Kanna no Kanna RAW novel - chapter (33)
第三十話 ござるな属性過多二人目登場
何時からだろうか。頭の中を己ではない『声』が支配し始めたのは。
最初の頃はその声が己にとっての異質と認識できた。だから抗おうと、耐えることが出来た。けれども、反抗の意志を見せれば、身も心をも苛む苦痛が生じた。その激痛は耐え難く、徐々に『声』に抗う意志は消え、『声』の支配を受け入れるようになる。
『声』が意志を支配するにつれて、視界に映る世界に『彩り』が消えていった。色彩は認識できているのだが、そこに何ら反応を抱くことが出来なくなっていた。今に思えば、世界の色に対して抱く感情そのものが薄れていたのだろう。
己が、心を持たぬ人形になっていくのを、他人事のように認識していた。意志と感情を奪われると、『声』は命じた。
ーーーー殺せ、と。
抗う意志もなく、殺しへの感情も消え、『声』に従って動き出す。
狙うは赤い髪をした女だった。それがどのような人物か、彼女をなぜ殺すのか、その理由の是非は関係ない。『声』に命じられるまま、死を運ぶのみだ。
己以外の数人と共に任に就く。おそらく、全員が『声』に意志と感情を奪われているのだろう。会話らしい会話もなく、互いに対して何ら思いを抱くことなく、ただただ行動に移る。
チャンスは存外にすぐ訪れた。赤髪の女は誰かしらを追いかけ、その人物と共に路地裏に迷い込んだ。逃げ場のないここならば、任を遂行するに最も適した地形だ。護衛も諸共を皆殺しにするために襲いかかる。
先手を取るために、同道する魔術士の男が炎の魔術を遠距離から放つ。これで殺せるならばよし。そうでなくとも不意打ちで相手の集団に混乱を呼べるならそれでもよし。
ーーーー予定外の事態が生じた。
女が追いかけていた『誰かしら』がこちらの手の内を予知していたかのように、打つ手の悉くを対処してしまう。初手の不意打ち然り、本命の上方向からの奇襲然り、護衛を突破した個体然り。
女の能力や、護衛達の実力の程は事前情報として知っていた。それをふまえた上で『声』は命じたであろうに。その埒外であった『誰かしら』がすべて打破してしまった。
危うく、襲撃に参加した『声の操り人形』全員が一挙に捕縛される寸前にまで追いやられる。あわや、という所で『声』の仲間であろう男に手助けをされるが、結果としてこちらは仲間の二人が戦線復帰の不可を余儀なくされる。致命傷とまでは行かずとも、骨と内臓に甚大なダメージを負っていた。
何よりも異常なのは、『アレ』が使っていた魔術式だ。術式の構築から発動までのタイムラグが殆ど存在していなかった。『声』の仲間である男にも匹敵する詠唱速度。これを脅威とせずになんとするのか。
だが、『声』も声の仲間の男も、その脅威を気に留めなかった。通常ならば申告の一つもしていただろうが、意志と感情を殺された身として、命令をただ受け取る程度の思考が残されたのみ。無理な話だ。もしこの身が『声』に対して心からの忠誠を持っていたとすれば、この時の我が身を心の奥底から悔やんでいたに違いない。
そして、この致命的な認識の差異のツケは我が身に降り注ぐ。
『声』が用意した魔獣の大集団と、それを囮にした残った我々による奇襲攻撃。その両方が正面から打ち破られた。魔獣どもと、残った三人は討ち取られ、自身も意識を失い捕らえられた。
深い闇の底に墜ちると、僅かばかりに自我を取り戻す。
そして、己の死期を悟った。
『声』は自ら存在が必要以上に表に漏れるのを嫌って、我ら人形に意識と感情を奪う以外の細工を施していた。発動条件は、任務開始より一定の期間が経過することと、任務遂行の不可を自身が認識すること。これらが満たされた時点で、心臓が破壊される仕組みになっている。
