Kanna no Kanna RAW novel - chapter (37)
第三十四話 せ〜んろは続く〜よ〜、帝〜都ま〜で〜
深夜を越えた翌朝。
詳しく言及はしていなかったが、クロエは処女だった。女性の初体験は次の日がかなりキツいと聞いていたのだが。
事実、あの後一回どころか五回ぐらい数を重ねた後、クロエは「わふぅ…………。わふぅぅん…………。くぅぅん…………」と、譫言を呟きつつ足腰が立たなくなっていた。
とりあえず脱衣所でしっかりと体を拭いて服を着せてやり、抱き抱えて部屋に連れて帰ったのだ。他の女子面子が起きないか冷や冷やしたがどうにかクロエをベッドに横たえると、俺は俺でそろっと男子部屋に戻って寝床に伏した。こちらも初体験の上に相当に激しく動いたのですぐさま眠りに落ちた。
そして朝起きると、全身に凄まじい疲労感。筋肉痛、とまではいかなかったが、起きるのが少々億劫になった。初めてだからって張り切りすぎたようだ。や、思春期真っ直中の野郎なら、盛りの付いた猫のようになってしまうのも仕方がないか、と自己弁護で納得する。相手は狼だったが。まぁ、捕食したのは俺ですが。
ところが、男の俺よりもキツかったはずのクロエはケロッとしていた。一番驚いたのは普通に立って行動していた事だろう。
「あ、カンナ氏。おはようでござるよ」
すっかり元の口調に戻ったクロエが、爽やかに挨拶をしてきた。心なしかお肌も毛並みもつやっつや、獣耳もぴんっと直上に立ち、ズボンからでている尻尾も力強く動いている。
まさに気力が漲っている。
「…………なんでおまえさんはそんなに元気なの?」
精神的には俺も充実しているが、体力の面で言えば明らかにクロエに負けている。元々の体力差を加味しても、クロエの調子の良さはおかしい。
「拙者、一族の中では落ちこぼれでござったが、体力に限って言えば他の者にも負けていなかったでござるよ。その…………昨晩のあれ直後ではさすがに無理だったでござるが、ある程度の睡眠時間が確保できれば、すぐに回復するでござる」
「あれ」と口にするクロエは恥ずかしげに小声になる。するとあれか、俺の体力が保てばあの後更に回数をこなせたのか。
「あ、いや。拙者も『初めて』だった故、あれ以上はちょっと…………」
良かった。一方的に絞られた訳ではないのか。男としてのプライドがぎりぎりで守られたらしい。最中は本当に我を忘れる勢いだったが、終わった途端の疲労感がやばかった。
「(いやいや、初めてであれほどとは本当に末恐ろしいでござるのだが。危うく快楽の蟻地獄に飲み込まれると思ったでござるよ)」
ほっと胸をなで下ろした俺は、クロエの呟きを聞き逃していた。
情事の翌朝に腰が抜けて動けなくなる、というテンプレかつお馬鹿極まりないイベントをどうにか回避出来たようで、俺たちは予定通りに街を出発した。
馬車に揺られてまたも一週間の旅である。
霊山の麓村での滞在期間を除けば、俺の異世界生活の大半は旅の道中で彩られていると思う。交通機関の主が徒歩か馬車が中心なのだし仕方がないか。現実世界では車や電車、果ては空を飛ぶ飛行機まであったが、ソレを望めない今その対比をしても仕方がないか。
しかし、こうも移動に時間が掛かると、月日などあっという間に過ぎ去ってしまいそうだ。この世界に来てから早一ヶ月以上。この調子だと、元の世界に帰るのに最短でも半年ぐらい掛かるのは覚悟しておいた方がいいかもしれない。
「なにを黄昏ている」
馬車の後部から呆っと外の光景を眺めていた俺に、レアルが声を掛けてきた。
「や、いつになったら帰れるのかねぇと」
「…………ああ、そう言えばそんな事情もあったな」
ちょっと! 如何にも「今思い出した」みたいな口振りは止めてくれませんか! 割と切実な問題ですよ!
