の造形を作り…………。
「グーーーーッッ…………!」
採算度外視に精霊術を使いすぎた『ツケ』が体を蹂躙する。
全身に虚脱感が広がる。目を開けるのすら億劫になる疲労感が駆けめぐる。
呼吸すら困難。思考に割り振る意志力すら乏しくなる。
極寒の地に身一つで放り出されたような寒気に襲われた。氷壁を壊された反動の激痛が神経を焼く。
朦朧とする思考の中、千年の時を過ごす大精霊を思い出す。
彼女は教えてくれた。
イメージは本来なら二の次だと。
重要なのは意志の強さ。
揺るぎ無き精神。
意識が残っている間ならば、精霊術は使える。
たかが虚脱感に疲労感に呼吸困難に激痛。
何のことはない。
いかな無能で無出来で無才と蔑まれようとも。
意地の張り合いなら誰にも負けない。
やせ我慢なら大の得意だ。
諦めの悪さには定評がある。
「ガッ…………ァァアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
自然と口からは絶叫が迸っていた。
意識が戻り力が漲り活力が全身を駆けめぐる。
奥底からこみ上げる心ーー魂の昂ぶりに、精霊は歓喜し応えてくれる!
直径にして三メートル。
厚みにして五メートル。
柄の長さは六メートルを超える。
超巨大の氷槌を生み出すに至った。
勝利の確信に至っていた男の表情が、凍りつく。
空中で身動きが取れない俺を粉砕せんと新たに術式を作っていたが、もう遅い。
両手で柄を握りしめ、全身で叩きつけるように大槌を振るう。
男の手が俺ではなく、振り下ろされる大槌に向けられた。
放たれたのはあの術式。俺の造った氷を二度に渡り破壊せしめた破壊の魔術。男にとってもこの状況は極限状態だったのか。魔力の起こりから術式の発動までのタイムラグが殆ど無かった。
「ーーーーァァァァアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」
大地を焦がすほどの超高温の暴虐はしかし、槌に触れた瞬間に刹那に消滅した。不発ではない。術式は間違いなく発動していた。ただ、大槌ーーそれを構成する氷の秘めた『超低温』が、発生しうる熱量の全てを吸収しただけだ。
最後に男と眼が合う。
瞳の奧に彩られていた感情はーー淀みのない『絶望』。
俺はといえば。
(くたばれ)
怒りを込めた大槌を、俺は全力で叩きつけた。
氷の破壊槌は『小さな抵抗』を文字通り圧殺し、そのまま大地を粉砕した。小規模な地形変化が起こるほどの衝撃が地面を揺るがす。槌の着弾点を中心とした大地が割れ、隆起が起こった。
一つの命が潰れたのを感じ取ると、俺はそのまま意識を手放した。