最初に思ったのは安堵だ。
これでようやく解放される。僅かばかりの反抗心の度に襲いかかる激痛も、本来ならば望まぬ殺意も抱かずに済む。
けれども、次に思ったのは後悔だ。
家という鎖に雁字搦めにされる人生を嫌った。親の反対も振り切り兄弟姉妹の制止も聞かず、だが祖父の言葉に後押しされて旅に出た。そのこと自体に悔いはない。旅の目的は果たせなかった。その一点に、小さな悔いを残す。
安堵と後悔を越えた先にある、最も純粋な願いが浮かび上がった。
ーーーー生きたい。
自らの死に安堵する傍らで、紛れもない未練を抱く。
ーーーー死にたくない。
自らの後悔に、果てのない悔しさを覚える。
でも、もう手遅れだと分かっている。
分かっているのに、未練を手放せない。
操り人形であるのをやめたければ、自ら命を絶てば良かった。『声』に抗い続けていれば、絶え間ない激痛の果てに心の死を迎えていた。任務を拒んでいればその時点で心臓が破壊されていた。
簡単な話だ。そうであっても生き延びたかった。
浅ましくもあり、けれども心の底では生きていたかったのだ。
だからだろう。
ーーーー黒幕のシナリオなんざ、俺が愉快に痛快に台無しにしてやる。 深い闇に沈んでいた心に『声』が聞こえた。
この身を苛む『声』とは全くの別物。
心と体に纏わりついていた異物が、根刮ぎ消え去った。
代わりに広がる、心地よい冷たさ。
熱にうなされていた身体が冷やされるような感覚。
ふと、己の命が消える寸前であったのを思い出す。
けれども、未練は消えていた。
この心地よい冷たさに包まれたままなら、それも悪くない。
本気で、そう思った。
ーーーーーーーーー
ーーーー見慣れない天井だ。
…………や、そもそも天井自体を見るのすら久しいか。ここしばらくは野宿用に張ったテントの中で寝てたからな。
「…………あー、例のアレか」
目が覚めて一分ほど呆けた後、俺は我が身に起こった出来事を思い出す。ここしばらくは起こさなかった『精神切れ』だ。渓谷で謎の男に襲われたとき、最後の最後に後先度外視で精霊術を使ったのがトドメだ。
身体に力を込めながらゆっくりと上半身を起こし、周囲の状況を改めて確認する。俺が今まで寝ていたのは簡素な調度だけが置かれた一室。おそらく宿屋の部屋だ。何度かほかの宿に泊まったこともあるし、その時の雰囲気と似ている。とすると、俺が気絶した後も無事に一行は次の街にたどり着いたようだ。
「問題は、どのくらい寝てたって所だが」
記憶を探ると、あの渓谷から次の街まで一日は時間が掛かるとランドが言っていた。つまり最低でもその日数は経過しているはず。正直、今回ほどに限界を超えて精霊術を使ったことがないので、判断が付かない。通常であれば、普通の『精神切れ』なら半日か長くて一日で意識が戻る。
もう一度辺りを見渡すが、室内には誰もいない。窓を見れば、外には青空が広がっている。昼間であるし、全員で出払っているのだろう。
「お?」
ーーーーいや、誰も居ないわけではなかった。
「気配」を感じた俺は、殆ど何も考えず、自分が今まで寝ていたベッドの下を覗いた。ベッドの上から覗き込んだので視界が上下逆転する。
ーーーーベッドの下に潜り込んでいた『人物』と、目がばっちりあう。
東洋系の人間の特長である、黒髪黒瞳とそれに準ずる顔立ち。
思い出す。俺たちをーー正確には、ファイマを襲った暗殺者達最後の生き残りの女性だ。俺が覚醒するよりも前に意識を取り戻したらしい。
「……………………」
「……………………」
人間とは、不意に目が合うと沈黙してしまう生き物である。
視線が正面から交錯した俺と彼女は無言になってしまった。
「……………………はッ!?」
ゴンッ!