「すまないすまない。悪気はなかったよ。ただ、知り合ってまだ一ヶ月なのに、随分と長い間一緒にいるような錯覚をしてしまってな」
「まぁ…………その気持ちは分からなくもないな、俺も」
ユルフィリアの王城を脱出してから、レアルとはずっと一緒に居たのだ。少なからず背中を預け合って戦った間柄。更に、定期的に訓練も相手もして貰っている。短期間ではあるが非常に深い付き合いをしてきたのは間違いない。
「あと数日もすればディアガルの南端国境だ。そこにある街にさえ着けばディアガルの帝都まであっと言う間。もう少しの辛抱だ」
「帝都に着いたとして、そう簡単に帰れる手段が見つかるとはどうにも思えないんだがなぁ」
「随分と後ろ向きな発言だな」
「前向きすぎると横道を見逃すからな。こう言う時は寄り道をするぐらいの気持ちで挑んだ方が建設的だ」
身近に前向きすぎる馬鹿が居たお陰でそんな教訓が生まれた。
「そういやぁ、おまえさんはディアガルに着いたらどうすんだ?」
「とりあえず『職場』の方には顔を出そうと思っている。私も一応、部下を持つ立場を預かっていた身でな。一ヶ月以上も顔を出していなかったから、それなりの騒ぎにはなっているだろう」
「や、重役が一ヶ月も無断欠勤してたら、それなりどころのレベルじゃ済まさないと思うんだが」
「かもしれん。だが、この場でとやかく言っても仕方があるまい。実際に顔を出してみんことにはな。ま、大丈夫だろう」
自分の周囲に目が行き届いているし、必要であれば熟考を重ねるが、根っこの部分では本当に前向きだ。考えた上で前向きになれるのは美点と言えるか。
「城の方にもそれなりに顔が利く。それとなく君が元の世界に帰れる帰還方法を探してみよう」
「正直、頼れるのは事情を知ってるおまえさんしかいないからな。悪いけど本当に頼りにしてる」
「他ならぬ君の頼みだ。喜んで引き受けるとも」
割と秘密なお話をしているが、別にこの会話は小声で交わしているわけではない。かといって俺ら以外にこの声は伝わっていなかったりする。
実は、会話を重ねている最中にも、俺は僅かばかりに精霊術を行使していたのだ。
俺が扱える精霊術は氷をーー冷気、冷却を主に司っている。
簡単な科学の問題だが、水が冷やされて氷になるのは、内部の水分子の動きが凍結して個体になるからだ。今回俺はこの『凍結』の部分だけを抜き取って操っている。
声ーーまたは音は空気の振動によって他者に伝わるのだが、俺は自身とレアルの周囲にその『凍結』の結界を張り巡らせている。辺りに拡散する空気の振動をそれで停止させているのだ。
もちろん、これで馬車の内部の空気が氷点下にまで落ち込むようなヘマはしない。ここら辺は精霊術のご都合便利能力の賜で、凍結結界の薄い膜こそ少々冷たいが、その周囲は普通に常温だ。
つまり、この音の凍結結界を使えば、周囲を気にせず堂々と秘密なお話が出来るのだ。しかも、魔力を使っていないので、他の魔術士にこの結界がバレる心配は極端に減る。
こんな小細工じみた芸当が出来るようになったのは、渓谷での一件が大きな要因だ。クロエの心臓を止めるときに俺は精霊術で冷気を操ったが、その時の微細な感覚を頼りにここ数日練習したのだ。お陰で音の凍結結界はもとより、自家製冷房機みたいな事も出来る。
はっきり言って、精霊術の自由度は半端ではない。明確なイメージさえ出来るのならば汎用性に上限は無いのかもしれない。逆を言うと、イメージが固まらないと複雑な事は出来ないのが欠点だ。ここら辺は今後の課題だな。とりあえず欠点とそれに対する妥協案はあるが。
「それより、君はどうするのだ? 帝都に着いたとして、すぐに情報は手に入らないだろう。私はしばらく職場の方に留まるだろうし、一緒には行動できないぞ?」
ファイマとの護衛契約はディアガルの帝都に着くまで。レアルとは今語ったように当面は別行動。すると自然に俺は完全に単独フリーになってしまう。
もちろん、そのことに関しては考えてある。
「この際だし、冒険者ギルドの方に登録しようかと思ってる。幸か不幸か、俺の髪がこんなになったお陰でな」
俺は自分の頭上にある白い髪を指さした。
城を脱出した時点ではとれない選択だったのだ。理由は、城の連中に俺の顔が割れていたからだ。仮にも国家の機密である勇者召喚の当事者であり、幽閉されていたレアルの脱走の手引きもした。レアル曰く表だっての指名手配はされなくとも、影ながらの捜索はされているだろう。
そんな中、冒険者ギルドに登録すれば所在がバレる危険性があった。ギルドが発行するギルドカードは冒険者の身分を証明する物ではあるが同時に、ギルドが冒険者を管理するための物でもある。つまり、俺の情報がギルドの中に流通してしまうのだ。守秘義務は当然あるだろうが、国の要請があれば止むを得なくその情報を提示する事もあるのだ。ましてや、俺の黒髪黒瞳はユルフィリアや周辺国では非常に珍しい部類に入る。もし万が一にその事がユルフィリアの王城に伝われば一気に捜索の手が伸びる可能性があった。
ところがどっこい。渓谷の一件で俺の髪と目はごらんの通りに変色してしまった。この世界にはまだ『写真』なる技術が存在していない。個人の特定に役立つのはおそらく、性別と年齢や体格。そして髪と瞳の色だ。仮に似顔絵があったとしてもこのうち二つでも情報との差異があれば、それは別人と判断されるにちがいない。髪の色だけなら、この世界にも洗髪料ぐらいはあるだろう。だが、瞳も鮮やかな紅に変化したのだ。目の色を変える方法は容易くないはず。
「怪我の功名ってやつだな。これで以前よりも気を使わなくても済む」
「そういうところは前向きだな」
「理由のない前向きはただの馬鹿だって事さ」
真の前向きとは、不利な状況の中でも活路を見いだすことだと俺は思っている。根拠のないそれは思考の停止も同然だ。希にそれでもどうにかなっている輩もいるが、そいつは『神に愛されている』としか言いようのない激運の持ち主なので例外だ。
「元々の持ち合わせに今回の報酬も上乗せされるから、働かなくても当面の生活費は困らないと思うが」
ユルフィリアから拝借した財宝類は俺とレアルの山分けと、既に話を終えている。内訳は、名が通ってそうな絢爛な品や処分に困るような品はレアルに。普遍的に流通してそうな品は俺。金額的には等分になるように振り分けているが、内容に偏りがあるのは仕方がない。ディアガル帝都の内部にレアルは(本人談だが)独自の伝手を持っている。訳ありの品、徹底的に守秘義務を重視する業者に任せるとのこと。かなりグレーゾーンに近いが真っ当な商売を心掛けているとか。そんな相手との繋ぎがもてるからこそのこの振り分け。
「金ってのはあって困るもんじゃないだろうさ。なんだかんだで世の中金があればどうとなることも多いし。まさか現実世界に帰る方法が分かるまで引き籠もりニートになるわけにも行かないだろうさ」
「『にーと』とはなんだ?」
「働かずに自堕落に生活するやからの総称だ」
幻想世界は現実世界と比べて室内で出来る娯楽が少ない。あっても対人が主のカードゲームや、ボードゲームぐらいだ。相手に困らないならぶっちゃけニート生活も悪くないが、あいにくとそんな知り合いは皆無である。だったら、簡単な仕事でもいいから働いた方が健全である。
「ふむ…………だったら『彼女』の指南を受けるのはどうだ? 現段階でCランク。後もう少しでB、という段階まで行ったのだ。ギルド内での立ち回りを学ぶにも適任だと思うぞ?」
「おお、そりゃ思いつかなかった」
レアルのアドバイスに納得した俺は、音の凍結結界を解除し件の人物に声をかけた。
「おいクロエ、ちょっといいか?」
「ん? なんでござるかカンナ氏」
「俺は帝都に着いたら冒険者ギルドに登録するつもりなんだが、おまえさんさえよかったら指南役になってくれねぇか?」
「指南もなにも…………カンナ氏は今でも十分に強いと思うでござるが」
「馬鹿言うなよ。俺は所詮素人に毛がもっさり生えた程度だ。や、戦闘面の話だけじゃない。俺はここらへんの一般常識には疎いし、冒険者ギルドは名前しか知らない。ギルドの使い方とか、心構えとかそういった根本的な事を教えて貰いたい」
「ああ、そういうことでござるか。もちろん構わないでござる。拙者としては恩を返せる機会が増えて願ったり叶ったりでござるよ」
俺としては先日の『ワンワンタイム』で十分に返して貰ったつもりだが、クロエとしてはまだまだらしい。彼女も嫌がっている様子はないし、この好意は有り難く受け取ろう。