「はぅううッッ!?」
最初に我を取り戻したのは黒髪さんだが、自分のいる場所を忘れていたようだ。伏せの体勢から驚いて立ち上がろうとした瞬間、頭上のベッドの底に頭を思いっきりぶつけていた。
「えっと…………大丈夫か?」
中々に凄い音がしました。ベッドが一瞬浮き上がると思うぐらいの勢いだったし。黒髪さんは頭のぶつけた部分を両手で押さえて震えている。
「お、お気遣い無く…………」
顔を伏せたまま、彼女は手で『大丈夫』のポーズを取るが、まったく大丈夫そうに見えない。
そして果てしなく余談だが、うつ伏せの状態で床に伏せていると、豊かな胸部の盛り上がりが潰れて横に広がっている。
「…………まぁ、なんだ。とりあえず、落ち着いたらそっから出てこいよ。また頭ぶつけるぞ」
「はい…………」
それから二、三分後。頭の痛みから立ち直った黒髪さんは、ベッドの下から這いだしてきた。上からそれを眺めていた俺だが、非常にシュールな光景だ。
這い蹲った状態から立ち上がった彼女だったが、そのままだと気が引けたので、とりあえず俺の隣にあるベッドに腰を下ろして貰う。俺も下半身に乗ったままの毛布を除け、ベッド脇の床に足を置く。
対面に座る形になる。さて、何から話せばいいのやら。
言葉を選んでいた俺よりも先に口を開いたのは、黒髪さんだ。
「…………お仲間の皆様からお話は伺っております」
両手を、自らの胸の一点に添える。
「操られていた『拙者』の命を見逃し、あまつさえ『声』に支配されていたこの身を解放してくれたのは、あなた様であると」
彼女が今手を当てている部分。そこには、彼女を縛り操っていた『宝石』が埋め込まれていた部分だ。戒めの装飾が無いのを確認するように、指の先でその場所をなぞる。…………って『拙者』?
「名乗りが遅れました。拙者はクロエと申すものでござる」
自らの名前を口にすると、彼女は深々と頭を下げた。
「この命を救っていただいたご恩、一生忘れないでござる」
…………また濃いのが出てきやがった。
和風で拙者にござる口調でしかも巨乳か。
彼女の真剣そのものの礼を受けつつも、俺はすさまじくアホなことを考えていた。
程なく、部屋に仲間の内の二人ーーレアルとファイマが戻ってきた。
「お、カンナ。ようやく気が付いたか」
最初に声を掛けてきたのは属性特盛り第一弾だ。俺は軽く手を挙げて返事を返す。
「俺はどのくらい気絶してたんだ?」
「まる二日、といったところだな。今までで最長記録だ」
「嬉しくない最長記録だな」
確かにな、とレアルが苦笑しながら同意する。
「大丈夫なの? 体調は問題ない?」
「起き抜けでちょいとだるいが問題ないさ」
次に声を掛けてきたファイマに陽気に答えた。『そう』と彼女はホッと安堵の息を吐いた。
「とりあえず、意識が無い内に医者に診察して貰ったが特に怪我らしい怪我はなかったらしい。強いていえば所々の打撲だそうだが、魔術を使う程度でもなかったようだ。だが、君は少々特殊だし、異常が有ればすぐに申告しろ」
「了解だ。ほかの三人は?」
「ランドは新しい馬車の調達に。キスカは怪我の治療に医院に行っていて、アガットはその付き添いです」
「キスカの奴、怪我してたんだっけ」
「といってもそれほど深刻では無いので、今日の診察で完治するそうです」
「そりゃ良かった」
魔獣集団の襲撃の折、已むを得ない状況ではあったが彼女の負傷の原因は俺だ。後遺症等が残らないようで良かった。
簡単な現状の確認が終わったところで、俺は本題を切り出した。
「んで、このクロエさんだっけ? 彼女とはどんな感じになったんだ?」
思い出せば、彼女は俺が作った氷の錠前で手足を拘束されていた筈だ。俺が精霊術で作った以上、常温で溶ける事はまず無い。レアル達が意図的に破壊したと見える。
「言い忘れていたが、この街は君が意識を失った渓谷から一日の地点にある場所だ。馬車が壊れてしまったからな、思っていたよりも距離が短くて助かったよ。で、クロエの意識が戻ったのは街に着いた直後だ」
「俺よりも一日早かったってことか。錠前を壊したのは?」
「勿論私だ」