ぶらりぶらりと馬車の旅で一週間が経過し、無事にディアガル領の南端都市にたどり着いた。国境沿いにある街だからか交易が盛んらしい。だからか、なかなかの規模を誇っている。城のような巨大建造物こそ無かったが、それでも発展度はユルフィリアの首都に匹敵していた。
ここから帝都まで、通常なら馬車の旅を追加で二週間かそれ以上の時間を要する。直線距離に限れば一週間弱で到着するらしいのだが、ユルフィリア王国の領土に比べ、魔獣の出現頻度も比較的に高いらしく且つ強さも上だとか。
しかもユルフィリアとの国交における玄関口のような街だが、ここからディアガルまでのルートが一番困難な道のりらしい。危険な魔獣が生息する地域を迂回し、安全に移動できるルートに迂回すると、どうしても遠回りになってしまうのだ。
そもそも、ディアガルは百年以上前まで鎖国に近しい状況だったのだ。と言うのも、前述に記した通り、まず魔獣の強さが他の地域よりも高い上に危険地域も広い。土地や道程を開拓するのにも非常に困難だったのだ。
その関門の一つが先日にトラブルに見舞われた渓谷ーー確か、フレイムリザードの渓谷と呼ばれていたな。名を冠する魔獣が時の英傑に討伐されるまでは進出不可地域だったらしい。
もはや魔境といっても差し支えないぐらいに厳しい環境の土地だ。それらの話をファイマから教わっている最中は鬱な気分になったものだ。なにせ俺らが目指している土地はまさにその魔境のど真ん中なのだから。冗談を抜きに命がけの旅になりそうだ。
そんな俺の杞憂は、次にファイマが続けた説明によって解消された。
「…………まさか魔法万歳の世界でこんなのを見る事になるとは」
国境の街に到着したその翌日。数日前にこの国の詳しい地理を聞かされた時はゲンナリとしていたが、その後に説明に出てきたのが、今まさに俺の目の前にある存在だ。
「…………拙者も初めて見るでござるが、凄いでござるな」
「私も、利用するつもりでいたから話には聞いていたけど、これはさすがに圧倒されるわね」
クロエもファイマも『ソレ』を見上げ、驚きと感動を半々ぐらいに呟いた。同じく、ランド、アガット、キスカも同様にだ。
「そうか、この中で『こいつ』を見たことがあるのは私だけか。まぁ無理もない。外からきた人間はだいたいこいつを見て圧倒されるからな」
レアルは納得した風に頷くと意気揚々に言った。
「さぁ! こいつがディアガル帝国の大動脈にして名物。『魔導列車』だ!」
ーーーー魔導列車。読んで字のごとくに魔術の力で動く列車だ。
ディアガルの国交が開かれて以降、手先の器用さで言えば他の種族よりも先んじているドワーフ族の協力の下、ディアガルが国の威信と発展を望んで作り上げたのがこの魔導列車だ。
この列車の線路はこの南端都市を始め、領内に点在する様々な発展地域から延びており、そのすべてがディアガル帝都に繋がっている。
「構想から現在の形になるまでおよそ二十年近くの月日を要した。線路を通すに適したルートの構築から、野生の魔獣への対処。列車そのものの設計に至るまで苦難の連続だったらしい」
列車である以上、線路を破壊されれば一溜まりもないが、線路の敷いてある各地には魔獣除けの結界術式が設置されており、よほどに危険な魔獣でない限り線路の上は安全だとか。なお、魔術除けすら通用しない魔獣も当然いるが、そもそもそれらの生息地には線路を通していないので殆ど問題ない。
「この魔導列車の完成によって、危険地帯の多いディアガルは他国との国交の容易化を実現し、今日までの発展を遂げたのだ」
自国の成し得た偉業を誇らしげに語るレアルは、いつになく饒舌だ。
「こいつの主な役割は物資の運搬や重要人物の護送ではあるが、金銭さえ払えれば一般平民の利用も可能だ。多少値は張るがな」
ここ始発の南端都市から終点である首都までの、一人当たりの運賃が金貨一枚。気軽に乗れない値段ではあるが、列車なら寝ている間に着く。それに比べて徒歩や馬車だと、道中の食料や魔獣への対処で経費が嵩む。そう考えると遙かに安上がりだ。