例によって例の如く、背中に携えている自慢の愛剣を親指で指す。おいおい、あんなでっかい剣で拘束の氷を壊したのかあんなので『錠だけを破壊する』と宣言されても説得力無いだろう。まかり間違って腕ごと切断されそうだ。あ、クロエの顔色が青くなった。そのときの光景を思い出しているのか。そりゃ怖かっただろうさ。
クロエへの同情を余所に、レアルは続けた。
「覚醒の直後は錯乱すると思っていたが、存外に冷静だったのでな。話を聞いてみれば、やはり彼女は操られていたに過ぎないらしい。ランド殿と私の同意で危険は皆無だと判断し、拘束を解いた」
「アガットとかアガットさんとかアガット君とか、反対しなかった?」
「いやいや、それ全部同一人物でしょ。アガットは基本、忠告や進言はしても最終的な判断はランドに任せてるから。キスカも同様ね。ランドも二人の意見を取り入れた上で判断しているし」
「ファイマはどうなんだ?」
「私の場合は、あの拘束術式のえげつなさを直に確認したからね。アレに自ら従おうって人間がいるのなら、その正気を疑いたくなるわ。だから私も、彼女が操られていただけって意見には同感よ」
俺以外は満場一致で彼女の安全を保障しているのか。
さて、俺はどうするか。
や、クロエを助ける選択肢を最初に選んだのは紛れもない俺だ。けれども、その選択の意志に彼女の人格、人生は含まれていない。
俺が彼女を助けたのは単純明快に二つの理由。
一つは、クロエを操り人形として送り込んだ奴の思惑を潰すため。
もう一つは、助かるかもしれない命を見過ごせなかっただけだ。
命を助ける=信頼するの等式は、俺の中では成り立たない。
おそらく今回ばかりはアガットと意見を同じくするだろう。ランドの判断に従ってはいたが、おそらくクロエの警戒心は解いていないはずだ。それは間違いなく正しい。少なくとも現時点では同意だ。
「あの…………」
腕を組んで思考を重ねている俺に、当事者がおずおずと手を挙げた。
「発言、よろしいござろうか?」
「…………よろしいでござるよ」
語尾を聞いた瞬間に、真面目に考えていた思考が脱力した俺を許して欲しい。移っちまいましたよ。
「拙者、『声』に操られていたとは言え、自らの所業は朧気ではありますが覚えているでござる。拙者が皆様方のお命を付け狙ったのは紛れもない事実。操られていたとは言え、簡単に許されない咎であるのは承知しているでござる」
自らの罪悪を述べるクロエの表情は悲痛に満ちていた。
「幸いにも、もはや拙者は『声』から解放された身。望まぬ命で体を縛られることはもうありません。ですが、もしあなた様が拙者のことを許さないと申されるのならば…………」
一度目を閉じ、再び開いた彼女の表情は決意に満ちていた。
「この命、如何様にしても構わないでござる。死ねと申すのならばこの命、進んで散らして見せましょう」
クロエの宣言に、ファイマとレアルは驚愕した。
「ま、待つんだクロエ殿。君はその『声』とやらに操られていたに過ぎないんだろう? ならばそこまでする必要は無い」
「そうよ。貴方を従えていたあの拘束術式の凶悪さは私が保証するわ。だったら、アレに操られていた以上、貴方に罪は…………」
「これは『ケジメ」でござるよ、お二人とも。それで我が身の潔白を示すことが出来るのならば、それで本望でござる」
未遂に終わってはいるが、一歩でも間違えればファイマはあの時点でクロエに殺されていた。あの渓谷だけではなく、その前に起こった一件にしたって、俺との縁がなければその時点で死んでいた。
クロエにとって、軽い同情で許される罪ではないのだろう。
彼女の黒い瞳を見返す。
俺はそこに、ハッタリを含まない『本気』を感じた。
ーーーーだったら、どれほどの『本気』か、試してみるか。
「いいだろう」
軽く手を振るい、短剣の形をした氷を造形する。その切っ先を自分の指先に当てると、鋭さに負けて皮膚から血の滴が漏れ出す。
「見ての通り、即席で作った物だが本物の切れ味だ」
俺はそれを逆手に持ち、クロエに差し出した。
「言うほどの覚悟、その命を賭けてケジメをつけろ」
「ちょ、カンナ君ッ」
「カンナッ、君はいったい何を!?」
声を上げる二人を無視して、鋭い視線をクロエに送る。俺の言葉に一瞬だが呆然とする彼女だったが、次の瞬間に瞳に強い意志を宿し俺の手から氷の短剣を受け取った。
そして、クロエは二人の制止の声が届く前に、勢いよくその剣を己の胸に突き立てた。