「この南端都市から出発して、二日後には帝都の駅に到着しているだろうさ。魔導列車の凄いところは、ある程度の管理さえ出来れば夜間も休まずに走り続けられる所だ。馬車は生き物が牽く以上、どうしても休憩を挟まないといけないからな。しかも速さは段違い」
「蒸気機関と魔導機関のハイブリット機構だったわね。魔術具で水と熱を生み出して、その時に生じる蒸気の圧を利用して車輪を動かす、だったかしら」
「さすがはファイマ嬢。詳しいな。その通りだ」
どうやら、この世界はまだ『電気』を動力とした機械類は存在していないようだ。「雷」の概念は魔術属性の一つである以上ある程度の理解はあるらしいが、それを「燃料」と捉えるまでは行っていない。将来的にその研究がされるだろう。
ぶっちゃけ俺には関係ないか。電気の概念は知っていても、具体的に利用する方法を教えられるほど詳しくないし、実際に作ってみせる技術力もない。というか、俺の目的はこの世界からの脱出、元の世界への帰還だ。そこいら辺に力を注ぐ余裕もないしな。
「ここまで連れてきた馬車の馬はどうすんだ? 連れてくのか?」
ランドに聞くと、彼は首を横に振った。
「いや、この街で売ってしまうよ。ディアガルには最低一ヶ月は滞在する予定だからな。連れて行くにしてもこの街に預けるにしても、それだけの期間を放置しておくのは心苦しい。だったら、しっかりと面倒を見てくれる相手に譲った方が馬も喜ぶだろう」
短い間ながらも俺たちの乗る馬車を引っ張ってくれた相手だ。その後はちょっとだけ気になっていた。
「安心して欲しい。昨日の内に私が信頼できる馬業者に任せてきたから。少なくとも扱いの悪い持ち主には当たらないよ。売る側にも売る相手を選ぶ権利はあるんだから」
や、キスカが安心させるように肩を叩いてくるが、そこまで気にしてないからね? 如何にも『全部分かってる』みたいに悟りきった表情やめてくれません? や、流石に馬刺にされるとかだったら思うところは出てくるけどさ。
「騎士たるもの、相方となる馬に絆を感じるのは自然な事よ。あなたの気遣いはきっとあの馬にも届いているから」
「や、そこまで思い入れは無いから。つか、俺騎士じゃねぇし。剣すらもってねぇから」
「あら、あなただって立派な『剣』を持ってるじゃない」
と、キスカは視線を下に下ろした。はて?と彼女の視線を追うと、ちょうど俺の下半身の一点に到達してーー。
「って下ネタかよ!」
「随分ご立派なものをお持ちで…………」
両手を添えた頬を赤らめ、彼女は伏せ目がちに。
「誉められているはずなのに素直に喜べない! ってかいつ見たんだ!」
「…………ワンワン」
「あの時かぁああああああああああああッッッ」
よりにもよって俺の卒業式はばっちり目撃されていたらしい。頭を抱えて絶叫した。
「つーかなに覗き見してんだくらぁッ!」
「夜更けに風呂場にクロエさんが向かうのを目撃して、後を付いてったら…………ねぇ?」
「や、同意を求められても」
「それに私だって女なのよ。扉の隙間越しとはいえ、あんなのを見せられたら見て見ぬ振りは出来ないわよ」
「見て見ぬ振りしてくれよお願いだから!」
「というか、あの場に乱入しなかった事を誉めて欲しいぐらいだわ」
「あ、うん。そうだな。それは確かに」
「本当に、混ざってしまおうかどうか真剣に迷ったんだから」
「素直に感謝しづらいな!」
そんな会話をそばで聞いていたクロエは「わふぅぅ…………」と顔を真っ赤にしていた。獣耳もペタリと垂れ、頭を抱えてその場に蹲る。うん、君も卒業式を目撃された一人だったな。
「騒がしいな。いったい何の話だ?」
「こっちの話だ気にするな!」
ここで規律の権現であるアガット委員長の登場だ。あかん、ここで奴が会話に参加すると更にSAN値が激減する。出会って数時間の相手と『ワンワン』していたなどと知れば確実にぷっつんする。
とりあえずその場は勢いで誤魔化した。幸いにもアガットや話をちらっとだけ聞いていたレアルとファイマには事実は伏せられたようだ。唯一、ランドは話を聞きながら苦笑していた。あのおっさんにはバレたかもしれない。くそ、不覚だ。
出発直前のハプニングはあったが、そんな一幕以外は特に問題も起こらず、ディアガル帝都への優雅な二日間の列車旅に出発したのであった。